北インド☆ゆるヨガライフ -11ページ目

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

最近は絶賛・解毒ワーク中だった私。

 

世界がひっくり返る情勢が続く中、なぜか私の内面もひっくり返っていた。

 

今までの思い込みが解けたり

誤解が解けたり

嫌だった過去も

必要不可欠な学びとして

見方が変わったり、

 

ネガティブな感情を

感じ切って解放して

サッパリ、ケロっとする

やり方を掴んだり。

 

 

前回のブログは個人的な記録になったのでアメンバー記事にしてます(アメンバー募集はしていません)。感情解放、毒出し、断捨離などを進めていて、私は至って元気。

 

 

前々回のブログを書いた時の課題は、「自分の時間をどう使うか」。

 

自由の効かないインドで専業主婦になったことで、どんなに「頑張って」るつもりでも、頑張る方向が違ってるよーなチグハグさがあり。

 

今まで大体、

他人(会社)のためにほとんどの時間を使い、

対価を受け取ることで「承認」されたような、

言わばイリュージョン(幻想)の人生を生きてた私。

 

決まってるって楽だった。

自分で決めなくて良い。

自分で悩まなくても大丈夫。

 

でもその中で常に疑問を感じていたので、フリーランスで仕事を受けて来た。ここに来てそれもなくなったので、はてどうしよう?となる。笑

 

主婦って気楽なのかと思っていたら、どうも私はその極意を知らない。「何のために」とか思って落ち着かず苦しい時間が連続する。きっと自分の時間を最大限に楽しむための魔法ってあるんだろう。その余裕が、私にはない。

 

毎日3食、引きこもって品代わりカレーを作る膨大な時間、日々願っていた。祈っていた。この時間は無駄ではないと。笑

 

 

 

 

コロナでいつもの日本での仕事も、風前の灯火になった今。あわや日本に帰る術がなくなるかもしれない。

 

本当に肚を決めて、私も変わるべき時期なのだとムクムクと感じている。自分の心から逃げ続けていれば、人生で大事な選択の時期も、何事もなく通り過ぎる。でも1度切りの人生には限りがあり、私はその大半が過ぎてしまった。

 

やみくもに悲観して何でも良いからと仕事を探す前に、今はひたすら、思考・感情・過去と再び出会うワークを続けている。

 

こんなに長く生きて、あれもこれもやって来てまだ納得が行かない。まだ許可が出せない。まだ自分を許せない。そのブロックを冷静に、でも今の私の愛情を持って癒している感じ。

 

条件付きの自分しか愛せない自分。

パートナーだって条件付きで見てしまう。

 

そんな窮屈な世界に留まりたいだろうか?笑

 

 

暇を見ていくつかのワークを進めて行くと、1つ1つのわだかまりがエネルギーに代わって行く感覚がする。人間の感情とか過去の昇華の仕組みが垣間見えたようで、焦りが消えて行った。

 

 

「何事も無駄じゃない」って本当なのだ。

 

 

過去のどんな失敗も、恥ずかしい思いも、辛い決断も、勇気の要る一歩も、〜させられた被害者意識も、罪悪感も、ネガティブ感情も、それに負けずに立ち直って来た今のためにあった。←ってよく聞くけど、実際どういう事なのか実体験する多分一歩手前にいる。

 

トラウマと向き合って

自分の一部として受け入れることが出来たら、

多分、得がたい宝物になる。

そういうエネルギーを持ってる。

 

不安、不信感、疑心暗鬼、自信のなさが、

優しさ、強さ、安心感、信念、勇気に代わる。

 

多分。笑

 

この世の中にも、1人1人の人生にも、困難は降り注ぐ。

どんな人にも訪れる。

 

強い困難を強い光にに代えて生きるのか、

その術を封印して、被害者のまま生きるのか。

 

いつだって選べるとも言えるし

時が来ないと選べないとも言える。笑

 

私的には、何となく納得した。インドの下町の主婦して引きこもった理由。自分と向き合う為だった。そして何度でも脱皮して生き直すための術を知るため。

 

まだまだ、毒はいっぱい出てくる笑。それどころか日々積もって行く。流産の事とか全く乗り越えられてない。まだまだ、作業は続くんだろう。

 

でもこれからは、なす術のない人生ではない。

トラウマと向き合って、卒業するのだ。

1つ卒業証書でもあげたい気分(勝手に)笑

 

 

周囲や環境に左右されてばかりじゃなく、

私は、どうやって生きたいか。

 

そんな明るい思考が出来るようになった。

 

おおらかに、朗らかに、安心して生きて行きたい。

外の条件に左右されず、内面の安らぎを深めたい。

どんな物事も工夫して楽しめるようにしたい。

物事の良い面を見て、作り出す人になりたい。

何事にも感謝して、ありがとうと笑っていたい。

周りの人を大切に、喜びを作っていきたい。

 

そんなところ。

 

悲しいことも大変なことも、人生でなくなることはないだろうけど、外の環境や医療などに頼るばかりではなく、自分の内側に全てを解決出来る力が眠っていること、みんなが分かる時代が来るんだと思う。

 

私はインドにいる間はやっぱりヨガやエネルギーワークで身体的なアプローチも続けたい。

 

トラウマは、解消できます。

 

的な。笑

 

昨日は食中毒と戦って1日寝込んだけど、今朝はスッキリ復活できた。

 

でも食べるとまだ胃がヒリヒリ。デトックスと思ってまだ食事制限かなー。

 

 

3月のホーリー祭までは大丈夫?と油断してたけど、急に暖かくなった。晩に多めに作ったベジ・トムヤムクンを捨てたくなくて次の日のランチにしてしたら、足が早かったらしい。

 

体調が悪く手も足も出ない時、体の痛みと相まって頭の中で例の「悪魔の囁き」が言いたい放題来るんだろう?と構えていたら、何も聞こえない。

 

1月に1度だけその声っぽいのを意識してから、リストに書き出すワークをしたら落ち着いてきた。過去の嫌な事を思い出したら「過去を思い出した」と意識的に言って切り替えたり。


昔、有名サイコセラピストの本をいくら読んでも頭に入らなかったのに、今は具体的なワーク手法の情報がポンポン入って来る。

 

 

軽い食中毒とは言え、胃の痛みと下しはもちろん、全身が毒素と戦うように強ばり痛んだ。例の謎の全身疼痛と似てる。アレも無意識の歪んだ思考が出す毒素と戦ってたのかもね。

 

夫が大家さんやお義母さんに聞いてくれた処方でレモンティーを飲み、ケチョディというお粥(ムングダル、お米、ターメリック、塩)を口にして、買って来てもらった薬を飲んだ。

 

インドの薬は大きくて色使いがキツイ😢緊急時にはありがたく飲みます。

 

 

2時頃に大家のアンティーが心配してお見舞いに来てくれた。「あんた大丈夫かい?」「うーん、まだダメです笑。お粥食べて寝ます」「そうかい。休みな」ってそれだけだけど、めっっちゃ嬉しくて涙が出る。

 

 

私は1人じゃない。

 

先週の気づきが現実になった。笑

 

 

何より私の分身みたいに必死で私を助けてくれる夫がいること、いつもいつも不思議に思う。元気な時は私は文句ばかりつけて、夫は返事だけ良くて右から左だし、これでもかとダラけてる。でも何かあると目の色を変えて奔走する。こんなに頼れる人がいて、まだ私はひとりって思ってた狂気。

 

人は自分の鏡だと言う。

 

夫が私の味方でいるように、私は私の味方でいるか

夫が私を見捨てないように、私は私を応援できてるか

夫が信頼する私の良さは、私には見えてるだろうか

 

見えてないから、謎だったんだよね。

 

 

「私の良い所って何だと思う?」と、ある日聞いてみた。

 

「うーん。。。僕の奥さんだから。。。へへっ」

 

だって。

 

夫はちょいちょい自分大好きだ。そして神さま大好き。自分が決めて神さまが認めた2人だから「間違いない。でへへ」と信じているらしい。そもそも細かい事を気にする能力がない?脳内ホルモン分けてほしいわー。

 

 

週末のローズフェスティバルにて。玄関の飾りを買ってくれる夫✨

 

 

日本などがコロナウィルスで大変という話をして、その後私が母とスカイプしていると「おかーさん、僕がトイレットペーパー送るから心配ナヒン」と割り込んで来て、母は大笑いしていた。その後私に「アマゾンで注文して」と自分のクレカをよこした。正気か?笑

 

母と久しぶりにゆっくり話したら、やはり私の良いところを一番良く分かってくれてて、切れた電線が繋がった感覚?がした。コロナウィルスで大変な時期だけど、私の声を聞いたら元気になるって言ってくれたし。私の頭の中の否定思考が、また1つ晴れて行く。

 

自信を持って好きなことをしなさい。

 

父との最後の会話を思い出した。

 

 

今朝は私が復活したのを喜んでくれて、ノリノリで朝食と昼食を作ってから出勤して行った夫。

 

仕方ないので、夫の靴下も頑張って洗ってやったわ。

(こっちの方が細菌テロ)

 

 

 

幸せって奴は、こうもこそばゆいものなのか。

下ろし立ての服の違和感のような。

 

1人じゃないって恥ずかしいしね。自分の弱さをさらしたり、人の弱さを拾ったり。前の私は、本当にそういうのがキライだったっけ。

 


 

先月。夫の出張中、台所のガスボンベが空になった。夫に電話すると、仕事中で忙しそうで「分かった」との返事。パンでも食べようかと思っていた1時間後。ガラン、ガランと何かが階段を上って来る。そして「バビジ(お義姉さん)!」とドアを叩く音。

 

出ると近所に住む夫の友人2人が、50キロ近いボンベを3階まで担いで来てくれた!台所に設置して、さらに空のボンベを回収。夫に電話すると「心配しないで任せとけ」みたいな事を言う。

 

インド男子はポパイみたい。力仕事して嬉しいらしい。

 

 

 

昨晩ふと、夫にはそもそも将来の目標とかあるのか?と疑問になり、

 

「あなたの夢って何ぁに?」と聞くと、

 

「夢なんてないよ」って。

 

「どうして?」

 

「夢があったら頑張っちゃって、タイヘンだから」と。

 

 

笑笑笑!

 

逆転の発想!!気付かなかったわ。すみません。

 

 

頑張らないこと、1人じゃないこと、競わないこと、欲張らないこと、分け与えること、助け合うこと、何でも話すこと、心配しないこと、恥を持たないこと、今を生きること。私の鏡の中のインドは、私の辛さを癒してくれた。

 

 

弱みを見せたら負けそうで戦ってたのは昔のこと。インドボケしてもう使い物にはならない。もう使われることもないだろう。


こんなに自由になったのに、自由になったらなったで途方に暮れる。子供も産まなくていい。別に無理して働かなくていい。さあ、足がすくむ感じ。

 


変なの。


 

ひな祭りっぽい色💓あ、もうすぐホーリー祭だ✨

何をもってして「現実」と呼べるのか。

十人十色とも言えたり、みんなそれぞれの「現実」があっていいとは思うけど。

 

「事実」さえも書き換えられる世の中で

どんな現実を信じるのか、その人しだい。

 

だから、可能性が広がる。

これからの現実をより良くする可能性。

今までの現実の、誤解を解く可能性。

トラウマを解消する可能性。


もっと自由に視点を選べるのだとしたら、

光のある現実を選びたいと願う。

 

 

頭の中の声を聞いて、それを意識し始めた時から、何気ない日常を送っているけど、過去にグイッと引き戻されてやり直すような夢(良い夢だけど)を見たり、SNSの知人の投稿にシンクロしまっくたり、今まで避けて来たジャンルの話題がグイグイ入って来たり。

 

あと心が敏感になりすぎて気が立つ感じがある。私大丈夫か?って思うけど、日常生活は大丈夫。気も狂ってない(と思う笑)。大事な時期かもしれないので、出来れば書いておきたいから、心理とか精神世界とか苦手な人はここでストップでお願いします。

 

 

 

今日の気づきは、

 

本当は

(現状感じることと逆で)

私は愛されていて

万全にサポートされていて

孤独にならなくていい

 

ってこと。

 

 

今日実は朝から気持ちが落ち着かなかった。春になると乾いた空気のせいか元々うるさい町の騒音がさらに共鳴する。そして近所さん、ドアも開けて網戸だけになるから爆音のテレビや大声の会話が響きまくる。


さらに隣のアンティーが陽気に誘われてうちのベランダで日向ぼっこしだす(毎回お帰り願うけど、なぜ1日3回も戻って来る?)。

 

もぉやめてくれーって感じで、

その勢いでドアとその上の窓の泥を洗い落とす作業に入って無心になりたかったけど、平常心に戻れない。夫に、このくそ狭小集合住宅なんとかならない?とメールするも「ごめんねー。愛してるよー。」と、何も解決しなかった。

 

当面解決出来ることは、私の内側にしかない。

 

それでメディテーションをした。

 

最近なぜか耳から離れないサナト・クマラというガイドスピリットの、ガイドメディテーションをYouTubeで引っぱった。自力で呼吸に集中するマインドフル瞑想は、気が立ってる時は無理。

 

色んなガイドメディテーションが世の中にはあるけど、声とか音の感じが「何かいい!」って直感で思うのを選ぶと良い。そもそも、その時々で合わないものが殆どだし、波長が合わないのはすぐ中断するといい。

 

 

今回のは「おおぉ?」という深みのある声のトーンで、意外性に魅かれたのと、ちょっと怖いもの見たさ。違和感を受け入れた途中から、心の中で色々な事が起こった。

 


聞きながら、私の過去で最大のつまづきと言えるような場面がいくつか現れた。一生乗り越えられられるかどうか怪しい、どこからどう考えても、何年経っても自分を完全に許せていない出来事たち。

 

で、今日見たシーンで、私は毎回毎回、1人きりだったことに気がついてしまった。

中学生のあの時も、20歳だったあの時も、その後のアメリカでも、いつもイザと言う時には1人きり。

 

そして今も、インドで1人きり。。。に、なりかけている。

 

ぶわーっと、涙が流れて止まらなかった。

 

え?どういうこと?って。

 

1人きりで全部処理して、誰にも悟られまいと平気な顔して過ごそうとしている過去の自分が見えちゃって、でも今見ると、そんなことやってたらトラウマになって当たり前だし、本当にバカだったんだなって。

 

誰にも言わない様に必死で自分を止めながら、内心は助けを求めることを止められないし、そのうち年月が過ぎて「あの時も、次も、いつも」周りは誰も助けてくれないと思い込んでいる。


全部自分のせいだからって。


 

メディテーションのガイドを聞きながら、小さかった頃、父や母、祖母たちが私をどんなに大事にしてくれたか、その温かい感覚が蘇った。

 

まだ私が、変に突っ張ってその手を振り払うことを覚える前のこと。

 

転んで少し傷しただけでも、包帯とかおまじないとかでいっぱい手当てしてくれた。トイレで呼ぶと必ず来てくれたし、楽しくお風呂に入れてくれて、かわいいウサギの爪切りで爪を切ってくれて。いつも双子の妹と色違いで服をコーディネートして着せてくれて。

 

小学生になると私のワガママが始まった。ある時は母に髪を切り揃えてもらおうとして、でもうまく伝えられない私の要求は止まらなくなり、さんざん母を困らせた。売り切れのおもちゃを探してクリスマス前、父を深夜まで車で走らせたり。ワガママになったのは私。着せてくれるものは気に入らなくなり、夕飯ギリギリまで友だちの家にいたり。

 

私は突っ張ってたんだね。

父も母も、仕事で家にいない人たちだった。

持て余されても理解されなくても、仕方のないことだった。

 

色んな原因があるんだろうけど、今日見えたのは小ちゃなツッパリの私。

 

もしも娘の一大事を知っていたとしたら、駆け付けないはずがなかった両親。親としての試行錯誤の日々。そんな「もう一つの現実」が目の前で温かく展開された。


忘れていたのか、見ないようにしていたのか。

 


もしあの時私が、「聞いて」と言えてたら。

夜中だからって遠慮せずに、一本電話出来ていたら。

ああなる前に、話せていたら。

 

そんな事ばかりだった。本当は。

 

私は本当は、1人で生きていい存在じゃない。

 

愛されてこの世に生まれて、周りの皆んなに大事にされていた存在。

 

それを、どこをどうして自分勝手に突っ張って来たのか、何を守ってそんな風になったのか分からないけれど、そんなものは全然大事じゃなかった。勝手な思い込み。

 

周りに迷惑をかけちゃいけない、手を煩わせちゃいけない、心配かけちゃダメ、お金の負担をかけちゃダメ、なるべく時間をかけずにとか、なるべく時短でとか、そんな事を気に病んで、大事な事を忘れてる。

 


頑固な思い込みが見えた。「何故だか分からないけど、私は迷惑をかける事ばかりやらかす(起こる)から、なるべく他人さまと関わるべきじゃない」と思って必死に結界を張ってる。

 

でも育つ過程で人の手を煩わすのって、今考えるとフツーのこと。

長い人生、誰にでも大変な事は起きるだろうし、それは私だけが悪いからでも、人に迷惑かけるからでもない。

 

むしろ、そこから復活して成長するためにあるのに、

いつまでもウジウジしてたら成長止まってるわ!!!

 

↑トラウマ、トラウマって悲劇チックに呼んで酔ってたのかもだけど、成長を止める変な幻覚剤みたいなもの。


現実に起きたこと、歪めちゃってる。


 

今の自分がどんなに突っ張って内心苦しんでたか

よぉーーーーやく分かった。

 

 

無意識で思い込みのパターンを自動的に繰り返してた。

 


かなり強固に思い込んでいる「現実」。


でも何を信じるのかは選べる。忘れてた事実や、封印してる真実や、自分についてる嘘から早く自由になって、


せっかくなら、愛のある現実をつくりたい。

 

もっともっともっと、幻想の苦しさから目覚めていきたい。

 

 

今日のメディテーション。私には結構強烈でした。びっくりした。

マハ・シヴラートリのお祭りが来て、また今年も寒さ厳しさを越えた実感がある。

 

今年は断食をした。完全断食のカルヴァチョート祭と違って、今回はチョイ断食。


水、ミルク、果物は食べてOK。(精神性を刺激すると言われる玉ねぎ、ニンニク、チャーイ、コーヒーは✕)

 

特に体もしんどくなく、台所に立つ手間も省けて楽々な1日。

 

インドの女性がする断食は宗教行事であり、女性をねぎらう習慣でもある。身体はデトックスできるし、お祈りと瞑想で緊張も緩む。

 


特大パパイヤ😅張り切った夫が買ってきた。

 

1月半ばのある朝。


頭の中から、声が聞こえた。(私にはとても大事な事なので書いてみます。)

 

いわゆる「悪魔の囁き」?と言うか、無意識の自己否定のようなもの。


声にもならない意識。


 


ここ2、3ヶ月、寝起きの意識が重かった。何を変えてもスッキリ目覚められず。力づくで起きる朝。

 

その重たさが、その朝は


「#'&%=+`...$"%*+...!」


って、何か言ってた。悪態ついた。笑


 

で、その(聞こえた?)日から、少し気分が軽くなったって話。


(幻聴とかお化けじゃない。)

 

抑圧した「否定的思考」が、眠い朝に限って、意識の柵を越えてこっちに来たのかも。


言葉にならない声。後で思い出すと、


(○○だから、きっと今日も○○だよ。)


みたいな、ガッカリさせるコトを言う。


(普段わざわざ言わない様にする奴。もとい、真冬のインドで出てきちゃ困る奴。)



言わない様にするのって

そうしたいからするんじゃなく、

気を張ってないと

ダメになりそうだからで。

 

人生頑張らなきゃいけない場面もある。

耐えなきゃいけない時期もある。

ま、それは良いとして。

 

 

出てきたからには、どうしよう?と。


またどんどん埋もれてしまって、思いもよらないところで悪さをしても困る。

 

それで結局、書いて「見える化」して、どんなにドロドロな奴なのか然と見てみることにした。

 

最初はとても筆が重い。

頭痛がして吐き気もしそう。

これ、私じゃないよね?って。泣

 

でも、少しずつだけど、その正体を見ることで心が晴れて来ている。


ただの勘違いが埋もれただけ。

今さら見るの恥ずかしかった、みたいな。



春の下町。もうヒーターをしまってもいいかな?


今朝は謎の声と闘わずに起きた。

身体がちょっとだけ軽くなった。

例の全身疼痛はぶり返したけど、ヨガに通ったら全身筋肉痛になり、どっちの痛みか判別がつかなくなった。

半年ぶりに笑える夢を見た。

朝から逆立ちのポーズをした。

今日は晩ごはん作るのやめた。



春が来たのかな。


トラウマや思い込みを抱えやすい私は、自動的には心は晴れない。頑張るほど裏目に出る。でも正体が分かったから、もう怖れずに、絡まった糸を解いて行こうと思う。



日本の甥っ子姪っ子とスカイプをした。春から無事に小学校へ。母である妹は手一杯らしい。お互い中年やるのもヤワじゃない。


コロナとオリンピックで頓挫していた私の一時帰国も、やっと叶いそうな兆し。




辛いことがあったとしても

あなたのせいじゃない。



何が言いたいかって、そう言いたい。

それが真実だと思う。


トラウマなんて、なくせると思う。

北インドもだいぶ暖かくなり、最高25℃、最低は13℃くらい。この冬は例年と違って、寒さに負けなかった。少しは気力が続くようになったのか。

 

なるべく3食作りたての食事も続けられたのは、去年姉に頂いた冷蔵庫のおかげ。1年前まで室温で野菜を管理し、肉はさばきたてを稀に買い、加工食品はなかった。今もたまにバターとチーズを買う程度。

 

と言ってもインドの伝統食には冷蔵保存はほとんど要らない。精製バターのギーも、オイル漬けのアチャールも常温保存。夫の村では朝しぼりたての水牛のミルクから、ヨーグルト、バター、ギー、ラッシーを作ったそう。都市でも野菜売りのリヤカーが朝夕家の前に来る。新鮮なものばかり食べられるなんて、先進国では出来ないことだ。

 

私も若い頃は電子レンジがあったけど、今はもう使わない。鍋で温め直すと洗い物が増えるけど、無駄なラップを使わず食材の栄養素も壊れにくい。

 

面倒めんどうと言いながら、結構このエコ生活が気に入っている。最初は戸惑ったものの、せっかくだから先進国の「普通」から脱皮したいと思った。自分たちの健康や環境や、次の世代を少しでも汚さないためにも。

 

でも今年はエアコンは検討中。インドの高温多湿は、完全に心身をミュートしてしまうから。まぁご近所さん全員ミュートしてるから、気にする程でもないのだろう。日本とやり取りする仕事も、去年で終わりにしたことだし。

 

日本と仕事をしてい時、今の環境との温度差が日に日にキツく感じられた。どっちが現実なのか?って笑。どっちも現実なんだけど、昔は当たり前だった担当者の「押したり引いたり」な態度が、本当に異物のように感じられた。

 

どっちも現実だけど、どっちが好きか?どっちを選ぶか?

 

こっちを選んで唯一困ることは、私の頭の中にしか存在しなかった。心配していた事は何も起こらなかった。あなたのために、あなたのせいでと駆け引きされてた相手の事情も、もう私の心を脅やかすことはない。

 

 

ところで。

これまで私が自分の思い通りに、あれが買いたい、引っ越そうなどと言う度に、夫は一度もノーと言わない。あまり張り合いがないものだから、やっぱり日本で暮らそうとか、そうだムンバイで働こうとか、全く現実的じゃない提案をしてみても、どうしてもノーと言わない。

 

私がいつもしているのとは逆で、夫が私に強く何かを要求することはない。

 

何か一緒にしたい時は「○○に行ったら△△が出来るし絶対楽しいよ〜」とニコニコ。→楽しそうなので、面倒だけどまぁいいかと私も一緒にする。

 

何か手伝ってほしい時は「君は休んでて。僕が全部やるから心配しないで」とニコニコ。

(→ちょっと気が休まって、結局私がやる)

or(夫は忘れてやらない→必然的に私がやる)

 

私、何か騙されてる??

それとも怖がられてるのか。笑

 

 

私とは正反対の言動がいまだに不思議。インド人だから?私の思う「当たり前」は、彼には全然当たり前じゃない。夫を見ていると、楽する事は悪じゃないし、楽しむことは面倒じゃないことに気づく。

 

そして、長年その逆をしていた自分にゾッとする。笑

 

 

昨晩は夫、お義母さんからの電話をスピーカーにして話しながら、チャパティを焼き夕食を準備して、さらには食事を始めようとした。

 

長電話を切れないの?と不甲斐なく思ってしまった私。夫に代わって電話に出ると、お義母さんは言葉の分からない私のため、声のボリュームを大にしてゆっくり何度も話を繰り返し始めた。

 

(さっき夫に言ってた事と同じじゃん?)と、

 

「はーい、ありがとうございます。全部大丈夫ですから、心配しないで。今からゴハン食べます」と、

 

テキトーに返事をして電話を切る私。

 

お義母さんが言っていたのは要するに、


サンニ(夫の弟)の結婚式の服を... 市場で... 沢山買うから... あなたも村に帰って来てってことでしょ?(断片的にしか分からず)と。


(分からないのに早とちりで誤解したり、不安になる悪い癖がついている。)夫に確認しようと、

 

私「5月の弟の結婚式の衣装、私たちが買うの?」と聞くと、

 

夫「うん。サンニとお嫁さんに服を買うしきたりだからね。」と。

 


。。え???混乱する私。

 

 

私「お義母さん、私たちにサンニの結婚衣装を用意してってこと??」

 

私の変なパニクり気味を見て何かを察した夫、

 

「ちょっと待って。僕が説明するから」と、一呼吸置いた。

 

夫「まずね、母さんは君に、サンニの結婚式に君が着て行く服を買ってあげるから、村に帰っておいでって言ったんだよ。チャンディガールは物価が高いから村のマーケットでって。母さんのお金で買ってあげるって言う意味だからね。」

 

私「。。。」

 

夫「それと、僕と君からサンニとお嫁さんに服を買うっていうのは、兄姉全員が新郎新婦に贈り物をするしきたりだからなの。僕らの時も姉さんたちから貰ったでしょ?カジュアルな服でもいいから、1着ずつ贈るだけだよ」と。

 

私「。。。ごめん、勘違いした。。。」

 

夫「僕がいるんだから、何も心配することないのに。」

 

 

いやいや、

お恥ずかしい限り。。。

 

 

とっさに、去年の自分たちの式準備の大変さがフラッシュバックして、すっかりお義母さんの好意を誤解してしまったよう。去年はほとんど自分たちで手配したり交渉したり、インドの村の披露宴はエラい大変だったのだ。

 

夫がさらに説明してくれたところによると、お嫁さんの衣装やメヘンディ、メイク、ヘアセットはお嫁さんの実家ですると(だよね?私の時は外国人だから実家がなかったけど)。

 

お義母さんが用意するのは、サンニの衣装や夫婦の指輪、親戚の乗るバスや会場設営費、炊き出しの人員と材料、お坊さんや音楽隊の費用、そして2人への贈り物(ベッド一式やメイク道具、ドレス数着)を持つ。

 

でも夫は長男なので、その他の細々とした手配や出費、雑用はカバーすることになる。(招待状、新郎の首飾り、ターバン、新郎新婦が首にかけ合う花輪、お菓子、お茶、お酒、親戚の食事、宿やタクシーの手配と費用など)。

 

あれ?

 

結局そこそこタイヘンじゃん!

 

今までも大体は最初に言ってることと結果が違う。「何も心配しないで僕に任せてればいい」と言う割には、貯金額足りなくないですかー?

 

でも、お義母さんの好意は素直に受けとらなきゃ。

 

「お義母さん、スーツ何着くれるって?」と一応、私。

 

夫「君には2着って。」

 

私「へぇー。じゃあ、お嫁さんには?」

 

夫「5着作るって。。あれ?何か多いねへへ。」

 

お義母さん、ようやく末の息子が結婚するの、相当嬉しいんだと思う。スーツの数は、きっと変わっちゃうかもだけど。笑

 

 

誰が何をいくら払うか、それも大事。でもインドでは、

 

楽しむことは面倒じゃなく、

楽することは悪じゃない。

 

らしいです。

 


最近得意になったチキンビリヤニ😃時間もかかる😃
20代の終わり、玄米菜食カフェに勤めた。
 
毎晩終電で帰るデザインの仕事は、夢とは違う現実で、よいよ身体を壊しかけていた頃。
 
アパートの向かいの古民家に、黄色いワーゲン🚌が停まった。覗いて見ると、若者たちが自ら改装してカフェを創っていた。
 
そのまま世間話がてら私も働いてみたいなぁと言うと、次の日には面接、翌月にはホールに立っていた。おばちゃんが作る料理は優しい味で、流行りのマクロビメニューもあった。パートの姉さんたちはパワフルで、才能溢れる若い子たちは、毎週アートや音楽のイベントを繰り出した。

3食まかない付き、いつもたくさんの人の中にいて、笑顔や優しい言葉があって。
 
私が大切にしたい価値が何なのか、ようやく思い出した日々。
 
人の間にいること
自然の物を食べること
手間をかけること
表現を楽しむこと
夢を語ること。
 
自分らしさ全開の仲間の中ですっかり元気になり、再び自分の夢に向かうため、2年後そのカフェを後にした。

あれから10数年。巡り巡ってインドに住んでいるのは、偶然ではないのかも。
 
 
今住んでいる町は、人と人との距離が近い。
朝から晩まで誰かが誰かを呼ぶ声がする。笑
 
子供たちの遊ぶ声や泣き声、家族がベランダ集う時の表情、スパイスを叩いて粉にする音、チャパティの焼ける香ばしい香り、干された洗濯物の種類などで、近所の人たちのことが大体分かる。
 
ここには確かに、手間ひまかけた生活、人の間にまみれる暮らし、添加物のない食事、笑顔の絶えない毎日。。そんなものがある。
 
自分が本当に大切にしたいことは、必ず目の前に現れると言うけれど、本当にそうかもしれないね。
 
でも逆に、本当に大切にしたいこと以外は、そうは叶わないのかも。
 
私の大切にしたいことは、何故か日本ではなくインドに現れた。だから苦労もコミコミで叶った夢。私たち夫婦にはお金はないし、便利な家電もお洒落な部屋もない。
 
世界はうまく出来ていると思う。笑
 

最近、ない物ねだりをしてる自分に気付いた。周りと比べてガッカリしたり、人並みじゃないと焦ったり。
 
でもその羨ましく思うもの、キラキラした誰かの何かは、私にとってそれほど大切じゃなかった。大切なものだけ追いかけて、このインドまでやって来たのに。

大切なものは、目に見えないものかもしれない。
その人にしか分からない価値かもしれない。
 
本当は、持たざる者を憐れむ必要も、そのことを怖れる必要もないと思う。
どこの世界の誰にでも、その人なりの幸せが用意されている。
 

辛い出来事だって、ちゃんと役割がある。
 
私は
いっぱい挫折しなければ
大切なことに目覚められず、
心を病まなければ
人の弱さに寄り添えなかったし、
病気でなければ傲慢だったろう。

子供ができていたら、きっと夫と離れ離れ。
私たちの天使は、それを知っていたのかな?
 

流産を繰り返した時。いい年をして絶望して、あると思っていた自信はぜんぶ崩壊した。インドに住めど現地語も話せず、仕事も毎月のお給料もない。
 
あると思っていた自信は私のものなんかじゃなく、日本や社会に与えられたもの?
 
もうダメだわ私、と、ドラマチックに落ち込んだのに、隣のインド人はさっぱり理解してくれなかった。
 
自分を恥じるなんて、おかしいよって。
自信なんて、自分勝手に失っちゃいけない。
必要なものは全部、神さまに与えられている。
だから心配せず笑っていれば良い。
何もしなくてもいいからと。笑
 

私が大切にしたかったものは
ここにあるんだよね、全て。
 
たまに見失うけれど。笑
 
 
周りと比べたり、無理して社会に合わせたり、常識をふりかざしてみたり、見てみぬふりをしたり、長いものに巻かれたり、人目を気にしたり、人並みに出来ないと恥じたり。
 
そういう時があって、大切なものが見つかる。
挫折しても絶望しても、誰にも奪えないもの、失うこともできないもの。
 

大切なものは多分、今ここにあるもの。

公園で寄り集まって座ることの多いのが、インドの好きなところ。

昨日、1年目の「披露宴記念日」を迎えました。

 

結婚から数年経って披露宴をしたため、新婚気分はもうないのに、一気にやって来た親戚との付き合いや結婚の責任みたいなものを、淡々と処理しながら乗り切るような日々。

 

無事に健康でいられることは何物にも代え難く、感謝の気持ちを新たにしています。

 

2人で沢山の薔薇が見られるローズガーデンに行って来ました。

 

 

さてその記念日前日。夫が突然「今日から2日間、休みになった」と言い出した。

 

連休はほぼ半年ぶり。でも当日に言われても何も計画が立てられず、旅行にも行けないのがショックでちょっとイライラ。

 


日中は買い物やローズガーデン、屋台のはしごに連れて行ってくれ、でも毎回私に「ハイ次はどこ?」と聞いてくる夫。記念日の計画とかしないの?

 

しかも何かソワソワしてるので問い詰めると、その夜、幼なじみの飲み会に誘われていると白状。

 

私は本格的に機嫌が悪くなってきた。夫がメーカー勤務になって以来数ヶ月、ただでさえ宿まりの研修や飲み会が増えたのに、何十人もいる親友(悪友)とまだ付き合うの?と。

 

お酒弱いのに飲むから、帰ったらろくに話も出来ず、家の用事も滞る。

 

私も何度も止めようと墓穴を掘ってしまった。「一年ぶりに中国から一時帰国してる友だちだよ」と夫は悲しそうな顔をする。ずるい、私が悪いみたいにと、アウトローな気持ちになる。

 

記念日に飲みに出かけるなんて(正確には前日)こんなダメな関係1年持ったのただのマグレだったと、悲劇のヒロインぶって後悔した。


スマホのゲームに逃げる夫をバシっとやりたい気持ちを抑えるので必死。あわやDV。記念日が記念日でなくなりかけていた。

 

 

インドの下町に頑張って適応したと思ってたけど、とんでもないヤセ我慢もある。言葉にならない悲喜こもごも魑魅魍魎?何でもある。

 

これだけ自分を見失って、一点集中狙い撃ちで夫に全てを押し付けて、やるかやられるかに持ち込んだら、確実に壊れる。

 

苛立ちは怖れだと頭では分かっている。何度も失敗してきた過去。それを許せていないフリ。被害者のフリ。ブリっ子は聖子ちゃんだけでいい。

 

今ココが底辺であることを願った。

 

よっこらせと浮上するしかない場所。

 

願いながら、自然と呼吸に集中しようとしていたよ。乱れた呼吸は中々元に戻らない。頭痛がしても戻らない。自分の呼吸も操れずに、何ができると思ったのか。

 

ヨガで習った呼吸法にやっとこ救われた一人きりの夜。

 

 

激込みの野菜市場の片隅に見つけた屋台のドーサ。本格的に美味しくて、市場疲れが癒やされます。

 

 

記念日当日、夫は家にいた。

 

お昼は腕を振るってラージマ&ライスを作ってくれ、廊下、台所、部屋の床掃除をし、洗濯物を干していた。あとはゴロゴロゲーム三昧でも、夫なりの誠意は素直に嬉しい。

 

彼も精一杯なのはよく分かっている。休みなく働いた労力が全て生活に消えて行く苦労、先の見えない国際結婚をした不安。

 

自分以外の何かを優先したり、我慢したり、そんなことに何の意味があるのか。何の形も実らない今は、不安に負けないように気を紛らわせたい時もある。

 

子供もいないのに、これから2人で何を育てるんだろう?

 

節目なので改めて聞いてみた。

次の1年は、何を大事にして行きたいの?と。

 

夫「健康で幸せに暮らすこと。2人で一緒にいること。この先もずーっと。」

 

。。。


お正月に言ってたのと同じですよね?


  

行き先のない旅をすることになるなんて、1年前は知る由もなかったなぁ。。


披露宴前の夫とお義母さん、最上の笑顔の図。この人たちと旅をする人生やいかに。

 

先日、ドイツ人の友人ハイディに誘われ、夫と一緒に出かけてきた。

 

ハイディは夫パソコン店の元お得意さま。美術関係の仕事をしている。年齢は私の親世代。でもなぜか私たちを気にかけてくれ、たまに呼んでくれる。

 

隣町の中華レストランで待ち合わせ。時間を過ぎたので電話すると「今スゥイーティーを寝かしつけてるから遅れるわ。入って待ってて」と。

 

スゥイーティーはインドのローカル犬。その昔、縁があって母犬のお産に立ち会って、生き残った最後の1匹だったとか。

 

一昨年、長年一緒に暮らした画家の親友ピミが亡くなってから、ハイディはスゥイーティーと2人暮らしだ。

 

 

 

お店に入って席に着くと(そこそこ)完璧なテーブルセッティングに目が行く。マナーに厳しい(というか、自分なりのこだわりがある)彼女らしいお店。常連なのかな?

 

しばらくして彼女が到着すると、ウェイター3人とマネージャーがワラワラと出迎えた。フレンドリーで対応の早いスタッフ。なるほど。彼女がこのお店を指定した理由が分かる。

 

多少なりともドイツ人らしさ?だろうか。堅実なハイディは、いつもハッキリと要求を通す人。今までも、インド人の夫がインド人っぽい話をしても、自分の筋を曲げることはなかった。インドのレストランがインドのサービスをして来ても、自分のスタンダードを妥協することがない。

 

それって凄い事だなぁと思う。

 

私と言えば、最近はインドへの期待も責任も放棄している感じ。

 

例えば日本レベルのサービスを求めるなんて、インドでははなから無理だと諦めている。期待して外れる度に、感情的に傷つく始末。

 

でも、ハイディは違う。

 

今回も、最初のお茶からスープ、前菜、メイン、水のタイミング、お勘定に至るまで、さり気ないけど、一切妥協なく交渉し続けていた。

 

最初のジャスミンティーは濃すぎたらしく

「香りが失われてるわ」とすぐ淹れ直させ、

 

前菜のソースは、確かに付けない方が美味しくて

(彼女に付けないで食べてと指定された)

 

メインは「唐辛子抜きで」が実践されておらず

速攻作り直してもらい、

 

最後に残りものを包んでもらう時には

「2袋に分けて」が、1つにまとめられていて。

 

ドイツも中々だけど、インドも最後までしでかしてくれた。笑

 

和気あいあいと冗談を交えながら申告すると、その度に4、5人がかりでワイワイやってるインド人サービスマンたちも笑える。言われて楽しいの?

 

ハイディも決して気分を害したりしない。上機嫌で、でも確実に要求を通して行く。長年インドに暮らすだけあって「長ーい目」でインド人と付き合っていることが伺える。

 

結果、全てが要求通り。笑

 

 

発展するインドでは「教育が大切」と言われる。

 

私も日々インドの壁を感じている。夫や友人、親戚と話していても、中々共感出来ない事ばかり。その度に「知らないからだ」と、やるせなく、時に腹立たしくもなる。

 

ハイディだって、そうだったかもしれない。でも長年(30年?)インドで暮らすだけに、知らない事を責めて感情をぶつけても何も解決しない事はよく知っているよう。

 

その代わりに、根気強く周りのインド人に「教育」の機会を与えている様に見える。

 

彼女のこだわりの強さ、譲らなさは、そういう根っこがある気がした。


 

インド人のミスには悪気はない。

 

でも「こちらから言わないと動かない」と笑っている。

 

言うのが苦手で遠慮する性質の日本人の不得意分野。でも目の前で鮮やかなお手本を見せられると、本当に参考になる。

 

 

ハイディは私たちへの「教育」も欠かさない。笑

 

夫には、

「お店に着いたらコートは脱いでも大丈夫。」

 

私には、

「お願い。アシーシ(夫)に自分で料理を取ってもらって」と。

 

居酒屋気分でうっかりしたけど、レストランで夫に料理を取り分けるのは、私も好きではない。夫は「いつでもどこでも、取り分けて欲しい」文化の男性。つい甘やかしている事、誰の為にもならない事、きっと普段もいっぱいやってる汗。

 

言ってもらう事で、夫も気がつくようになるので助かるのだ。

 

 

「行きつけの店」を作るのも、大事だなぁと思わされた。

 

一見さんではお互い相手にしなくても、長く通えば意志が通じるようになる。インドは平等性はないけど、常連とか同郷とか、内輪の情で動く。

 

インド人みんなには分かってもらえなくても、分かってくれる人や場所がいつもある安心感って、それだけで毎日が違って来るだろうなー。

 

最近ウツ気味の私。白黒思考で、みんなに分かってもらいたいとか、誰にも分かってもらえないとか、無意識に極論の間で疲弊しがち。そんな私にも突破口があるのかもしれないと希望がよぎった。

 

分かってくれる人は、分かってくれるから大丈夫っぽい!笑

(コミュニケーションスキルは要るけどね↓)

 

 

日独印、文化の違う3人は、会話も凸凹で面白い。

 

夫は元お得意さんに良い印象を残したいのか、最近上達し始めた英語を駆使して、最新のインド事情を解説し出す。(やめときゃいいのに笑)

 

夫「モディ首相の新政策のおかげで、低所得の国民は全員が無償で医療給付を受けられるようになったんだよ」

 

私「え?医療給付って風邪でも?」

 

夫「ううん。事故と発作や手術の場合。24時間後から申請出来るんだ」

 

私「。。。(初耳)」

 

ハイディ「I don't believe you.」(開口一番。笑)

 

夫「本当だよ。僕にも書類が送られて来たよ」

 

ハイディ「I don't believe you.」(2回目)

 

夫「新聞記事もあるから、今度送るよ」

 

ハイディ「It's impossible.」(全否定)

 

真相は知らないけど、いくら否定されても果敢にインド自慢を止めない夫と、平均的なインド人のガセネタ具合をよく知るハイディの攻防が面白い。

 

ハイディと話す時の夫は、ただドヤ顔したいインド人っぽい側面を見せる。普段私には見せない顔なのが面白い。

 

「手伝う事があったら、いつでも行くから」とか

(休みもないのにいつ行けるんじゃ?)

 

「僕が行けない時は妻が行くよ。毎日家で暇してるから。アハハ」とか。

 

私は内心(アハハ?洗濯機もない生活で暇する時間なんてあるか??怒)と思うも、夫がお調子者なことはすでにバレていて、

 

「そうね。まぁ私もこれでも毎日忙しいのよ」と、

 

やんわり断られていた。笑

 

私たちの将来の話になり、私が「日本に行く選択肢もない訳じゃないんだけど」と言うと、

 

ハイディ「インド人は労働を(不名誉なこと)と考えるのよね」と。

 

え?

 

「私たち(ドイツや日本)は労働は「名誉」であり「美徳」と考えるから、その違いを埋めるのが大変よ」と。

 

背景は良く知らないけど、確かにうちのインド人も口とは違って日々ミニマムの労力を発揮してくれている。

 

人口も多い集団主義で、1つの品物を売るにも余計な仲介業者がちゃっかり入り、同僚もみんな適当にブラブラ働くインド(私はそれに耐えられなくて仕事をやめた)。

 

個人が能力を発揮する事は重要じゃない。頑張れば報われる世界なんて、想像出来ないのも無理はない。

 

色々と考えさせられる。

 

でもハイディは、インドに住むことを選ぶのだそう。

 

「ドイツに帰っても、IT化し過ぎて電車の乗り方も分からないわ。道を聞こうと思っても、教えてくれる人もいないのよ」と。何か、たまにトーキョーで感じる事と似てる。

 

インドもこの先、一部は先進国に近づき、越えて行く部分もあるだろう。

 

機械化合理化して、人と助け合う必要がなくなった時、それでもインドの面白さは残るだろうか?

 

 

「ねぇ、今夜は楽しかったね?そうでもない?

 ねぇ、僕の英語イケてたでしょう?そうでもない??」

 

ハイディと別れた後、夫のこの面白さも、きっとなくなったら寂しいだろうなぁと思った。

子宮腺筋症の闘病記です。苦手な方はスルーして下さい。
(痛い、辛い、暗いかも!)
 
※自分の記録と、似た状況の方たちへの情報として記します。
 
 
ヒマーチャル州西部、山のお寺からの景色。なんにもない。笑

 

体調は、山場を越えたよう。生理12日目。
 
先月・今月と治療のための服薬を中止していた。
 
ディナゲストという黄体ホルモン剤は、生理と排卵を止める。でも副作用があるため、大きな予定のない時期には時々やめて、こうして生理を起こしている。
 
再開する重い生理と貧血、全身の疼痛には苦しむけど。
 
 
薬を飲んでいる時は、治らない病気にかかっている事は忘れている。
 
子宮腺筋症になって11年。子宮内膜が子宮壁の筋肉内で増殖し、健康な人の何倍も子宮が大きく、生理は死闘だ。
 
確率した根治療法がない。
対処療法で症状を抑え続けながら
 
閉経まで待つか、
それとも子宮全摘するか。
 
 
結婚して流産を繰り返し、やっと今、選択肢を考えるようになった。
 
 
先日ある方のブログを目にして、すっかり埋もれていた記憶が蘇った。
 
「子宮腺筋症核出術」のこと。
 
そう言えば日本にも1箇所だけ、病床部分のみを切り取る子宮温存手術を確立した病院があったこと。保険の効かない先進医療だ。
 
忘れていたことに、びっっくり。
 
 
この病気になった当初は、必死で調べた。当時はまだ30代になったばかり、仕事は面白いけどむっちゃ長時間勤務、付き合う人とは結婚も考えられない。
 
この病院、はるか遠方の地方にある。
 
誰のサポートもなく生きなくちゃいけない身で、医療保険も高額療養給付も効かないリスキーな手術、長期入院、病後の療養などは論外だった。
 
一人で生きて行く。
 
そう決心して、きっぱり諦めたのだった。
 
それで記憶からも消えてたなんて。
 
今思うと、子宮の病気を抱えることで、結婚を遠ざけていたなーと思う。相手からすれば、子供を得るチャンスが減るのだから。
 
(腺筋症と不妊の相関関係は、医療機関では明確に指摘しない。長期治療への希望を持たせることに重きが置かれる。でもネットで論文は読めるからなー。)
 
 
しかい何を間違ったのか、40代でインドで結婚してしまった。
「子供は難しいかもよ」と何度夫に確認しても、無邪気に「君が健康ならいいよ」と。子供がいない結婚生活の意味なんて、経験のないうちはとうてい想像にも及ばない。
 
流産3回。外国人との結婚は地域で異例のことで、反対にあって抵抗したりもしていた。その流れで、どうしてもこちらで披露宴をしなくてはと必死になっていた。
 
「一人で生きていく」と決めていた頃は、少なくとも自分の身体のケアは出来る範囲でしていたのに。
 
今は、自分の身体が1番になってない。それが、ヤバいと感じる事。
 
事実、簡単な病気ではない。
 
 
インドのお義母さんや親戚は、「子供が出来ること」が今の最大の関心事。現代医学の診断には聞く耳を持たず、「医者はいい加減言うから」と、何と村の巫女さんに「元気な男の子が生まれる」と神託を告げてもらっていた。
 
事実はどうでも、心が揺らいだ。
 
期待に応えられない自分。
善意を受け止めることができない。
 
せっかく家族になったのに、情けないもんだなと。一瞬。
 
でも私、情けない事には慣れている。他人の期待に応えない術も知ってる。どこまでも「私の人生」だってことも。学ぶべきなのは、自分の人生の、責任の取り方。
 
 
村の人たちの考え方が悪いのではない。善意は受け取ろうと思う。ただ、この世の中にはコントロール出来ない事がある。そんな時は、人事を尽くして天命を待つ。ただ謙虚に、目の前の日常を生きることも尊いと信じて。
 
保険会社にメールした。やはり先進医療はカバーされない。
温存手術は、子供を希望する人が優先だ。
貧血のせいなのか、タイムリミットは過ぎた気がした。
 
決断を下す責任。
前に進む責任。
 
何があっても、希望を持って生きられればいい。
 
 
最後の流産から、子供を持つという希望を絶ってみて、もうすぐ2年。子供好きだから寂しいな。近所の悪ガキさえ可愛く見える笑。でも命って、来ない時は来ないもの。
 
私の本分は、きっと他にあるんだろう。


私の人生は、これまで子宮と一心同体だった気がする。
 
感謝して、
元気になって、
もっと強くなるのだ。笑