北インド☆ゆるヨガライフ -12ページ目

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

「海外生活・国際恋愛カウンセリング」さんの記事、新年のアファメーションが素敵♡で、共有のご許可をいただいたのでリブログします。

 

以下に、一部を貼らせていただきます。

 

こんな年に出来たらいいですね!

 

 

----------------------------

 

「海外在住のみなさんに向けて、新年のアファメーション(肯定する言葉、祈り)を贈ります。

 

新年に向けてのアファメーション

 

・今年、私の痛みや苦しみは過去のものとなり、優しさと豊かさが待っています。

 

・今年、私は心身ともに健康になっていきます。

 

・今年、私の海外生活は、どんどん軽快で楽しいものになります。

 

・今年、私は素敵な出会いに恵まれます。新しい人との出会いは喜びと学びとインスピレーションをもたらしてくれます。

 

・今年、ぴったりのタイミングで、必要な経験と知識が私のところにやって来ます。

 

・今年、私の呼吸は深くなり、私の足はどっしりと大地に支えられ、私の頭上からは太陽が降り注ぎます。そのすべての恩恵に自覚的でいます。

 

・今年、私は自分のことがよりよく見えるようになります。そのことにより、生きることが一段と楽になっていきます。

 

・今年、私は好奇心をもって、自分にもたらされるすべてを待ち受けています。

 

・私は自分にもたらされる豊かさを、感謝を持って受け入れます。

 

・今年、私はどこで暮らしていようと、楽に私自身でいられます。

 

・今年、私は光に包まれながら歩いていきます。私の周りには、光の中を歩いているたくさんの同胞がいます。私は孤独ではなく、連帯感と、安心を感じます。

 

・今年、人との愛はより確かなものとなり、心が満たされていきます。

 

一部、以前にアップした新年のアファメーションと重複していますが、新しいものも加えました。

 

皆様の2020年が素敵な年になりますように。」

 

 

筆者さまは、Zoomでいつでも無料で相談ができる

「海外 こころのヘルプデスク24時」を運営されています。


Web https://www.helpdesk24.net

ブログ https://ameblo.jp/helpdesk24/entry-12561876108.html

 

 

こういう機関があると知れただけでも、本当に心強いです。

海外在住だと相談できる場所は限られますし、日本語で聞いてもらえるなんて、もっと早くに知りたかったくらい。

 

これからもきっと山あり谷あり笑、もし困った時は我慢しないで相談してみよう!と思います。

 

しかも24時間対応って、素晴らしすぎます!

 

 

お正月3日目。

 

夫は年末年始も出勤で、昨日と今日は会社の宿泊研修で山のコテージに行ってしまった。

 

つまんなー、、

 

、、くもないか!笑

 

 

夫の出張って、ある意味ありがたい。

 

 

普段出来ない自分の事が自由に出来る!

 

そして、いつも「夫のため、夫のせい」って言い訳している自分(家事全般)に気付いて、冷静にリセットできる。

 

 

さっそく朝食は後回しにして、今年のヨガ始めをしました。

 

その後は長風呂してスッキリ!

 

 

↓ヨガ始めにぴったりな Japanese Yoga なつみ先生の動画、オススメです。

 

 

 

続けることが大切なので、10-15分の短い動画で満足。色々な目的に応じた動画が沢山あって、先生も素敵すぎ♡

 

少し慣れたら、今年はハタ・フローまで持って行きたいなー。

 

まずは自分の調子をはかる時間を積極的に取ろうと思います。

 

 

 

余談ですが、年末から夫と一緒に始めたのは「ラジオ体操第一」と「みんなの体操」。

 

 

寒い時期は夫はジムに行きたがらず(女性用ジムは近所にない)夫婦で太り気味なので、何となく始めたら夫が気に入って。

 

みんなの体操、実家の母が毎朝やってて、74歳の今も元気にゲレンデスキーが出来ている。運動機能の維持改善に良さそうです。

 

 

今日のチャンディガールは急にポカポカ陽気。せっかくなので、凍える年末の大掃除で出来なかった箇所をやっつけてみた。それは、

 

ハトのフン撤去。

 

うちのベランダ北側一帯は、長年ハトの居場所だった。でも去年冬、大家さんが一部ネットを貼り、さらに私たちが水のペットボトルを並べてブロック。以来ハトの数は減り、ようやくフンが撤去が開始出来る状態に。

 

2日がかり。私よく頑張ったー!笑

 

こういう作業も、夫がいるとなかなか取りかかれないけど、社員研修のある会社に感謝です。

 

ま、研修と言いつつ、宿泊先のコテージで夜はタンドゥーリチキンを囲んで楽しい飲み会。プロジェクターで映画上映してる写真も送られて来た。

 

お互いリフレッシュできて何より♡

 

 

私の1人時間のもう1つの成果は、自分の行動のクセに気づけたこと!

 

長年固定化してしまった思い込みやクセ。それらが急に見え始めて、まるでサイズの合わなくなった服の様に脱ぎ散らかしたくなった。笑

 

たとえば、「一息つく癖」。

 

それと、「タイミングをはかる癖」。

 

 

これ、もういらないわー。もう邪魔くさい。

 

インドで新たな環境に来た当初、何も分からずに周りをうかがったり、周りに合わせて自分のタイミングを引っ込めたり。思う様に動けないのが当たり前になっていた。

 

体調も大きく崩しがちだった事を大反省した結果、つい守りに入ってしまっていて。

 

いまだに無理したら倒れるんじゃないかって、無意識に防衛している(でももう妊娠しないし流産もしない。=倒れない笑)。

 

夫と暮らして丸3年が過ぎ、少し安定してきた今。これからは安心してもっと好きにやりたいのだ。

 

40代で初婚の私。うまく行かないんじゃないか?離婚するんじゃないか?と、不安からか、些細な事にビクビクと「離婚する証拠」集めばかりして。笑笑

 

悪趣味。暇すぎる。もうやめよ。

 

 

自分で、縛りをかけていた。

 

よって、自分でいつでも解除できる。

 

 


元旦の朝、洗濯物を干しに出てきたお隣のアンティーが、

 

「ハッピーニューイヤー、カオリ!」

 

って、史上最高の笑顔を投げかけてくれた。

 

「セイム・トゥ・ユー」(インド英語の定型文。笑)

 

と返したけど、素敵な笑顔も嬉しかったけど、何より私の名前を覚えてくれていた事にビックリ!(この1年半で呼ばれたの初めて)。

 

引っ越して来た当初、大家さん一家にプライベートを詮索されるのが嫌で、近所の人とも距離を置く様になった私。話すのは行事の時とトラブルが起きた時(ゴミ問題とか)のみ。

 

でも数年が経ち、お互いが距離を測れる様になった今、もう警戒心は解いてもいいタイミングが、ようやく訪れた気がする。

 

 

もう誰も私を好奇の目で見たり、私のやり方を否定して自分のやり方を押し付けたり、変な期待を持ったりしない。ただただ、普通に困った時だけ助けてくれる。

 

(この前も大家さん、ウーバーに電話で場所の説明をしてくれた)

 

私はもう、よそ者じゃない。

 

誰にも気がねせず、好きに生きていい。

 

 

しばらくぶりの明るい日差しで、洗濯物もよく乾く新年3日目。

心も、晴れていいのかもしれないね。

 

 

最近のお気に入り、クムクマディ・テイラム(アーユルヴェーダのサフラン・オイル)とトリファラのヘアオイル。効きますように♡

 

明けましておめでとうございます!

 

2020年お正月、いかがお過ごしでしょうか。

 

初オラクルカードは「Victory!」。

「あなたの祈りは届き、叶えられました。信念を持ちなさい。」

 

 

 

私のインドでのお年越しは4回目。下町では子供たちが凧上げにいそしみ、時折チンドン屋?の様なお祈りの人たちが通ります。2020年とは思えぬ昭和感。。w

 

お餅もおとそもないけど、恒例のうま煮と酢の物、おにぎりを作ってお祝い。久々の和食に、夫がとても喜んでくれました(サイドメニューはカレー笑)。

 

「日本では、こうしていくつも料理を並べて、ひとつずつ、美味しいねって会話しながら食事を楽しむんだよ」と言うと、

 

「インドは大体一皿だから僕はすぐに食べ終わっちゃうけど。。こうしてゆっくり味わって、スマホも見ないって本当なんだねー」と。

 

 

そうか。日本に行ったことのない夫だけど、もっと日本の良さを体験できれば、彼の人生にもきっと良い変化が起こるかも。

 

そんなきざしを感じた。私にとっても夫の母国インドは刺激でいっぱい。とりあえず退屈することはありません。

 

食事の後は、何故か夫がボリウッド映画・ヒマーチャル民謡・パンジャービダンス曲をかけながら踊り始め(インドお祝い事と言えばダンス!だから)、2人で踊りながら元旦零時を迎えました。笑

 

 

 

2019年は、脱皮の年。

 

自分のためだけに生きてきただけの私から、

 

自分以外の夫や、家族や、

 

もっと他の誰かのために生きられるように動いた年でした。

 

地元のスラム支援のNGOでは、インドの貧困層と呼ばれる人たちの底力を知ることに。

 

 

まっすぐに自分の道を生きるパワーに衝撃を受け、こんな私でも役に立てる事は何なのか、考えずにはいられなくなった。

 

2月には念願の披露宴を無事とり行いました。地元の新聞に載ったのには笑った。

 

 

殆どを自分たちで手配する中、途中で事故にあいながら笑、家族や友人も出席してもらえた奇跡!一生の思い出です。

 


  

親戚が一気に増え、インド生活も賑やかに。村の人たちもみんな歓迎してくれて嬉しかった。

 

夫が初投票に行った(右下、人差し指に投票済マーク)その足でタージマハルに新婚旅行へ。

 

ムガル帝国の古都アーグラの世界遺産をリキシャーで巡って満喫ー。

 

 

夏は一時帰国し、米高校生の文化交流のコーディネート。日本で成長する若者の姿に未来への大きな希望をもらいます。

 

実家で家族とゆっくり過ごせました。この後は思い残すことなく、再びインドへ。

 

ようやく湯沸かし器を付け、夫婦で支え合いながら平和に暮らすことが出来ました。

 

チャンディガール市でも日本人のご縁に恵まれ、たまに息抜きもさせてもらってます♡

 

 

たとえ楽しい事ばかりではなくても

お互い一筋縄では分かり合えなくても、

 

インドは私を強くしてくれるし、

私だけの道へと導いてくれている。

 

見るもの、出会う人々、感じるものに

もっともっと開いて行きたい。

 

今、ここ、この命を大切にしながら

今年はどんな景色が見えてくるのか

少しだけワクワクしながら。。

 

 

みなさまにとっても、最良の一年になりますように。

2020年も、どうぞよろしくお願いいたします!

 

年末も押し迫って参りました。

 

例年ながら、年末感の薄い北インド生活。モールなどは変に混むので今年も行かず、気づけばクリスマスツリーも見ていない。。

 

 

家ではツリーの絵を描いてお祝い。

 

町外れの教会からサンタの行進!珍しい光景にびっくり!

 

 

夫がケーキを買って帰って来てくれた❤︎意外と美味しい。

 

 

例年より天気も悪い気かも。大掃除どころか、普段の手洗い洗濯が辛い。洗濯物も3日は乾かず。その上夫の実家での体験がモヤモヤし続けていて笑、消化しないと動けない気分。

 

 

そこで前回の続き。まだ未消化な経験ですが、良かったらお付き合い下さい。

 

 

村滞在の最終日、夫の叔父(義母の姉の旦那さん)のお宅に伺った。退院したばかりのマッスルジー(叔父さん)のお見舞いに行くということだった。

 

一家を訪ねるのは3回目。亡き叔母の2人の息子(従兄弟)が、隣接する2件の家に暮らす。1軒目の長男は何かと頼れる警察官。今回も、皆でサンニの結婚式の話し合いをしてたみたい(分からない私は、聞いてるフリ)。

 

隣の2件目がマッスルジーと次男の家。かくしゃくとした89歳?のマッスルジー、右手の点滴の跡が痛々しいけれど、意外と元気そうで安心した。

 

 

けてどこの後、お義母さんが家の中においでと言うので、ついて行くと。

 

そこには大きな祭壇がある。ここは前も入ったことがある。叔母さんの遺影も飾られていて、前回はこの写真を見てマッスルジーが子供のように泣いていた。

 

 

祭壇の前に、今回はバビジ(次男の嫁)が座っていた。お義母さんと何か話していて、そのうち顔をドゥパタ(頭を被うスカーフ)で隠して何か呪文の様なものを唱え始めたのだ。

 

いつものプージャ(祈祷)か?と思ったたら、どうも様子が違う。膝の上で組んだバビジの両手が小刻みに震え始めた。中にはさっき細かく刻んでいた白い紙が入っている。シャ、シャ、シャと紙を上下に振りながら、前かがみになっていく。

 

「ババジ(修行僧さま)」とお義母さんが話しかけた。

 

「なんじゃ。聞きたいことは」と、

 

いつもとは違う低くて張りのある声で、従姉妹が答えていた。

 

それからお義母さんと山の神さまの対話が始まった。どうも巫女さん?らしい従姉妹が媒体となって。

 

 

噂では、 ヒマーチャル州には代々伝わるシャーマンがいると聞いたことがある。ヨガの先生も言ってたし、チベット圏の本を読むとよく出てくる。検索すればドキュメンタリー映像も色々ある。

 

でも従姉妹がシャーマンだよって、何故夫は一言教えてくれないの?

(こっちからは絶対聞かない笑)

 

神さまのセッション中、申し訳ないが全く落ち着かず。

 

しばらくして、ようやく夫も義母に呼ばれて部屋の中へ。神妙な顔をして、全く普通にお告げ?を聞いている。その様子を見て、夫にとっては普通のことで、私に言うまでもなかったのかもと察した。

 

次に義母は、弟のサンニについて質問したようだった。するとサンニはうなだれて、肩を揺らしながら祈るように聞いている。

 

 

質疑応答?がひととおり終わった後、従姉妹は手に持っていた白い紙片と、祭壇のお香の灰を包んで私にくれた。義母が「毎朝、これを白湯に溶いて飲みなさい」と(紙って飲めるの?)

 

私たちの番が終わり、次はお手伝いに来ていた親戚のT君の番。「今はパッとしないけど、ちゃんと勉強すれば大丈夫」の様な事を言われていて、図星の本人はクスクス笑って聞いていた。

 

外へ出ると、近所の人たちが何人か、お告げセッションの順番を待っている。人気なのね?笑

 

 

この従姉妹、親戚の中でも一番働き者で、いつもせっせとご飯を作り、お茶を配り、水牛の世話をし、儀式の準備を手伝う人。その彼女がまさか巫女さんとは。

 

でも他の女性たちと違って無駄なお喋りはせず、いつも穏やかな彼女が好きなので、何となく納得ー。

 

夕方になり、彼女の2人の子供たちも帰って来て、折り紙をして遊ぶ。純粋に私が来るのを楽しみにしてくれているのが伝わって、面倒な大人の世界には戻りたくないなぁと思う。笑

 

 

この日の夕方、夫と村を後にすることに。

 

最後の最後まで、従姉妹の家からのタクシー代を誰が払うかでゴチャゴチャやってる義母と夫。多分、たくさんの苦労を共にして来て、強い信頼関係があるからこそ喧々諤々やれるんだろうけど、よく分からない私はドギマギ。あー疲れる。笑

 

言葉が分からない方が害が少ない気がして、パハリ語(方言)はなるべく聞かないようにしている。お告げもさっぱり分からなかったけど(山の神さまは方言で喋る笑)、

 

夫によると、お義母さんが「孫は生まれるんでしょうか?」と聞き、「大丈夫だ。毎朝これを飲めば元気な男児が産まれるだろう」と、あの紙片と灰をくれたのだとか。

 

そんな無茶な。笑

 

 

帰り道、タクシーの待つ山道までを下っていると、

 

ガサガサ、ガササーーっと

 

頭上で木が揺れる音。何の野生動物かと見上げたら、お隣りのお嫁さん、勇ましくも地上5メートル付近で木の枝を払っているところだった。ハシゴも命づなもない。

 

ナマステー、これから帰りまーす。と言って通り過ぎたけど、やっぱり村の女性ってあんな高い木に登るんだ!(前にYouTubeで見た)夫に聞くと「別に。木に登ってるだけでしょ」って。

 

 

巫女さん、木登り女子に、子供産め婆さん、、、

 

色んなものを見た夫の村。

 

帰って来てから夫には、もうお腹いっぱいでしばらくは村に行けそうもないと伝えた。

 

2019年はインドで結婚式を挙げた年。

 

親戚付き合いが始まると共に、魔界の扉が開いたような笑、想像以上の展開に、何かに試されているような気がするのでした。

 

山の犬はモフモフで可愛い。
 

夫の叔母の法要で、先週は夫の実家の村へ。

 
いつもながらキャンプへ赴く気分だ。水や薪を運んだり、焚火やかまどで火を焚いたり。山道も険しく川も流れるワイルドな場所。
 
パンディットと呼ばれるお坊さんと、長男である夫によるお祈りの儀式の後、外で炊き出しした食事を、集まった300人ほどに振る舞った。
 
準備を含む4日間の仕事を終え、みんなやたら声の大きい義実家から帰って来たら、すっかり気が抜けている。笑
 
村の実家での法要、1日目の様子。床に牛の💩が塗られ、清められてる?
 
 
インドの田舎で思うのは、私が今までかなりの幸運に恵まれて来たということ。良識ある社会で優しい人々に助けられ、頑張れば報われてきた。
 
でもインドの田舎は、別世界だ。相手にデリカシーのある言動や、品性知性は望めず、既知のやり方は通じない。新しい技を覚えて自分を守る必要がある。
 
 
今回もまた、ツワモノが揃っていた村の日々。まずはいつもの義姉夫婦①。弟である夫への不信感が半端なく、せっかく集った親戚の前で夫をボロクソに言う。
 
でも、そもそも義兄①が夫を悪く言うのは、心配性過ぎるお義母さんが、義兄に電話で色々言い過ぎてるせい。
 
「私はどうしたらいいの。長男は家に帰って来ないし、何も払ってくれない」と、嘘を流している。年長者の姉夫婦に、(あなたたちだけが頼りよ)とでも言うように。
 
そう言われると悪い気はしないのか、俺がガツンと言ってやらないととでも思うのか。
 
わざわざ大勢の前で夫を否定する。この法事の費用を夫と私たちが払ったこと、お義母さんは感謝どころか不自然に隠している。言ったら義姉夫婦にお金が借りれなくなるから?
 
事実など、あってないようなもの。
 
 
厳しい環境の元では、こうも必死で人をコントロールしようとしたり、事実をねじ曲げたり。どこまで悪循環が続くのか。
 
家が滅びるまでかなー。笑
 
 
甘ったれた先進国でヌクヌク生きてきた私には、何も言う資格なんてないけれど。でもまだ変わることの出来る若い世代には、違う選択肢が存在していることだけは、伝えたいと思う。
 
インドの実家の黒いカルマが見えてきた。初めて敷居をまたいでから、まだ10か月。笑
 
かわいい姪っ子カシーシと義兄①。良いパパだとは思う。
 
 
村のおばさまたちも大勢訪れた。集まれば何故か私が話題の中心に。着ているものを全部触って吟味して、付けているアクセサリーや髪型を揶揄して盛り上がる。
 
面倒くさいので、触られたら触り返し、聞かれたら聞き返し、ディスられたら「あなたがもっと良いのを買って私にプレゼントして下さいな」と言うと皆、困ってようやく黙ったけど。笑
 
 
アレも出た。「あなたのムンヌ(男児)が見たいわ」BBA。しつこい・声デカい・ちょっと面白いの三拍子でなかなか手強い。
 
先日夜中にお義母さんが倒れた時に介抱してくれた叔母さんなので、失礼は出来ない。でもあまりにずーっと同じ質問「いつムンヌ作るの?どうして出来ないの?どうして早く作らないの?どうして...」をループするので、
 
知りませーん。と言ってその場を離れたら、皆どっと笑っていた。それで義姉③に「あの叔母さん、ずっとムンヌムンヌってうるさいんだけど」と助けを求めたけど、いざとなっても人前で言い返したり助けたりはしてくれない。
 
子供を産む気力も体力も、本気で無い。
腺筋症で子宮全摘も考えてるのだ。
 
そう言っても義母は「医者の言うことなんて当てにならない」と、ついに専門家を否定した。笑
 
 
ムンヌ叔母さん。悪気は全然なく、むしろ愉快な人なのがまた困る。
 
 
食事会の次の日は、ご神木と山の神さまへの参拝の日。朝から前日の片付けで手一杯だ。で、みんなで作業する中、義弟のサンニだけ姿が見えない。家族で集まって彼の来年の結婚式の会議をしてる時も、何故かトイレに籠もっていた。
 
完全に逃げてる!笑
 
いつものことでも、今回は目に余ってしまった。というのもこの前日、珍しくまともに口をきいたと思ったら「義姉さん、僕の結婚式の日程が決まったから、よろしくね」と。よろしく頼まれたからには、そうするしかない。笑
 
「ちょっと今、何やってるの?」と言うと、「僕はいつでもフリータイムだよ」とふざけた回答。目も合わせない。
 
「フリータイムって、みんな働いてるの見えないの?」すると「テンション(テンパるの)はやめてよね。後でやるからさ」
 
。。。は?
 
「後でって、いつ?みんな今やってる。さっきもアナタの式の話をしてたのに、もうみんな帰っちゃったよね?自分の式でしょう?後でじゃ遅いよ。今、身体を動かして働きなさい。そしたら結婚式もちゃんと出来るから。」
 
まだ、テンションはなしだよーと言ってるサンニに、お義母さんが申し訳なさそうに弁解しにきた。それを見て更に、こりゃマズいという危機感を感じる。
 
「どうするのあなた?誰か(義母)がやってくれるのを当てにしないで、自分から動きなさい。この家にパパはもういないんだよね?」
 
ふと言い過ぎたと思ったけど、今度は隣でお義母さん「そうよ、パパはいないのよ」と頷いている。
 
「あなたのお兄さん(私の夫)は何も言わないから、言わせてもらったからね。結婚して幸せになって、いつかお義母さんも楽させたいと思うなら、今一つでも仕事して。」
 
言い終えると、途中から真剣に話を聞いていようで、素直に台所の食器の山を洗い始めた。黙々と。
 
サンニは、長男の夫と比べると放ったらかしにされてる。責任も殆ど与えられず、頼りにされてない。未だ安定した職にもつけず、自信もないのにカッコつけてばかり。暇な田舎で悪友の誘惑も多いだろう。
 
でも、それでは勿体ない。
 
これからまだ、どんどん変われるのだから。
 
 
一部始終を、台所で祈祷用のお供えを作りながら聞いていた夫。何も言わなかった。彼自身も、必死に変わろうとしている。貧しさとか、責任の押し付け合いとか、将来の不安とか、そんなものに振り回されるのは私は嫌だ。
 
 
村のご神木までの道のり。みんなのんびり、神任せなのも無理もない環境。
 
 
家から200メートル位の道路脇のご神木に、夫と2人で祈祷をした。来年の小麦やとうもろこしの豊作と、家族の安寧を祈る。快晴の朝、木陰に座して祈る時間は平和だった。
 
 
義弟の将来が心配でお説教するとか、私も、やってる事は義兄と同じ笑。言ったことの責任は取ろうと思う。
 
 
その後、家族で義従兄の家へ。チャイを頂いて世間話。しばらくすると、義従姉に家の中の祭壇の前に招き入れられた。何故か急にドゥパタで顔を隠した義従姉が祭壇の前に座り、これから何かの儀式が始まるらしかった。
 
 
長くなったので、続きは次回。
 
色々あるけど、元気です。
 
 
 
 

火曜の夜中、日付が変わった1時半ころ。

 

村の実家で1人暮らしをする義母が倒れたと、近所に住む親戚から夫に電話があった。「息が出来ない」と苦しんでいると言う。

 

真夜中の一報に、頭が混乱する。私たちの住むチャンディガールから、夫の村の実家までは陸路で5、6時間。実家の近所の人に助けを借りるしかない状況。

 

近所の叔父さんと叔母さんが来てくれて、義母を介抱していた。義母は病院へ行きたいと言うが、誰も車を持っていない。こんな夜中にタクシーは来ず、救急車が来れる道までの200メートル程は、歩けそうもないと。

 

夫は弟のサンニに電話した。でもこの日は仕事でラジャスターン州にいると言う。実家へ行くことは無理だが、有難いことにこの後、彼が村の友人に電話して実家のすぐ下の山道までこの友人の車が迎えに来てくれたそう。

 

それで夜中の2時半頃、近所の年老いた叔父叔母に連れられ、義母は村の診療所にて応急処置の注射を受けることが出来た。

 

 

義母が診療所に向かうのを確認してから、夫はウーバーで隣町に住む義兄1、3と合流、彼らの車で村へと向かった。

 

この間私、余計な口を挟むだけ。実家に持たせる物も眠気と混乱で思い浮かばなかった。心細くなった夫から「一緒に来てくれる?」と言われたけど、即答で「No」。安全第一。落ち着いたら連絡ください。

 

義母は普段から「具合が悪い」(高血圧・心臓病・糖尿)と言っているけど、いつも意外と元気そうに見える。

 

一人暮らしが相当寂しいのか、電話では「私が一人で死んだらお前(夫)のせいよ。ゴホゴホっ」と呪いの言葉を吐く元気だってあるし、農作業で鍛えた足腰も強そうだ。留守番の私は、祈るのみ。

 

ひときわ冷える夜だった。早朝には冷たい雨が降り出した。到着した夫から「こっちもすごい雨だよ。少し仮眠してから私立の病院に連れて行く」とメッセージ。とりあえず、難は逃れたようだった。

 

狭心症の発作らしかった。後から聞くと、いつも飲んでいる心臓の薬を飲むのを止めたらしい。先月チャンディガールの医大病院で「もう飲まなくていい」と言われたとか。今回診てもらった私立の医者に「止めてはダメ。半錠ずつ朝晩続けて下さい」と言われたそう。

 

インドの医者は、人によって診断に大差がある?

 

信じられるのは自分の身体のみ、か。

 

 

義母の様子が落ち着いて、近所の人たちも応援に来てくれたので、夫たち3人はその日の夕方チャンディガールへとんぼ帰り。夫は途中、義兄夫婦の家から晩ごはんをもらって帰宅した。ラッキー。

 

私は終始、本当に何も出来ず、かえって申し訳ない気のした一件でした。

 

義兄の家から電話をくれた夫。義姉や姪っ子、甥っ子たちが順番に電話に出て話をすることができ、かわいい声を聞けてホンワカ。遠くてなかなか行けないので久々の交流が嬉しかった。

 

義母を介抱し診療所に付き添ってくれ、食事の支度や家の掃除までしてくれた近所の叔父さん叔母さん。2回くらいしか会ってないけど、実はちょっとクセの強そうな叔母さんで、義母は「あの人とは話さなくてもいいから」って言ってたこともあったと言うのに!

 

何か、分からないわ。

 

と言うか、めっちゃ有り難かったし!

 

普段色々あっても(土地問題とか)、悪口言っても、いざと言う時に助けてくれるのね!そして他に助けてくれる人も手段も、本当ーーーにないってことだ。。。

 

 

でも夫ら一行が帰る間際に叔母さん、こっそり「次来る時、ウィスキーとチキン持って来てちょうだい」って夫に頼んだらしい。叔父さんに見つかったらイケナイから。うん、持ちつ持たれつ!

 

村の女性でお酒とお肉を口にする人、私は初耳!

 

夫に聞くと夫も初耳だったとか。まぁでも、命の恩人だからオッケー?笑

 

別に私がどうこう言うことではないけど、「隠れて」しなきゃいけない状況は大変ねと思う。それでこの方、ちょっと目が泳いでる感じと言うか、怖い印象があるのかもしれない。(やましいって気持ちが出てる?)

 

でも逆に義母みたいに「私は全部正しい事をやってますが、何か?」っていう目の据わった開き直り方もどーかと。正し過ぎてストレスじゃない?ってね(言っちゃった笑)。

 

 

 

今月末には、義母と同居していた叔母(実姉)の4回忌の法要のような儀式があり、親戚一同村に集合する予定。延べ3日間もある行事らしく、その準備や心配でお義母さん、実際に心労していたんだとは思う。

 

しかも先月は、夫の弟のサンニのお見合いを力技で(笑)まとめてしまったお義母さん。いつも夫に電話する様に、サンニにも電話攻撃でプレッシャーをかけ、どうしても嫁を取らないと私死んじゃうとか言ったのでは?と夫と疑っている。

 

と言うのもお見合いがまとまった翌日の夜、サンニから夫に泣きながら電話がかかって来て、「僕はどうすればいい?母さんがどうしてもって」と言うのを隣で私も聞いていた。

 

サンニにはずっと付き合っていたけれど、今年の夏、結婚を申し込んだら断られた元カノがいる。私たちの結婚式にも来てくれた感じの良い子だった。その子のことが忘れられないらしい。

 

お見合い相手のニコリともしてない写真を以前夫が見せてくれたけど、私もアンジャリ(元カノ)の方が好みだなぁ。←と夫に言ったら「サンニの人生はサンニが決めるものだから、僕には分からないよ」と言われた。ハイ、すんまそん。

 

でも泣いて電話して来るくらいだから、何とかならないものかなぁと思うのが人情です。

 

自分の夫の家のこととは言えど、彼の家にもそれなりのやり方があり、インドにはインドなりの長年の風習もある。

 

いつも蚊帳の外だし、何の役にも立つことも出来ず、申し訳ないとか、もっとこうしたら?とか複雑になりがちだったけど、そろそろ自分の立ち位置を理解しなくてはと感じる。これが私の立ち位置なのだから仕方がない。

 

夫と協力して出来ることをして、あとは野となれ山となれです。

 

 

あまり顔変わってない。この先あなたも苦労するわねー(ほぼ他人事)。
 
こんなの、あると良いのにな〜。
でもきっとインドには、ないよね?
 
マーケットにもなかったし。
 
 
↑って思うことが今まで本当ーに鬼のように(死語)あり。で実際にその品物(日本では普通に手に入る便利グッズとか)に出会う機会もなく一時帰国を迎え、結局日本で買って行くっていうパターンに。
 
 
でも、最近変化が!
 
 
「あったらいいなー」と思いつつ、すっかり忘れていたら、次の日、その看板広告を目にしたり。
 
火曜日の野菜市でしか売ってないと思ってた天然ハチミツも、いつも行く日曜日の野菜市に出すようになってたり。
 
前はアマゾンで扱ってなかった商品も、今は種類も豊富になっていて、しかもこの下町まで配達可能に。
 
大家のお婆ちゃん元気かなーと思ったら、洗濯中にひょっこり現れたり。
 
やっぱりヒンディー語、改めて学んでみたい!と思ってたら、前はなかったアプリが出来てて使いやすかったり。
 
大家さんも放ったらかしの部屋の小さな箇所の修理なんて誰にも頼めないよなぁ、でも自分で出来ないしーと思ってたら、
違う工事で来た業者さんがやってくれたり。
 
 
↑これみんな、シンクロだーー!すごい、ありがたい💗と、喜んでいるのです。笑
 
 
結婚のお祝いをくれた叔母へのお返しに、ウールのストールを見つけました💕
 
 
 
でもまぁ、ちょっと考えてみると
インドも日進月歩で便利になりつつあり、
 
以前検索した物とか年齢性別で?グーグル広告が全力で私の好みの物を探してオススメしてくれてたり、
 
スーパーもマーケットも、扱う商品が常に変わっていて、消費の変化に合わせて自然派の商品や輸入品も扱い始めたり、
 
それに私もさすがに少しは土地勘が付いて来て、多少直感が働くようになったとか、
 
最近買い物で失敗が続いたから、よっぽど懲りて自主的に気を付けるようになったとか。
 
色々と理屈はあるのだろうけど。
 
 
嬉しい事が増えてるのは確か!
 
 
去年毎日職場からウーバーで帰ってた頃は、イヤーな気分になるドライバーに当たる事も多かったけど、最近は皆無!
 
みんなちゃんと玄関前まで来てくれて、余計な事も言わない(社内研修が進んだ?)
 
移動時の安心感があるとないでは、生活の次元が違って感じられる。
 
 
社内研修と言えば、今回夫が転職したパソコンメーカーでも社内研修があり、気にかけてくれる上司がいて、仲間と呼べそうな同僚も出来た。
 
大手の○ELLに所属してた2年前は、ノルマはあっても研修ナシ。自分で覚えて自分で売って、同僚とも顔を合わせず、インセンティブも最低限。
 
インドは、やっぱり進化してるのか?
 
 
おかげで私のシンクロ率も、ジャンジャン加速するに違いない。笑
 
朝ご飯のパランタ屋さんにて。
 
 
必要な物がさほど苦労なく手に入る日本の生活も、今思えば、奇跡の連続シンクロの日々。
 
沢山の人たちが、もっと良くしよう良くなろうと思い、この世界なかった物を努力して現実化させてくれたおかげで、私たちは便利に快適に過ごせていた。
 
 
インドに来た3年前は、必要な物が見つからない、どこにあるのかも分からない、周囲の誰も見たこともないと言う(エアコンとか)っていうパラレル・ワールド。汗
 
つい先月くらいまでは、私の脳内の愚痴も止まらなかったのに。
 
 
願望の世界と現実世界が、不自然なくらい呼応せず、思い通りに行かない不安な場所から、
 
ようやく呼吸出来るようになった感じ。。?
 
 
全く未来の見えない日々から、まぁそれも悪くないさと思える未来ぐらいは、うっすら見えて来たのか。
 
 
分からない、また出来なかったと思う程に、
コントロールしなきゃ!って焦りが付きまとい、
少しずつマシになっていたけど、でも
真綿で締められてるようだった。
 
 
でも、ちょっと前にそれが解けた気がする。
 
(ずっと夢見が良かったところに、久っ々に悪夢を見て。次々襲ってくるカラスに、ご飯を奪われまいと戦う夢。笑「もう何もコントロールしたくない!」って思って目が覚めた)
 
 
色々と、分かってきてもいる。
 
ヨガしに来たのにヨガが出来ないという精神的?ジレンマに陥り、周りと仲良くなりたいのにヒンディー語は頑なに勉強したくないという謎の意地や、健康になりたいのに、自分は病気だという思い込み(病院の診断とか)ですっかり弱って行ったり。
 
 
という積年の矛盾の数々が
とても滑稽に、でも冷静に見えてきている。
 
 
よく分からないけど、何か良かった。笑
 
難しく考えるよりも、やったラッキー!って思っておこう。笑
 
 
 
夫のことも、インド生活も、理屈ではどうにもならない事ってある。
 
あるけどまぁ、3年でこーんなに便利になり、3年たってもまだ一緒にいるってことは、色んなシンクロに日々恵まれているからに違いない。
 
 
シンクロに、感謝!
 
パラレル・ワールド、さようなら。
 
そして、思い通りに生きると腹を決めて生きる毎日よ、
 
いざ、来るが良い。笑
 
 
This too shall pass. 変わらぬものは何もない。だから、脱皮を繰り返すのです。

ご無沙汰しております!

 

先月はブログが全く書けず。笑

 

と言うか、書いても書いてもアップするに至らず。という感じ。

 

それで一気に書き出したらまた長文になりましたが、良かったら読んでみてください。

 

 

 

なぜか先月は実生活でも、やりたい事はあらかた準備不足だったり、少なからず失敗したり。夫も新しい会社の仕事のプレッシャー(売り上げノルマ)から、隙間時間に出かける予定も立たず。

 

結果、大反省会みたいになっていた。汗

 

それがまた蠍座での水星の逆行期間とピッタリ重なってたから、びっくり。やっぱり宇宙と連動してるー!笑

 

 

でも、抜けて良かったーーー。

 

 

水星が順行に戻った日、クラフト・メラというお祭りに出かけることができた😃
 
その前日にはKちゃんが、私の誕生会を開いてくれて!😍嬉しすぎて顔キンチョーしとる😄

 

愛情いっぱいの手料理と、ハンガリー旅行のお土産ワインも!✨ユリの様な?気品ある香りがして、最高においしかったーー😂💕
 

 

 

でもでも。普段でも、うまく行かない事って必ずあるもの。

 

もしや、いつもはまぐれで何とかなって来たやり方に、もう一押し、改善できる力を付けるためにやって来るのか?とさえ思えてくる水星逆行(失敗ラッシュ)。

 

 

必然的に、普段は外へ外へと向いている意識が内側に向いて、誰に言われるともなく改善せざるをえない状況になる。

 

「あ、間違ってた」

「お、やり方変えよう」

 

って、

何の滞りもなく、さっさと出来ればいいのだけど。

 

 

以前は、人に指摘されたり自分で間違いに気づいても、まずは恥ずかしさとか、恥自責が先に立っていた。

 

何やってんだーといいだけ凹み、でも人に当たるのはこらえたりして余計こじらせ、その気晴らしに家事やご飯作っていた根暗さ加減。

 

反省が現実に反映される以前にエネルギーを使い果たす。

 

でもこれ、「そんな無駄な事、しないようにしよう」と気付いていても、それだけで出来るものではなく。

 

多分、

もっともっと、失敗しなきゃいけなかった。

恥も、もっといっぱいかいて。

自分でやって、結果も負って。

もっともっと、学ぶ必要があった。

 

今回は、そのための勉強だったかなと。

 

 

メラで買った、あったかフェルトのスリッパ。この買い物は、良かったんだけどなー。

 

 

具体的には、一人で行った買い物で自分なりに精一杯値段交渉したつもりだったのに、結果的にはかなりオーバーチャージされていて、その事に夫が気付いて指摘・実証されてしまったことや、

 

家具の卸売店で気に入った棚を見つけ購入を決めたけど、お店の人と夫の値切り合戦に気を取られて確認を怠り、リヤカーで運んでもらった後でサイズが大き過ぎたことに気付いた事、など。

 

そんな事くらいで。。。だけど、

1つ1つの買い物や用事が、私にとっては

山場を乗り越えるような心境になることも。

 

 

インドの下町という、今までの人生とは違う環境の中で、明らかに考え過ぎて固まっていた。

 

人目が気になって固まり、

コミュニケーションが取れず固まり、

期待が外れて固まり、

失敗を恐れて、またさらに固まって。

 

 

それは「日本だったら。。。。」って、

 

思い込みに甘えていて、まだ乗り越えられていないから。

 

どこかで(そうだよね、ヨシヨシ〜)と、自分に甘えている。

 

結果、4年目なのに自由に外出できない、言葉もちゃんと話せない、どこに行っても相手と対等に渡り合えない=撃沈している。笑

 

 

今までの感覚に胡座をかいて、今できる努力をしていなかった事にパッカーンと気づいたわ。笑

 

 

今日の三丁目の夕日。夫がいないだけで、何故か自由な気持ちに。笑

 

 

「インド式の暮らし方なんてわかんない、分かりたくない」と、見て見ぬフリをして来た家事の数々。

 

「日本と違うからイヤだ」といくら夫に訴えても、自分の内部でストライキ起こしてても、

 

引っ越せる訳でも帰国出来るわけでもダスキンさんが来る訳でもなく、家事の量は減らなかった。笑

 

簡単・便利・時短、みたいな社会で生きて来た私。

 

それはインドの下町では、通用しない私。

 

 

 

 

毎食、新鮮な野菜から食事を手作りすることにしても、毎日床を拭き清める事にしても、凍える寒さでも毎朝、お風呂に入ることも。

 

そんな時間がどこにある?って

 

フツーに思っていたんだけど。

 

その(フツー)は、ここでは全然、良いことじゃなかった。

 

この場所では、時間をかけてやらなくては健康を害してしまうことがいくらでもあるのだろう。

 

 

 

働きたい、出来る能力を活用したい、その上労働の対価もうんと?貰いたい、社会で認められたい、人にも慕われたい。(しかも家事は時短で)

 

その欲求が全て叶わなくなってから、幸いなことに、時間だけはいくらでも出来た。

 

なのに、それでも悶々としていた。「本当は」こんなんじゃない」って。笑

 

 

気が付いたら、最愛の夫のために早起きしてチャイを淹れることもしなくなってた。休みもなく遅くまで働いて、帰ってくる夫に笑顔の一つも向けていなかった。

 

(あーあ、また1日、大したことも出来なかったな)(忙しすぎてどこにも連れて行ってもらえないし)と、自分の事ばかり。

 

これを書いている今は、夕暮れ後で外は暗くなった頃。そう言えばなのだけど、いつもこの時間になると、心がソワソワ、寂しくなる。早く夫が帰って来ないかなぁ、一人は嫌だなぁ、夕飯は気に入ってくれるかなぁ、とか。

 

でも今晩は夫、出張で居ない。

 

今、全然ソワソワも、寂しくもない自分に気付いた!笑笑

 

色々とやっぱり人のせいにして、夫のためと言いながら、インドが大変だからと言いながら、言い訳にして自分で手を抜いていきたんだなぁー。

 

(夫が心配するから)と外出を控える時があるし、(夫が羨ましがるかなぁ)と、買いたい物を我慢する事も度々ある。

 

でも実際には外出して夫に何か言われた事も、何か買って羨ましがられた事もない。

(リシケシでヨガトレーニング300時間は、さすがに止められた)

 

全部、根性無しの言い訳。

夫を悪者にしてるよなー。

 

(実際は自粛・自警してるだけなんだよね)

 

 

何でもインドと夫のせいにするのは良くないね。笑

 

 

半ば引きこもりつつ、出かける度にやらかしていた先月、それでもやっぱり何かは頑張り抜きたく。

 

ほぼ毎日、食事を手作りし、洗濯を欠かさなかった。いらない物を断捨離、大事な物は出してちゃんと飾ったり。これまで怖すぎてノータッチだった、タイル磨きを日課にしたり。

 

ほんの少しだけど

「自分のために頑張れること」を増やしている。

 

 

外での失敗の数々も、振り返ってみていた。ヒンディー語がまだ片言しか出来なくて、結局ヒト(夫)任せにして思い通りにならないのも、「自分事」として考えてないから。

 

「(誰か)のために話せるようにならなきゃ」と思えば思うほど、ツーっと意識の遠のく語学学習。笑

 

自分の住む場所で、自分の思っている事を大切にして、相手に伝えられるようにならないと、どんな社会でも大切にされようがないし、受け入れられないのは同じだろう。

 

曲りなりにも語学を教えていた人間が、教えてきた根っこの部分を実践出来ていない。

 

それに私はやっぱり、英語が通じない人と通じたい!と、思っているのだ。

 

インド人の夫と出会う以前から、自分の視野を広げる必要性をヒシヒシと感じていた。

 

先進諸国や欧米の文化とは違う視点を、自分も実感したい。

 

「後進国だ」「遅れている」などと言われる文化には、伝統で守られてきた価値や、人間の普遍的な知恵や、発展で失われた賢さがあると信じてやまない。

 

そこに希望を見たいのだ。

 

どんどん便利に時短になり、何でも出来て手に入り、何処にでも行けてしまうこの世界の未来に、

 

リアルな労働の感覚や、身体感覚、時間の感覚、生きている実感を。

 

それでヨガを学びにインドに来たことを、初心に帰って思い出したい。

 

 

「インドは遅れている」と、インド人自身さえも口に出して言う。「インドこそNo.1」と強気な心の底に、本音や不安を聞くことがある。「日本より50年は遅れているだろうね」と、具体的な年数を言う人も。

 

実感なのか、想像なのか。

 

すっかり初心を忘れてインドの苦労に同調することもある私もまた、不安な時は、やっぱり他(日本)と比べた劣等感が暴走してしまう。

 

年収が少ない、住環境が悪い、家事が重労働、職がない、言葉が出来ない、と

 

「恥ずかしさ」にまみれて

一見ソツなさそうな理由で

でも、それらを隠れ蓑に

自分で自分の手を、抜いて来ていた。

 

 

満足していないのなら、ただコツコツと

変えて行けばいいだけなのに。

 

どんな環境だって、堂々と生きている人たちはインドでもいくらでもいる。

日本だって私の両親の時代は、戦火を生き延びてゼロから成り上がったのだ。

 

周りと比べて過去と比べて恥じることに、もう意味を感じない。誰にでもある幼少時の心の傷を反芻しているだけで、大人になりきれていないだけ。

 

もう、夫のためでもなく、インドがどうだろうと、結婚生活を死守するためでも、親戚に嫌われないため、近所に村八分にされないためでも、そんなの関係なく、

 

何ひとつ現実的じゃない言い訳ををやめて、

(そろそろ現状把握出来てきたので)

 

自分が何だったのか、

どんな良いところがあったのか、

どんな風に伸び伸びやりたいのか

 

もう一度取り戻して、目標を持ってそこに取り組みたいと思えて来た。

 

それが、最近の一番の成果です。

 

パイナッポーでふざけてれば良かった新婚時代は、もう、終わった気がする。(またふざけるけど)