子宮と生きる | 北インド☆ゆるヨガライフ

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

子宮腺筋症の闘病記です。苦手な方はスルーして下さい。
(痛い、辛い、暗いかも!)
 
※自分の記録と、似た状況の方たちへの情報として記します。
 
 
ヒマーチャル州西部、山のお寺からの景色。なんにもない。笑

 

体調は、山場を越えたよう。生理12日目。
 
先月・今月と治療のための服薬を中止していた。
 
ディナゲストという黄体ホルモン剤は、生理と排卵を止める。でも副作用があるため、大きな予定のない時期には時々やめて、こうして生理を起こしている。
 
再開する重い生理と貧血、全身の疼痛には苦しむけど。
 
 
薬を飲んでいる時は、治らない病気にかかっている事は忘れている。
 
子宮腺筋症になって11年。子宮内膜が子宮壁の筋肉内で増殖し、健康な人の何倍も子宮が大きく、生理は死闘だ。
 
確率した根治療法がない。
対処療法で症状を抑え続けながら
 
閉経まで待つか、
それとも子宮全摘するか。
 
 
結婚して流産を繰り返し、やっと今、選択肢を考えるようになった。
 
 
先日ある方のブログを目にして、すっかり埋もれていた記憶が蘇った。
 
「子宮腺筋症核出術」のこと。
 
そう言えば日本にも1箇所だけ、病床部分のみを切り取る子宮温存手術を確立した病院があったこと。保険の効かない先進医療だ。
 
忘れていたことに、びっっくり。
 
 
この病気になった当初は、必死で調べた。当時はまだ30代になったばかり、仕事は面白いけどむっちゃ長時間勤務、付き合う人とは結婚も考えられない。
 
この病院、はるか遠方の地方にある。
 
誰のサポートもなく生きなくちゃいけない身で、医療保険も高額療養給付も効かないリスキーな手術、長期入院、病後の療養などは論外だった。
 
一人で生きて行く。
 
そう決心して、きっぱり諦めたのだった。
 
それで記憶からも消えてたなんて。
 
今思うと、子宮の病気を抱えることで、結婚を遠ざけていたなーと思う。相手からすれば、子供を得るチャンスが減るのだから。
 
(腺筋症と不妊の相関関係は、医療機関では明確に指摘しない。長期治療への希望を持たせることに重きが置かれる。でもネットで論文は読めるからなー。)
 
 
しかい何を間違ったのか、40代でインドで結婚してしまった。
「子供は難しいかもよ」と何度夫に確認しても、無邪気に「君が健康ならいいよ」と。子供がいない結婚生活の意味なんて、経験のないうちはとうてい想像にも及ばない。
 
流産3回。外国人との結婚は地域で異例のことで、反対にあって抵抗したりもしていた。その流れで、どうしてもこちらで披露宴をしなくてはと必死になっていた。
 
「一人で生きていく」と決めていた頃は、少なくとも自分の身体のケアは出来る範囲でしていたのに。
 
今は、自分の身体が1番になってない。それが、ヤバいと感じる事。
 
事実、簡単な病気ではない。
 
 
インドのお義母さんや親戚は、「子供が出来ること」が今の最大の関心事。現代医学の診断には聞く耳を持たず、「医者はいい加減言うから」と、何と村の巫女さんに「元気な男の子が生まれる」と神託を告げてもらっていた。
 
事実はどうでも、心が揺らいだ。
 
期待に応えられない自分。
善意を受け止めることができない。
 
せっかく家族になったのに、情けないもんだなと。一瞬。
 
でも私、情けない事には慣れている。他人の期待に応えない術も知ってる。どこまでも「私の人生」だってことも。学ぶべきなのは、自分の人生の、責任の取り方。
 
 
村の人たちの考え方が悪いのではない。善意は受け取ろうと思う。ただ、この世の中にはコントロール出来ない事がある。そんな時は、人事を尽くして天命を待つ。ただ謙虚に、目の前の日常を生きることも尊いと信じて。
 
保険会社にメールした。やはり先進医療はカバーされない。
温存手術は、子供を希望する人が優先だ。
貧血のせいなのか、タイムリミットは過ぎた気がした。
 
決断を下す責任。
前に進む責任。
 
何があっても、希望を持って生きられればいい。
 
 
最後の流産から、子供を持つという希望を絶ってみて、もうすぐ2年。子供好きだから寂しいな。近所の悪ガキさえ可愛く見える笑。でも命って、来ない時は来ないもの。
 
私の本分は、きっと他にあるんだろう。


私の人生は、これまで子宮と一心同体だった気がする。
 
感謝して、
元気になって、
もっと強くなるのだ。笑