配偶者ビザ/Entry X-2(1年)の更新時期が来た。更新が近づくと私より先に夫がソワソワと急かしてくれて有難い。笑
実際、担当部署の職員の英語は??なことも多いので、細かいことは夫に問い合わせてもらうことが多い。こうやってマメな夫がいなかったら、インドで生活なんて出来てないであろう私。
私はまず、「必要書類をぜーんぶ揃える!」ってしがち。それって日本では当然だもん。でも、インドはちょっと順番が違ってる。
インドではまず、「とりあえず申し込む!」。そう、想定される必要書類が全てなんて揃わないうちに。ナゼかと言うと、毎回毎回、必要書類がビミョーに違ってくるから。(何が本当に必要」か、フタを開けてみないと分からないことも多い)
そして追加・訂正・また追加、、、と、
後からやることが増えるのは必須。
以前は、前回と言ってる事が変わったり、担当者によって違ったりして、いちいち準備する度に一喜一憂してたけど、ようやくこれがデフォルトと理解した。
前もって気を利かせすぎた準備はせず
言われた事だけしとけばいいのって
まさにインド人気質。
でも、ここではそれでいい。笑
今回の更新でも謎なことが色々で、終わってみたら真相は霧の中。でも更新できれば、それでいい。
オンラインで申請書を作成すると、2ページ目では必要書類のリストが出て来るので、それを1つずつ選択して適合する書類のPDFファイルをアップロードするようになってる。
リストが5つあったら、その全ての書類をアップしないと「申請する」ボタンが送信出来ない。なので「Affidavit」「ID Proof」「Request Letter」など、ザックリとしか書いてないリストに見合う書類を、まぁ適当にアップロードして行く。笑
全部アップしたら申請ボタンを押し、FRRO本部での処理が始まる。(オンラインで繋がっているので、実は「申請する」ボタンを押せなくても ーー 書類が全部アップされてなくても、地域のFRROオフィサーは保存した案件を閲覧出来るみたいだ)
今回は申請した翌日夕方、足りない書類を催促するメールが来て、オンライン上で保存した申請書を開くと、追加のリストが表示されていた。しかも、5つも!
あらかた必要な書類はもうアップしてあったので、どういう意味かとオフィサーに電話する。すると、割と親切な田舎のおっちゃん(アムリトサル市のFRRO事務所のオフィサー)が、ザックリした英語で説明してくれた。
すると、5つと表示されてたものが、3つで良いと言う!笑笑
内容は分かったので、3つの書類を作成しに走る。①「夫の銀行明細」、②公証人に作成してもらう「誓約書」、③パスポートオフィスに行き、夫のパスポートに妻の名前を記入した後の「夫のパスポート」。①②はいいが、③は難しかった。
市内のパスポートオフィスで出来ると説明されたけど、行ってみると窓口で「出来ない」と。たらい回しの結果、やはりそこでは出来ないので、夫が昔パスポートを作成した5時間山を越えたシムラーという州都に行って、パスポートを更新すれば名前が記載出来ると判明。
それ、多分1ヶ月かかる奴。笑
なので再び夫がオフィサーに電話して伝えると、
「じゃあ書類、2つでいいよ」って。
「いいけど、パスポートに妻の名前は入れといた方が良いと思うよ、今後はね。それと、夫婦の共同名義の銀行口座もあった方がいいよー」と、アドバイスをいただいたそう。
。。友だちか!?笑
結局5つ要るはずだった書類が2つになつた。!!
夫は「めでたし、めでたし」みたいな顔で、何も疑問に思わないらしいので、まぁ今後もインド人同士でテキトーにやってもらおうと思う。
ところで。
ここ2、3年で各方面の法規制が厳しくなったおかげか、「ワイロ」の影はまったくと言って良いほど見かけなくなった。
手続きが全面オンライン化したために、直接職員と対面することもない。
インド政府の管轄下であるFRROのサイトにも「申込者は事務所に出向く必要がありません」と明記されている。
(ただ、審査の過程で居住確認のため自宅に来る警察官は要注意。)
質問したらワイロとられるんじゃないか?
失敗したら( 同上 )??
なんてビクビクしなくても良くなったと言うこと!
分からない事があったら気軽に聞いく権利はあるし、間違いがあれば普通に訂正すれば良いだけ。チャンディガールは特に法律遵守を遂行していて良い街らしいけど、地方でだってワイロが明らかに「違法」なのは確か。
もし請求されても渡さずに、役所に訴えればその担当者は咎められる。
ワイロ如何により書類の申請が滞った、と聞いた時代はもう過去のもの。
インド、みるみる変わってますよー!
これからの変化にも期待したい。
余談ですが。
うちの夫の亡き父親は、田舎の警察官だった。何となく、参考までに聞いてみる。
「お義父さんって、ワイロ取ったのー?」と。笑
「うん。。それがね、」と夫。
「他の人みたいに、ワイロ取ってみたんだって。そしたらマンミが病気になっちゃって。」
え?
「それから二度とワイロは取らなかったって。」
へぇー。なるほどねー。夫の話はいつも「日本昔話」みたいだけど、ホンマかね?
と言うことでインド人でも、不当にワイロ取ったら家族が病気になる!!って信じてる人もいるみたいです。因果応報。バチが当たる。
ま、そりゃそうだ。笑
11月になった。お祭りや行事で忙しかった10月が終わり、次は何をして良いのやら。。。なんて事を夫に言うと、
「次何するか?3度の飯と仕事と睡眠の他に、一体君には何があるの?」と笑われた。
そんなんで良いの?と思うけど、幸福度は高そう。笑
なるほど。3度のメシと家事と睡眠では「ダメ!」と、強固に信じてる自分がいるらしい。。。でも、何で?
私には「仕事がないと価値がない」。
そう長年思い込んでたからかもと思う。NGOの仕事は結婚式と両立出来ずに辞め、業務を横流ししてたらしい?翻訳の担当者とは断絶。なのでここ2ヶ月、仕事も収入もゼロ。
一番怖れていた筈の「無職」で「専業主婦」??
でも、そうなってみると怖れていた程でもなかった!というのが、この人体実験の結果。笑
私にとっては長年未知の領域だっただけで、色んなイメージが先行した。生まれ育った価値観もあり、そうじゃない自分をジャッジしてただけ。
母親は日本のウーマン・リブ世代(古代?)で、恋愛も結婚も子供もどーでも良いから、仕事仕事!と育てられた(かなり反抗してやらかしたけど)。親に認められたいとか、日本の社会でジャッジされたくないっていう保身があったかも。
でもねー、ここはインドの下町。
過去の狭ーい価値観と、惰性な保身の習慣で生きても、誰も幸せにならない。
夫は最近、毎日作り立てのご飯が出てくるのと、家が整ってるからか、安心して仕事に集中してる。初のインセンティブも付き、さらに意欲的だ。共働きでバタバタしてた頃とは明らかな変化。そう思うと、
「最悪の事態」なんて、大したことないな!と。笑
やり甲斐だって主婦の仕事はエンドレスで、自分で自分を褒め讃え放題。それに社会的に認知されたい!なんて欲求は、このインドではまだ始まってもいない代物よ。こちらの世界から見ると、先進国の自分主義はかなり自己中で、エゴの肥大?に見える時もある。
ご飯が食べれたら、他に何がいるの?って。笑
目立ちもせず、活躍もせず、黙々と必要な事をする。それが良い悪いではないけど、ココにはそんな生き方もある。
実際に今は、住環境を整えることで手一杯でもある。これから少しずつ、湯沸かし器やエアコンを付けたり、洗濯機を置ける家に引っ越したいとは思うけど。
慣れ親しんだ既存の価値観にサヨナラして、
想像しうる最悪の事態まで現実化させ、
仮面を剥いで、殻を破って、脱皮して。
そうしないとインドに追いつけない。
長年生きてて色々あったのに、過去の栄光も黒歴史も、「そんなしょーもないもん早よ捨てろ!」と、人生にツッコまれてる。笑
心の傷やトラウマだって、そう。
でも人間って、一番愛した時に一番傷つくのかもね。
だから後生大事にその傷を手放せない。あんなに愛してたのにって、その栄光にしがみついているだけ。相手は許せて忘れても、頑なに無意識で自分を責めてたりするのは、もう意味をなさない証明に意地になってるから。
自分は、
人に愛されるのに値しない人間だとか、
仕事をしていないと価値がないとか、
本当はどーでもいいロジックを、ロマンたっぷりもっともらしく作り上げるのも、自分が揺らいだゼロ地点から、本当はまだ歩き出したくないのだろう。
私も若い頃、墓場まで持ってくと誓った大きな失敗があった。それはすごく産みたかった子を堕胎しなければならなかったこと。「一生自分を許さない」って条件で、取りあえず生きることにした。で、その時出会ったパートナーも、後に自殺してしまったり。更にその事を、おこがましくも自分のせいかもと思ってしまったのだ。
そうやって自分でかけてった呪いの解き方が、20年以上分からずにいた。
でも結局、インドに来て色々と衝撃的なことがあり、呪縛は解けて行った。過去の価値観が崩壊したと言うか、単純に「死にかけた」からかもしれないけれど。意地を張るのにも限界がある。
特に最後の流産をした時、世界がひっくり返った。
あんなに欲しかったはずの赤ちゃんが流れかけている状態で、意識が遠のきながらも強烈に「私は生き延びるー!絶対死なないー!」って、結局それしかなかった訳で。笑
子供を亡くした=自分に生きる資格がないなんて、
上滑りのエゴだったこと、ないものねだりの贅沢病だったことも、痛みと共に理解した。
「自分を愛して」「自分を許そう」と、啓発本を読み勉強会に出て、セラピーやカウンセリングに通い、それでも何かフワフワしてた20数年も、無駄だったとは思わない。ヨガが最後の切り札だと思ってたから、インドにも来れたし。
私のトラウマは、当時の必要悪だった。
私を慰め、私にいつも寄り添ってくれた。
それが分かった今は、ただ感謝してお別れしたい。これからは、自分の価値は自分で作る自由の身。
どんな自分でも許されてると、やっと分かったんだ。
そしたら、パートナーもようやく隣に来てくれた。
あっけらかんと、笑っている人で。笑
何が起きても、ずっと罪人でいる人なんていない。
人は人として、いつでも限りなく豊かに生きられる。
どんな失敗をしても終わりじゃない。
これからも、そう信じて生きられると思う。
人生で大きな出来事があって、それをきっかけに自分が信じられなくなり、自分を責めてしまったり、他人をジャッジしたり、比べてしまったり。
あるいは原因も分からず不安で生き辛らかったりする時。
私たちは神さまから、大事な課題をもらっている。
多分、終わりのない課題。
その人だけに与えられる課題。
自分にしか解けない課題。
どんな理不尽な困難も、大きな英智へのカギだ。
世の中で不幸と呼ばれたり、怖れられたりする出来事の向こう側は、とてつもなく大きくて暖かな世界と繋がっている。
本当は何も怖くない。何も罪じゃない。裁かなくても、縛らなくてもいい。
破壊の向こう側にしか、創造はないかもしれない。過去からの脱皮って、何かタイムリーに蠍座的テーマでもある。
そして私、出生図では蠍座アセンダントだけど、中年期から発動するナバムシャ図では獅子座に変わるらしい。もう過去とか秘密とか罪とかトラウマとか、そういうテーマは卒業かもしれません。
強くて明るい獅子座、いいかも。笑
普段はインドの人たちの「違い」に戸惑い、どう付き合って良いのか解読できず、殻に閉じこもりがちな私。
でも年に一度のディバリ祭で得た新たな気づきを書いてみます。これからも忘れないように。
去年までは買い物や段取りの準備で精一杯だったのだけど。さすがに4度目は少し余裕が出て来たのか、「何か」、物足りない気がしていて。
夕方。完成したランゴーリ(床に描く砂絵)やバルコニーにディヤを灯し、電飾のスイッチを入れると、夫が帰りがけに買った花火を抱えて帰宅。とても2人分とは思えない量に、
「あれ?今日お義姉さん家でも行くの?」と聞くと、
「全部2人でやるの!楽しいぞ〜」と。
。。考えただけで喉が痛くなる。笑
それからバイクで大盛況のマーケットへ。日本の大晦日前のような賑わい。違うのは掻き入れ時の物乞いの家族が、お盆にディヤを灯した清貧な出で立ちで小銭を集めてまわるところ。(一昨日までおもちゃ売ってなかった?)
近所の人に贈るスィーツや玄関の飾りを購入して帰宅。すると大家さんが営む店でも、店の前にテーブルを出してディヤや花火を売っていて「お付き合い」で足りない分を購入。大家さん一家も今日は特別着飾っている。
近所のダバにも、この日ばかりはスィーツの山が。
そろそろラクシュミー・プージャの時間なのに、夫は外で上がり始めた花火にすっかり気を取られていた。「プージャは?」と聞くと「うん、じゃあ準備して」と私に言う。
(何をどうすれば?そもそもアナタの家の神さまでしょ?)
と思いつつ、適当にターリーに必要な物を乗せてると、微妙に「違う」と指摘される。そこで私の疲れがピークに。笑
外国で。異教徒の私が。
毎日一人ぼっちで。
言葉も分からなくて。
誰も話しかけてくれないし。
誰も教えてもくれない。
でも出来るだけ、頑張ってるよ。
それでも。
インドで生まれた人みたいに、
何でもかんでも出来る訳ないでしょう。
独り言っぽく言いながら、涙声になっていてびっくり。夫は秒殺で準備をし、大急ぎでプージャを終わらせた。出来るなら最初からやってくれ。
「言っても仕方がない」とか「言わなくても分かるはず」と、我慢してたかもしれない。それにしても、自分でもまさかの本音が飛び出した新月パワー(のせいにする笑)。
私、「独りでいるのが好き」って思い込んでた。
プライバシーを侵害されるので「近所の人に迷惑をかけられたくない」と、ウチのベランダに誰も入らないように気をつけてばかりで。
「上から目線で教えてもらいたくない」と、大家さんのお嫁さんや隣の部屋の幼稚園の先生からヒンディー語を習うのも断った。
誰も話しかけてくれない、誰も教えてくれないのは、そのせいでもある。笑
それでも本心は寂しくて仕方がなかったんだろう。
いつも心細く、何がちゃんと出来てるのかも分からず。
私は、認められない苦労とか、陰ながらの努力なんて出来る程タフじゃない。
ちゃんと認められたい。
ちゃんと受け入れられたい。
それがどんな異国でも、どんな環境でも、その欲求だけは変えられない気がする。
新婚のお嫁さん作。中々やるなー(メラメラ)笑。
「ディバリなんてつまんない。インド人だけで盛り上がって。何がいいの、ディバリって?」
思わず言うと、お祭り気分に水を差された夫はシュンとなって、「年に一度のお祭りにまでドラマしないでよ。。」って。別にドラマは演じてません。インド人じゃない人は、そう思っていても不思議じゃないんだよ、と。
(今思うと、完全に寂しくて拗ねてた笑)
夕飯の準備を始めると、夫は花火を抱えながら「来たくなかったらいいけど、僕は屋上に花火をしに行くからね」と。仕方ないので?付いて行くことに。
屋上階に住む新婚夫婦もすでに花火をしてて、普段あまり話さないから気恥ずかしかったけど「Happy Diwali!」とお菓子を渡した。すると若いお嫁さんはどこかへ行き、同じヒマーチャル州出身の夫は、旦那さんと方言で話せて楽しそう。(いいなぁ。いっぱい話せて。。)と、何となく羨ましい。
奥さんはわざわざお返しを買って来てくれ、「Your rangoli is beautiful!」と話しかけると「Thank you!」って、英語が分かるらしく、ちょっと安心した。空に上げるランタン(熱気球みたいの)もくれたので、夫と初めて上げてみる。成功するかドキドキしたけど、空高くどこまでも上がって行って、見送りながら感動ー。
1階の大家さんにもお菓子を届けに行くと、老夫婦が仲良く並んで座っていて「ありがとう。今年は忙しくてプージャもまだよ」って満面の笑み。忙しいのは何よりだし、めったに見ない笑顔がまた嬉しい。
夕食を済ますと、夫がいつの間にやら大家さんの孫たちと一花火をする約束をしていたらしく、屋上で後半戦がスタート。
近所一ヤンチャなナマンが、ノンストップで「ボム」と呼ばれる爆竹(耳が死ぬやつ)やロケットを打ち上げ、開始3分で喉が痛くなる。売り物だった?ネズミ花火や打ち上げ花火も躊躇なく着火。普段はいたずらばかりの悪ガキも、こういう時は役に立つものだと半ば感心。笑
が、おだったナマンが隣の家に爆竹を放とうが、大人は全然叱らない。「誰もいないから」オッケー?そう言えば朝、ナマンと従姉妹でノラ牛に石をぶつけてゲラゲラ笑ってるから伯父さんに言いつけたら、「子供だからねー」で終了。(子供=何してもいい?)
私が来た3年前はおてんばだったディクシャ(ナマンの姉)はすっかり落ち着いて、従兄弟の赤ちゃんをあやしてる。何か嬉しくて、オバちゃん後でこっそりお菓子あげちゃった笑。
真夜中近くまで、花火の爆音も、子供たちの笑い声も止むことがなかった。「Good night〜」と別れ際、ナマンがウチの前で手持ち花火を着火して、今度は何ごと?とギョッとしてたら、
「This is for you」だって。
火の着いた花火をくれた!散々いたずらには逢ってきたけど、何かもらったの初めて!私、この日を忘れません笑。
部屋に戻ると、今日一日で会社やご近所さんから頂いたお菓子の山が。多分食べきれないけど、そのわざと大きな箱が笑、贈る人の気持ちの大きさと重なって見える。
「ディバリなんてつまんないよね?ゴメンね」と夫。
最近、皮肉を覚えたようで。笑
「ディバリってね、周りの人にちゃんと感謝を伝えるためのお祭りなんだよ。君も分かった?」と、もっともらしく教えてくれる。(どうして4年目で初めて言う?)
もしかしたら私たち、ようやく形になり始めた?と感じた日。夫だってインド人と言えど、最初から季節の行事なんて出来る訳もなく、でも一緒にやろう!と言う勢いだけは直球で。
教えてくれる人なんて、どこの世界もそうそういない。笑
こちらから話しかけなければ、話かけられないのは当たり前。
さっき夫に泣きついた自分は何だったんだろうと思った。「何か」が物足りないと感じていたことも、すっかり忘れてる。
本当は寂しいのに、我慢して。
強がりたくなんてないのに、線を引いて。
本当は怖がっていたくないのに、
失敗を怖れるあまり
一歩踏み出すよりも怖がったまま、
一人きりのまま。
なんじゃそりゃ笑!
ディバリは、絆をつなげる日。
迷惑をかけ、かけられながら、そっぽ向いたり礼を欠いたりしがちな周りの人たちに、きっちり感謝を伝える日。
皆、同じ思いでこの日を待ちわび、
ここぞとばかりの笑顔になる。
誰だって完璧じゃない。
だから、お互いを許すのがインド式なのかな。
こんなガイコクジンの私も、1人だけアベコベやり続けても許されてたし。笑
ここでは皆「家族」みたいで遠慮がなく、自由過ぎて迷惑至極なことに変わりはない。
でも日本の一人暮らしでは、近所付き合いも、絆も、迷惑行為も、危険行為もなく、故に許すなんて高度なテクは学ばない。法や決まりに頼って解決しても、心は大きくならない。
許し許され。
インドって、テキトーに見えて結構すごいのかも。
ディバリ前、我が家は恒例の衣替えと大掃除。
秋春の衣替えは、家にある全ての衣類を洗濯し、天日干し。そうしないと夏の湿気と冬の結露のせいで、カビが発生するから。カビ知らずの道民には試練でしかない。
大掃除は年に何度もしてるのに、毎回ホコリ、蜘蛛の巣、泥、昆虫、その他諸々(うちのバルコニーに侵入する大家のいたずらっ子と同じ階のおばさん)との死闘を勝ち抜くことになる(大袈裟か)。
光が闇に打ち勝つことを象徴するお祭り、ディバリ祭。
毎年この死闘からの生還を祝う感じで、正直疲れる。笑
1週間程かけて衣替えと掃除をし、最後にキャンドルやライト、砂絵で家の飾り付け。もうディバリ前日。完了まであと一息だー。
昨日はインスタで知り合った、ご主人の実家に帰省中という日印カップルのKさんSさんと、夕方にはデリーに行く予定のKちゃんと滑り込みランチ💓
初対面とは思えない明るいご夫婦との会話はノンストップで盛り上がりましたー。皆さんディバリの多忙な時期、楽しいひとときをありがとうございまーす♡
食事の後はディバリグッズの露店で大賑わいのマーケットへ。Kちゃんオススメのテイラーさんへ、私の初オーダーのツーピースを取りに行ったら、
「Yours? No... Maybe Monday.」
って、仕上がってなかったよ!笑。そうだよね。3日で仕上げるインド人は見たことがない。オーダー山積みでてんやわんやしてるし。
あと少しでオーダーが仕上がりそうなKちゃんとここでお別れし、日印カップルKさんSさんのご実家へ。中庭でチャーイとお菓子をご馳走に。
外出先から戻られたお義母さまにも会えて、色々嬉しくてボーッとしてしまった。チャンディガールの歴史、家族の思い出の詰まったお宅は、色とりどりのハイビスカスもとーっても素敵。
KさんSさんの朗らかな人柄に癒され、将来へのモチベーションが再燃した吉日。私もこのインドで、自分たちの理想の暮らしを実現する日を思い描き続けよう、と。。
光が闇に打ち勝つ、
というのは、インドの神話にはよく登場するシンボリズム。どんなに深い夜の闇も、強烈な朝日の光線にはひとたまりもなく破られる。
ドゥシャラ祭では悪の象徴であるラーヴナ王を、正義の炎で焼き尽くす。
夜が長さを増す時期の満月には、来たる冬の闇を見据えてカルバチョートの祈りを捧げる。
敬虔なヒンドゥー教徒は、毎日朝日に向かってスーリヤ・ナマスカールの一礼を欠かさない。
だって闇って、結構深い。インドに来てから、虫やホコリや汚物だけじゃなく、貧困、スラム、カーストや差別も見聞きするし、インフラ、医療、教育の発展途上な
闇も見る。
だから、光に祈ることをやめない。
今日無事でいられることに感謝。
いつも明るく、いつも笑顔なインドの人々。うちの夫もその一人だ。どんな闇を見て来ても、知っていても、気に止めることも気に病むこともない。3年も住んでて、まだ一人で出かけるのが怖いと、泣き言ばかりの私とは大違い。
怖い怖いと、たった1度や2度の嫌な経験にずーっとこだわって、自分で勝手に闇を作り出してるのは私自身。最近はKちゃんとショッピングや映画、ランチに出かけ、おかげでかなり大丈夫な気がして来た!笑
出来ない、まだ時期じゃない、怖い、面倒くさい。
だってインドだし。(←これだ笑)
色んな言い訳に隠れてた闇たち。それらを打ち破る明るい光、夢、理想、好きなもの、楽しいこと、もっと見つめてもいいのかもしれないと感じる日々です。
お祭りラッシュの10月も、残すところは27日の、インド最大の祝祭ディバリ祭(Diwali/ Deepavaliとも言う)のみ。
電飾は大家さんがウチのベランダに付けるので、用意するのはディヤと言う、中にギーと綿の芯を入れて火を灯す、小さな陶器の灯りたち。それを家の周りの至る所に飾り、照らす。
ディバリでは、富と繁栄の象徴、ラクシュミー女神を讃え新年を祝う。玄関には女神の足跡をモチーフにした飾り物を飾り、カラフルなおが屑でランゴーリという床絵を描く。4度目の今年は少し落ち着いて静かに祝いたいけれど。
この近所は賑やか過ぎるので、どうなるかなー。
ご近所さんと言えば、ウチのアパートのお向かいさん。お嫁さんが毎日屋上で洗濯物を干すので、ちょうど部屋が3階の私は毎日顔を合わせる。スタイルが良く、キビキビ働くパンジャービ美人。屋上で物憂げに長い髪をとく姿(この辺の人はヘアドライヤーとか使わない)に、密かに「ラプンツェル」と呼んでいた。笑
その屋上のラプンツェルに、最近笑顔が増えた。ベランダ越しに隣の奥さんに話しかけたり、表に来る野菜売りのお兄さんと値段交渉したり、以前の塞ぎ込んだ様子がない。
珍しく大人しいタイプの人かと思ってたら、この数年は色々あったのかもしれない。今はきっと、落ち着いていて、何か良い事でもあるのかも。
良い事と言えば、小さな商店を営む大家さん一家。3世代で、息子2人の家族と暮らす。下町チックな一家だけど、下の弟さんだけはポロシャツの襟を立てて着るタイプで笑、弁護士だとか。その弁護士くんが、タタ社のSUVを新車で買った。
狭い路地にドドーンと駐められた新車の真っ白いSUVは、邪魔だけど圧巻。最近では長男の子供たち(いたずらっ子のナマンも)は、皆でこの車で通学・通勤する。前はオートリキシャーでぎゅうぎゅう詰めで通学してたから、きっと嬉しくて誇らしいだろうなぁ。
ナマンは以前、ウチの夫のバイクのウィンカーをへし折った疑惑(しかも2回)がある小学3年生。これで彼の反抗期も終わるだろうか。。?
「息子がヤンチャ過ぎる」「お義母さんが口うるさい」と悩んでいた長男の嫁のバビジーも、こないだ台所で冷静にお義母さんに反論してる声がしてた。みんな少しずつ、努力は報われるんだね。
さらに良い事と言えば、上の階のお兄ちゃんが付き合ってた彼女と結婚して、ついに!部屋にエアコンを取り付けたこと!!(この町ではエアコンはとても珍しい)
取り付け方は斬新で、外から見ると壁の穴から上方にホースが伸び、屋上に無造作に室外機を放置。どんどん屋上が荒れて行く気もするが。。まぁ、いいか。
とにかく「保守的な下町」だと思っていたこの三丁目。以前は見えてなかった事や少しずつの変化に、本当にちょっとずつ、私のしんどさも解れて来た気がする。既婚女性は1日中パンジャービ・スーツという民族衣装を来ていたけど、今は家ではTシャツ&ズボンの女性が増えた。そんな事だけでも、大分気が楽に。
ディバリ直前、町はどこも賑わっている。でも今年は法規制が厳しくなって、マーケットの露店は3割程減った。それでも中国製品などの種類が増えてる。
モールは富裕層向けの店がどんどんオープン。トイザらス!やスタバ等もオープンし、ようやく強豪出った感じ。大規模店はお高い商品が豊富。こういうの日本のホームセンターで見た!って感じの装飾品を、インド国内で初めて目にする。
工芸品も布製品も、インドの地方都市より日本の方が手に入りやすい。町の小さな商店は生活必需品しかないので、手工芸品などは限られた場所にしかなかった。でも大型店の進出で、小売店は変わっていくのかも。
キラキラした新しいお店で、日本と変わらない(むしろ高い)値段の商品を手にレジに並ぶ時、私はちょっとモヤっとする。と言うのは、北インドの農村出身の夫と結婚してから、私の家計のやりくりには新たなフロンティアが出現した。
男と女はバランスだ。妻と夫もバランス。ヨガもバランス笑。お金も家族も、みんなそうだろう。
崩れなければ、どういうやり方でも良いとは思う。
私はなるべく夫の収入内で家計をまわしたい。私のなけなしの貯金は共有してない。どうしても必要は時以外は、旅行も夫が出せる予算の場所を巡る。まぁ少しずつ、色々な変化に合わせてバランスを変えながら。
夫は先月メーカーの直接雇用になり、保険と年金は付いたけど手取りは減。ノルマもあり、お祭りシーズンは繁忙期。そんな日々の中で、昨日ポツリと呟いたのが、
「僕は今、楽しむことを忘れてる。」
「本当は楽しんで生きたいのに。」って。
。。返すコトバが見つからず。
彼は今、頑張ってお金を稼ごうとしてる。私と結婚してから、思いもよらぬ出費が増えたことだろう。「家庭の出費を一身に賄う」のが、インド人男性の責任と言われて来て、それを素直に実践する夫。
他人(私)やお金のために、犠牲になんてならなくて良いよ。
そう言いたかったけど、言えずに仕事に送り出した。口ではああ言ってても、仕事を楽しんでるのも、自信があるのも知ってるから。
ただ、私がまだ色々と不安になって彼にワーワー言うので、夫を不安にさせてるんだろう。ごめんなさい。
この生活を壊したくないから、不安になった。まずは適応しなくちゃと、自分を抑えて我慢した。仕方ないと遠慮もしてきた。どうせ無理と諦めた。楽しむことより、現状維持でジリジリしてたのは私の方だ。
インド人に「楽しむことを忘れた」なんて言われた日には、ちょっとショック笑。
私の不安なんて、本当に妄想でしかない。
事実でも未来予測でも何でもない。
実際に、この三丁目で何年も暮らせてるし、インドの環境も少しずつ良くなり、周りの人たちとも、適度な距離で共存できてる。
ヒンドゥーの儀式も抵抗をなくせば自分流に楽しめて益々面白くなってきたところ。
カルヴァチョートの断食も、空腹や「不足感」への怖れと向き合い、それら余計なものを手放し、結局は自分の身体への信頼を取り戻す機会になる。贅沢なメンテナンスが自分で出来る素敵な習慣だと思う。
未知な物事への怖れに石橋を叩きながら、結局は渡れてしまっている。だったら叩かず、笑いながら余裕で渡りたい。
何となく。
「不安」という認知の歪みのスパイラルを、逆巻きに向けるポイントに立った気がする。
4度目のディバリは、自分の頑張りと、夫の愛と、信頼するこの世界に、心からの感謝の祈りを捧げようと思う。
長文ですし、ネガティブが苦手な人はスルーして下さいね。
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日曜の朝。毎週いつもより1時間遅れで会社に行くのでダラダラしてる夫に、
「また停電してる!コレいつ直るの!ねえ ?」と言うと、
スマホを手にじーっとこっちを見つめている夫。
「ねぇ停電!いつ直る?」と、再度私。
すると夫は、こっちを真っ直ぐ見据えたまま、
「君はこの停電、僕が起こしてると思うの?」と。
えぇー。オエーーー。そうじゃないけどサ。
でも停電したままだと家事も進まず超絶退屈なので、反省なくまた非現実的な催促をし始める私。
「どこか行こう!もー退屈!もう日本に帰りたいー」と。
夫は真顔で呆れて、お風呂を浴びに行った。それで(チェ、つまんない)と思って立ち上がった瞬間、
ぐにゅきっ!!
と、左の腰がニュッキリ腰に(ギックリよりは軽め)。
ついに私、ここまでヤサグレたかという感じ。それで身体はそれ相応の症状で現実を突きつけてくる。
私、文句を言っている自覚はない。
でも、いつも一言多くなる。
退屈すぎて確実に夫に絡んでる。
夫は呆れ切って「ご飯いらない」と言ってたけど、「せっかく作ったから食べてね?」(腰を痛めてまで作ったワレの飯が食えない?)と言うと、遠慮がちにあらかた食べて、ササーっと出てった。
その後小1時間で電気は戻ったけど、腰が。。。(泣)
実は昨日も何も出来ずに落ち込んでた私。と言うのも昨日の朝7時、夫の友だちから電話がかかって来て。
「今チャンディガール着いた。今から行くから」と。
うぎゃああぁ!?ってなった。一体何度、アポなしで家に男友達を呼ばないでとお願いして来たことだろう。しかも朝!ワンルームなので、私はシャワーも身支度もできないってこと。昨日の時点で言ってくれれば、(理想の妻)みたいに?迎える準備も出来たのに。
しかも電話の時点で夫「ココには来ないよ。近所の同郷のKの家に来るんだって」と言ってた。それがウソか本当かも分からない。私が怒るのを恐れて、目先の言い逃れをするのが常になってるから。
案の定、ラジャスターンから帰省途中の友人Bは、ウチにやって来た。でも私、挨拶とチャイだけ淹れてあとは部屋で休むことにして、夫とBにはアパートの共用スペースで過ごしてもらって放置。
夏に私が3ヶ月一時帰国している間に、どうも夫は男友だちを部屋に呼んでいたらしい。Bもその1人。いない間は仕方ないけどさ。しかもラジャスターンからチャンディガールまで16時間のバスの旅、これから村まで更に6時間かけて帰るから、途中シャワー浴びたいのも分かる。
でも、私は嫌なの。
いやマジで。これだけは妥協ナシ。
(でも夫が友人を送って行った後、バツが悪くて一日ゾンビで過ごしたという。)
それにしても最近またちょっと、精神的に色々来たか?
インド人の理解出来ない言動への抵抗が多すぎて、今朝も夫に当たって、下らない要求をしてコントロールしようと試みたし(無理ーで終了)、
あと、ちょっと潔癖症ぽくなってる。昆虫や動物や、何かとインドスタンダードな衛生状況で潔癖症になるのだけは避けたい。自分で自分を追い詰めるだけ!
先週は、また村へ行っていた。
正直私は行きたくないとゴネていた。物入りなディワリ前なのに、友だちの結婚式だから服も新調したりお祝いも用意しなきゃだし。それに夫の独身の友だちなんて、どうせ悪友ばかりでしょーって、偏見があって。
でもいつも家に居てばかりだから、小旅行気分で外の景色を見るのは楽しかった。あと、田舎の結婚式の一部始終を見るのは初めてで(自分の時は何も見えてない)物珍しかったのはある。
でも夫の実家に行くと気が重いのは、行く度に責任責任ー!と夫に色々言いつけてるお義母さんの言動と、集まってくる親戚の対応をしなきゃならないこと。
「仕事」だと思えばいいのかね?
「家」だと思ってると、一向に無理な要求には応えたくならないんだけど。
「家」だと思って寛げる日がいつか来れば良いけれど、今は言葉も通じないし、私の思いを伝えて中間点を取ることも出来ないので、相手は言いたい放題。
夫の従兄弟で警察官のバイヤジーに「日本酒が飲みたい」と言われても、何人いるか全貌の見えない従兄弟の1人に安請け合い出来ない気がして、オロオロ。
もう1人のバイジャジーは終始、自分の発言に同意を求めて(どう思う?)的な視線をくれるけど、知らんがな!
結婚式に出席するから、自分の中では一番のお気に入りの服を来て行ったのに、従姉妹のバビジーたちは口々に
「早く着替えないと遅れるよ」って(泣)。
やっぱ外国人には実際、期待が多いと思う。
普通に楽しみたいのに
全くリラックス出来ない(悲)。
今回はお義母さんまで、私がコトバが分からないをいいことに、色々言い始めた感じ。
(分かってたら即ケンカです)
お義母さんがワーワー言ってた後、夫に「さっきお義母さん何て言ってたの?」と聞くと、
「お前たち(夫兄弟)も、嫁も何も出来ないんだったら、一体誰がご飯作るの?」って。
ハァアアァ???(私)
↑て、なったりしてた。笑
「また聞き」すると、本当心臓に良くない。私も今、自分の感情をコントロールする自信ないから、本当やめて欲しい。
私たちが訪ねて来る前、お義母さんは義実家をキレイに片付けていた。すぐ隣の家で結婚式だったので、炊き出しで3日間は料理しなくて良いと見込んでたんだろう。もちろん台所の道具もしまわれていて。でも私、
「私が料理してあげよう」と思ってしまった。
結婚式も終盤、豆や乾物を戻して使うカレー三昧に飽きたのもある。新鮮な農作物が庭に豊富に実ってるのに、コレを食べない理由はないと思って。
それで「お鍋どこ?油どこ?」と何度かお義母さんに聞いてたら、お義母さん「私がするから」と言い出した。「私がします」と言ったものの、確かにそっちの方が早いので(一緒に作ればいいか)と思って作業を始めた。
そしたらチャパティーを焼くタワ(平たいフライパンみたいの)を強火にかけたまま、お義母さんがどこかに行った。しばらく帰って来ないので、どうしたんだろう?と思いながら、火を消して待っていた。
すると離れの家から、お義母さんが何か叫んでる声。外に出て見に行くと、離れの家で結婚式の立席者と飲んでいた夫と義弟が出て来て話している。それを見たお客さん、全員ワラワラ〜と、隣の家の結婚式へと帰ってく。笑
その時点では何が起きたのか分からなかったんだけど、その時叫んでたのが、後に夫に聞いたあのセリフ↑。
夫はその後で「でも(嫁が何も出来ないのに)とは言ってなかったかもー。とにかく僕ら(実子)に働けって言いに来たんだよ」と誤魔化してたけど、気を遣わせてすまぬのぅ。
お義母さん、久々に楽したかったんだね。笑
それにやっぱり、私が要領を得ないせいで、お義母さんなりに気を使ってる。というのが、ハッキリ分かって良かったことでもある。
それと、せっかく新築した自分家の離れが、近所の家の結婚式であふれた「飲みたい組」の宴会会場に使われてるのも、内心嫌だったんじゃないかな?
この家、夫に嫁が来る日のために建て始めた離れで、今は私たちの家でもあるんだけど、正直私も、挨拶もせずに人の家に上がり込んで(別部屋だけど)、夫と弟と男どもだけで真夜中過ぎまで盛り上がるの、いい加減にしたら?って言おうと思ってたとこ。
結局、お義母さんには共感する所も多い。
こんな田舎の半自給農家で急に夫を亡くし、家と畑を仕切って来たお義母さん。
のどかに見えるけど悪ガキも多いし、モラルを欠いた大人もいる。実際に、誰かが見張っていないとヤバいのだ。
私なんて、夫と夫の友人を扱うのでさえ発狂しそうになる事もあるのに。男尊女卑ではないけれど(女性を大事にするのが家の繁栄という女神信仰が強い)、表向きは男性優位社会で、男に負けずに家を守るなんて。。大っ変。。。
今週チャンディガール市に帰って来てからも、何か気まずくて夫に義母さんからの電話があっても出れない私。ま、呼ばれないしねー。笑
停電、夫の友人の襲来、また停電、ギックリと、パッとしない。
私、出来れば夫の友人には好感を持たれたいと思ったし、
夫の親戚にも気に入られたいと思っていて、
そういう自動的に「円満」なのを描いてたんだけど。
現実は、多分違う。爆
外側取り繕っても、それってイミないんだよね。
嫌なコトは嫌。
許せないのは許さない。
無理なことは無理。
そういう線をハッキリさせた上で、誠実にガチで付き合わないとウソになる。
国際結婚なんて、領土侵入問題になるよ。
(ものの喩えです)
それでも私と付き合ってくれますか?って、思ってる。
夫は毎回私がキーってなる度に、タジタジしながら学んでくれてると思う。プライバシーとか、女性の自立心とか、基本的な人権の概念さえ、このド田舎にはなかったコンセプトで、それは仕方がないけれど、学べばよろし。
毒をくらわば、皿まで。笑
良いコトばかりじゃなくても、悪いと見えることからも、深く学ぶことができる。
そんな意気込みが続くのもいつまで?と思うけど、心を開いて、よぉ分からんインドのド田舎に導かれた大きな意図を信じて、今日はとりあえず安静に過ごします。
それにしても、私も相当な分からず屋だけど、
お義母さんもかなりガチな頑固者だろう。
インド占星術的には(突然)双方激しいマンガリーク(火星の凶位置)ってことで、
相手にとって不足なし、ってことになるらしいけど。笑
私、何でインドにいるんだろう?笑
4年目に入ってもまだ、疑問に思うことの方が多い。と言うのも、今の生活が物質的に、まだまだ理想とほど遠いから。これまで経験してきたどんな生活とも違ってる。
今日は11時から16時まで、およそ7時間の停電と断水〜。こんなに長いのは1年ぶりかな?水を貯める習慣も忘れてたから、ヤキモキしながらウロチョロする。
気がつけば現実世界は不便なことばかり。舗装もされずインフラも危ういこの町で、ゴミ収集車が来始めた!と喜んだのもつかの間、3日に一度しか来ない日には、なりふり構わず走って行って、異臭の中ゴミ箱抱えて行列することに。
私は一体どこに行こうとしてるんだ?笑
自分で自分を信じたくないかもー!という、あらがい難い強い抵抗感に襲われる。この先に行っても何があるんだろうって、くじけそうになるから。日本では仕事が生きがいだった私。手痛く失恋した時も、仕事に没頭すれば誰にも心配かけないと嘘ぶいてたっけ。なのに結局、
① 愛を探してる、と思う。笑
ぶっちゃけ、そういう理由だと思う。笑
愛がなければ、とっとと帰ってた。仕事も自分磨きも、家族との時間も、日本ではやることには事欠かない。でもどんなに頑張っても、(自分で自分を褒めましょう)って啓発本みたいにやってみても、何か物足りなくて。笑
夫婦って多分、一生完成なんてしないかもしれないけど。2人の未熟な男女が寄ると、問題も2倍に増えるし笑。本当に笑えない事も、言えない事も、ギリすり抜けただけの今だけど。
毎日毎日、一緒にいたいか、もうやめたいか、確かめながらの綱渡り。これでもいつかデーンと安心して居られる日が来るのかな?
② 生きがいを探してる。
小さな時から何故か私は、自分の思考や感情を処理することで手一杯な人だった。頭のチャクラがクルクル空回り。それで色々手が回らないのに、人の期待にまで応えられず、思春期には無視とかシカトとかにあった。
で、そのトラウマから回復せずして、それがまた更なるトラブルを呼んだようなところがあり、青春期に付き合う人は弱くてズルい人ばかり。それでようやく、1人になって自分を見つめようと思ったのは、30過ぎてから。
お一人さまでも全く何不自由ない日本の暮らし。自己完結出来るかなー?って思った。自分を愛して、人を愛して、ちゃんとやろうって笑。子宮の病気も抱えてたから、着々と1人で生きる準備をした。
インドへのヨガ・リトリートも自立へのステップのはずだった。だって、手に職!と思ってたし。でもそれは、私が頭のチャクラで空回りして考えていたことだったのかもしれない。
ヨガを続けて行くと、色んなチャクラのブロックが外れる。10年ぶりくらいに「寂しさ」という感情が蘇って、戸惑った。ハートのブロックが外れて、「感情」が戻って来て、アレレ?ってなった。当然分かってた筈のことも(いや待てよ)ってなった。本当にそれでいいの?って。
「人に頼る」しかない状況も出現した。自分だけではどうしようもないという場面。腎盂腎炎で病院に運ばれ、高熱うなされながら、あ、地獄ってコレね!っていう、おぞましい悪夢と闘った。
今思うと、もし病気になっていなかったら、頭で考えた思考で決めてたプランを覆してまで、インドに残ってなかった。流産もしてなかったら、夫とも一緒にいないだろう。
。。って、色々とこじつけの理由を思う。笑
でもやっぱり、これが幸せだ!と言う保証などどこにもない笑。4年目にしていまだに、インドに来て起こった事の意味をアレコレ探すし。ヨガの先生はチャクラが開いたとか、ブロックを外したとか言うけど、ソレ、私には見えないし笑。
③ 多分最後だから、信じてみてる。
結婚線が2本ある私。結婚線って、籍を入れてなくても発動してるんだって。1度目はアメリカで彼と同棲してた時。いや〜でもDV男で散々な目に遭って、アメリカ社会の怖さも思い知ったし、這々の態で帰国することになった。
他にも強烈に好きだった人はいたけど、その後一緒に暮らしたのは夫くらい。結婚線の2本目で、後はもうない。科学的な根拠があるからインド占星術をかじってみたので、自分がかなりのマンガリーク(火星の凶位置)で、結婚生活は破綻するか、色々と障害が訪れるのは予見済み。
半分は自分のせいじゃない(運命)って思えるところが、占星術のミソでもある。ズルいけど笑。
人生半ば、もうシリアスに生きてもしゃあないので、信じたいこと信じて、信じたい人を信じられるように仕立てつつ、ダメになったら運のせいにするかもしれないし笑、好きに生きようと思うのです。
④ やっぱりインドに呼ばれたのかも説。
一体何度これを言語化しようと試みたことだろう?どうしても自分の中で抵抗があって、はっきりとは言えなかったり、お茶を濁してみたり。社会的におかしな人だと思われたくないっていう、不思議なくらいの抵抗があったのだけど。
でも今となっては、その「社会」にさえいなかったわ。笑
目に見えないものの力
それが私をインドに惹き付けて離さないものなんだと思う。「インドに呼ばれる」とは良く言ったものだ。例えば、
愛って、何?
幸せって、ドコに?
生きがいって、どれ?
信じるって、保証されるの?
そう問い続けてきた事に、色も形もない。
お手本を見習うことも、人と比べることも、マニュアルに従うことも、誰かがくれる訳でもないし、真似て出来るものでも全くなかった!半世紀近く生きてても、本当ーに、どこにもなかった。
求めるものは、自分の中にある。自分の中にしかないし、それに多分私たちは、神さまの庭で、自分で作った人生を遊んでいるだけ。
必要な学びしか訪れないし、大切な失敗しかないし、失敗だって本当は失敗じゃない。永遠と次へと繋がる命の連鎖に受け継がれる自分だけの学び。活かすも殺すも、自分次第でもある。
で、なんでインドにいるの?
って再び思う。日本でだってどこでだって、目に見えないものを大切に生きることは可能だと思う。でも私には難しく感じた。だから最後の理由は、
⑤ だってインドは、分かりやすい。
これに尽きるかもしれない。何たって「キツイ、汚い、怖い」の3拍子!揃ってる笑。そう思うと変態には絶好の遊び場なのかもねー。物質の豊かさに惑わされたり、誘惑に負けたり、人に甘えたりし過ぎて、目に見えない心の豊かさを感じることがおろそかになり、すぐ不満でブーブー言い始めたり他に逃げたりする私には、これ位ストイックな場所が必要だった。
そういえば。ミニマリストって何ですかー?って位、インドの義実家にはモノがなぁーんにも無い。経済的に豊かじゃないからだけど、でもモノの管理はしっかり出来てて、お義母さんがキッチリ仕切る。ごちゃごちゃせずに清々しい!笑
だからって欲が無い訳ではなく、私が新しいバッグを持ってたら親戚は口々に「私にもちょうだい」と言い、ちょっと日本のことを知ったオジさんは「日本の酒が飲みたい」と言う。欲望の塊!!でも、非常に分かりやすい(こっちも遠慮なく、あげませんけど)。
「きつい、汚い、怖い」のなんて、結局は自分がどう受け止めるかにかかってる。「オバケなんてなーいさ♪」と思っていたら、本当にオバケなんていなくなるよ。
日本では考えられないような犯罪やら、事故やら、汚いものや、人間のゲンキンなサガに出会うけれども、その度に、どこまで私はこの世界を信頼してるんだろう?って問うことがある。
本気で
この世界をもう一度、信じてみたい。
神聖なる愛に委ねてみたい。
途絶えた繋がりを、取り戻したい。
絆をつなげたい。
知ってたはずなのに、いつしか忘れてしまった大切な魔法を、もう一度使えるようになりたいんだと思う。
それが少しか分かってきたら、物質面が追いついてくるのかな?
現実はまだ、停電をかいくぐって日々バケツで洗濯しながら、理想の生活を夢見てるだけだけど。笑
昨日の夜。毎週日曜恒例の野菜市で買い込んで帰って来たら、大家さんの飼ってる野良犬の「シロ」が戻って来てた!
シロはおっとりした白い老犬で、大家さんが営む小さな店の前でいつもグゥグゥ寝てる。5月に日本に帰国する前は、毎日その平和な姿を見せていた。でも私が8月に帰ってからは姿が見えなかった。夫に尋ねると「言いずらかったんだけど。。」と。
ある晩何者かに襲われて、目を潰されてしまったと。。。その日からシロはどこかに逃げてしまったらしい。
そんなショックな事を聞いてからは、夢にまで出てきたシロ。そのシロが昨日、2ヶ月ぶりに店の角に姿を見せた。確かに、左目はすっかり傷跡だけになり、再会を喜ぶ私たちを右目で一生懸命に見てクンクンしていた。こんなに無害でかわいい子なのに。
決して平和なばかりではない、インドの三丁目。。
今日もすっかり抜けるような秋空だった。ナヴラトリ2日目の月曜日、近所の人たちがこぞって青空に洗濯物をたなびかせている。それを眺めながら、私もバケツとタライでお洗濯。今日の鼻歌は涙そうそうだった笑。
数年前には想像もつかなかった、インドの生活感の只中にいる不思議。。。
空が青いと、色々と思い出す。笑
日本にいた3年前、契約社員として英語教育の幼稚園と学童保育のマネージャーをしてた。子供たちは本当に可愛く賢くて(ドクターのご子息多め)、ドイツ人のヘッドティーチャーの指導は毎日刺激的で。
私自身、子供の頃から好きだった英語を指導する場も十分で、ジュニア英検や英検は毎回全員合格させてあげられたし、保護者の方々と共に成長する喜びを味わい、頭も身体も動かす充実した日々。
でもいかんせん、土日も休めない鬼職場。
特にマネージャー職は激務だった。
「仕事はスポーツ」と思い込んでたほど。今となっては、もう少し粘って続けていれば。。と日本生活に未練はあるけど、でも肝心の、長続きするバランスは失ってたかな。
辞める時はお手紙やプレゼントをいただいて、優しい言葉で惜しんで下さる方々もいたのになぁと、インドの下町で洗濯をしながら、その気持ちの温かさをふと思い出した。
20年のキャリアの中でも不思議と活躍できていた時代(一瞬だけど笑)。でももう分かってしまった。私は忙しさに「心」を「亡くし」たくなかった。夢だったインドへヨガ指導者養成合宿に飛んだ。
ヨガの毎日は新たな学びの連続。。のはずだったんだけど、そこは流石のインド!で笑、見た事もない新たな問題に直面する日々。
閉じていた感情はこじ開けられたし、抱えてたトラウマも再燃した。日本の日々で我慢してきたことは、インドでは通用しない。ヨガでは見破られてしまう。
恥ずかしさ、罪の意識、後ろめたさ、傲慢さ、固まっちゃったプライド、空虚にしがみついてた何かを、否が応でも手放す出来事ばかり。でも周りには優しく、厳しい人たちに恵まれた。
怖くても開いて開いて、もう一度、生きている感覚を取り戻しかけていた。
そんな時にヨガの先生のお義父さんが亡くなり、お葬式のためにトレーニングは途中で延期。それで現地で知り合った日本人の友だちと、スピティ渓谷にバスの旅に出て。飛行機も飛んでない、観光客も極端に少ない秘境で、この世のものとは思えない絶景の中、山頂に佇む古代チベット寺院を巡った。
そこで夫に出会ってしまった。笑
その後ヨガのトレーニングに戻っても、毎日メッセージをくれてた夫。半分無視して、半分面白がっていた私。インド人はすごいなー。日本でも若い子はみんな、こんなに一生懸命恋をするんだろうか?って思ったり。

私の誕生日にはダラムサラまで訪ねに来た夫。合宿先の仲間は「バースデーパーティー」と言いつつ、今思うと彼を吟味してくれてたっけ。笑
長期滞在でヨガを続けて、旅をしながら生活する彼らの多くは、言ってしまえばスピリチュアルの求道者。常識には全くとらわれず、上辺の話はしないし、人柄はオーラと占星術で観て笑、一期一会で一生の友にもなる。
みんな現代の魔女と魔法使い。
社会の枠組みに縛られて生きるのには感覚が豊か過ぎて、試行錯誤の末、ヨガを始めた人も多かった。私もそうだったように、抑圧したり、閉じてなかったことにしてきた過去と誠実に向き合おうとしながら、辛くても一歩踏み出すことを選んだ若者も。
私は彼らを一括りに(ヒッピー)とは決して呼ばないだろう。
(少なくとも私が会った人たちは)
一緒に過ごして話を聞いたら、そんな言葉では括れない深味のある人ばかり。
昔は企業戦士だったり、一生の恋に破れていたり、約束された家柄に意味を見出せなかったり、うまく家庭を築けなかったり、お国が戦争ばかりしていたり。
そして、感情が麻痺するのに耐えられなかったまともな人たち。
みんなもう一度、生き生きと生きるために、過去から立ち直ろうとしていた。
一括りになんて出来ない、人間の豊かさに出会った経験だった。
私が夫と一緒にチャンディガールに行くことを決めた時も、そんな仲間たちは心配半分、でも喜んで送り出してくれた。一番仲良しだったドイツ人のルヴァーナは、その後もいつもメッセージをくれて。
インド生活の長い彼女はその昔、インド人彼氏からDVに遭った過去を打ち明けてくれた。だから人一倍私を心配してくれて。「インド人の男性は幼稚で感情的な人もいるから気をつけて」とか、
「インドの下町で、インドの主婦みたいにずーっとアパートに居るような暮らしがカオリに出来るの?」って。
その時は「そんな訳ないじゃん!」って、何も分かってなかった私。そんな事が出来るタイプじゃなかったのにね。
DVは全然ないけど(むしろ私が気を付けよう)、インドの主婦みたいな暮らしは相当だったわよ〜〜って、しばらく連絡してないルヴァーナに言ってあげたい。
私、相当頑張ってるよって。笑
でもねー今、感情はまた、少し閉じて来ちゃってるかもって。
生徒たちと走り回って笑い合っていた時代や、ヨガで出会った仲間と語り明かした日々を懐かしく思う秋の日。
それでも人生は続いて行くんだね。。。
さて、ラージマ・ライスでも作ろうか。笑


































