4回目のディワリ祭 | 北インド☆ゆるヨガライフ

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

普段はインドの人たちの「違い」に戸惑い、どう付き合って良いのか解読できず、殻に閉じこもりがちな私。

 

でも年に一度のディバリ祭で得た新たな気づきを書いてみます。これからも忘れないように。

 

 

去年までは買い物や段取りの準備で精一杯だったのだけど。さすがに4度目は少し余裕が出て来たのか、「何か」、物足りない気がしていて。

 

今年のランゴーリは時短で済ませる!

 

 

夕方。完成したランゴーリ(床に描く砂絵)やバルコニーにディヤを灯し、電飾のスイッチを入れると、夫が帰りがけに買った花火を抱えて帰宅。とても2人分とは思えない量に、

 

「あれ?今日お義姉さん家でも行くの?」と聞くと、

 

「全部2人でやるの!楽しいぞ〜」と。

 

。。考えただけで喉が痛くなる。笑

 

 

それからバイクで大盛況のマーケットへ。日本の大晦日前のような賑わい。違うのは掻き入れ時の物乞いの家族が、お盆にディヤを灯した清貧な出で立ちで小銭を集めてまわるところ。(一昨日までおもちゃ売ってなかった?)

 

近所の人に贈るスィーツや玄関の飾りを購入して帰宅。すると大家さんが営む店でも、店の前にテーブルを出してディヤや花火を売っていて「お付き合い」で足りない分を購入。大家さん一家も今日は特別着飾っている。

 

近所のダバにも、この日ばかりはスィーツの山が。

 

 

そろそろラクシュミー・プージャの時間なのに、夫は外で上がり始めた花火にすっかり気を取られていた。「プージャは?」と聞くと「うん、じゃあ準備して」と私に言う。

 

(何をどうすれば?そもそもアナタの家の神さまでしょ?)

 

と思いつつ、適当にターリーに必要な物を乗せてると、微妙に「違う」と指摘される。そこで私の疲れがピークに。笑

 

 

外国で。異教徒の私が。

毎日一人ぼっちで。

言葉も分からなくて。

誰も話しかけてくれないし。

誰も教えてもくれない。

でも出来るだけ、頑張ってるよ。

それでも。

インドで生まれた人みたいに、

何でもかんでも出来る訳ないでしょう。

 

 

独り言っぽく言いながら、涙声になっていてびっくり。夫は秒殺で準備をし、大急ぎでプージャを終わらせた。出来るなら最初からやってくれ。

 

 

「言っても仕方がない」とか「言わなくても分かるはず」と、我慢してたかもしれない。それにしても、自分でもまさかの本音が飛び出した新月パワー(のせいにする笑)。

 

夫もデコレーションのお手伝いは好きらしい✨

 

 

私、「独りでいるのが好き」って思い込んでた。

 

プライバシーを侵害されるので「近所の人に迷惑をかけられたくない」と、ウチのベランダに誰も入らないように気をつけてばかりで。

 

「上から目線で教えてもらいたくない」と、大家さんのお嫁さんや隣の部屋の幼稚園の先生からヒンディー語を習うのも断った。

 

 

誰も話しかけてくれない、誰も教えてくれないのは、そのせいでもある。笑

 

 

それでも本心は寂しくて仕方がなかったんだろう。

いつも心細く、何がちゃんと出来てるのかも分からず。

 

 

私は、認められない苦労とか、陰ながらの努力なんて出来る程タフじゃない。

 

ちゃんと認められたい。

ちゃんと受け入れられたい。

 

それがどんな異国でも、どんな環境でも、その欲求だけは変えられない気がする。

 

 

新婚のお嫁さん作。中々やるなー(メラメラ)笑。

 

 

「ディバリなんてつまんない。インド人だけで盛り上がって。何がいいの、ディバリって?」

 

思わず言うと、お祭り気分に水を差された夫はシュンとなって、「年に一度のお祭りにまでドラマしないでよ。。」って。別にドラマは演じてません。インド人じゃない人は、そう思っていても不思議じゃないんだよ、と。

(今思うと、完全に寂しくて拗ねてた笑)

 

 

夕飯の準備を始めると、夫は花火を抱えながら「来たくなかったらいいけど、僕は屋上に花火をしに行くからね」と。仕方ないので?付いて行くことに。

 

屋上階に住む新婚夫婦もすでに花火をしてて、普段あまり話さないから気恥ずかしかったけど「Happy Diwali!」とお菓子を渡した。すると若いお嫁さんはどこかへ行き、同じヒマーチャル州出身の夫は、旦那さんと方言で話せて楽しそう。(いいなぁ。いっぱい話せて。。)と、何となく羨ましい。

 

 

奥さんはわざわざお返しを買って来てくれ、「Your rangoli is beautiful!」と話しかけると「Thank you!」って、英語が分かるらしく、ちょっと安心した。空に上げるランタン(熱気球みたいの)もくれたので、夫と初めて上げてみる。成功するかドキドキしたけど、空高くどこまでも上がって行って、見送りながら感動ー。

 

天に届けー✨
 
 

1階の大家さんにもお菓子を届けに行くと、老夫婦が仲良く並んで座っていて「ありがとう。今年は忙しくてプージャもまだよ」って満面の笑み。忙しいのは何よりだし、めったに見ない笑顔がまた嬉しい。

 

夕食を済ますと、夫がいつの間にやら大家さんの孫たちと一花火をする約束をしていたらしく、屋上で後半戦がスタート。

 

近所一ヤンチャなナマンが、ノンストップで「ボム」と呼ばれる爆竹(耳が死ぬやつ)やロケットを打ち上げ、開始3分で喉が痛くなる。売り物だった?ネズミ花火や打ち上げ花火も躊躇なく着火。普段はいたずらばかりの悪ガキも、こういう時は役に立つものだと半ば感心。笑

 

が、おだったナマンが隣の家に爆竹を放とうが、大人は全然叱らない。「誰もいないから」オッケー?そう言えば朝、ナマンと従姉妹でノラ牛に石をぶつけてゲラゲラ笑ってるから伯父さんに言いつけたら、「子供だからねー」で終了。(子供=何してもいい?)

 

私が来た3年前はおてんばだったディクシャ(ナマンの姉)はすっかり落ち着いて、従兄弟の赤ちゃんをあやしてる。何か嬉しくて、オバちゃん後でこっそりお菓子あげちゃった笑。

 

 

真夜中近くまで、花火の爆音も、子供たちの笑い声も止むことがなかった。「Good night〜」と別れ際、ナマンがウチの前で手持ち花火を着火して、今度は何ごと?とギョッとしてたら、

 

「This is for you」だって。

 

火の着いた花火をくれた!散々いたずらには逢ってきたけど、何かもらったの初めて!私、この日を忘れません笑。

 

まだ小さな従兄弟くんはこんなに可愛いのになぁ。

 

 

部屋に戻ると、今日一日で会社やご近所さんから頂いたお菓子の山が。多分食べきれないけど、そのわざと大きな箱が笑、贈る人の気持ちの大きさと重なって見える。

 

「ディバリなんてつまんないよね?ゴメンね」と夫。

 

最近、皮肉を覚えたようで。笑

 

「ディバリってね、周りの人にちゃんと感謝を伝えるためのお祭りなんだよ。君も分かった?」と、もっともらしく教えてくれる。(どうして4年目で初めて言う?)

 

 

もしかしたら私たち、ようやく形になり始めた?と感じた日。夫だってインド人と言えど、最初から季節の行事なんて出来る訳もなく、でも一緒にやろう!と言う勢いだけは直球で。

 

教えてくれる人なんて、どこの世界もそうそういない。笑

 

こちらから話しかけなければ、話かけられないのは当たり前。

 

 

さっき夫に泣きついた自分は何だったんだろうと思った。「何か」が物足りないと感じていたことも、すっかり忘れてる。

 

 

本当は寂しいのに、我慢して。

強がりたくなんてないのに、線を引いて。

 

本当は怖がっていたくないのに、

失敗を怖れるあまり

一歩踏み出すよりも怖がったまま、

一人きりのまま。

 

 

なんじゃそりゃ笑!

 

 

 

 

ディバリは、絆をつなげる日。

 

迷惑をかけ、かけられながら、そっぽ向いたり礼を欠いたりしがちな周りの人たちに、きっちり感謝を伝える日。

 

皆、同じ思いでこの日を待ちわび、

ここぞとばかりの笑顔になる。

 

誰だって完璧じゃない。

だから、お互いを許すのがインド式なのかな。

 

こんなガイコクジンの私も、1人だけアベコベやり続けても許されてたし。笑

 

 

ここでは皆「家族」みたいで遠慮がなく、自由過ぎて迷惑至極なことに変わりはない。

 

でも日本の一人暮らしでは、近所付き合いも、絆も、迷惑行為も、危険行為もなく、故に許すなんて高度なテクは学ばない。法や決まりに頼って解決しても、心は大きくならない。

 

許し許され。

 

 

インドって、テキトーに見えて結構すごいのかも。

 

でも花火のパッケージはおかしすぎ!🎆