インド綿のオンラインストア tinyuri india をオープンさせて1週間が経ちました〜!
わざわざ日本から見つけていただいて、早速ご注文もいただき、それぞれ感想をいただく機会があったりと、ありがたい事ばかり。
ブログ読者さんにも温かいお言葉をいただいて、沢山の勇気をもらいました〜!あっと言う間の一週間。こんな幸せはいつぶりだろう?
まだ商品は到着していませんが(およそ12日間かかってます)、インドで孤独にロックダウンしてた私の小さな思いが、少しでも何かに繋がりつつあることの信じがたい奇跡。。
感謝を通り越して、感無量です。涙
ゆっくりではありますが、大好きなインドの身体に優しい素材、優しさ溢れる可愛らしい色や柄、尊敬する職人技の作品をご紹介して行きます。
どうぞよろしくお願いします♪
🌼天然素材のインド服🌼
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(前回の予告より日程が遅くなりごめんなさい!日曜日決定です🙏)
さて、私が最近インドで「幸せ」を感じたことのお話。
ようやくここ最近、シビアだったコロナ不安から解放されつつあるインド。私も、(も、もう、笑っても...大丈夫。。。?)←って心境になっていて。笑
この1年、外出はほぼ完全防備で止むを得ない時のみ。帰国はおろか、日本からの航空小包も停止、さらにインディアポストも国際送付停止、何の楽しみもなく淡々とするべき事をこなすなんて、
四面楚歌ってコレのこと?
と、まさにそんな顔😲して生き延びてた。(でも探しても自分の写真が殆どない。。)
でも先日、クスクス笑いが止まらない出来事が。それは猛暑の出先で休憩に入ったカフェでの事。
まず入り口で背後から「ディーディー(お姉さん)」の声がした。よくいる物乞いの子だなーと思いつつ、お店の警備員さんに促され、検温と手指の消毒をして入店。
いつもの席に落ち着いてメニューを見ていると、横で気配が。。チラリと見ると、さっき声をかけて来たと思われる10才くらいの2人組、大きな窓に張り付いてじーっとこっちを見つめてる。。。し、視線が痛っ!笑
さすがにそんな光景を見るのは初めてで、そもそも店員さんに怒られるのでは?と目を合わせると、2人でパントマイムショーのように、ダンスな動きを交えて大げさに手で口に食べ物を運ぶ動作。
必死のパフォーマンスが可愛すぎ、こんなに頑張ってるのなら何かあげなきゃと、ちょうど来る前に屋台で買った私の大好物、エッグロールがバッグにあるのを思い出し(ポッシュなカフェに持ち込んじゃダメな奴w)まだホカホカのそれを、入り口を開けてサっと手渡した。
受け取りながら、スラっとしたポニーテールのお姉ちゃん「ええ〜。20ルピーで良いからお金が欲しいのに〜」と甘え顔。
しかし私はむやみに現金をあげない人。「このロール美味しいよ〜」とスルー。すると更に「えぇ〜〜」という顔で、2人してもう3分くらいウインドーに顔を貼り付けて来た女の子たち。
何かもう、可愛いやら可笑しいやら。
その後案の定店員さんに見つかり、でも優し気な店員さんは怒らず「帰った方が良いよ〜」と諭したようで、2人は去って行った。
何だろうこの感覚。。?と心のウキウキを辿ると、まるで昔日本の小学生に英語を教えていた時の感覚とソックリ!年齢も表情も仕草も。怒らない店員さんも、まるでインドじゃないみたい。
最近のインドの物乞いの子も、急に洗練されて来た?(お洒落してたしね)
こういうカフェに来る客の心情も心得ているのかもねー。
これがスーパーの前にいる子たちだと「可哀想でとても見てられない」風貌で、ザワザワさせられる。数年前までは私も、不自然に眠らされグッタリな赤子を抱えた少女たちを見た。でもそれだと私は逃げ出したくなるだけ。
「ウチの子風」には、みんな弱いよのねー。笑
(アイドルとかもそう?)
でもね
インドに少し住むと見えるのは、親類縁者、宗教施設、国の政策、民間団体などなど、インド社会として多くのバックアップが機能している(すべき)という事で、私の乏しいお金をバラまく必要など微塵もないという事。
スラム支援のNGOに勤めていた頃は、一番の悲劇は慢性的な貧困による事件、事故、病気、自死だということが、日々データで上がって来る。
(毎朝朝礼で「作日◯月◯日は△△地区で殺人1件、緊急入院4件、自死2件、流産2件、、、」等と共有する。汗)
そんな情報や現場に接すると、一過性の施しという刺激は(うさ晴らし)的な効果しかない可能性も大きいと知る。
同じコミュニティーの人間が側について継続的に関わり続ける、保健・教育・技術指導・職業支援など広範囲のような人道支援が最も必要とされている。
もちろん一時の寄付や気まぐれなイベントも多く、その度に寄付者に感謝する大々的な式典に付き合うので、支援団体が介入するスラムの住民は結構忙しい。笑
支援団体は数値目標を掲げて達成し、広報活動によって信頼と寄付を得る。収益がないと何も始まらない。どんな支援もギブ・アンド・テイクなのだなぁと、無知な私も学んだのでした。
で、さっきの話に戻すと。
あの窓に張り付いていた2人の女の子から、私は「エッグロール」という物質を介して、「幸せ」という収益を得ていたんだなぁって。
無邪気でお茶目な彼女たちにホッコリし、顔に張り付いてた?四面楚歌が緩んだわけで。お金や物には代えがたい体験。
私にとって「幸せ」って
色々あるけど究極には
誰かとの心の交流なんだねー。
お金や物や、場や体験を通して、目に見えない「エネルギー」同士で繋がって、
お互いが、より高く大きな励ましを得るような、
気持ち良い上昇気流にスイスイ乗る感覚!
さっき絞り出して書いてみた↑難しい社会の仕組みに沿う事は置いておいて。笑
一緒にいる人たちと共鳴して、思いがけず優しい笑顔がこぼれるような、心がフワリとほころぶ瞬間。
もっともっと、そんな幸せを感じても良いんじゃないかって。
そう思える分だけ、私の心もインド社会と一緒に少しだけ余裕を取り戻していると信じたい!笑
社会と関わり仕事をする喜びも、そんな幸せをもっと増やして循環させることにある。
しかーし。
今、そんな素敵な幸せの発見とは相反する困り事がアパートのお隣りさんとの間で起きていて。(前のブログにも書いた件)
私の究極の「幸せ」が心の交流なら
どう頑張ってもそれが出来ない世界を
私は最も「不幸せ」と感じてしまう。
挨拶も、アイコンタクトも、名前も覚えてもらえないまま、こっちの敷地だけ利用されたくないと、心が猛烈に抵抗してしまう。
寂しいんだねー、私。笑
この前から止めてもらおうと何度か話しかけたけど、何度言っても分かってくれないものだから、
(どうやったら分かってくれる?)と頭をひねり続けた結果、出てきた言葉は
「あなた、私の友達になって!」
だった。笑笑笑
「私の友達になってくれたら、いつ来ても良いから」と。
でも「私も、あなたの部屋に招待してくれる?」と聞いたら、終始無言で動じない彼女、何も言わずに後ずさりしてお部屋に戻って行かれました。
ダメだったかー。笑
境界線の曖昧なインド下町のアパートに、プライバシーが基本の外国人が住むことの難しさ。。そして、お友達にはなれないらしい。笑
そんな摩擦?が毎日ありながらも、もう本音を隠すのだけはやめようと思っていて。言いたいことはすぐ言ってまう。汗
近しい人とは心で繋がりたい、そうでない人ともその一線や違いを尊重したい。文化が違っても心ある同じ人間だもんね。嫌な事や不当な事も、こちらが主張し続けることで、いつか何かは伝わるかもしれない。
アンガーマネジメントとしても、瞑想、ヨガ、呼吸法、やってて良かったなって思ったのです。
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