北インド☆ゆるヨガライフ -14ページ目

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

何故かこのブログで一番アクセスが多いのが2年前の「お義母さんと秘密の告白」という記事。タイトルに引かれるのかな?

 

 

それで、改めて読んでみたら、ちょっとビックリ!

 

お義母さんは今と同じ様に「あなたの子供が見たいわ」と言ってて、私はそれを、

 

ありがたいな〜、優しいな〜って

 

言ってる!!

かたや今の私は「もう、聞きたくな〜い!」ってなってるので、今の自分がどうしようもなく閉じているのが分かる。

 

 

当時は3度目の流産の後。藁にもすがりたい気持ちだったけど、そんな風にならないと、私、謙虚になれないのか?

 

 

いつもポジティブな夫に助けられてばかり✨

 

 

夫が最近、少しだけ当時の心境を口にした。

 

いつも病院に付きっ切りでお世話をしてくれて、退院してからも毎日お昼を届けに帰って来て、いつ見ても笑顔で、前向きな事以外は言わなかった夫。

 

「あの時の気持ちは、君にはとても言えなかった」と。

 

「心が壊れたみたい。何故こんな事が起こるのかって。」

 

 

私は、誰の気持ちも何にも知らずに、自分の痛みと気持ち悪さで唸ってただけだったなー。

 

 

夫もお義母さんも、私を大切に思ってくれていて。

私の身体がこんな事になって、心配してくれている。

 

それは感謝でしかないのに。

 

 

私は勝手に「諦め」なきゃいけないように感じて、勝手にヤサグレてるんだね。誰のせいでもないのに、八つ当たりしてる。

 

他の誰も諦めてない。責めてない。

 

夫もお義母さんも前向きだし。

 

なのに私だけ、自分を見限ってくすぶってる。

 

 

誰よりも子供が欲しかったのは、私。

若い頃はずっと「まだ産めない」タイミング。

40代で結婚したのに、諦められない。

諦めろなんて、誰も言ってないってね笑。

 

 

インドの薬局。お世話になりっ放し。

 

 

インド占星術の勉強を始めたのは、やはり自分を知るためだった。一番身近なのに一番分からなくなる自分の道。自分では無難に過ごそうとしてるのに、人生は難題ばかり。何じゃこりゃー?と、覗いてみたくもなる。

 

 

インド占星術では1人につき16もの図がある。実は「結婚後」や大体35歳からは、出生図とは異なるナバムシャという図で運勢を見る。

 

結婚後、何か知らないけど自分の性格や人生の風向きが変わったと思う人は多いと思う。インド占星術ではこれが解明されているってこと。

 

 

出生図ではアセンダント蠍座、月5ハウス魚座、ラフー1ハウス/ケトゥー7ハウスの私。

 

でもナバムシャ図ではアセンダント獅子座、月3ハウス天秤座。

 

私が結婚後に一番感じた変化は、いきなり病院にお世話になる事が増えた事と、遠い異国で結婚することになった不思議。

 

これらは、ラフー12ハウス/ケトゥー6ハウスで説明できる。急に原因不明の疼痛や消化不良になったことも。

 

しかし言い当てられてるなんて、何だか悔しい。笑

 

ある程度決まってたのは仕方ないけど、そう分かったらら尚更、何とか挽回出来ないものかと思うもの。

 

Myナバムシャ図。伝統的には12ハウスのラフーは凶。魔女狩りに遭った?現代的には直感が働いて便利♪

 

 

私の全身の疼痛は、本当に不思議な症状だ。「気分」や「環境」で「痛みの強さや場所」が変わる。安心して楽しんでいる時はケロっとしてる。でも少しでも不安になったり退屈すると、テキメンに全身ガチガチ、ビリビリ痛む。

 

 

まさに繊維筋痛症と言われるものと酷似。発症のきっかけも、3回受けた流産の手術や処置で、時に麻酔ナシの激痛が引き金になったのではと思う。完全なる身体的なトラウマ記憶。

 

それでストレスがかかると、脳が勝手に痛みの信号を出すのかも。「不安や怖れ」を感じると、先回りして以前に感じたような痛みを作り出すらしい。

 

 

「ゆるヨガライフ」というタイトルながら、実はここずっとヨガが出来なかったのは、どうも心が安定せず、最初は筋肉の硬直から今はこの痛みが始まったから。

 

 

でも痛みの改善方法調べると、やっぱり「ヨガ」に行き着いた。笑

 

 

以前のハタヨガやアシュタンガヨガではハード過ぎるので(関節がバキバキ鳴ってギブ)、バランスだけのポーズや、呼吸法で自立神経を整えるのが良いらしい。

 

 

あと、繊維筋痛症患者の機能回復のためのアプリを見つけたので、ちょっと試してみている。外出する機会が多かった先週、痛みが和らいでいる事に気付いたので、工夫や訓練次第で絶対治るはずと確信した。

 

いまだ治療法が確立していないこの病気。こちらの西洋医学の病院では抗鬱剤を処方したり、アーユルヴェーダのクリニックも高額な所が多いので、上手に利用出来たらいいなと思う。

 

 

連日の蒸し暑さで体力は奪われるし、この症状があって生産的な事は何も達成出来ないでいる今週。でも前向きに治療しようと思えただけで、まずは偉かった笑。

 

自分を責めることも卑下することも

何を諦めることも必要もないし

本当に好きな事だけしていいってこと

 

これからの半生、証明したいのかもね?笑

 

病気になって諦めかけたヨガが

やっぱり治療法になるなんて

どれだけ好きなんだろう。

 

何も諦めなくて良いように、

人生うまく出来てると思うよね。

 

村のピーパルの樹の周りを回り、結婚の誓いを立てているところ。諦めることなんて一言も誓ってなーい笑。

 

私が、「○○しなきゃ」と言うと、

(片付け、買い出し等々)

 

夫はいつも「分かった、僕がやる」と即答。

 

「後でするから」、と。

 

日本では1人でできる衣食住。でもインドの下町暮らしでは、私はいつも夫頼み。ここでは自由な足がない。

 

20Lのミネラルウォーターも、市場で買い込んだ食料も夫なしでは運べない。トイレットペーパーもアタやお米も、まともなのは市内にしかないし。

 

 

バイクは庶民の大事な足。でも多くの人が無免許なのも現状です。

 

 

足の怪我が治りかけたと思ったら、今度は膝の裏がめっちゃカユい。2日続いたところで、これは去年かかった「Scabbies」(疥癬)だ!と思い当った。

 

疥癬(かいせん)はダニの一種。アセモ?と間違えやすいけど、小さな赤い点は痒みが強く、自然には治らない。それで去年もらった処方箋を見つけて「薬買って来て」と夫に頼むと、「分かった。後で買ってくる」と。

 

。。。(今じゃ、今!!!)

 

40過ぎた私の辞書に「後で」はない。このインドで「後で」が存在する保証がどこにある?不慮の事故、病気や怪我、親戚のゴタゴタ、停電、断水、

 

私の我慢にも限界があるで。

 

結局この日の夜には買いに行ってくれてホッとした。お願いしている身でありながら、後回しにされるだけで生存の危機さえ感じる。自律神経死んでるねー多分。

 

 

アレグラと、Dazitと、Permethrinクリーム。早く治ってー!

 

 

今、夫の仕事は休みがない。夫の会社のオーナーは今年借金を完済したので、ようやく在庫も回るようになり、今なるべく売り上げたいのだろう。

 

夫も、今はやはり頑張って経験を積まなくてはと思っていて、休みがなくても仕事があるだけマシだと言う。

 

 

夫の親戚も仕事で苦労は絶えないらしい。

 

一番上のお義姉さんの夫、ジッジャイ①はこの夏ミャンマーに出稼ぎに行き、その後何故かカンボジアから「逃げて来た」と帰国。詳しく知らないが、何か騙されたんだろうね。

 

二番目のお義姉さん家はもっと大変。立ち退きに逢って引っ越して、今は家賃と食費を払うので精一杯。高血圧(と多分ウツ)でいつも辛そうだけど、義兄③は転職もままならない。治療費を借金してるから。

 

三番目のお義姉さんの夫、ジッジャイ③は、去年陸軍を辞め、実家の村で盛大な「引退式」をした。その後1年、未だ仕事が見つからない。今は軍からの年金と、お義姉さんが早朝作ったラージマライスを車に積んで、近所の大学前で売って生活してるって。。

 

。。。戦後かぃ!

 

 

インドの夕日は赤い。チャンディガールへ向かう列車の車窓から。
 

 

先週木曜。ダニー君たちを撃退するべく洗濯&天日干しと、部屋をライゾール(マジックリン的な消毒液)で消毒していたら、おもむろに部屋のドアが開き、お義母さん登場ー!

 

アポなし、4度目?

もう驚くことさえ面倒になる。笑

 

言葉も片言なので、とにかくチャーイ、お菓子、果物、食事をせっせと出し続けた。夫が帰るまでの約10時間の耐久戦。。。

 

お義母さんはデリーのお土産と言ってキラッキラのヘアクリップをくれ、「日本から懐中電灯買ってきた?」と。私が「インドで買います」と言うと、しばしビミョーな空気が流れる。

 

ヒンディー語の会話集を見せても始めはあまり反応なかったけど、「家族」のページで「ポーター」(孫息子)が出てきた途端、様子が変わる。

 

「私もポーターが欲しいわ!アナタの赤ちゃん。ポーティー(孫娘)でもいいわ、ね?私の言ってること分かる?」

 

。。全っ然分からないフリしてもーた笑。

 

 

その後「夕飯はブラックダールでいい?」と聞くと「いやだわ」とお義母さん笑。もう仕込んでたので、ロキのサブジーも作ったら、結局両方モリモリ食べてた。

 

帰って来た夫に「私がするって言ったのに、この子はさっさと夕飯作っちゃったのよ!」と訴えてる。文句なのか褒めてるのか不明。

 

それからずーっと夫に、早く赤ちゃんが見たいとか、隣村に良いお医者さんがいるから連れてってあげるとか、大きなアパートに引っ越したら私も来れるのにとか、やっぱり村に帰っておいでとか、仕事がなくても畑をすればいいじゃないとか、夜遅くまで無茶苦茶な話ばかりし続けた。(夫がキレないのが偉かった)

 

朝には夫がバイクで送って行った。

 

 

デリバリーのドーサとサンバル。ぺっちゃんこでも絶品でした😍

 

 

 

土曜日は訃報があった。

 

私たちが同棲し始めて半年後くらい、近所で夫の知人に会った。その人は2人が一緒に買い物してるのを不審に思った様子だった(村の娘と見合いするのが通例のため)。

 

それからすぐに夫の家族に私の存在がバレ、まぁ色々とあったのだけど(当時の記事→「4月7日 早朝」)。このバイヤージが心臓発作で突然亡くなった。しばらく無職で、亡くなる前日ようやく自動車部品セールスの仕事が見つかったとか。

 

電話で訃報を聞いて夫は戸惑っていた。年長者の言うことを聞かない人なので、気にかけてくれたバイヤージに申し訳なかったのだろう。

 

バイヤージは私たちのキューピッドだったかもしれない。グズグズと家族に言い出せずにいた当時、結局は、代わりにチクってくれて助かったのだから。三丁目では、命が何だかあっけない。

 

もし明日が来ないとしても、ここの人々は淡々と粛々とするべき事をして、変わりばえしない日常を送るだろう。それ以外ないのだ。

 

それはそれで尊い在り方だけど、私には、あまりにあっけないと感じる。

 

 

昨日の夕飯はギーヤ(何瓜?)のサブジー。めっちゃ美味しくできたのに写真ナシ!

 

 

昨日はお義母さんの高血圧の通院日で、月曜で激混みの巨大な国立大学病院まで行ってきた。入り口をから既に押し合いへし合い。お義母さんと夫と院内食堂で朝ごはんを食べたけど、人混みに酔ったのか気持ち悪い。お義母さんの順番を確認し、待合いベンチを確保したら私はすぐに帰ることに。

 

夫はいいよと言ってくれた。でもお義母さんは付き添ってとゴネる。私はゴメンナサイと言って夫と病院を出た。お義母さんの順番は258番目でその時はまだ50番台、午後に夫が再び行って診察に付き合った。

 

ごった返して肩がぶつかったり、足を踏まれたり、よろけるおばあちゃんに腕を掴まれたり、食堂の席に次から次へと割り込まれたり、そういうのに数時間耐える自信がない。

 

人の価値とか

命の尊さとか

病院のありかたとか

 

そうじゃないよ!と、ときどき駄々をこねたくなる。もっと一人一人が大切にされないと嫌!と思ってしまう。そうしたところで、私にはインドの何も誰も容易には変えられない。

 

帰りはタクシーでモールに行った。お義姉さんたちの困窮や、お義母さんの健康のことを思わない訳ではない。でも、私は夫と幸せに暮らすため、この日はいっぱいショッピングをした。必要だけどちょっと手が出なかったものも、全部見つけて買って来た。

 

すると、うまいことセールやってたりして笑。

 

 

右上のブルーとピンクのサンダルを購入。これ履いて足の親指の怪我を治すのだ笑。

 

インドの人たちから見たら、私は贅沢病だろう。

 

インドでは外出も仕事もままならず、毎日家で疼痛が痛いとか貧血が辛いとか嘆いてた。でも食べることに困ることも、面倒を見なきゃならない子供もおらず、死ぬような病気でもない。実際ここ数日、毎日外出してみたら、不思議と痛みも下痢も完全に収まって驚くほど。

 

 

(私は赤ちゃんを産めません)。

 

その言葉が、お義母さんの顔を見る度に喉まで出かけていた。でも何かが違う。今は言わなくても良い気がした。私が決め切れてないだけ。それはそれで良いじゃないって、私が私を許し切れてないだけ。

 

私は私を許してもいい。

 

幸せになってもいい。こんな状況の家族を持つ夫の元に嫁いでおいて何だけど、彼らの人生を背負う必要はない。

 

彼らも、幸せになっていい。

 

自らの力で、幸せになること。それって可能だと思う。インドの親戚はみんなスゴい大変な状況だけど、だからと言って、私が自分の事を我慢していても共倒れるだけ。

 

幸せな明日が来るか来ないかは、半分以上は自分次第。

(いやインドでは半分以下か)

 

私たちに子供は来なかった。でも私はこれから、私自身を大切に育ててみようと思う。どんな状況もそこからスタートして、いかようにも楽しめるのが人生だ。

 

満たされていた日本でのやり方は通用しないし、インドの基準に合わせたら発狂する。だったら誰に遠慮もいらないし、本当に好きにすればいいんだと思う。

 

好きな事をする。

やりたい事を先延ばししない。

誰にも遠慮しないでやる。

 

↑これで身体も痛くなくなるのなら、忘れずに続けようと思う。

無理をしない、楽しいことだけする、自分を褒める。

 

 

そう約束して始めたインド生活4年目。昨年に比べたらまずまず順調と言った感じ。

 

体調を整えるためにアーユルヴェーダのお薬をサプリ的に利用。いつも色んな事になってるお腹の調子を整えるサイリウムハスクと、青汁的なモリンガ。

 

日本から持って来たけどあまり出番のなかったお抹茶を、ペットボトルに一匙入れてフリフリした自家製「生茶」もプラス(日本から持参した生茶ボトルが大活躍!)。

 

胃腸が安定すると、ようやく元気も出るというもの。

 

緑がマイブーム?モリンガは水に解くと緑茶の様で飲みやすい。中村藤吉本店の抹茶は流石に美味💚

 

 

お洗濯も出来るようになり、朝のチャイ&朝食&昼食は自分で出来ている。夜は 私が下ごしらえをした野菜で、夫と一緒にサブジーを作る。

 

まだまだ蒸し暑いので、鶏肉や卵、ツナ缶も積極的に食べるように。基本は大量のサブジーで旬の野菜補給。せっかく買った冷蔵庫で新鮮野菜を買いだめ出来るようになったのは、最近の大きな変化だ。

 

24時間全開のファンやクーラーで冷えるので、日本からの保冷剤を夫に与え、代わりに少し弱めるようにお願いしてる。冷蔵庫って、改めて便利ですごい!笑

 

 

朝のチャーイがあれば、夫は毎日ハッピー。素直ー♪

 

 

でも「体調が整ったら自由にお出かけも出来る?」と思っていたら、ちょっとトラブルが立て続いた。

 

 

まずは夫とのミスコミュニケーション。モールに迎えに来てって頼んだはずなのに、忙しくてテキストを読み間違えた夫が逆方向のマーケットから「着いたよ!」と。冷房に耐えられず外で待ちぼうけた結果、足がいーっぱい蚊に刺された!

 

 

それから、昨夜のこと。勤務するパソコン店繁忙期で、日曜の夕方しかお休みがない夫と買い出しへ。貴重な3時間ばかり、私はアレもしたいココにも行きたい!となり、行き先を伝えるのに2点3点していた。

 

いつもの様にバイク2人乗りで出かけたら、私も久しぶりなので通り過ぎるお店が色々と目について、ついつい

 

「あのお店、まだ行ったことないよね?」

 

と、話しかけてしまった。そしたら夫は左側に顔を向けてお店を確認し、少しハンドルが左に切れてしまった。すると不幸なことに、同時に左隣に路駐していた乗用車が右前方に動き出した。

 

バリバリバリーっ、という音がして

 

私の左足が、衝撃で剥がれ落ちる乗用車のバンパーとバイクの間に挟まれていた。

 

っ痛っっっーー!!!

 

幸い血は見ず、強く挟まれたことによる打撲か捻挫?多分折れてない事を確認していると、乗用車の運転手が降りてきて夫と言い合いになってる。

 

相手がバンパー直せ、修理代弁償しろとわーわー喚いていいて、痛みのせいで超絶イラっと来て、被ってたヘルメットを取ってそやつの目をガン見してマジ切れ。

 

「あなたもこちらにハンドル切ってましたよね?

 

完全な不注意じゃないですか?

 

こんな大きな車に挟まれて私、怪我してるんですが、

 

何も感じないんですか?

 

こちらも悪いですが、あなたの要求だけ聞けません。

 

警察呼ぶって?

 

じゃあそうしてもらって、

 

病院に連れて行って下さいね!」と。

 

すると更に憤った相手は夫に「酒でも飲んでたのか?」と言いがかりを始め、「あなたが飲んでたんじゃないの?」と私が言うと、真顔で「チェックする?」と私の前で息ハーってやってて、もう失笑。下らん言い合いもこれまでだわ。

 

 

その後、近くの文房具屋さんにガムテを買いに行ってた夫が帰って来て、外れかけたバンパーをベリベリっと貼り付け、そのままお帰りいただいた。

 

外れたバンパーなんて、すぐに直る。

 

いや、マジで。笑

 

でも私の足はどうなるんですかーー?

 

相手も、降りてきたボンヤリした奥さんも、夫も、騒動の間は誰も私の足の怪我に言及しなかった事にショックを受けた。日本なら怪我の有無が優先でしょ?

 

相手もパッと見普通の人で、決して悪い人じゃない。でもこれがインド。みんな自己中心。平均的な人なら保険なんてかけてない。警察の名前を持ち出しても、通報できる立場じゃない。

 

 

痛いやら、悔しいやら、ショックやら。。。

 

 

それからは買い出しも早々に切り上げ、帰って足に湿布を貼って、痛い痛いと夫にゴネまくってた。足の痛みが引き金になり、今日はまた全身疼痛が復活。

 

あー、本当、一進一退のインド生活。

 

せっかく自分を大事にすると誓っても、そもそもの土台がなければどんな努力も台無しだ。

 

知らない間は、必然的に夫のやり方で暮らしてた私たち。

でも当のインドは、まだまだ問題が多発する無法地帯。

 

私は、もっと違うやり方をどんどんして行くべきなんだ!

 

もう、変な遠慮は命取り。笑

 

そう学ばされた。こういう不具合が起こるのも、スキがありますよーって教えてもらってるだけ。言わば本気で変わり始めた「好転反応」だ。丸腰でウロついてたらカモになるだけなのは、途上国あるあるかもしれない。

 

日本の常識をこのインドの三丁目に全て当てはめようとすると、考えただけでぶっ潰れそうだけど、少しずつ。

 

今年は私名義の銀行口座を作って、インドの保険をかけてみます。

 

 

モール前にも沢山の人が集う平和なチャンディガール。でもみんなー、保険入ってるー?笑

いやぁーー、昨夜の停電は、久々にこたえた。

 

去年あたりから停電は減っていて、あっても直ぐに復旧する。だから甘く見て就寝したら、全然復旧せずにファンもクーラーも止まったまま!横で起きてた夫によると、寝ながら数時間ずっと唸ってたらしい。

 

 

今朝、夫は何やら落ち込んでる。どうしたのと聞いたら、自分のお給料では「君のために」エアコンを買うことも「君のために」広い部屋に引っ越すことも今はまだ全然出来ないと。

 

君のために

 

そう言えば私、暑さにまかせて昨晩また文句言ってたかも。「こんなに暑くて狭苦しくて、電気も来ない部屋でどうやって暮らせばいいの??」とか叫んでたかも(独り言で笑)。

 

 

ヒンドゥー教式の結婚式で「家庭の経済は全て夫である自分が賄います」「家族の幸せと健康のために尽力します」みたいな宣誓をしている夫は、私が日本レベルの生活水準を今すぐ叶えたいと要望したり、私が調子悪くなったりする度に自分を責めて不甲斐ない思いをしてるのかも(ちょっと涙ぐんでた。。)。

 

でも、

 

スミマセンそういう意味じゃないんですけど。。?

 

とはよう言えない。(どっちが家計を賄おうが、賄えてたらいいじゃん)とも(私の病気は私が直しますから大丈夫です)とも。インド人にはインド人なりの譲れないプライドがあるらしいのだ。

 

 

インディラガンディー国際空港の税関、外国人用が写真向かって左側、ガラスの向こう側に変わってた。

 

 

さて、文句ばかりでこれ以上夫を泣かせてはマズいので、「インドに帰って来て良かった事」でも書いてみよう。

 

1.ゴミ収集車が来た!

3ヶ月ぶりに帰ってきたら、ウチの廊下に新しいゴミ箱が2つあり、「Wet Waste」「Dry Waste」と書いてある。台所ゴミとそれ以外を分別するよう市から各家庭に配布されたとか。

 

帰った翌朝の7時、ヒンディー語のアナウンスと共に市のゴミ収集車がウチの前にやって来た。住民はゴミ箱を持って行って作業員に手渡し、その場で収集車の2つの収集口に振り分けてもらう。何か、やる事増えたけど(前はゴミ屋さんのお兄さんが部屋の前まで取りに来た)これでインドが少しでもキレイになるなら、お安い御用。

 

2. 近所の子が成長してた。

一昨年ぐらいから大家さんの息子、小学3年生のナマン君に「ドラえもんのドラ・ケーキが食べたい!」言われていた私。「そのうち作るね〜」と適当な返事をして放っぽってたら、スリッパを隠されたり、夫のバイクを蹴っ飛ばされたり、ナマンの反抗期が炸裂して困っていた。可愛くないから何もあげたくなくなるし!

 

今回の一時帰国でようやく約束を思い出し、日本からどら焼きを買って来てナマンに渡してみた。そしたら後でちゃんとウチにお礼を言いに来たのでビックリ。苦手な英語で頑張って「ドラ・ケーキありがとう!」と。可愛いかったのは、その夜またウチに来て「このドラ・ケーキ、今日食べないで取っておいてもいい?」と聞きに来たこと。明日友だちに見せるとか。好きにしたらいい。笑

 

3. インドが成長してた。

今回もデリーで一泊して観光して来たら、デリーの街がどんどんキレイになっていることに気付いた。空港もどんどん便利に改装中、メトロは工事中だった所があらかた終わった感じでピカピカ、ニューデリー鉄道駅も何の問題もなく利用できて拍子抜け。強引なオートリキシャにも出会わない。

 

かつては道を尋ねれば反対方向を教えられたのに(3年前)、今回はメトロにそれぞれ乗り合わせただけの若者たちが、スマホのアプリで調べて熱心に教えてくれた。デリーってこんな余裕あったっけ??インドはもちろん成長してるけど、私も余裕が出て来たのねきっと。

 

 

ラジーブチョーク駅からコンノートプレイスに上がるエスカレーター。ピカピカ✨

 

 

実は渡印する前日まで、キャンセルするべきかどうか迷っていた。手術をすると決めたので、日本に滞在したままの方がいいかもと。夫は戻らなくてもいいよと言ったくせに、夜中に急に心細くなったらしく「I maybe die」というテキストを送ってて、それを朝見て笑ったのでした。

 

 

夫のためだけじゃなく、やっぱりインドに帰って来て良かったって、もっと思えるようになればいい。

 

 

そう思っているせいか、帰って来たらウチのアパートのナイスな点に気づき始めたので、またリストアップしちゃえ♪

 

1. ベランダが広い。

他の部屋より風通しもあり、洗濯物が沢山干せて便利。ごみ収集車や野菜売りが来ても、通りに面しているから気づきやすい。

 

2. キッチンの熱が寝室に込もらない。

キッチンは、寝室のドアを開けて廊下に出て、またドアを開けた所にある。正直、お皿や野菜やらの物を抱えてのココの行き来が嫌だった。でも暑い季節、お隣の部屋みたいにキッチンが寝室の隣だったら結構キツそう。

 

3. 台所の様子が部屋から見える。

寝室の網戸の真向かえがキッチンなので、パソコンに向かっていてもコンロの様子がよく見える。ご飯やパスタ、牛乳の吹きこぼれは防げる。

 

4. バスルームの湿気が部屋に込もらない。

部屋からバスルームが遠いのが辛かったけど、今思うと、トイレを我慢する癖があることに気付いたのはこの距離のおかげ。早めに行けばいいんだよね!笑。バスルームで洗濯したらすぐにベランダに干せる。居室自体も小さいので、湿気を避けるために離れにしてあるんだろう。

 

5. ご近所さんの顔が見える。

何をするのにもまずはベランダに出なきゃならないので、向かえのアパートにいるご近所さんや、通りの様子もよく見える。インドでは近所付き合いも少なく外出もそうしない私でも、引きこもりやウツにならないのは、こうして外界との接点があるからかも。前は人目が気になって嫌だったけど、今はTシャツにパラッツォでウロウロ笑。

 

6. 停電・断水が少ない。

ご近所が真っ暗闇に沈む停電の日も、1階で商店を営んでるウチのアパートは、お店が開いている限りは停電しない。お店のインバーターのおかげ。断水もほとんどない。お店屋さんてマメだから、他のアパートみたいにポンプで水を汲み上げる日課を忘れたりしないんだろう。

 

7. 玄関開けたら0分でお店。

1階が商店なので。朝のチャイに使う牛乳はもちろんスパイスやお米、アタ粉、ダール、調味料、油、石鹸、ラッシー、ビスケット、ペットボトルの水とか、日用品が揃うインドのコンビニです。

 

8. 夫の職場まで7分。

チャンディガール郊外だけど、ハイウェイ沿いなので市内にある夫の職場までバイクで10分かからない。市内は家賃が高騰し続けており、人気の郊外マンションは隣町の隣町?くらい遠いので、ウチがいかに好条件かようやく理解してきた。。。

 

 

ここ数ヶ月、引っ越そうと色々調べたけれど、同じ相場ではかなり悲しい物件しか見当たらなかった。

 

そんな中、ウチの大家さんも私たちに慣れてきて、ほとんど口を出さなくなってた。子供たちも、隣の部屋のアンティーもウチのベランダに侵入しなくなったし。

 

もうしばらく、ココで頑張ろう。

 

それと、あまり夫を悲しませない様に気をつけます。

 

ヒンディー語もちょっとだけ頑張る。やっぱ過去完了形も過去完了進行形もあるのね。。悲

インドに帰ってきました。今年も3ヶ月ぶり。

 

 

4年目に入るインド生活。インドの良い所、周りの良い所をいっぱい探すのはもちろん、もっともっと「自分の良い所」を探そうと思う。

 

 

インド各地に独特の突き抜けた良さがあるように、物事のそれぞれの「良さ」をもっと見たい。

 

 

 

うちの夫はインド人。価値観が違っていつもビックリだけど、その中でも一番驚くのは、日本では誰にも言われたこともないような私の「良い所」を毎日せっせと教えてくれること。

 

 

私は、優しいのだそうだ。

そしてとっても強いのだそう。

 

 

(。。。?それだけ?笑)

 

 

 

チャンディガールに帰って初日はスーパーに行けたけど、2日目は全身の激しい疼痛。環境が変わったせいかなー。

 

 

毎日デリバリーの食事でも、朝のチャイさえ作れなくても、好きな事してる時だけ都合よく元気になっても、夫は嫌な顔ひとつしない。買い物に行き、朝食も作ってくれる。

 

 

こうして、いつもダメだしばかりの自分の性格の歪みを思い知るのです笑。

 

 

身体は痛いしお腹は壊れて何も出来ないけど、そこでさらにイライラするよりも、ゾンビながら幸せを噛み締めてみることにする。

 

 

無意識にでも悩んだりするのは、本当に本当に、もうやめよう。

 

そうする時が来ちゃったのだね。

 

だって痛いんだもん。

 

ブログでも、これからは自分をほめまくるゾ!笑

 

 

ほら、夫の写真を撮るのも結構得意♪✨

 

 

この全身の疼痛は、診断がつくとしたら「繊維筋痛症」。お医者さまは治療中の子宮腺筋症から派生してる可能性も言ってたし、ネットで調べたら、過去の痛みやトラウマを脳が誤認して痛みの信号を出したるするそう。

 

すっごく心当たりあるかも!(過去記事参照)

 

 

お腹の下り坂は過敏性腸症候群か、子宮内膜の腸への癒着の可能性もあるらしい。

 

問題は、病院で言われた精一杯の治療をしてこうなんだから、この後どうするか?

 

疼痛については、タイでお土産に買ったタイガーバームを塗ってみたら、かなり良い感じ。スースーする刺激の方に意識が向くのか、痛みに集中しなくなる感じ。

 

急降下対策は、夫がアパートの下のお店で買ってきた謎の粉?が効くことが分かった。この粉「サイリウム」と言って、オオバコの外皮を粉にしたアーユルヴェーダのお薬。インドのどこでも売ってる自然の「ストッパ」みたいに効く。

 

コレ、胃腸で30〜40倍に膨れる食物繊維で、下痢や便秘はもちろん、肥満、高血圧、糖尿病、心臓病にまで効果があるらしい!

 

あなどれない、インドのその辺の薬(アーユルヴェーダの叡智)!笑

 

サイリウム・ハスク。これから毎日お世話になります💕

 

 

 

今回の一時帰国の最終目的は、通院だった。内科、歯科、婦人科とかかって、3人の婦人科医の見立てで子宮の手術が決まった。日どりも決めて来た。あとは、私がどう進めるか。

 

 

繊維筋痛症も、過敏性腸症候群も「ストレス症」だと言われるけれど、私自身は自覚が薄すぎた。辛抱強いし我慢強いし、痛みにも強い方なのでいつも対処が遅れる。身体はやめてくれー!って感じだろう。

 

 

インドに来てから更に大変な事が目白押し。客観的に見ると「何やってんの?」と、もどかしいかもだけど、私は通るべき道だったと思う。

 

 

この道が、ガッツリ私に教えてくれてること。

 

 

理屈をとっとと超えて生きること。

 

原因を追うのも、理由を求めることも、

 

何かや誰かや自分を責めることも、

 

もう本っ当に本気でやめて、

 

何もしなくても感謝して笑って、

 

今を幸せに生きましょうって。

 

 

心配も不安も闇の世界も、もう満タンで必要ないらしい。

 

だから毎日、少しずつ、幸せの方へ舵を切る。

 

 
目指すはこの感じ!パンジャーブ州のプルカリ刺繍✨👍4年目も、どうか温かく見守ってください💓

 

本気の夢って、大体叶ってるって気づいた。

 

10年くらい前から新月には願いを書き出すようになったんだけど。後で(半年後の同星座の満月とか)書いた願いを見返してみると、必ずいくつか叶ってる。

 

でも、それも最近やってなくて。でもいつの間にかブログが願掛け記録?的な役割もしていて。

 

読み返すと、その時は「万事休す」とか「万策尽きた」とか悲観的になってる事ほど、割とその後にうまく叶ってる。自力だけじゃなく、どちらかと言うと他力で!笑

 

 

八方塞がり、絶望ー的に思える時ほど、一時的なもの。これからは荒い鼻息を腹式呼吸にでも変えて、ドラマもアップダウンも楽しむ余裕を持とう。そんな風に思う。

 

だって叶うんだもん、かなりの確率で!

 

(叶いそうもない事はそう強く願わないとか、そういう心理はあるかもだけど?)

 

 

 

叶えたい夢があるって、めっちゃ素敵な事だ。

 

それって「生きる力」そのもの。

 

 

でもウツになると夢もなくなる。期待も失望もなくなって、毎日がただグレーに過ぎる。病気だと気の巡りが悪くなりがちだけど、ウツにはならないように、心を殺さないようにしようと思う。昔、ウツが治ったキッカケは、自分を表現し始めた時だった。

 

 

生きていれば、怖いし痛いし悲しいし悔しいとか、色々あるけど、

 

そういうのを大騒ぎしながら、封印しないで表現しながら、多かれ少なかれ周りに迷惑かけて、泣いた後にはまた笑いながら、立ち上がって何とか生きて行くんだよね。

 

 

病気になってもゲームオーバーじゃない。

 

そんなの当たり前!と言われそうだけど、でも本当に。だって私は、怖かったの。その先の想像がつかなかった。もう終わってるんじゃない?って。笑

 

だって病気になったら、やっぱり自力では治せない。勝手で意固地なバカヤロウだった私は、人さまに助けてもらって生かされていることすら、全く想像出来てなかった。だから自分で出来なくなったらヤバいって。でも。

 

 

病気になったら、助けてもらえばいい!

 

恥ずかしいけど、情けないけど、でもそんなことよりも、こんな私でも助けてもらえるってかなり幸せなこと。

 

 

だから病はむしろ、「恵み」かもしれない。

 

誰の痛みも知らずに生きていて、人のありがたさも忘れかけてしまったら、もう生きていたって人間ではないかもしれない。

 

 

頑張っても頑張っても誰も分かってくれないーとか、、

 

そんな風に思いかけてた頃に、こうやって恵みがやって来てくれたから、ここから学んで心を豊かに構えなくちゃと思う。

 

 

今日母と行ったカフェ。アンティークな鍵にテーブルナンバーが😍

 

 

 

先週末は父の七回忌の法要だった。

 

 

母が私が日本に居る間にしたいと言ってくれて、これまた私の願いを叶えてもらった形。

 

 

このお盆に親戚みんなが実家に集まって、法要も滞りなく済み、来れるかどうか心配していた84歳の叔母さんも5歳の甥っ子姪っ子も来れて、本当にホッとした。

 

 

ちょっと前のブログで私「甥っ子姪っ子には全然会えないし」とか「姉の夫婦仲が心配。。」とか、家族の事を色々心配し過ぎてヘンになってたんだけど、結局この日、全てが解消されて。

 

姉と旦那さんが仲睦まじそうな姿も見れたし、なぜか私の願い(取り越し苦労?)は全部、私の目の前で叶ってしまったのだ。

 

 

あんなに心配してたのに、不思議すぎ。笑

 

 

でも準備はタイヘンだった笑。普段あまり家に人を呼ばない母。居間にも仏間にも私物を置きっ放しにしているので、片付けにガッツリ労力を使った。

 

しかし、おかげで数年の懸案事項だった家の片付けも進んだし、年老いてきている母の暮らしぶりも親戚のみんなに見てもらって、これからも見守ってもらって年を重ねて行けそうな雰囲気に、一安心。

 

 

元々母は、父の馴染みの料亭でするつもりでいたんだけど。でも私は、かしこまった席で上辺の話で終わるのはちょっとなーと、思っていて。

 

すると妹が、小さい子は料亭は無理と言い出して、叔母さんも足が悪いから遠出はちょっと、となり。やっぱり何となーく私の希望の方向へ。

 

 

台風一過、北海道ではあり得ない蒸し暑さの中、扇風機だけの仏間に親戚一同ぎゅうぎゅうに座り、めっちゃ良い声のお坊さんのお経を聞いて、汗をかきかき、正座に足を痺れさせ。

 

終わった後は近所の昔馴染みのお寿司を突きながら、思い思いに近況報告やら、子供たちの折り紙の相手やら。

 

こんな光景、何年ぶり?

 

何だかインドの夫の親戚のギュウギュウぶりを思い出した。笑

 

 

 

父が亡くなった後、ウチはバラバラだった。

 

母はその後乳がんになり、何とか完治。妹は離婚して実家に戻った後、子供を連れて出て行って。姉は仕事に忙しく、旦那さんのお父さんも亡くなり。

 

私は私で、インドに嫁に行っちゃったし。

 

 

そんなバラバラ家族が、ようやく1つ屋根の下に集まった日。

 

 

夢は必ず、ジワジワ叶うね!

 

(父の仕業か?笑)

 

 

だからもう、心配しないことにする。

 

なるべく笑。

 
 

一緒に夢を叶えて行けるかな?
 

子宮腺筋症・内膜症・筋腫持ちの私。

 

ざっくり言うと、閉経するまでは治らない。私の場合はホルモン治療するしかなく、薬が合わなければ下腹部の劇痛、大量出血、貧血、疲れやすさ、落ち込み等が続く。薬が合っても長期服用の副作用で、疼痛や骨粗鬆症、うつ病や乳がんのリスク。

 

悪化すれば、手術も。

 

 

長いお付き合いの病気たち、2009年から治療を始めてもう10年。

 

薬を飲み続けても少しずつ進行し、体調のアップダウンは激しく、常に不安がある状態。

 

天候に左右されたり、疲れるのはダメだけど、基本的にいつどう出るかは予測できず。たまには健康そのものの日もある。

 

頑張りたい時に頑張れないのが

いちばんショゲる。

 

 

でも毎年夏の1ヶ月間、研修に同行するお仕事があり、この時ばかりは一層の気合を入れて臨む。薬も漢方薬もサプリも万全。

 

 

不思議と気が張ってる時は自律神経で乗り切れるため、職場では体調の悪さを見せた事がない。ただ、仕事の前後は恒例で倒れる。

 

 

インドで暮らしている間も、日本からの薬とたまの通院で何とか生きていた。でも、仕事や所用以外で出かけるのは怖い。レジャーだと、気の緩みからか症状が出やすい。

 

夫はなるべく私を外に連れ出したいようで、おかげで元気にバドミントンまで出来た日もあったけど、半分以上は血の気が引いてお開きになる。

 

家にいて家事をするのも、段々苦痛になって行った。最初は冷蔵庫や洗濯機がなくても、台所がトイレが遠くても何とかやれてたのに、夜中に倒れて入院・手術をしてからは色々怖くなってしまった。

 

それで取り憑かれたように便利の良いアパートを探してたけど、ここに来て本気で住宅事情が良くないことを思い知り、万事休すの状態。特に家族や親しい人からは、

 

 

頑張って治そう、とか言われるけど、

 

治療しても治らない病気があるって、

 

家族にも夫にも、実感としては理解されない。体調が悪くなる度に同じことを言われる。治らない?と。

 

今は、治らない。

まだ、治らない。

 

色々試して、治療して、

もう10年。。。

 

 

人に言っても理解されない事の方が多く、また、たまに症状の出る病気だなんて言い訳がましく自分からは言いたくなくて、せいぜい職場で説明責任を果たすだけになって行った。

 

辛さは分かってもらえなくても

せめて似た 境遇を過ごす人と

共感出来たらいいなと思ったり。

 

それでなくても 抑えられずに書いてます。笑

 


姪っ子が作ってくれた花束✨



昨日の夕方、夫からのメッセンジャーコール。久しぶりに話したら「何時に空港に迎えに行く?」とか、「こっち(インド)でアーユルヴェーダのドクターを見つけてあげるよ」とか、「PGI(大学病院)に行ってみよう」とか、良かれと思って色々言ってくれる。

 

(この前は「日本でちゃんと治療しておいで。僕のこともチャンディガールのことも、何も心配しなくていいから」って言ってくれたのに。笑)

 

 

アーユルヴェーダで長期的な体質改善をしながら、またこの病気と付き合い続けるなんて、今の私に出来るんだろうか?貧血頭は、ノーと言う。

 

PGIはチャンディガールで有名な大学病院だけど、私にはトラウマの場所。3回目の流産で麻酔なしで掻爬手術を2回も受けた。インドの国立病院の医療は、私には耐え難いと体感した場所だ。

 

国立よりは格段に環境の良い私立のフォルティス病院にも通ったけれど、私に合う薬が1つも見つからなかったのが現状。

 

 

「やっぱり日本で治療するかも」と言うと、

夫はすまなそうに「ごめんね」と言う。

 

あなたのせいじゃないよ。インドのせいでもない。私のせいでも笑。ただ病気なだけ。

 

ずーっと私の一部の病気。

 

夫は悲しそうだった。

 

帰って来れないかもなんて。

 

「待ってるから。。」って、

心細そうだ。

 

 

病気でいることで、人を傷つけたり、人の期待を裏切ったり、悲しい約束しか出来ないのは、もう嫌だ。

 

病気は私の勝手だったかもしれない。

 

一人で勝手な生き方をした証。

 

やっぱり子供が欲しかったから

来てくれない子を待ち過ぎたし、

 

仕事も辞めたくなかったから

見栄を張って無理ばかりした。

 

 

でもやっぱり

一人で勝手になんて生きられない。

 

病気は私に限界を突きつける。

 

どんな気持ちで毎日を生きたいのか。

そんなことさえ忘れかけてる10年目。

 


優しくてしなやかだった私の女性らしさは

頑ななエゴの塊になったのかもしれない。

 

涙は止まらず喉は苦しい。

 

もっと開いて、緩めて、素直になって。

開かないとこじ開けられるよ、と。

 

これが私の「治癒」の始まりだといい。

 

もう、逆らわずにいられますように。



でもこの笑顔に会えないのは、ちょっと寂しい。

さっき久っしぶりに夫とビデオコールしたら、このところの全身疼痛が少し軽くなった!凝り固まって停滞したエネルギーが解放されたのかも。

 

 

もう2年くらい探し続けてるアパートは、ここ2週間のラストスパートでも全然見つからない。忙しい合間を縫って夫が物件を見に行ってくれる度、その現状に2人してガッカリーの連続。(ホントに怖い物件多数w)

 

 

私の理想とインドの現実が全然刷り合わなくて、毎日イライラ、ほとほと疲れた。頑張れば頑張るほどに、果てしなく遠のく理想の生活。

 

近づくほどに遠のいて見えると言われる、イリュージョン建築のタージマハルを思い出す。どうも私、まだトンネルを抜けないらしい。


サウスゲートから見たタージ・マハル。近くて遠い。

 

分かってる。単に条件が合わないこと。でも今はどうしても譲れない気持ちだった。今諦めたら、移住も、結婚も、未来の希望も、ぜんぶ諦めなくちゃいけないような危機感に駆られてる。そんなの怖くて、ついつい戦ってしまう。

 

 

 

忙しく動いてる時は忘れてても、家で作業をしてる時などはずっと全身が痛かった。少し動くだけで体がパキバキと鳴る。筋肉が硬直しているのが分かるし、痛みのせいで息苦しい。

 

 

今回の帰国でまた「子宮腺筋症」の治療薬を処方してもらったけど、体に合わないのが分かった。脳に作用する擬似ホルモン剤のため、ウツっぽく拘りの強い気分になる。更年期障害のようなもの。

 

 

この夏の仕事は楽しめたけど、でももっともっと自分の限界を超えて行かなければ先は見えなかった。努力も誠意も工夫も、もっとうまく出来たらと。

 

自分の仕事の価値をようやく認めたい気持ちになった4年目の夏。

 

 

「認める」って、今のキーワードかもしれない。

 

 

仕事で滞在する事の多かった上野・アメ横。




出張の日々から実家に戻ってリラックス出来るかと思えば、この1年の間に色々となことが現実に起きていて、急に帰って来た私は気持ちが追いつけず、苦しくなって行った。

 

 


妹や妹の子供たちとは、自由に会えない感じ。

 

姉は旦那さんとほとんど会ってないみたい。

 

そして母は相変わらず自分の事に没頭していて

そんな娘たちの事情に介入する気はないよう。

(彼女なりに健全に対処しようとしてるのか?)

 

 


聞くに聞けない事情が透明な幕になって、晩ごはんの時にしか顔を合わせない家族の 気持ちを隔てている。バラバラなまま一緒にいるなんて。私が一番無理なヤツ。

 

 

苦しんでいてもいいし、

思い通りに行かない時もあるし、

今は仕方がないこともある。

 

でも、

 

それを取り繕って周りに隠したり、

言うべき相手に言わずに済ませたり、

周りを信じることを諦めちゃったら、

 

それで

本当ーに終わってしまうよ。。

 

 

なーんて、どうにか伝えられないかと迷った夏。でも妹にも姉にも母にも、伝えるのは辞めた。反対に、やっぱり自分の心に問うことにした。

 

 

どうして私、今、こんなに

家族全員を認められないんだろう??

 

 

信じることや諦めないことや幸せになることや、そんな綺麗事を振り回しながら、他人の事情に首を突っ込みそうになって、苦しくて息も出来なくなってる。

 

全身疼痛も出るわ。

 

病気とは言え、痛みも病もメッセージを伝えて来る。

 

 

 

「ありのままを見なさい。」

 

 

それがどんなに見たくなくても、期待通りじゃなくても、期待に反する結果だとしても。

 

がっかりとか、残念とか、悔しいとか、恥ずかしいとかは全部、ただの私のワガママ。表現してもいいけど、押し付けたり決めつけたりは出来ない。

 

 

完璧じゃなくても、ハッピーエンドじゃなくても、

皆、ありのままでいて良い。

それで精一杯でも、いい。

 

余計な罪悪感もいらない。

私がいても何も出来てない。

「もしも」なんて存在しない。

 

 

 

妹には幸せになってほしくて、とか

姉にはお手本でいてほしかった、とか

 

私の勝手な思い込み。甘い幻想だった。

 

 

その人の現実は、私には分からない。努力や苦しみや達成や幸せや、その人だけの人生があって、それはこれからもその人自身の力で続いて行く。だから勝手にジャッジしない。

 

私に出来る事があれば、きっとその時に教えてくれるよね。

 

 

それよりも、

 

自分自身の「認められなさ」を

身近な他人に投影する前に

もっと自分を認めていいよ。

 

 

ありのままでいいから。

 

誰にも証明しなくていい。

 

人はそんなの期待していない。

 

無理なこと頑張らなくていい。

 

好きなことだけして笑って

 

体を大事にして健康になって

 

近くの人に助けてもらいながら

 

感謝できて幸せならそれでいい。

 

 

 

↑って、姉や妹に思う気持ちと、自分に言えてなかった言葉が絡まり合って出てきた。

 

 

毎年の一時帰国だけど、もはや事情の分からなくなってる実家にポッと戻ることや、3ヶ月間インドの夫と離れていることで、結構疲れてたのかもと思う。

 

 

まずは自分を労って、好きな事して笑えるように回復したい。



カメラは普段見えてないものを見せてくれるツール。