「海外生活・国際恋愛カウンセリング」さんの記事、新年のアファメーションが素敵♡で、共有のご許可をいただいたのでリブログします。
以下に、一部を貼らせていただきます。
こんな年に出来たらいいですね!
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「海外在住のみなさんに向けて、新年のアファメーション(肯定する言葉、祈り)を贈ります。
新年に向けてのアファメーション
・今年、私の痛みや苦しみは過去のものとなり、優しさと豊かさが待っています。
・今年、私は心身ともに健康になっていきます。
・今年、私の海外生活は、どんどん軽快で楽しいものになります。
・今年、私は素敵な出会いに恵まれます。新しい人との出会いは喜びと学びとインスピレーションをもたらしてくれます。
・今年、ぴったりのタイミングで、必要な経験と知識が私のところにやって来ます。
・今年、私の呼吸は深くなり、私の足はどっしりと大地に支えられ、私の頭上からは太陽が降り注ぎます。そのすべての恩恵に自覚的でいます。
・今年、私は自分のことがよりよく見えるようになります。そのことにより、生きることが一段と楽になっていきます。
・今年、私は好奇心をもって、自分にもたらされるすべてを待ち受けています。
・私は自分にもたらされる豊かさを、感謝を持って受け入れます。
・今年、私はどこで暮らしていようと、楽に私自身でいられます。
・今年、私は光に包まれながら歩いていきます。私の周りには、光の中を歩いているたくさんの同胞がいます。私は孤独ではなく、連帯感と、安心を感じます。
・今年、人との愛はより確かなものとなり、心が満たされていきます。
一部、以前にアップした新年のアファメーションと重複していますが、新しいものも加えました。
皆様の2020年が素敵な年になりますように。」
筆者さまは、Zoomでいつでも無料で相談ができる
「海外 こころのヘルプデスク24時」を運営されています。
Web https://www.helpdesk24.net
ブログ https://ameblo.jp/helpdesk24/entry-12561876108.html
こういう機関があると知れただけでも、本当に心強いです。
海外在住だと相談できる場所は限られますし、日本語で聞いてもらえるなんて、もっと早くに知りたかったくらい。
これからもきっと山あり谷あり笑、もし困った時は我慢しないで相談してみよう!と思います。
しかも24時間対応って、素晴らしすぎます!
お正月3日目。
夫は年末年始も出勤で、昨日と今日は会社の宿泊研修で山のコテージに行ってしまった。
つまんなー、、
、、くもないか!笑
夫の出張って、ある意味ありがたい。
普段出来ない自分の事が自由に出来る!
そして、いつも「夫のため、夫のせい」って言い訳している自分(家事全般)に気付いて、冷静にリセットできる。
さっそく朝食は後回しにして、今年のヨガ始めをしました。
その後は長風呂してスッキリ!
↓ヨガ始めにぴったりな Japanese Yoga なつみ先生の動画、オススメです。
続けることが大切なので、10-15分の短い動画で満足。色々な目的に応じた動画が沢山あって、先生も素敵すぎ♡
少し慣れたら、今年はハタ・フローまで持って行きたいなー。
まずは自分の調子をはかる時間を積極的に取ろうと思います。
余談ですが、年末から夫と一緒に始めたのは「ラジオ体操第一」と「みんなの体操」。
寒い時期は夫はジムに行きたがらず(女性用ジムは近所にない)夫婦で太り気味なので、何となく始めたら夫が気に入って。
みんなの体操、実家の母が毎朝やってて、74歳の今も元気にゲレンデスキーが出来ている。運動機能の維持改善に良さそうです。
今日のチャンディガールは急にポカポカ陽気。せっかくなので、凍える年末の大掃除で出来なかった箇所をやっつけてみた。それは、
ハトのフン撤去。
うちのベランダ北側一帯は、長年ハトの居場所だった。でも去年冬、大家さんが一部ネットを貼り、さらに私たちが水のペットボトルを並べてブロック。以来ハトの数は減り、ようやくフンが撤去が開始出来る状態に。
2日がかり。私よく頑張ったー!笑
こういう作業も、夫がいるとなかなか取りかかれないけど、社員研修のある会社に感謝です。
ま、研修と言いつつ、宿泊先のコテージで夜はタンドゥーリチキンを囲んで楽しい飲み会。プロジェクターで映画上映してる写真も送られて来た。
お互いリフレッシュできて何より♡
私の1人時間のもう1つの成果は、自分の行動のクセに気づけたこと!
長年固定化してしまった思い込みやクセ。それらが急に見え始めて、まるでサイズの合わなくなった服の様に脱ぎ散らかしたくなった。笑
たとえば、「一息つく癖」。
それと、「タイミングをはかる癖」。
これ、もういらないわー。もう邪魔くさい。
インドで新たな環境に来た当初、何も分からずに周りをうかがったり、周りに合わせて自分のタイミングを引っ込めたり。思う様に動けないのが当たり前になっていた。
体調も大きく崩しがちだった事を大反省した結果、つい守りに入ってしまっていて。
いまだに無理したら倒れるんじゃないかって、無意識に防衛している(でももう妊娠しないし流産もしない。=倒れない笑)。
夫と暮らして丸3年が過ぎ、少し安定してきた今。これからは安心してもっと好きにやりたいのだ。
40代で初婚の私。うまく行かないんじゃないか?離婚するんじゃないか?と、不安からか、些細な事にビクビクと「離婚する証拠」集めばかりして。笑笑
悪趣味。暇すぎる。もうやめよ。
自分で、縛りをかけていた。
よって、自分でいつでも解除できる。
元旦の朝、洗濯物を干しに出てきたお隣のアンティーが、
「ハッピーニューイヤー、カオリ!」
って、史上最高の笑顔を投げかけてくれた。
「セイム・トゥ・ユー」(インド英語の定型文。笑)
と返したけど、素敵な笑顔も嬉しかったけど、何より私の名前を覚えてくれていた事にビックリ!(この1年半で呼ばれたの初めて)。
引っ越して来た当初、大家さん一家にプライベートを詮索されるのが嫌で、近所の人とも距離を置く様になった私。話すのは行事の時とトラブルが起きた時(ゴミ問題とか)のみ。
でも数年が経ち、お互いが距離を測れる様になった今、もう警戒心は解いてもいいタイミングが、ようやく訪れた気がする。
もう誰も私を好奇の目で見たり、私のやり方を否定して自分のやり方を押し付けたり、変な期待を持ったりしない。ただただ、普通に困った時だけ助けてくれる。
(この前も大家さん、ウーバーに電話で場所の説明をしてくれた)
私はもう、よそ者じゃない。
誰にも気がねせず、好きに生きていい。
しばらくぶりの明るい日差しで、洗濯物もよく乾く新年3日目。
心も、晴れていいのかもしれないね。
明けましておめでとうございます!
2020年お正月、いかがお過ごしでしょうか。
初オラクルカードは「Victory!」。
「あなたの祈りは届き、叶えられました。信念を持ちなさい。」
私のインドでのお年越しは4回目。下町では子供たちが凧上げにいそしみ、時折チンドン屋?の様なお祈りの人たちが通ります。2020年とは思えぬ昭和感。。w
お餅もおとそもないけど、恒例のうま煮と酢の物、おにぎりを作ってお祝い。久々の和食に、夫がとても喜んでくれました(サイドメニューはカレー笑)。
「日本では、こうしていくつも料理を並べて、ひとつずつ、美味しいねって会話しながら食事を楽しむんだよ」と言うと、
「インドは大体一皿だから僕はすぐに食べ終わっちゃうけど。。こうしてゆっくり味わって、スマホも見ないって本当なんだねー」と。
そうか。日本に行ったことのない夫だけど、もっと日本の良さを体験できれば、彼の人生にもきっと良い変化が起こるかも。
そんなきざしを感じた。私にとっても夫の母国インドは刺激でいっぱい。とりあえず退屈することはありません。
食事の後は、何故か夫がボリウッド映画・ヒマーチャル民謡・パンジャービダンス曲をかけながら踊り始め(インドお祝い事と言えばダンス!だから)、2人で踊りながら元旦零時を迎えました。笑
2019年は、脱皮の年。
自分のためだけに生きてきただけの私から、
自分以外の夫や、家族や、
もっと他の誰かのために生きられるように動いた年でした。
地元のスラム支援のNGOでは、インドの貧困層と呼ばれる人たちの底力を知ることに。
まっすぐに自分の道を生きるパワーに衝撃を受け、こんな私でも役に立てる事は何なのか、考えずにはいられなくなった。
2月には念願の披露宴を無事とり行いました。地元の新聞に載ったのには笑った。
殆どを自分たちで手配する中、途中で事故にあいながら笑、家族や友人も出席してもらえた奇跡!一生の思い出です。
親戚が一気に増え、インド生活も賑やかに。村の人たちもみんな歓迎してくれて嬉しかった。
夫が初投票に行った(右下、人差し指に投票済マーク)その足でタージマハルに新婚旅行へ。
ムガル帝国の古都アーグラの世界遺産をリキシャーで巡って満喫ー。
夏は一時帰国し、米高校生の文化交流のコーディネート。日本で成長する若者の姿に未来への大きな希望をもらいます。
実家で家族とゆっくり過ごせました。この後は思い残すことなく、再びインドへ。
ようやく湯沸かし器を付け、夫婦で支え合いながら平和に暮らすことが出来ました。
チャンディガール市でも日本人のご縁に恵まれ、たまに息抜きもさせてもらってます♡
たとえ楽しい事ばかりではなくても
お互い一筋縄では分かり合えなくても、
インドは私を強くしてくれるし、
私だけの道へと導いてくれている。
見るもの、出会う人々、感じるものに
もっともっと開いて行きたい。
今、ここ、この命を大切にしながら
今年はどんな景色が見えてくるのか
少しだけワクワクしながら。。
みなさまにとっても、最良の一年になりますように。
2020年も、どうぞよろしくお願いいたします!
年末も押し迫って参りました。
例年ながら、年末感の薄い北インド生活。モールなどは変に混むので今年も行かず、気づけばクリスマスツリーも見ていない。。
例年より天気も悪い気かも。大掃除どころか、普段の手洗い洗濯が辛い。洗濯物も3日は乾かず。その上夫の実家での体験がモヤモヤし続けていて笑、消化しないと動けない気分。
そこで前回の続き。まだ未消化な経験ですが、良かったらお付き合い下さい。
村滞在の最終日、夫の叔父(義母の姉の旦那さん)のお宅に伺った。退院したばかりのマッスルジー(叔父さん)のお見舞いに行くということだった。
一家を訪ねるのは3回目。亡き叔母の2人の息子(従兄弟)が、隣接する2件の家に暮らす。1軒目の長男は何かと頼れる警察官。今回も、皆でサンニの結婚式の話し合いをしてたみたい(分からない私は、聞いてるフリ)。
隣の2件目がマッスルジーと次男の家。かくしゃくとした89歳?のマッスルジー、右手の点滴の跡が痛々しいけれど、意外と元気そうで安心した。
けてどこの後、お義母さんが家の中においでと言うので、ついて行くと。
そこには大きな祭壇がある。ここは前も入ったことがある。叔母さんの遺影も飾られていて、前回はこの写真を見てマッスルジーが子供のように泣いていた。
祭壇の前に、今回はバビジ(次男の嫁)が座っていた。お義母さんと何か話していて、そのうち顔をドゥパタ(頭を被うスカーフ)で隠して何か呪文の様なものを唱え始めたのだ。
いつものプージャ(祈祷)か?と思ったたら、どうも様子が違う。膝の上で組んだバビジの両手が小刻みに震え始めた。中にはさっき細かく刻んでいた白い紙が入っている。シャ、シャ、シャと紙を上下に振りながら、前かがみになっていく。
「ババジ(修行僧さま)」とお義母さんが話しかけた。
「なんじゃ。聞きたいことは」と、
いつもとは違う低くて張りのある声で、従姉妹が答えていた。
それからお義母さんと山の神さまの対話が始まった。どうも巫女さん?らしい従姉妹が媒体となって。
噂では、 ヒマーチャル州には代々伝わるシャーマンがいると聞いたことがある。ヨガの先生も言ってたし、チベット圏の本を読むとよく出てくる。検索すればドキュメンタリー映像も色々ある。
でも従姉妹がシャーマンだよって、何故夫は一言教えてくれないの?
(こっちからは絶対聞かない笑)
神さまのセッション中、申し訳ないが全く落ち着かず。
しばらくして、ようやく夫も義母に呼ばれて部屋の中へ。神妙な顔をして、全く普通にお告げ?を聞いている。その様子を見て、夫にとっては普通のことで、私に言うまでもなかったのかもと察した。
次に義母は、弟のサンニについて質問したようだった。するとサンニはうなだれて、肩を揺らしながら祈るように聞いている。
質疑応答?がひととおり終わった後、従姉妹は手に持っていた白い紙片と、祭壇のお香の灰を包んで私にくれた。義母が「毎朝、これを白湯に溶いて飲みなさい」と(紙って飲めるの?)
私たちの番が終わり、次はお手伝いに来ていた親戚のT君の番。「今はパッとしないけど、ちゃんと勉強すれば大丈夫」の様な事を言われていて、図星の本人はクスクス笑って聞いていた。
外へ出ると、近所の人たちが何人か、お告げセッションの順番を待っている。人気なのね?笑
この従姉妹、親戚の中でも一番働き者で、いつもせっせとご飯を作り、お茶を配り、水牛の世話をし、儀式の準備を手伝う人。その彼女がまさか巫女さんとは。
でも他の女性たちと違って無駄なお喋りはせず、いつも穏やかな彼女が好きなので、何となく納得ー。
夕方になり、彼女の2人の子供たちも帰って来て、折り紙をして遊ぶ。純粋に私が来るのを楽しみにしてくれているのが伝わって、面倒な大人の世界には戻りたくないなぁと思う。笑
この日の夕方、夫と村を後にすることに。
最後の最後まで、従姉妹の家からのタクシー代を誰が払うかでゴチャゴチャやってる義母と夫。多分、たくさんの苦労を共にして来て、強い信頼関係があるからこそ喧々諤々やれるんだろうけど、よく分からない私はドギマギ。あー疲れる。笑
言葉が分からない方が害が少ない気がして、パハリ語(方言)はなるべく聞かないようにしている。お告げもさっぱり分からなかったけど(山の神さまは方言で喋る笑)、
夫によると、お義母さんが「孫は生まれるんでしょうか?」と聞き、「大丈夫だ。毎朝これを飲めば元気な男児が産まれるだろう」と、あの紙片と灰をくれたのだとか。
そんな無茶な。笑
帰り道、タクシーの待つ山道までを下っていると、
ガサガサ、ガササーーっと
頭上で木が揺れる音。何の野生動物かと見上げたら、お隣りのお嫁さん、勇ましくも地上5メートル付近で木の枝を払っているところだった。ハシゴも命づなもない。
ナマステー、これから帰りまーす。と言って通り過ぎたけど、やっぱり村の女性ってあんな高い木に登るんだ!(前にYouTubeで見た)夫に聞くと「別に。木に登ってるだけでしょ」って。
巫女さん、木登り女子に、子供産め婆さん、、、
色んなものを見た夫の村。
帰って来てから夫には、もうお腹いっぱいでしばらくは村に行けそうもないと伝えた。
2019年はインドで結婚式を挙げた年。
親戚付き合いが始まると共に、魔界の扉が開いたような笑、想像以上の展開に、何かに試されているような気がするのでした。
夫の叔母の法要で、先週は夫の実家の村へ。
火曜の夜中、日付が変わった1時半ころ。
村の実家で1人暮らしをする義母が倒れたと、近所に住む親戚から夫に電話があった。「息が出来ない」と苦しんでいると言う。
真夜中の一報に、頭が混乱する。私たちの住むチャンディガールから、夫の村の実家までは陸路で5、6時間。実家の近所の人に助けを借りるしかない状況。
近所の叔父さんと叔母さんが来てくれて、義母を介抱していた。義母は病院へ行きたいと言うが、誰も車を持っていない。こんな夜中にタクシーは来ず、救急車が来れる道までの200メートル程は、歩けそうもないと。
夫は弟のサンニに電話した。でもこの日は仕事でラジャスターン州にいると言う。実家へ行くことは無理だが、有難いことにこの後、彼が村の友人に電話して実家のすぐ下の山道までこの友人の車が迎えに来てくれたそう。
それで夜中の2時半頃、近所の年老いた叔父叔母に連れられ、義母は村の診療所にて応急処置の注射を受けることが出来た。
義母が診療所に向かうのを確認してから、夫はウーバーで隣町に住む義兄1、3と合流、彼らの車で村へと向かった。
この間私、余計な口を挟むだけ。実家に持たせる物も眠気と混乱で思い浮かばなかった。心細くなった夫から「一緒に来てくれる?」と言われたけど、即答で「No」。安全第一。落ち着いたら連絡ください。
義母は普段から「具合が悪い」(高血圧・心臓病・糖尿)と言っているけど、いつも意外と元気そうに見える。
一人暮らしが相当寂しいのか、電話では「私が一人で死んだらお前(夫)のせいよ。ゴホゴホっ」と呪いの言葉を吐く元気だってあるし、農作業で鍛えた足腰も強そうだ。留守番の私は、祈るのみ。
ひときわ冷える夜だった。早朝には冷たい雨が降り出した。到着した夫から「こっちもすごい雨だよ。少し仮眠してから私立の病院に連れて行く」とメッセージ。とりあえず、難は逃れたようだった。
狭心症の発作らしかった。後から聞くと、いつも飲んでいる心臓の薬を飲むのを止めたらしい。先月チャンディガールの医大病院で「もう飲まなくていい」と言われたとか。今回診てもらった私立の医者に「止めてはダメ。半錠ずつ朝晩続けて下さい」と言われたそう。
インドの医者は、人によって診断に大差がある?
信じられるのは自分の身体のみ、か。
義母の様子が落ち着いて、近所の人たちも応援に来てくれたので、夫たち3人はその日の夕方チャンディガールへとんぼ帰り。夫は途中、義兄夫婦の家から晩ごはんをもらって帰宅した。ラッキー。
私は終始、本当に何も出来ず、かえって申し訳ない気のした一件でした。
義兄の家から電話をくれた夫。義姉や姪っ子、甥っ子たちが順番に電話に出て話をすることができ、かわいい声を聞けてホンワカ。遠くてなかなか行けないので久々の交流が嬉しかった。
義母を介抱し診療所に付き添ってくれ、食事の支度や家の掃除までしてくれた近所の叔父さん叔母さん。2回くらいしか会ってないけど、実はちょっとクセの強そうな叔母さんで、義母は「あの人とは話さなくてもいいから」って言ってたこともあったと言うのに!
何か、分からないわ。
と言うか、めっちゃ有り難かったし!
普段色々あっても(土地問題とか)、悪口言っても、いざと言う時に助けてくれるのね!そして他に助けてくれる人も手段も、本当ーーーにないってことだ。。。
でも夫ら一行が帰る間際に叔母さん、こっそり「次来る時、ウィスキーとチキン持って来てちょうだい」って夫に頼んだらしい。叔父さんに見つかったらイケナイから。うん、持ちつ持たれつ!
村の女性でお酒とお肉を口にする人、私は初耳!
夫に聞くと夫も初耳だったとか。まぁでも、命の恩人だからオッケー?笑
別に私がどうこう言うことではないけど、「隠れて」しなきゃいけない状況は大変ねと思う。それでこの方、ちょっと目が泳いでる感じと言うか、怖い印象があるのかもしれない。(やましいって気持ちが出てる?)
でも逆に義母みたいに「私は全部正しい事をやってますが、何か?」っていう目の据わった開き直り方もどーかと。正し過ぎてストレスじゃない?ってね(言っちゃった笑)。
今月末には、義母と同居していた叔母(実姉)の4回忌の法要のような儀式があり、親戚一同村に集合する予定。延べ3日間もある行事らしく、その準備や心配でお義母さん、実際に心労していたんだとは思う。
しかも先月は、夫の弟のサンニのお見合いを力技で(笑)まとめてしまったお義母さん。いつも夫に電話する様に、サンニにも電話攻撃でプレッシャーをかけ、どうしても嫁を取らないと私死んじゃうとか言ったのでは?と夫と疑っている。
と言うのもお見合いがまとまった翌日の夜、サンニから夫に泣きながら電話がかかって来て、「僕はどうすればいい?母さんがどうしてもって」と言うのを隣で私も聞いていた。
サンニにはずっと付き合っていたけれど、今年の夏、結婚を申し込んだら断られた元カノがいる。私たちの結婚式にも来てくれた感じの良い子だった。その子のことが忘れられないらしい。
お見合い相手のニコリともしてない写真を以前夫が見せてくれたけど、私もアンジャリ(元カノ)の方が好みだなぁ。←と夫に言ったら「サンニの人生はサンニが決めるものだから、僕には分からないよ」と言われた。ハイ、すんまそん。
でも泣いて電話して来るくらいだから、何とかならないものかなぁと思うのが人情です。
自分の夫の家のこととは言えど、彼の家にもそれなりのやり方があり、インドにはインドなりの長年の風習もある。
いつも蚊帳の外だし、何の役にも立つことも出来ず、申し訳ないとか、もっとこうしたら?とか複雑になりがちだったけど、そろそろ自分の立ち位置を理解しなくてはと感じる。これが私の立ち位置なのだから仕方がない。
夫と協力して出来ることをして、あとは野となれ山となれです。
ご無沙汰しております!
先月はブログが全く書けず。笑
と言うか、書いても書いてもアップするに至らず。という感じ。
それで一気に書き出したらまた長文になりましたが、良かったら読んでみてください。
なぜか先月は実生活でも、やりたい事はあらかた準備不足だったり、少なからず失敗したり。夫も新しい会社の仕事のプレッシャー(売り上げノルマ)から、隙間時間に出かける予定も立たず。
結果、大反省会みたいになっていた。汗
それがまた蠍座での水星の逆行期間とピッタリ重なってたから、びっくり。やっぱり宇宙と連動してるー!笑
でも、抜けて良かったーーー。
でもでも。普段でも、うまく行かない事って必ずあるもの。
もしや、いつもはまぐれで何とかなって来たやり方に、もう一押し、改善できる力を付けるためにやって来るのか?とさえ思えてくる水星逆行(失敗ラッシュ)。
必然的に、普段は外へ外へと向いている意識が内側に向いて、誰に言われるともなく改善せざるをえない状況になる。
「あ、間違ってた」
「お、やり方変えよう」
って、
何の滞りもなく、さっさと出来ればいいのだけど。
以前は、人に指摘されたり自分で間違いに気づいても、まずは恥ずかしさとか、恥自責が先に立っていた。
何やってんだーといいだけ凹み、でも人に当たるのはこらえたりして余計こじらせ、その気晴らしに家事やご飯作っていた根暗さ加減。
反省が現実に反映される以前にエネルギーを使い果たす。
でもこれ、「そんな無駄な事、しないようにしよう」と気付いていても、それだけで出来るものではなく。
多分、
もっともっと、失敗しなきゃいけなかった。
恥も、もっといっぱいかいて。
自分でやって、結果も負って。
もっともっと、学ぶ必要があった。
今回は、そのための勉強だったかなと。
具体的には、一人で行った買い物で自分なりに精一杯値段交渉したつもりだったのに、結果的にはかなりオーバーチャージされていて、その事に夫が気付いて指摘・実証されてしまったことや、
家具の卸売店で気に入った棚を見つけ購入を決めたけど、お店の人と夫の値切り合戦に気を取られて確認を怠り、リヤカーで運んでもらった後でサイズが大き過ぎたことに気付いた事、など。
そんな事くらいで。。。だけど、
1つ1つの買い物や用事が、私にとっては
山場を乗り越えるような心境になることも。
インドの下町という、今までの人生とは違う環境の中で、明らかに考え過ぎて固まっていた。
人目が気になって固まり、
コミュニケーションが取れず固まり、
期待が外れて固まり、
失敗を恐れて、またさらに固まって。
それは「日本だったら。。。。」って、
思い込みに甘えていて、まだ乗り越えられていないから。
どこかで(そうだよね、ヨシヨシ〜)と、自分に甘えている。
結果、4年目なのに自由に外出できない、言葉もちゃんと話せない、どこに行っても相手と対等に渡り合えない=撃沈している。笑
今までの感覚に胡座をかいて、今できる努力をしていなかった事にパッカーンと気づいたわ。笑
「インド式の暮らし方なんてわかんない、分かりたくない」と、見て見ぬフリをして来た家事の数々。
「日本と違うからイヤだ」といくら夫に訴えても、自分の内部でストライキ起こしてても、
引っ越せる訳でも帰国出来るわけでもダスキンさんが来る訳でもなく、家事の量は減らなかった。笑
簡単・便利・時短、みたいな社会で生きて来た私。
それはインドの下町では、通用しない私。
毎食、新鮮な野菜から食事を手作りすることにしても、毎日床を拭き清める事にしても、凍える寒さでも毎朝、お風呂に入ることも。
そんな時間がどこにある?って
フツーに思っていたんだけど。
その(フツー)は、ここでは全然、良いことじゃなかった。
この場所では、時間をかけてやらなくては健康を害してしまうことがいくらでもあるのだろう。
働きたい、出来る能力を活用したい、その上労働の対価もうんと?貰いたい、社会で認められたい、人にも慕われたい。(しかも家事は時短で)
その欲求が全て叶わなくなってから、幸いなことに、時間だけはいくらでも出来た。
なのに、それでも悶々としていた。「本当は」こんなんじゃない」って。笑
気が付いたら、最愛の夫のために早起きしてチャイを淹れることもしなくなってた。休みもなく遅くまで働いて、帰ってくる夫に笑顔の一つも向けていなかった。
(あーあ、また1日、大したことも出来なかったな)(忙しすぎてどこにも連れて行ってもらえないし)と、自分の事ばかり。
これを書いている今は、夕暮れ後で外は暗くなった頃。そう言えばなのだけど、いつもこの時間になると、心がソワソワ、寂しくなる。早く夫が帰って来ないかなぁ、一人は嫌だなぁ、夕飯は気に入ってくれるかなぁ、とか。
でも今晩は夫、出張で居ない。
今、全然ソワソワも、寂しくもない自分に気付いた!笑笑
色々とやっぱり人のせいにして、夫のためと言いながら、インドが大変だからと言いながら、言い訳にして自分で手を抜いていきたんだなぁー。
(夫が心配するから)と外出を控える時があるし、(夫が羨ましがるかなぁ)と、買いたい物を我慢する事も度々ある。
でも実際には外出して夫に何か言われた事も、何か買って羨ましがられた事もない。
(リシケシでヨガトレーニング300時間は、さすがに止められた)
全部、根性無しの言い訳。
夫を悪者にしてるよなー。
(実際は自粛・自警してるだけなんだよね)
半ば引きこもりつつ、出かける度にやらかしていた先月、それでもやっぱり何かは頑張り抜きたく。
ほぼ毎日、食事を手作りし、洗濯を欠かさなかった。いらない物を断捨離、大事な物は出してちゃんと飾ったり。これまで怖すぎてノータッチだった、タイル磨きを日課にしたり。
ほんの少しだけど
「自分のために頑張れること」を増やしている。
外での失敗の数々も、振り返ってみていた。ヒンディー語がまだ片言しか出来なくて、結局ヒト(夫)任せにして思い通りにならないのも、「自分事」として考えてないから。
「(誰か)のために話せるようにならなきゃ」と思えば思うほど、ツーっと意識の遠のく語学学習。笑
自分の住む場所で、自分の思っている事を大切にして、相手に伝えられるようにならないと、どんな社会でも大切にされようがないし、受け入れられないのは同じだろう。
曲りなりにも語学を教えていた人間が、教えてきた根っこの部分を実践出来ていない。
それに私はやっぱり、英語が通じない人と通じたい!と、思っているのだ。
インド人の夫と出会う以前から、自分の視野を広げる必要性をヒシヒシと感じていた。
先進諸国や欧米の文化とは違う視点を、自分も実感したい。
「後進国だ」「遅れている」などと言われる文化には、伝統で守られてきた価値や、人間の普遍的な知恵や、発展で失われた賢さがあると信じてやまない。
そこに希望を見たいのだ。
どんどん便利に時短になり、何でも出来て手に入り、何処にでも行けてしまうこの世界の未来に、
リアルな労働の感覚や、身体感覚、時間の感覚、生きている実感を。
それでヨガを学びにインドに来たことを、初心に帰って思い出したい。
「インドは遅れている」と、インド人自身さえも口に出して言う。「インドこそNo.1」と強気な心の底に、本音や不安を聞くことがある。「日本より50年は遅れているだろうね」と、具体的な年数を言う人も。
実感なのか、想像なのか。
すっかり初心を忘れてインドの苦労に同調することもある私もまた、不安な時は、やっぱり他(日本)と比べた劣等感が暴走してしまう。
年収が少ない、住環境が悪い、家事が重労働、職がない、言葉が出来ない、と
「恥ずかしさ」にまみれて
一見ソツなさそうな理由で
でも、それらを隠れ蓑に
自分で自分の手を、抜いて来ていた。
満足していないのなら、ただコツコツと
変えて行けばいいだけなのに。
どんな環境だって、堂々と生きている人たちはインドでもいくらでもいる。
日本だって私の両親の時代は、戦火を生き延びてゼロから成り上がったのだ。
周りと比べて過去と比べて恥じることに、もう意味を感じない。誰にでもある幼少時の心の傷を反芻しているだけで、大人になりきれていないだけ。
もう、夫のためでもなく、インドがどうだろうと、結婚生活を死守するためでも、親戚に嫌われないため、近所に村八分にされないためでも、そんなの関係なく、
何ひとつ現実的じゃない言い訳ををやめて、
(そろそろ現状把握出来てきたので)
自分が何だったのか、
どんな良いところがあったのか、
どんな風に伸び伸びやりたいのか
もう一度取り戻して、目標を持ってそこに取り組みたいと思えて来た。
それが、最近の一番の成果です。