先日、ドイツ人の友人ハイディに誘われ、夫と一緒に出かけてきた。
ハイディは夫パソコン店の元お得意さま。美術関係の仕事をしている。年齢は私の親世代。でもなぜか私たちを気にかけてくれ、たまに呼んでくれる。
隣町の中華レストランで待ち合わせ。時間を過ぎたので電話すると「今スゥイーティーを寝かしつけてるから遅れるわ。入って待ってて」と。
スゥイーティーはインドのローカル犬。その昔、縁があって母犬のお産に立ち会って、生き残った最後の1匹だったとか。
一昨年、長年一緒に暮らした画家の親友ピミが亡くなってから、ハイディはスゥイーティーと2人暮らしだ。
お店に入って席に着くと(そこそこ)完璧なテーブルセッティングに目が行く。マナーに厳しい(というか、自分なりのこだわりがある)彼女らしいお店。常連なのかな?
しばらくして彼女が到着すると、ウェイター3人とマネージャーがワラワラと出迎えた。フレンドリーで対応の早いスタッフ。なるほど。彼女がこのお店を指定した理由が分かる。
多少なりともドイツ人らしさ?だろうか。堅実なハイディは、いつもハッキリと要求を通す人。今までも、インド人の夫がインド人っぽい話をしても、自分の筋を曲げることはなかった。インドのレストランがインドのサービスをして来ても、自分のスタンダードを妥協することがない。
それって凄い事だなぁと思う。
私と言えば、最近はインドへの期待も責任も放棄している感じ。
例えば日本レベルのサービスを求めるなんて、インドでははなから無理だと諦めている。期待して外れる度に、感情的に傷つく始末。
でも、ハイディは違う。
今回も、最初のお茶からスープ、前菜、メイン、水のタイミング、お勘定に至るまで、さり気ないけど、一切妥協なく交渉し続けていた。
最初のジャスミンティーは濃すぎたらしく
「香りが失われてるわ」とすぐ淹れ直させ、
前菜のソースは、確かに付けない方が美味しくて
(彼女に付けないで食べてと指定された)
メインは「唐辛子抜きで」が実践されておらず
速攻作り直してもらい、
最後に残りものを包んでもらう時には
「2袋に分けて」が、1つにまとめられていて。
ドイツも中々だけど、インドも最後までしでかしてくれた。笑
和気あいあいと冗談を交えながら申告すると、その度に4、5人がかりでワイワイやってるインド人サービスマンたちも笑える。言われて楽しいの?
ハイディも決して気分を害したりしない。上機嫌で、でも確実に要求を通して行く。長年インドに暮らすだけあって「長ーい目」でインド人と付き合っていることが伺える。
結果、全てが要求通り。笑
発展するインドでは「教育が大切」と言われる。
私も日々インドの壁を感じている。夫や友人、親戚と話していても、中々共感出来ない事ばかり。その度に「知らないからだ」と、やるせなく、時に腹立たしくもなる。
ハイディだって、そうだったかもしれない。でも長年(30年?)インドで暮らすだけに、知らない事を責めて感情をぶつけても何も解決しない事はよく知っているよう。
その代わりに、根気強く周りのインド人に「教育」の機会を与えている様に見える。
彼女のこだわりの強さ、譲らなさは、そういう根っこがある気がした。
インド人のミスには悪気はない。
でも「こちらから言わないと動かない」と笑っている。
言うのが苦手で遠慮する性質の日本人の不得意分野。でも目の前で鮮やかなお手本を見せられると、本当に参考になる。
ハイディは私たちへの「教育」も欠かさない。笑
夫には、
「お店に着いたらコートは脱いでも大丈夫。」
私には、
「お願い。アシーシ(夫)に自分で料理を取ってもらって」と。
居酒屋気分でうっかりしたけど、レストランで夫に料理を取り分けるのは、私も好きではない。夫は「いつでもどこでも、取り分けて欲しい」文化の男性。つい甘やかしている事、誰の為にもならない事、きっと普段もいっぱいやってる汗。
言ってもらう事で、夫も気がつくようになるので助かるのだ。
「行きつけの店」を作るのも、大事だなぁと思わされた。
一見さんではお互い相手にしなくても、長く通えば意志が通じるようになる。インドは平等性はないけど、常連とか同郷とか、内輪の情で動く。
インド人みんなには分かってもらえなくても、分かってくれる人や場所がいつもある安心感って、それだけで毎日が違って来るだろうなー。
最近ウツ気味の私。白黒思考で、みんなに分かってもらいたいとか、誰にも分かってもらえないとか、無意識に極論の間で疲弊しがち。そんな私にも突破口があるのかもしれないと希望がよぎった。
分かってくれる人は、分かってくれるから大丈夫っぽい!笑
(コミュニケーションスキルは要るけどね↓)
日独印、文化の違う3人は、会話も凸凹で面白い。
夫は元お得意さんに良い印象を残したいのか、最近上達し始めた英語を駆使して、最新のインド事情を解説し出す。(やめときゃいいのに笑)
夫「モディ首相の新政策のおかげで、低所得の国民は全員が無償で医療給付を受けられるようになったんだよ」
私「え?医療給付って風邪でも?」
夫「ううん。事故と発作や手術の場合。24時間後から申請出来るんだ」
私「。。。(初耳)」
ハイディ「I don't believe you.」(開口一番。笑)
夫「本当だよ。僕にも書類が送られて来たよ」
ハイディ「I don't believe you.」(2回目)
夫「新聞記事もあるから、今度送るよ」
ハイディ「It's impossible.」(全否定)
真相は知らないけど、いくら否定されても果敢にインド自慢を止めない夫と、平均的なインド人のガセネタ具合をよく知るハイディの攻防が面白い。
ハイディと話す時の夫は、ただドヤ顔したいインド人っぽい側面を見せる。普段私には見せない顔なのが面白い。
「手伝う事があったら、いつでも行くから」とか
(休みもないのにいつ行けるんじゃ?)
「僕が行けない時は妻が行くよ。毎日家で暇してるから。アハハ」とか。
私は内心(アハハ?洗濯機もない生活で暇する時間なんてあるか??怒)と思うも、夫がお調子者なことはすでにバレていて、
「そうね。まぁ私もこれでも毎日忙しいのよ」と、
やんわり断られていた。笑
私たちの将来の話になり、私が「日本に行く選択肢もない訳じゃないんだけど」と言うと、
ハイディ「インド人は労働を(不名誉なこと)と考えるのよね」と。
え?
「私たち(ドイツや日本)は労働は「名誉」であり「美徳」と考えるから、その違いを埋めるのが大変よ」と。
背景は良く知らないけど、確かにうちのインド人も口とは違って日々ミニマムの労力を発揮してくれている。
人口も多い集団主義で、1つの品物を売るにも余計な仲介業者がちゃっかり入り、同僚もみんな適当にブラブラ働くインド(私はそれに耐えられなくて仕事をやめた)。
個人が能力を発揮する事は重要じゃない。頑張れば報われる世界なんて、想像出来ないのも無理はない。
色々と考えさせられる。
でもハイディは、インドに住むことを選ぶのだそう。
「ドイツに帰っても、IT化し過ぎて電車の乗り方も分からないわ。道を聞こうと思っても、教えてくれる人もいないのよ」と。何か、たまにトーキョーで感じる事と似てる。
インドもこの先、一部は先進国に近づき、越えて行く部分もあるだろう。
機械化合理化して、人と助け合う必要がなくなった時、それでもインドの面白さは残るだろうか?
「ねぇ、今夜は楽しかったね?そうでもない?
ねぇ、僕の英語イケてたでしょう?そうでもない??」
ハイディと別れた後、夫のこの面白さも、きっとなくなったら寂しいだろうなぁと思った。