自分のために「思い通りにしたい」という心の働きは、
きっと不安や心配に駆られたエゴの動きなんだろうなぁと思うのが、このところの内観。
エゴも身を守る為には必要な時もある。
だから排除するわけではないけど、一方で、感情に流されず俯瞰する自分がいた方が楽になれる。
今年、北インドのモンスーン季は酷暑続き。ようやく昨日からチャンディガールはパラリと雨、最高も35℃程度に。息が出来るー!と、涙もちょちょ切れる。
気候が「思い通りにならない」のは、北インドの下町に住む上で覚悟してた。しかしインド6年目の夏でも克服出来ず、すっかり夏バテ。仕事を代わってもらう夫に申し訳ないわ。。。あれ?でも、
夫は「任せとけ!」と嬉々としてる。そもそも夏バテの原因の半分は彼だ(夜中にファンもエアコンも全開にする。泣)。
「人に迷惑をかけてはいけない」という概念が元からない人々から学ぶ便利なヒンディー語は、
キャーカルサクテ = しょーがないっしょ。
(北海道弁に意訳)。
そもそも「克服しよう」としてた自分が、能率重視の小っちゃい征服者。克服なんてせずに昼寝でもしてれば良いのに。
仕事も日本式が抜けない私は、インドに早速やられかけた。インド人の「直ちに送ります」は一週間後。そして自信たっぷりに「完璧な製品」と言い切る商品は縫い目が解けている。期待レベルが高すぎた私のエゴ君のお勉強タイム。
外出の度に熱中症っぽいのは次の日回復するけど、この夏バテは1、2週間は続いた。胃を中心に内臓が熱っぽくなり、身体の表面は冷房で冷える悪循環。気分も頭も冴えず、朝起きると全身痛。
デスクワークのピークと重なり運動は出来ず、アイスコーヒーで頭を動かしていたので冷えない筈はない。寝室以外は気温40℃越えで、冷房(29℃設定)をオフにするどころではなかった。
暑い季節はまだまだ続くので、出来る事から工夫して改善して行こう〜。
涼しい今朝はようやく台所の掃除。砂嵐で入って来たホコリと格闘し、湿気る前にスパイス類を天日干し。
ふとお向かいを見ると、コロナ前に生まれた女の子がベランダのパパに向かってパタパタ走って来た。手にズボンを持って来て、パパにはかせてもらうところ。
微笑ましい。
お向かいのアパートの住人たちは、ザ・インド式の共同生活を楽しんでる感じ。主に若い夫婦が入居していて、ベランダ(各階の外側にぐるりと配置。「ギャラリー」と呼び、共有スペースの認識)では、
どこの家の子も一緒になって思い切り遊び、お母さんたちはお洗濯干しながら井戸端会議、お父さんたちは朝から情報交換(チャイを飲んだり、新聞読んだり、爪を切ったり、たまに飲み会?)、お父さんたちも皆で子どもたちとよく遊んでいる。
そんな光景が羨ましく見えるのは、私自身はそんな生活を諦めたからだったりもする。最初の頃は大家さんに悩みを聞いてもらったり、お隣からお裾分けをもらったり、ヒンディー語を教わろうとしたり。純粋に助け合って暮らしたかったけど。
価値観の違いから行き違いや衝突もあり、インド式の濃ゆい共同生活への憧れは遠いて今に至る。異国のど真ん中でゼロから生活を築くには軸が甘かった私。色々助けてもらえた学生の頃の留学生活と違って、もう自分の軸を据える時期。
この場所では、私が自分の「思い通りに」しようとすればする程、全く違うやり方の周囲とは衝突が増える気がして憂鬱でもある。彼らのやり方も心から美しいと思う自分もいる。ただ、ウチではインド式は無理。理解されず寂しくても、曖昧にしてはいけない事がある。
これもエゴなのかな?
まるでまだ生存競争の真っ只中。笑
日本に居た頃の私はきっと「レベル低いな」って呟くね。今ここの私は悔し紛れに、何でもあって当たり前のあの頃よりは、感謝の心を知りましたって言い返す。過去の自分との変な妄想劇。
「思い通りに」ならないのは、私と結婚した夫もそうだろう。私たちは2人とも子供好きだけど、30にもならないのに自分の子を育てる未来を諦める夫の気持ちを想像するのは「罪悪感しかない。。」 ←と、思い込んでいた私。でも想像を越えて来るのがこの国の人々(言い方)。
「僕が「ウチの子」になるから大丈夫」
って言ったよね。斬新か。
それ私が大丈夫じゃないやつだから。笑
近所や親戚の子たちを見てるだけで心は満たされるので、まぁ仕方ないという結論。最近は住まいについても、新たに建てたり所有する必要なくない?という話になる。
夫のような村出身者がサービス業の月給でこの地方都市に新築する道は、はっきり言ってエグい。
それをした夫の義兄①や同僚たちも決して倫理的ではないし(経理から抜いてるって)。それにお義母さん、息子のために村に新築してくれたしね。
何もかも「思い通りに揃えたい」という気持ちは、私にはずっと分からないのかも。
でも義兄の子供たちがとーっても素直で賢く育ってるのは、彼がどんな手を使ってでも子供たちに十分与え続けてきた恩恵でもある。愛の力は、偉大。
そんな愛とエゴ溢れるインドの親戚を見て、ふと思うのは笑、
私たちだって(先進国)で何不自由なく暮らしていた陰で、他から奪っている事実もあるだろうと言うこと。
愛する人を守り幸せにする為に、「思い通りに」生きられるようにと、どんどん生活は便利に快適になって行ったけど。
世界中の果物や魚や肉や食品が探せば1年中手に入り、最新のスィーツも受賞したワインも流行りの服も珍しい宝石も最先端の美容や医療も、「物質」なら望めば入手可能な世界。改めて振り返ると、ここインドとは別世界。。
でもこれからは「物」ばかりでなく心もグローバル化が進んで、きっとその「物」の旅して来た背景がもっと明らかになるだろう。そして、不当な略奪や搾取、犠牲が私たちの目に見えるようになれば放って置けないのが人情だと信じたい。
わがまま放題、感謝も知らずに半生が過ぎた私は、もう誰かを犠牲にするのはご免なのだ。
「いかに安く必需品を買うか」に余念がなく、いつもマーケットで必死で値切り続ける我が夫にも、試しに「安く買うことより大切なことってあるよね?」と言ってみるけど、最初は意味不明だったよう。自分の経験したことのない価値観って、誰しも腑に落ちにくいものだよね。
昨日見た Deepak Chopra氏のインタビューで「瞑想」や「本質的な現実の認識」について、彼はこう言っていた。
一旦体験してしまったら、
それはもう受胎した人間のように
生まれ出る以外の選択肢はないのです
と。
(ヒトは生まれない場合もあるけど、そのエネルギーは次に繋がって行く)
百聞は一見にしかず。
外部から眺めると日本や先進国は本当に別次元に見えてくるし、それで大丈夫なの?って危うくも感じる。インドも追従してるけど、消費して開発して汚染してもっと消費してたら、果てしないよなーって。
Deepak Chopra on How to be more present and not be overwhelmed with life 2021
昨日見たインタビュー(長いけど)。お硬い哲学者と思いきや、かなり先駆的で柔軟、自分を実験台に人生を楽しんでいるチョプラ氏に共感。
フェアトレード、サステナビリティーやヴィーガニズム等はただの流行りの横文字じゃなく、人類が共に愛に目覚めて行く過程だとも思う。
目の前の物の値段や、直接自分にもたらされる利得は、実は同じ地球上の多くの人たちの様々な人生の物語りを紡ぎながら私たちに届けられている。
それが幸せな物語りであってほしいと願うのは、おこがましいことだろうか。
時に「思い通りに」行かない。。と悩むことでも、今その主張を無理に通さなくてもその品を買い求めなくても、他にめぐりめぐって行く恩恵もあるのだと思うと、少し気が楽になる。
消費の仕方を少し変えるだけで、同じ地球の誰かが笑顔になるかもしれないと妄想したり。
悟りを開いた人は、今目の前のこの現実が常に最善であることに気が付いていると言う。
私はまだ自分の価値観や境界線を、感情的に必死に守って戦ってしまう。それが今の「最大の教え」であり、思い通りに行かないことこそ、実は最短最善のメッセージ。
そう言えば13日は金星と火星のコンジャンクションだった。インド占星術では蟹座での合。暑さもご近所トラブルも夏バテも台所の水漏れも、ま、そういう事!にしておきたくなる私。笑
エゴや欲望のままに我を張らなくても、この宇宙の風向きをゆるりと楽しめる人になりたいなと、最近は思うのです。
おまけ。SK Ⅱの映像作品を友人がシェアしてたのでペタ。桃井さんの「思い通りにならなくても…」ってナレーション、シンクロしたかも〜♪