北インド☆ゆるヨガライフ -15ページ目

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

お久しぶりなのに、ちょっと前の事を書いちう。

 

5月の一時帰国の直前、私は4月から始まるマンゴーシーズンを楽しみにしていた。夏には日本で仕事なため、毎年1ヶ月しかインドのマンゴーを食せないので。

 

マンゴーが出回ると私のテンションが上がるのを知ってる夫。ある晩、初物をいち早くゲットしてドヤ顔で帰って来た。

 

初物は少しだけ頂いた。私に買って来たはずなのに、私以上に嬉しくなっちゃった夫が殆ど平らげてくれたから。

 

でも、異変を感じたのは実家の村に農作業の手伝いに行った時。従兄弟のお嫁さんと晩御飯を作り、これまた夫がウキウキ買って来たマンゴーをガブリと食べた時のこと。

 

い、息が、、苦しい。。。?!

 

一瞬、無理して手伝いをしたツケが回って来たのかとか、急性のストレス症状(過呼吸とか)に見舞われてるのかもと疑った。でも落ち着いてよーく観察してみると、喉の奥の一点が極端に痛痒い。手の中のマンゴー塊に目を向けた。

 

ただのマンゴー・アレルギーだ!

 

 

その時は不思議とホッとしたのを覚えている。義実家滞在のストレスによるブレイクダウンじゃなくて良かった!

 

(夫の実家はかなりの田舎なので、正直いつも適応障害を発症しないか不安になっていることにようやく自分で気がついたりもして。)

 

 

マンゴーには、悪いけど。

 

夫にもちょっと悪いんだけど。

 

私にはマンゴーは要らないらしい。

 

 

 

マンゴーだけじゃない。

 

極端な環境に適応しなくちゃって頑張ることも、

何年やっても納得行く生活が出来ないこのやり方も、

夢や価値観を共有できない夫との関係を取り繕うことも、

 

 

もう、やーーーーーめた。

 

 

やめちまえ。出来ないことは全部。笑

 

 


村にゾウが来たよーと、夫が送ってくれた写真。

 

 

そしてこの夏は他にも、不快感が身に迫るテーマがやって来た。

 

それは「頑固さ」。

 

 

自分が頑なになっていて、心を開くことが出来ない状況はもちろん辛いし、相手の頑固さで打ち解けられない状況が発生するのもなかなかに苦しい。

 

友達でも、同僚でも、兄弟でも、親子でも。

 

きっと分かり合えるよ♪と、楽観的で脳タリンの私は思っていたくても、相手にとってはそれでは許せない、「そんな単純な話じゃない」ってことだったりを、いろいろと垣間見たのだ。

 

 

本当は理解して欲しいけど、

今はそれを諦めたまま。

 

 

そんな態度の相手に出会う度に、何故かそこはかとなく傷ついていた私。だって、そうじゃない人たちもいるのに、どうしてこの人、あの人とだけは壁があるんだろうって、単純にモヤった。

 

 

でも。

 

「理解して欲しいんだけど、

それを諦めた状態のまま。」

 

 

↑これって、今、私自身を映す鏡だよね。

 

 

 

私も、諦めかけていたんだわ。

 

 

ウダウダ言いながら→(だって1人でやって来てしまって、もう引き返すことなんか出来なくて、誰にも分からない所まで来ちゃって、でも決めた事はやらなくちゃいけなくて、ちゃんと自分で決めなくちゃダメで、責任も取らなきゃいけないし、形にしなくちゃだし、逃げたくないし、負けたくないし、こんなに頑なになりたい訳じゃないんだけど、だって、

 

誰も分かってくれないし)って、

 

諦めちゃってるじゃんね。

 

 

 

今、目の前の頑ななアラフォー&アラフィフ女子たちが、諦めかけてる姿が見え隠れする度に、それを見ちゃうと私も、もうダメ〜って心が折れそうになって一大事に感じたワケか。

 

 

一瞬焦って、彼女たちに何かを言わなきゃいけないように感じたり。私自身の心のモヤモヤが止まらなかったから。でも多分そうじゃない。私の役割はそこじゃない。

 

 

自分にもっと素直になること。

私自身と対話することが私の役目だろう。

 

 

 

「誰も分かってくれない」って、

 

頑なに思い込んで、信じ込んで、そんな現実で周りを固めてきたかもしれない。そんな出来事ばかりを起こしたかもしれず、そんな人ばかり引き寄せたかもしれないと思う。

 

 

で、それでやっぱり、諦められるの?

思い込めば思い込む程、辛くて寂しくて苦しいのに

そんな負の感情をワナワナ我慢できるの?

「誰も分かってくれない(仮)」のまま私、

ニヒルにクールにやって行けるとか?

 

 

無理だーーーい。笑笑笑

 

 

 

どうしてこうなっちゃったのかはさて置き、

 

勝手に決めて勝手に偉ぶるな。

勝手にそんなに抱えるな。

 

そういうことでしょう。強がり過ぎたよね。自信なさすぎだよ。自分で自分を見くびり過ぎだし、この世界を信じなさすぎた。

 

 

 

不思議とそんな事を教えてくれるようなお仕事には恵まれて、この夏もたくさんの出会いがあり、上司も同僚もいい角度にいてくれて、問題もちゃんと起こって、ちゃんとワタワタ頑張って、ちゃんと問題解決出来た。



だからもうちょっと安心してもいいし、そろそろ万事が大丈夫だってことをもっと信じてもいいんじゃないかと思い始めている。

 

 

この世界をもっと、私だけの勝手な思い込みの閉じた世界からどんどん他に明け渡して、皆とどんどん分かち合って、それでもやっぱり許して許されて、


理屈は要らなくても分かり合えるって安心しながら、どーんと優しい気持ちでいたいと思う。

 

 


なーんて書いても、分かりっこないか。笑



The Experiment in International Living プログラムで来日した仲間たち。お疲れさまー!

↑という、お知らせが来た。と言うのもここ2ヶ月ほど、私のお腹は混乱し続けているようで。

 

帰国してから病院で結構な検査をしてもらったけど、結果は全くのシロ。どんなインドのウィルスや菌が出るのかと思いきや、拍子抜けしてしまった。

 

予想できる症状としては、昨今よく聞く「過敏性超症候群」らしい。

 

あぁー、ストレスかー。。

 

思い当たるところもあるような、

でも気づかぬフリで逃げ切りたかったような。笑

 

 

2月のインドでの結婚式の最中でも通常営業だった胃腸さん。それがあれれ?となったのが一時帰国の直前の5月の始め頃(久々のブログがこんな話でスミマセン)。

 

 

環境の変化があり、帰国の安堵感もあり、でも連日の泊まりがけの仕事の緊張感なんていくらでもあり。

 

でもそういうものに「負けない」ように、神経何本か抜いて過ごしてたのが良くなかったのかもと反省するところ。

 

 

ここ10年くらいでやってきた自己流の精神衛生保健術?があって、それはあらゆる物事を、

 

「心配しない」、「憶測しない」

 

ことだった。

 

 

これは私が若かった頃、気が散りやすく心配しがちで、周囲のことやまだ起こってもいない物事への憶測(予期不安)などでパンクしてしまい、20代をかなりブルーに過ごした経験の後に決めた事だった。

 

心配し過ぎないことも、憶測し過ぎないことも、気持ちが空回りしやすい体質にとっては有効な方法だったのだけど、10年も習慣化して固定化してたのは良くなかったと思う。

 

 

だってそれって、実際にある不安、不満、摩擦、嫌悪感などのストレスに長年、

 

笑って平気で蓋をしてたってこと。。汗

 

 

脳が誤った信号を出すことにより胃腸の動きが混乱してしまうという、過敏性超症候群。

 

。。。。

 

私、相当無理してたかも。笑

 

 

しかも、

 

自分勝手に頑固な思い込みをしてた。汗

 

 

 

6月の吉日には、明治神宮にご挨拶できました。

 

 


さて


周りを見回すと、何故か定期的に病気や入院をしている人とか、不思議と事故に巻き込まれている人とかがいたりする。それでたまぁに共通の友人たちと心配してその子の話になったりして。

 

でもしばらくすると本人は元気になるので、良かったねーとなるくらいで、特に何を言う訳でもないんだけど。

 

でも何年かすると、また、みたいな事ってあって。。。

 

それって傍目から見ると、やっぱり何かのパターンとして見えることも。それで誰に言わないまでも「そんなに頑張らなくてもいいのに」とか内心思っていたりして。でもその人自身の課題だから、やっぱり何を言う訳でもないんだけど。

 



と。他人の事はそんな風に見ちゃったりするのに、自分の事はサッパリ見当も付いてなかった事態に、今さら気がつく始末。笑

 

 

 


私、片目瞑って突っ走って来たのかな。

 

頑張りすぎたとか、そんなコトじゃなく。

 

私、自分の気持ちを封印してた。。?

 

怖いとか不安とかの声を無視してた。

 

本当はもっと安心していたかったのかも。

 

自分を守ってあげられなかった。。

 

 

だからいつも何かが不満だった。幸せな事もいっぱいあっただけど、根底では満たされてない気がしてた。自力で解決出来る範囲のずーっと外に来てしまっていた。自分で自分を満たせる限界を超えていた。

 

そういうことか?

 

 

最近、涙腺がゆるくて何かにつけて涙もろいのだけど、あれ更年期?と思ったけど、多分違っていて。

 

我慢し過ぎたと言うより、自己流のやり方で自然な気持ちを操作し過ぎたから、出すべき感情がたまりに溜まって決壊寸前なんだろう。

 

 

もっと素直に泣ければ、ね。笑

 

 

診断が付いてストレスですと言われた途端、何かの糸が切れたかの様に一瞬、頭の中で「インドで大変だったコト・ベスト10!」がパラパラとランキング展開されて行った。

 

こう言うのも何ですが、泣いてる暇なんてある訳ない壮絶体験が軒並みランク・イン!

 

身の毛もよだつ最上級の苦痛や恐怖もあった。。

 

 

でもそうなってしまったら、文句も言わずやり過ごすしかなかった。

 

(どんな無力な瞬間も、乗り越えて次に行くしかないのだし。)

 

でも私の身体には、まだ恐怖や無力感のエネルギーがチャージされたままな気がする。それに抵抗して、色々不具合が来てる気も。

 

 

トラウマがトラウマを呼ぶパターン。

 

もう卒業出来てると思っていたけど、まだっぽい。

 

 

多分読んでいる人は「あ、この人、またやってる」とか、気づいてくれてると思う。

 

でもまた更にマイペースに、ゆっくりやって行きたい次第です(アドバイスも勧誘も受けません)。

 

 

とまぁ、胃腸崩壊から、そんな事に気づきつつある昨今です。

 

 

ブログの滞った今月は、他にも色んな気づきが目白押しで、急に自分の発達障害スペクトラム具合(過去のね)に気づいて衝撃を受けてたり、私には胃腸よりも守るべき大事なものがあるっていう矛盾に幸せを感じたり。

 

 

でも以前は不慮の出来事に対して無力だった私も、

 

負のスパイラルをひっくり返したい気力だけは満々。

 

 

まずはコーヒーとスパイスを辞めてみようと思う。

 


そして、頑張っているようで頑張り過ぎないインドの方々を適度に見習おうと思う。。

経済大国、平和ボケ、飽食、世界一便利で安全な国

 

などなど。

 

そう言われることもある

 

日本という繭の中で守られて生きてた私。

 

 

開発途上の大国インドへは、ちょっとヨガリトリートでもして資格取ったらすぐ帰るつもりで来た。けれどその巨大さ、歴史の深さ、神秘の強い魔力に絡め取られるように、この土地に暮らすようになっていた。

 

どうしても分からないと求めるうちに

 

もう少しだけ知りたいと進む間に。

 

 

繭の中でぬくぬくと生きてきた私には、当然分からないことがいっぱいだった。世界はこんなに広かったこと。それを全く知らずに生きていた自分に驚くとともに、この世界の闇の深さを肌で感じて、いつの間にか傷ついていたりする。

 

 

インド有数の観光地タージ・マハルの美しさの下で

マーケットで散らかった地面のゴミを

必死に拾って食べる子供がいたり。

 

観光客に物乞いをすることさえ知らずに。。

 

煌びやかな王家の墓タージ・マハルの 前には、脈々と庶民の暮らしが息づく。

 

 

インドの都市ならどこにでもあるスラムだけれど、

裸足で力強く生き抜く子供たちの笑顔の裏では、

アルコール依存、暴力、殺人、自殺

痴情のもつれ、感染症、死産、流産、、、

 

そんな報告がNGOに毎日毎日上がって来ていて

全てには対応しきれずに

職員も9時ー5時で淡々とやり過ごす毎日。

 

 

知らなければショックもなかったろうし、見なければ傷つくこともなかったはず、なんて、本気で自分の道を疑う日もあった。

 

 

毎年日本に帰ってくる度に、少しずつ、でもかなりハッキリと、以前の自分とは全然違う価値観を持って帰って来ていることに気づく。

 

いつもの夏の仕事では、意見が衝突することが増えた。

 

もう繭の中の小さなロジックが理解できなくなっている。

 

どんな理不尽さもいったんは飲み込んで、言われた通りに一生懸命努力できていた日本人的な私は、跡形もなく消えてしまった。

 

 

多くの日本の価値観からは反感を買うことも分かってるけれど、

 

お金や生活のために働く

そのためには何でもする

文句も言わずに

言われたことをする

 

 

そんな価値観が

かたや繭で守られていない第三世界では

どんな恐ろしい状況を作るのか

その場面とリンクしてしまったから。

 

 

私なんて興味本位でほんの少し覗いてみただけだ。

それでも心は傷ついて、疲れ果てて帰国した。

 

フワフワの繭で守られた国に帰って来て、

こんなに守られているものに盾突くなんて

 

感謝が足りない、何も分かっていないって言われても仕方ない。

 

 

でも、この繭の中では外の世界は何も見えていないんだ。

温かく安全で平和に毎日は過ぎて行くけれど

片目を閉じて、作り笑顔で生きていくなんて

私にはもうできないんだと思った。

 

 

私の心は今、ズタズタだ。

 

 

せっかく帰って来て、こんな姿を家族や友人に見せることになるなんて、繭の中では有りえなかったこと。

 

 

この世界は、平等じゃない。

平和でも、安全でもない。

 

女の子は守られてもいない。

男の子は十分に教えられていない。

 

痛ましい事件が毎日のように起きて

それはニュースの中だけのものじゃなくて

同じ町の裏の家で起こってしまう。

 

低カーストの家だから仕方がないとか

あなたは挨拶しないでねと言われても

繭の中から来た私は

ただ驚いてバカみたいに何も出来ない。

 

 

悔しさと

もどかしさと

後悔と

反省と

 

 

こんな苦しさを繰り返し味わうのなら

諦めて、繭の中の国に戻りたいと思う。

 

でも、もう平和に眠っていられなくて。

繭の中をかき回してしまいそうな自分もいる。

 

 

紛争や軍事衝突がなく、基本的な人権が守られ与えらえて、教育や情報を選んで受け取ることができ、環境を良くする力も持っていて、不正を正す社会システムがあって、弱者を守る努力がなされること、なんて

 

当たり前だと思っていた。

 

それ以上に、ただでさえ便利な生活がもっと便利に簡単になるように、もっと楽に楽しくなるように、そんなイケイケのポジティブな繭の中のベクトルに、

 

ほとほと嫌気が差す自分が変だと思ってた。

 

 

今は、帰って来る度

繭の中がもう飽和状態に見える。

 

この夢の世界は

食べても、買っても、使っても、

有り余る恵みで溢れて、それを捨てている程。

 

 

どうして神さまは、世界を2つに分けたのだろう。

 

同じ人間なのに

同じ星の上なのに

 

 

チャンディガールのNGOが作った学校に通うスラムの子供たち。貧困と事件事故の絶えない地域でもある。

 

インスタも更新中です♪

もうすぐ一時帰国。色々な整理に追われる中、じんわりと胸に迫る感慨をやり過ごせずにいる。インド移住3年目が終わる。。

 

 

特別なことは何も出来なかった後悔。

 

それでも精一杯生きていられた奇跡。

 

 

最近は週1でチキンカリーとカリー(ひよこ豆粉とラッシーのカレー)♪貴重なお肉の日!

 

 

去年の秋からは

新しい出会いもあって、

私はもう孤独じゃなくなってた。

 

 

出会うのは、それぞれ

自分なりの挑戦を続ける人たちばかり。

 

それからは、いい意味で

もう寂しいとかタイヘンとかを

言い訳にできなくなってた。笑

 

 

 

 

 

その後は、インドのNGOにご縁があって、

新しい分野での挑戦をしてみて。

でも、今の自分ではまだ越えられない

課題をいーっぱいもらってきた。

 

 

一人では行けない道ってあるのかも。

 

 

インドで肩の力が抜けずにいた私も、そんな風に実感したのは初めてだったかもしれない。

 

 

仕事帰り、駐妻ブロガーのKちゃん宅でお喋りとコーヒーに癒されました♡

 

 

今年はようやく、

2年前に2人だけで結婚した夫と

実家の村で結婚式を挙げることができた。

 

 

式までは予想以上の葛藤があり、

それからは

自分の思い通り、だけじゃなくて

少しは周りに委ねることを知ったのかも。

 

沢山の人が私たちの力になってくれた。

母と姉もインドまで駆けつけてくれて。

 

 

ずっとひとりぼっちだと言っていた

逆恨みのエゴが

捨て台詞吐きながら解けて行った。笑

 

どんなに離れていても

どんなに時間が経とうとも

変わらない愛があるって

照れ臭いけど、分かってしまった。

 

だから私たちも

変わらず強い愛を築いて行きたいと。

 

 

はるばるインドまで来てくれたこと、一生の思い出です。

 

 

ふたを開けてみたら

インドの田舎の村の暮らしは、

受け付けられないことや

反感を覚えてしまうこと、

意味が飲み込めないことも一杯。

 

でもその中で

 

シンプルな喜びや

力強い生命力の尊さや

知らなかった清らかさが見える気がした。

 

 

だからやっぱり私は、

この道を選んだんだと思う。

 

ただ奇跡の連続のように思えても

強い引力に流されるように感じても、

 

迷いながらでも、一歩一歩を選んで

自分たちの力歩いて行くこと

忘れずに、恐れずにいよう。

 

私に足りないものを教えてくれて

尽きない課題に取り組ませてくれる道。

 

不便で苦労が絶えない暮らしも、

笑ってばかりいて頑張らない夫も。笑

 

正反対の世界から来た

私の世界を広げてくれるんだと思う。

 

 

 

誕生日が同じ!なインドのお義母さん。写真が苦手な所も似てる。笑

 

 

 

2年前の5月、私たちは2人だけでヒンドゥー教のお寺に行き、パンディットに結婚の儀式をしてもらった。

 

ヒンドゥー教の結婚の儀式では、夫婦が火の周りを7周しながら「7つの誓い」を交わす。当時はざっと説明されただけだったけど改めて、まとめて書いていたサイトから抜粋してみる。

 

お互い色々と誤解したり、勘違いして拗ねてみたり、

こんな誓いを交わしたことさえ忘れて勝手にさみしくなったり、

構ってくれないとひねくれて、そっぽ向いてゲームに走ったりするけど笑、

 

サンスクリット語の時代から伝わる聖なる約束を思い出して、3度目の1時帰国、それから4年目のインド生活、2人仲良く力を合わせて暮らして行こうと思う。

 

 

※長いのと、英語のままでスミマセン!

 

 

Seven Vows 7つの誓い

https://www.culturalindia.net/weddings/wedding-traditions/seven-vows.html

 

First Vow

Groom: “om esha ekapadi bhava iti prathaman” - You will offer me food and be helpful in every way. I will cherish you and provide welfare and happiness for you and our children. 

Bride: “dhanam dhanyam pade vadet” - I am responsible for the home and all household, food and finance responsibilities.

Second Vow 

Groom: “om oorje jara dastayaha” - Together we will protect our house and children. 

Bride: “kutumburn rakshayishyammi sa aravindharam” - I will be by your side as your courage and strength. I will rejoice in your happiness. In return, you will love me solely. 

Third Vow

Groom: “om rayas santu joradastayaha” - May we grow wealthy and prosperous and strive for the education of our children and may our children live long.’

Bride: “tava bhakti as vadedvachacha” - I will love you solely for the rest of my life, as you are my husband. Every other man in my life will be secondary. I vow to remain chaste. 

Fourth Vow

Groom: “om mayo bhavyas jaradastaya ha” - You have brought sacredness into my life, and have completed me. May we be blessed with noble and obedient children.

Bride: “lalayami cha pade vadet” - I will shower you with joy, from head to toe. I will strive to please you in every way I can.

 

Fifth Vow

Groom: “om prajabhyaha santu jaradastayaha” - You are my best friend, and staunchest well-wisher. You have come into my life, enriching it. God bless you. 

Bride: “arte arba sapade vadet” - I promise to love and cherish you for as long as I live. Your happiness is my happiness, and your sorrow is my sorrow. I will trust and honor you, and will strive to fulfill all your wishes.

Sixth Vow

Groom: “Rutubhyah shat padi bhava” - Now that you have taken six steps with me, you have filled my heart with immense happiness. Will you do the kindness of filling my heart with happiness like this for all times?

Bride: “yajna hom shashthe vacho vadet” - I will always be by your side.

Seventh Vow

Groom: “Om sakhi jaradastayahga” - We are now husband and wife, and are one. You are mine and I am yours for eternity. 

Bride: “Attramshe sakshino vadet pade” - As God is witness, I am now your wife. We will love, honor and cherish each other forever.

 

2017年の5月21日。どう見ても駆落ち婚な2人だった。笑

先週の、村での作業から帰る朝のこと。
 
 

4時半起きで慌てて村のタクシーに乗り込んだ。数えるほどしかいない顔なじみのドライバーさんに、夫はいつも

 

「やぁ!マハラージ(王様)、元気?」と挨拶をする。

 

マハラージってw。。それが「気さく」な挨拶ってこと?

 

6時発のチャンディガール行きのバスは、遠目からもギュウギュウ詰めなのが分かる。月曜の朝なので、東京の通勤ラッシュばりのすし詰め&立ち乗りに。曲がりくねった急な山道を猛スピードで下ること2時間、私の限界が来た。途中のウナのターミナルで降りる。

 

またギュウギュウのバスに駆け込むか、ヒッチハイクするか。。。?

 

戦々恐々としていると、偶然、夫の幼馴染みがバスを待っているのを発見。同じくチャンディガールに戻るところだと言う。

 

ペラペラと楽しそうに立ち話しする2人を尻目に、私は挨拶どころじゃない。とにかく通る車両を片っ端からチェック。どのバスも立ち乗りの人でいっぱい!

 

すると、目の前を赤いシェビーが通り過ぎた。ドライバーさん、道路脇の人ごみを見ながらゆっくり進んでる。。!

 

タクシーだ!!!

 

咄嗟に思い、夫の背中をグイっと押した。笑

 

交通の便の悪いこの辺りでは、自家用車でも道行く人を拾ってくれる事がたまーにある。列の前にいた友人が車を呼び止めてくれ、夫が「3人分って言って!」と叫んだ。そして駆け寄る人混みをかき分けて、なんとか運良く3人とも乗ることが出来た。

 

はぁ〜。実家への往復は、毎度この緊張感。。

 

でも、そこからは快適だった。車は最近キレイになった高速道路をグングン飛ばし、私は朝の日差しに輝くパンジャーブ州の緑の風景を見ながらウトウト。夫と友人はずっと喋り続けてる。

 

チャンディガールの入り口にさしかかり、友人はそこで降りるらしく、ドライバーにバス代分のお金を差し出した。すると、ドライバーのおじさん、

 

 

「金?俺にはそんなものは要らないよ。

 

しまっときな」キラリン。

 

とな!!

 

困惑しながら友人は何度もお金を渡そうとしたけど、おじさんは譲らない。結局お礼を言って友人は下車。その後、おじさんと夫は色々と話して盛り上がっている。

 

言葉がいまいち理解出来なかったので、何が起こったのかよく分からなかった私。後で夫におじさんが何て言ったのかを聞くと「

 

「お金をもらわなくても、十分給料をもらっている」と。

 

そして、

 

「お金でモノは帰るけど、人徳は買えないからね」

 

 

って。。。

 

。。。。。

 

 

アナタは「アクシェイ・クマール」ですかーー??笑

(雰囲気ちょっと似てたw)

 

私の中の「余裕のある大人のインド人」の代名詞。人道的な映画「Toilet」や「Padman」は大ヒットしました。

 

セールスマンの夫、こういう時にもせっせと名刺交換。おじさんは医療検査ラボの地域マネージャーさんだった。

 

夫もこういう人に会ったのは初めてだって。

 

慈善団体のお金持ちにはこういう方は多いけど、こんなド田舎の普通の人(割と)が、寛大な心持ちでいられるのはスゴイ事だと思う(先月乗った車はバッチリお金取ってた)。立派な心がけです。

 

わざわざ遠回りして私たちのバイクを駐めてあるバスターミナルの近くまで行ってくれ、お礼を言う私たちに笑顔で「コイニ、コイニ!」(どういたしまして!)と爽やかに送り出してくれたおじさん。

 

もうどう見ても、ボリウットスターにしか見えない笑。

 

 

後で家に着いてから、「あなただったら、どうする?」と夫に聞いてみた。すると、

 

「僕はいつも人のために良い行いをしてるよ」と。

 

「車があったら、僕も同じ事をするなぁ」って。

 

へぇーーーー。

 

 

私だったら。。。自分だけで帰ってるな。。汗

 

 

気持ちはとっても優しくて、誠実で働き者の多い北インド。多くの人が不便な暮らしをものともせず、しかもあまり物を欲しがらない。必要な分だけ得たら、周りとシェアしようというのは、日本や先進国とは桁違いの感覚。

 

 

 

車があったら、サラリーが十分だったら、もっとアレがあったら。。。

 

なんて言っている間に、心が曇ってしまうのかもね。私もそうだったかも。

 

 

まずは内側から「心の余裕」を作ろう。

 

必要な分を知り

もっともっとと、欲を張らず

焦らず困らずにいられればいいなぁ。

 

。。。修行です。笑

 

 

ウナのアクシェイおじさん然り。

北インドの田舎には、無名のヒーローがいる。

人との関わりや用事が増えたりして外界が活気付くほどに、自分軸が揺れ動くのを感じる。

 

どう感じるかと言うと、違和感や内面の不快感。

 

どういう違和感かと言うと、自分を置き去りにする違和感。

 

 

以前は、用事が増えることを喜んでいたかもしれない。忙しい忙しいと、自分以外に没頭すること、人のために尽くすことにしか価値を感じられなかった。表立って誰のためにも、何のためにもなっていない自分は無価値だと。

 

でも、それでは続かなくなって久しい。

 

 

人は大切にしたいけれど、自分を大切に出来ていない時にはやはりそれなりの結果になる。

 

人間の感情は揺れ動く。

 

あたかも「感情」が自分自身であるかの様にとらえがちだった。だから、「良い感情」が訪れた時は気分が良くて、「悪い」感情が湧いた時には罪人みたいにへこたれた。

 

感情に良し悪しはない。

 

感情は「私」ではない。

 

感情はただ訪れて去るもの。

 

 

瞑想を知ってから、感情の扱い方を知った。最近は実践できていなかったから、また少しグラついている。外界にじゅうぶん対応できずに、感情を抑圧してたかも。刺激の多い世界で自分軸を据えるのは、自分を強く「正当化」することとは大分違う。

 

「自己肯定」では言葉足らずな気がする。

 

 

どんな思考にも、執着したくないのに。

 

他人と比べて

 

劣っている様に感じたり、何も持っていないように見えたり、何にも値しないように、何も与えていないように感じたり。

 

それをもどかしく感じたり、悔しく思ったり、だからこうなんだと勝手に理由づけたり、やっぱり逆戻りかと錯覚し始めたり。

 

そんな状態なのに、さらに外界に刺激を求めようとさえする。

 

これでは悪循環。まるで依存症のループ。

 

 

外には求めなくても良い。

内側に、全部ある。

 

そのことを、腑に落とせていないから。

信頼して委ねられていないから。

 

 

自分という存在は、本当はこの世界のすべて。

私がどう思い、どう感じ、どう作っていくかで

この世界のすべてを反転することもできる。

 

この存在にどこまで開いていけるだろうか。

 

どんな醜い気持ちも、全てをややこしくする堂々巡りの思考も、八つ当たりでしかない一時の感情も、面倒だ退屈だとボヤくウソつきも。

 

本当は分かってる。

 

もう逃げたくない。向き合いたい。迎え入れたい。そっと優しく見守りたい。つたない自分を慈しみたい。しずかに微笑んで聞いてあげたい。嫌なとこも全部受け入れたい。それはそれで良かったんだよって。でももっといい方法があるよって。

 

そしたらきっと、気の済んだダダっ子みたいにケロっとなって、また楽しく遊び始めるだろう。そして自分の作る世界に夢中になれるんだろう。

 

雑念は誰にでもある。

 

人と比べることも、自分をおとしめるセルフトークも、信じられずにふてくされることも。

 

恥ずかしいことじゃない。

 

それよりももったいないのは、それに囚われてしまうこと。瞑想で習うのは、それらを「迎え入れて、こんにちはと挨拶をして、さようならと見送る」。それだけ。

 

良し悪しもない。

原因も理由もない。

過去もない。

トラウマも関係ない。

未来も知らない。

今、ここ、私。

 

その積み重ねでしかない人生。

 

 

夫にもっとこうしてほしい、あれはやめてほしい、こう言ってほしいと思い過ぎだったこの頃。

 

でもね。本当はどうだろう?

 

毎日笑顔でいてくれて、優しい言葉をかけてくれて、私の好きなものばかり買って来てくれて、半分くらいは夕食も作ってくれて、毎日仕事に行ってくれて。3ヶ月も一時帰国する私に文句も言わず、渡航準備や荷物やお土産のことまで気遣ってくれている。

 

何でも思い通りに操れるのは、自分軸じゃない。

黒魔術だった笑。

 

ちゃんと見て、慈しんで、受け取ってみよう。

 

ないものねだりの地獄を抜けよう。

 

今ここにあるいっぱいの幸せだけ

感じて受け取ることだってできるのだから。

 

 

2月の結婚式には新緑だった夫の田舎の麦畑も、4月末〜5月始めは収穫の季節だそうで、先週末またまたヒマチャル州の村へ助っ人に。

 

週の半ばから「今すぐ来て〜」と、お義母さんから電話が来てた。でも土曜の夜中に駆けつけると、すでに麦刈りは終わってた。小さな畑は手作業で、大きい畑は従兄弟がトラクターで刈ったそう。


しかし作業はまだまだあるらしい。


花壇も今が花盛り。マンゴーの木も実を付け始めてた。


 

日曜の早朝、疲れて眠っていたら、外から初めて聞くメロディアスな小鳥の鳴き声。5時には裏の家の犬のルーシーが、家の前でクンクン鳴いて呼びに来る。6時にはお義母さん「チャイ出来たわよー!」と。

 

深夜2時に着いても、朝6時起きですか。。

 


するといつの間にか起きてどこかへ行っていた夫が「これ見て〜!」と、帰って来た。

 


ピヨピヨ、ピヨピヨピヨ!

 

手には2匹の小さなひよこ!

 


もう眠れそうにない。泣


先月は朝から子犬を連れて来た夫。次は何だ?笑

 

 

夫が「ニワトリを見に行こう!」と言うので、お隣りのお宅へ行くことに。この辺りの家庭は、誰かが都会などで働いて収入を得て、あとの大家族は畑作や水牛を2、3 頭飼って暮らす半自給自足。作物もミルクも市場には出さずに自分たち用。でもこのお隣りさんだけは珍しく、卵やニワトリを売って暮らしている。

 

行ってみると、家の横の森で十数羽のニワトリが放たれていた。ちょうど餌の時間になり、お父さん、遠くから小石を投げたり呼び声をかけたりして家まで戻すところ。お婆ちゃんが持って来た餌は、余りご飯。ムキムキで健康そうな鶏たちが、すごい勢いで走って来てご飯に飛びつく。


高速でガッつく地鶏たち。美味しそう(鶏が)w

 

森と家の境には、ザクロやレモンの木があって、豊かに花や実を付けていた。レモンはどこかで見たけど、ザクロの花や実の生るのを見るのは初めて!椿の様に真っ赤な美しい花で、すっかり魅了されてしまった。

 

ザクロの実(花?)変身中ー!



この家の子の9才のニシャーントは夫と仲良しで、2人でクリケットをしたり、スマホで例のバトルロワイヤルゲームをしたりしてた。いつも忙しい夫も子供の頃に戻ったように?楽しそう。



 

午後からの仕事は、地面に広げて天日干ししていた麦の実を、麦藁やゴミなどと選り分けて貯蔵する作業。

 

この玄麦(麦芽?)の状態で保存して、その都度食べる分だけ近所の製粉機にかけるらしい。その方が鮮度が落ちず、一年中風味の良いチャパティが食べられるそう。


天日干しされた玄麦たち。



この作業が、結構なモノ。大きな扇風機をかけながら、1人が上から麦の実を振り落とし、もう1人が麦藁やゴミを払う。仕上がった玄麦を更にもう1人が日陰に運ぶ。。。

 

3時頃に何気な〜く始まり、何気に夜8時までお義母さんの作業はノン・ストップ。

 

いつもあちこち痛いと言ってるから病弱なのかと思いきや否や。働きすぎだったのね!しかもめっちゃ力も強いし。プルプルしながら平気を装ったけど、筋肉量の少ない私はヨレヨレに。。w

 


ようやく終わったと思ったら、ふいに従兄弟のお兄さんとお姉さんが現れた。この従兄弟、夫の亡き父と同じく現職の警察官。このお兄さんが大ー好きな夫は、大喜びでどこかに隠してあったウィスキーのボトルを出して来た。こうなったらご馳走を作らない訳にはいかない。汗



でも2人ともとても気さくで優しくて、私の拙いマタ・パニール作りを手伝ってくれ、お兄さんは自ら得意料理のチキンカレーまで作ってくれた。この間お義母さんは前庭の簡易ベッドでごろ寝。いつもながら緩急の使い分けがスゴいです師匠。

 


息子のラッキー君20才も加わり、皆で夕食を囲んだ。私は未だバハリ語がよく分からず、合わせるので必死。お調子者の夫は「今度は日本のオスシ作って」「ラッキー君に日本語を教えて」と、無理難題を振って来る。笑って誤魔化したけど、後でお説教確定。



みんながニコニコと和気あいあいで、笑い声の絶えない夜になった。停電してランタン1つでも物ともしない明るい人たち笑。



バビジは毎回「アナタはチキン食べるの?お酒飲むの?」と同じ質問をする。村では食べないので「ネヒン」と答える私。でも今回は変化球で「バビジはどうなの?」と。


すると「私は無理無理。瞑想会のグルジがダメって言うから」って。


ヘぇー。グルジが言わなかったら食べたいみたいな言い方。インドのベジタリアンの殆どは宗教上の理由。でも正直、みんなちょっと残念そう?


ベジでいると身体は軽く気力や体力も増す。集中力も忍耐も出る。感情に振り回されなくなる。(単に年を取ったからか?)いずれにせよ、インドは美味しいしベジ食がいっぱいで素敵。



一家が帰ってからも、お義母さんと夫のおしゃべりは尽きない。親戚やご近所、将来の事を話し続け、結局寝たのは1時過ぎ。


実りの季節の濃い1日でした。



でも二毛作なので、また秋にはとうもろこし刈りがある。筋トレしなきゃ。。。


電気も戻ってこの笑顔。いただきましたw

令和元年!おめでとうございます。

 

昨日はなごやかなお祝いムードの元日。インドにいても感じてました笑。前天皇陛下、生前譲位を自ら表明なされ、皆がそれを受け入れ祝福した時代の流れ。画期的なことです。

 

インド占星術で令和元旦(5月1日0時0分)を見てみると、アセンダントは水瓶座。令和の幕開けに象徴されるように、一人一人が尊重されて調和をなして、健やかな自由意志を持って切り拓いて行く時代かなぁと。

 

3ハウスに金星と水星が入り、情報やコミュニケーション技術の更なる発展が伺えます。太陽は牡羊座の4ハウスなので、引き続き新分野での開発、新システムの導入、新たな技術発明などで国の成長を目指して行きます。

 

12星座とは別に「ナクシャトラ」という27の星座区分で見ると、令和は「Purva Bhadra」プルヴァ・バッドラ。平和主義で誠実、利他的で博愛主義、物質的な豊かさよりもスピリチュアリティを大切にし、助け合いの精神が豊かとのこと。27ナクシャトラ中25番目だけあって、かなり崇高な精神。やはり水瓶座の性質と重なります。

 

令和の出生図、北インド式。西洋占星術と異なり「celestial system」という、地球から見たままの星の位置で表します。

 

 

 

さてさて。私は令和元日もインドの暑さで目が覚めた。寝ぼけ頭でコーヒー淹れて「あ、令和だ」と思ったら、徐々に視界がパーっと開けて、背筋がシャキッとして来た。単純ー。

 

地球上のどこにいても、生まれた土地の神事には、自動的に同期される感覚があります。アタマで難しくして冷めていたけど、今はワクワクに魂が呼び覚まされている。

 

 

少し前から来てたメッセージ。それは、

 

 

「嫌なことはやめる」ことと、

「好きなことは、何かを諦めてでもやりとげる」こと。

 

 

「でも直ぐには習慣も現状も変えられないし〜。」と思ってたのも、令和の波動で一気に更新された。追い風のある時には乗っかって、少しでも行動を変えてみたいものです。

 

ヒンディー語の地元紙でも大きく報道されました。夫が職場から写メ。


 

以前は難しくて無理と思っていた事が急にスッと出来たり、温めていたことを実行に移せたり、自分の「ダメな部分」を許せたり、自分の良さを再発見したり。。あとは、シェアすることでより良いものを目指すこととか。この節目には、そんな流れも来てる気がします。何となく。

 

 

 

私の平成は、ちょっと厳しい時代だったかな。

 

不慮の出来事や試練が次々と訪れて、心のすれ違い、世の中の矛盾をまざまざと見たっけ。真っ暗闇の中、光の世界に戻りたくてもがいたり。光の世界に戻ってからも、人に頼らず何でもしなきゃと頑張ったり、一人で生きる決意なんかしてた。土星の試練の時代(Sade Sati)に揉まれた感じ。

 

 

でもヨガで心身を鍛えにインドに来たら、夫に出会い、いつの間にやら大家族の一員に。一人で生きる?自己責任?って何だっけ笑??まぁ世の中の風潮もあったし、その中で養われた力は無駄にはならないものです。

 

 

でも令和は、もっと先を行く時代。

 

もっと目覚めた時代になる。たくさんの人たちが気づきを得ていると思う。もう多数派に流されることも、理不尽さを我慢することもない。恥やタブーといった古い価値観を越えて、誰もが自らの意思を発信できて尊重されてゆく時代。泣き寝入りもいらない。出る所に出る勇気がなくてもソーシャルメディアの草の根パワーがある。

 

私たち40代も、もっと生きやすくなって行くのかな?平成で「生き辛さ」を抱えた若者は、自分の強みをよく知る中堅になってます。核家族、受験戦争、個人主義、自己責任論なんかの狭間で、何事も切り捨てられずに悩んだ私たち。でも気がつけば、何事も切り捨てなくていい時代が来てる。競争には全く興味がなくても、私たちなりに時代の流れを作ってたのかな。

 

マイノリティーや弱者と呼ばれたような「多様性」が自らの力に目覚めていく。誰も「被害者」でいる必要はないし、不自由でいる口実もなくなるんだろう。「普通」に納まることも、エキセントリックに走る必要もなく「みんな違ってみんないい」が前提になるのかな。

 

 

 

でも私の暮らすインドは「令和」じゃない(そりゃそうだ笑)。社会の風潮が全く違う。例えば私が1人外れて「自由」に振舞うと、あっと言う間に寄ってたかって「心配」される。集団から外れてはいけないという恐れ?と規律の数々。個人の中に眠る力の可能性には無知かもしれない。もう令和な私(笑)は「恐れ」から選択するなんて古くさい事は出来ないので、無理はしません。

 

 

じゃあ、もう一度

令和元年のメッセージ。(しつこい)

 

 

① 嫌なことはやめる。

②好きなことは、何かを諦めてでもやる。

 

 

この2つはセットだ。嫌なもの、不要なものは手放さないと重すぎて進めない。私には、人の期待には応えられるかとかは分からないし、不安定な社会も変えられない。でもどんな制約の中でも「自分の好きなこと」は1つずつ出来るかも。手足が動いて健康な限り、周りがどうであろうと、もっと快適で楽しい暮らしを作りたい。

 

 

せっかくなので個人的な目標を立ててみまーす。

 

 

・長く使うものだけ持つ

頻繁に買い替えて消耗するライフスタイルをやめる。服は丈夫で気に入ったものを長く着て、ファストファッションもやめたい(肌着とかどうしよう)。着ない服は布巾にリサイクルしてる。包装のない市場で買い物をする。包装紙はリユース。使い捨てプラスチック製品は買わない。廃品回収おじさんに回収を頼む。

 

 

・自然で栄養のある食事

疲れやすいのは現代病のリーキーガットかも?と最近思い当たり、小麦と白砂糖をやめることに。インドは小麦が主食だけど、夫に相談したらアッサリOK。糖分は蜂蜜と、アーユルヴェーダで用いられるサトウキビ糖のシャッカルに。やはり帰るところは自然食。今では加工食品に興味すらない。一時帰国では日本の発酵食を学ぼうと思う。健康第一ですね。

 

 

・自分のことを最優先

立て続けの流産や、インド生活の制約のために諦めたこと、先延ばしにして来た事がいっぱい。体調不良のメンタリティーや、他者から制約されるパターンから抜け出せていなかった。軌道修正するために自分を最優先、私の心地良さを探してみたい。一時帰国中の夫のためにも、家事もお譲りしてみます(折角何でもできる能力を発揮してもらおう)夫が料理中に私はヨガ、という図に戻したい。

 

 

あきらめずに貫く心

 

希望をつくる心

 

視野の広い開かれた心

 

 

当たり前のような、でも全然ちゃんと出来てなかったような。

 

そういう心を丁寧に重ねることで、土台のしっかりした、優しくてかっこいい日本になって行くんじゃないかと思う。インドでも日本に良い感情を抱く人は多いです。

 


良い時代にして行きたいものです。

 

夏の定番ラージマ&カリー。楽に作って元気が出る♪

週末から40℃越え予報のチャンディガール。私は来月からの3ヶ月間の一時帰国の準備を始めた。うち2ヶ月はアメリカの学生の夏季合宿引率のお仕事。昨日はスカイプ会議後すぐに停電し、危険を感じるほど室温が上がる中、新しい冷蔵庫で作ったアイスパックを首に当てて過ごした。備えあれば憂いなし。

 

こんな不便な環境に奮闘しながら、心は既にニッポン。チャンディガールに住む日本人のKちゃんと久しぶりに合流して、お土産ショッピングでウキウキ。可愛らしくてセンス抜群のKちゃんチョイスのお店を紹介してもらって、Kちゃん宅でゆっくりお泊まり。インド疲れが浄化されて行った笑。

 

Kちゃんのおかげの戦利品。イイものいっぱいインド♡

 

お友だちのKちゃん、インド生活に役立つ情報をいっぱい配信している人気ブロガーさん。インド旅行から暮らしのヒント、最新のインド情報は要チェックですよー。

チャンディーガルで脱ぼっち駐在妻の生活

 

 

さて。

 

私が何にそんなに疲れていたかと言うと、ここ最近の村通い。2月のお嫁入り以来月2でヒマーチャル州の村に通っている私たち夫婦。もう、ヘロヘロっす。先週末も親戚が集まる「ファンクション」(インド英語では会合や儀式を全部まるっとこう呼ぶ)へ。今後のこともあるので、今日は北インドの村の現状と、私なりの対策を覚え書きしてみたい。

 

 

対策1:ハッキリお断りする(微笑付き)

夫は大家族で親戚の行事も多い。毎月毎月、誕生会に婚約式、退官式によく分からないプージャまで。押しの強い義母は、長男の夫に毎回来るよう要求する。半分は断って、結果月2になってた。しかし実際問題、往復12時間のローカルバスの旅は色々とキツい。1月にはSUVとの衝突事故も経験してしまったし。常に鉄の意志を持って決意を新たにしていないと、何が起こるか分からない。ここに改めて誓おうと思う。これから一生、笑顔で断るスキルを磨き続けることを。

 

対策2:お・も・い・や・り(先手を打つ)

どんなに事情を説明しても聞く耳を持たない相手には、誰だろうと遠慮する必要はない。だからと言って先方と同じく、わざと相手の気分を害するのはいただけない。嫁入りのバタバタで手薄になってたけど、義母と関わり始めた去年からの私たちの戦法は一貫して「先手必勝法」。不安になると言い出して聞かななくなる相手には、先にこちらからコミュニケーションを取る。物理的には会えなくても、気にかけていない訳ではないし。電話でこまめに様子を聞いて、不都合があれば近くの従兄弟たちに応援要請をお願いしてる。せっかくなら親戚が多い強みを生かそう。

 

対策3:やる時はやる

先週末のファンクションには総勢150人が集まった。でも夫の姉3人と弟は来れず、ウチからは私たち夫婦と義母のみが参加。えぇ〜絶対手が足りないと覚悟したけど、結果オーライ!こんな時こそ、日本で好き放題生きてきた経験が活きる笑。(カフェの飲み放パーティーや幼稚園でのお誕生会を切り盛りし、中高の行事も数年経験してるので大丈夫です)参加者が多くて人手が足りない「要所」を押さえて参加すれば、色んな人に顔を覚えてもらえる。中には必ず好意的に見てくれる人が現れるものだ。

 

対策4:郷にしたがう

あくまで自分が楽しめるかどうか、確認しながら慣習に慣れ親しんでみようと思う。ヒマーチャルの村の慣習は厳格で多岐に渡る。衣・食・住、全てにおいて日本とは違うのだ。いちいち疑問を持ったり反発すると一気に消耗してしまう。私はインド人にはなれないけれど、「文化交流」として客観的に伝統を学ぶのは楽しいこと。日本にも各地の地域性があり、昔から「郷に入れば郷に従う」という知恵が根付いて来た。柔軟性はお家芸。ちょっと境界線を意識するだけで、インド文化の素敵な所だけいいトコ取りで楽しめると思う。

 

対策5:自分を信じて、持ちつ持たれつ

こんな田舎に外国人が嫁ぐと、一気に噂が広まって、どこを歩いても注目を集める。不毛な好奇心や期待を集めてしまうことも事実。それもこれも無謀にこの地にやって来た私の責任。逃げずに受け入れればいいだけと気づいた。考え方・やり方の違いに圧倒されても、私が弱気でいては元も子もないし。だから自分の決断を信じて、明るい未来を作ろうと思う。こんな私でも、自分のルーツを思うと百人力。大きな視野で壁なく社会に尽くした先人や、どんな時も愛してくれた家族、国境なく笑いあえた友人たち、値切り合戦に笑って負けてくれる北インドの人たち。信じられるものはどこにでもある。私が自分のつまらない枠を越えて、それを委ねられるかどうか。

 

オシャレして集まった親戚のお姉さまたち。お手柔らかに〜笑。
 

 

対策6:七代先を夢想する

ネイティブアメリカンの思想に、7代先を思って決断するというものがある。日本も昔は、必要以上に今の利益を独占するような刹那的な生き方はしてなかった。インドの村の細々とした生活を目の当たりにして、当面の不便さに苦労は絶えないけれど、農薬を使わず食べる分には困らない半自給自足的な暮らし、100年前と変わらないライフスタイルには驚きと共に感銘を受ける。

 

畑仕事や水汲み、水牛の世話などの肉体労働はタイヘンだし、親戚間の役割も多いけど、村の暮らしは環境への犠牲が圧倒的に少ない。でも慣習の厳しい規律でかろうじて守られてきた汚れない大地も、今は風前の灯火。規律の「本当の意味」は忘れ去られ、若い人たちはファストファッション・ファーストフードに逃避、男性は収支を合わせるため外国へ出稼ぎ。大切な思いは失われるばかり。

 

楽でお洒落で簡単なものの魔力。経済活動は都市部に集中し、気高いルーツを忘れた労働者が都会のスラムに溢れてる。先進国の流行は羨望と嫉妬の的でもある。様々な格差や貧困から連鎖する犯罪も、犯罪者を断罪する以上の議論はなされない。社会変化のひずみである深い深いブラックホールは開いたままだ。これでは日々翻弄されるばかりで、七代先を思うどころではない。


でもねー。私はどこにいて何をしていても、人間らしい「思いやり」を諦めたくない。何を達成しても何を得ても、思いやりがなければつまらなく、幸せじゃなくなっちゃうから。日本では普通なことが普通じゃなく、簡単なことは簡単じゃないインド。

 

七代先はどんな世界だろう?すでにグローバル化は止まらないし、どんな悲惨なニュースも瞬時に目にして心を射抜かれてしまう昨今。心を痛めない日はない。知らないフリは出来なくなるし、出来ないフリも限界だろう。

 

七代先でいい。心も身体も魂も幸せに暮らせる未来を夢想しながら、少しずつでも忘れないでいることしか、私にはない気がしてる。

 

みんなが笑顔でいられますように。

2月の結婚式以来、義実家との用事(毎回アポなし)が増えてワタワタすること3か月。なんとなーく、相手のパターンが読めてきたぞ。

 

・弱肉強食

主にお義母さんなんだけど、「押しの強い人」のゴリ押しによって物事が動き、あとの大勢は何となく責任なく従っているという構図。義姉1・2・3は大人しく従い誰も止めない。夫と義弟はそれがイヤで青春期は逃げ回っていたと言う。それ正常。

 

・同意はいらない

「息子に会いたい」となったら、朝昼晩カンケーなく電話で呼びつけるお義母さん。息子は毎日10時間勤務。唯一の休日である日曜には、私たちは用事で留守にしてると何度言っても聞かず、義姉ファミリー全員引き連れてウチに押しかけ、大家さんに迷惑をかけてた。だからあれだけいないんだって言ったのに。。。

 

・パッシブ・アグレッシブ

結局そのまま引き返すことになって「どうして出かけたの?」と憤慨してたみたい。都合が合わない時、こうやってこちらのせいにして泣きに入ることもある。夫は母に泣かれたり怒られたりはイヤなので、そこに責任を感じてしまい、遅い時間に無理して会いに行くことも。大した用事でもないし、お義母さんのウソ泣きは彼の責任じゃない。

通院に付き添って欲しい時も、泣いたり唸ったりして電話してくるし。そんな事しなくても行くから大丈夫なのにね。罪悪感を揺さぶる無駄な作戦、いらねー。

 

・軽暴力。。

スキンシップと暴力の境界線があいまい。先週お義母さんに会いに義姉2の家に行き、みんなで楽しく食後の談笑してたら、突然お義母さんが孫のロヒート(10才)の太ももをベシベシ叩き出した。

どうしたの?と聞くと、「私のお皿を下げてと言ったら、イヤだって言うのこの子」だって(どーでもいいですよ〜〜〜)。皆でワイワイしてたので、お義母さんも参加したくて「ちょっと冗談のつもり」みたいだったけど、孫マジで怯えてたから!叩くのとかやめてくれ。

 

・お前のものは俺のもの

夫には、ウチで冷蔵庫を買ったことを口外しないようクギを刺していた。でもある日「実家の冷蔵庫、もう15年使ってるんだって。母がそろそろ新しいの欲しいって」と。。。で?

夫は冷蔵庫を「買った」とは言わないけど、ついつい冷蔵庫の話題になっちゃったらしい。実家は何もかもが古びてて新調したいのは分かるけど、じゃあご自分で買えば?だよね。

 

夫の実家で私がスマホ見てると、お義母さんがジロジロ見て来て、しまいには夫に「私も欲しい」とねだったり。

かわいい姪っ子甥っ子たちには何かあげたいと思うけど、「来週バドミントン持って行くね」と約束したら、次の日から「いつ来るの?」と毎日電話攻撃。来週って言ったろーがっ。

 

 

 

孫たちも既にコミュニケーション不全。言い張ったり、泣き真似して我を張るよりも、相手の言うことをよく聞いて理解したり、相手と話し合ってwin-winの妥協点を見つけることを知らない。

 

人の顔見てどこまで行けるか見計らってるところもあるしね。みんな私のスマホを貸せとうるさくて、何度ダメと言ってもしつこい。ウソ泣きしてこっちを悪者にしてもダメなものはダメ。

 

10才になる双子の片割れラウルに至っては、何とほとんど口をきかない。表情だけでキミの意志を読み取れってか?無理だから笑。

 

 

はぁ〜〜〜〜って感じ。ちょっともう、感心。

 

こういうご家庭で育ちましたか、ウチの夫。

 

 

でもこういうの、インドでは割とまかり通ってる。田舎の公立校では宿題忘れたりすると、今だに教師が生徒の手を棒で叩く。ひょっとして、恐怖を与えることでしか躾が出来ないと思ってる?

 

叩くことや叱咤するのが苦手な親は、結局言葉でも躾が出来なくて、子供たちは野放し状態。大家さんのお嫁さんも「うちの子元気過ぎて手がつけられない」とかか弱げに言ってるけど、何じゃそりゃ?お陰で、親に隠れてウチの物を壊す悪ガキに成長してますヨ。

 

 

夫はそんなのから逃げ回って育っただけに、少しはまともに見える。義兄からは「こいつは逃げてばっかりだった」と言われるけど、イヤな事からは逃げて好きな事してた方が、陰で悪いことするよりマシっすよ。

 

幼少期に父親が亡くなって、母親には泣かれたり叩かれたりしてきて、お前は長男なのにとマウンティングされて、それは辛かったと思う。ヒマラヤに逃避行したくもなるわ。

 

 

出会った頃はそういう事情は知らなくて、お義母さんから電話がかかって来る度に機嫌の悪くなる夫に、ちゃんと話を聞いて理解して、その上で自分の意志を伝えればいいだけだからと諭していた私。

 

夫は今ではお義母さんを気づかいながらちゃんと話が出来るようになった。本来責任感が強く心優しい夫。近づきすぎたらまた傷つけられそうで怖かっただけ。

 

 

先日はお義父さんの命日で、夫は弔いの意味を込めて、職場の同僚に昼食を振る舞ったと言ってた。いつも優しくて頼りになる警察官のパパ。パパは決して怒らなかったと、夫は思い出話をした。それなのにパパが亡くなってから、マミーは僕を叩いてばかりだったって。

 

私は「嫌な事は嫌って言っていいし、逃げるしかないなら逃げてもいいからね。私にはそうしてね」とお願いしておいた。

 

彼の中でパパは絶対的なヒーローだ。

 

 

でもその一方で、お義母さんの肩にのしかかってた重圧がどれ程のものだったかと思う。再婚なんて道はないインドのど田舎で、5人の子供を一人で育て上げるなんて。一人前に結婚した今、それまで出来なかった事をしたい、与えた分だけ与えて欲しいと衝動するのは、そういうことなのかもしれない。

 

 

今週末も、夫の実家で親戚の行事に出向く予定。結婚してから何だかんだと毎月2回は往復12時間の村に通ってる。

 

 

私は、大変大変!ってなってばかりいる自分に、そろそろ嫌気が差してきたところ笑。

 

まず相手は、自分とは違う。

で、違っていてもイイのだ。

 

自分と違う相手を、無条件に認めて受け入れるための課題が来てるんだって思うことにした笑。それが出来れば、今まで辛くて出来ていなかったあらゆる事が、もっと楽になるような気がしてる。

 

どんなに違っていても、恐れないこと。

自分を信じて、この世界の懐を信じること。

 

まずは私がそうしていれば、何があってももう大丈夫。

 

そしてもう、タイヘンなのは卒業したい。

 

心の余裕も、時間の余裕も、自分で作り出せるものであり、決して人のせいには出来ないってこと。本当は誰にも奪うことは出来ない。それを無意識に差し出し、受け渡すことさえしなければ。

 

余裕の持てる毎日でいたいものです。

 

 

人のこととやかく思わないようにしたら、毎日3食の料理を作れるようになったし、一生懸命家事が出来るようになってきた。夫のゲーム熱も収まって来たみたいです。