北インド☆ゆるヨガライフ -10ページ目

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

昨日、水星が逆行に入ってから、私はやっぱりヴェーディック占星術の復習をしたくなっている。

 

水星の逆行時期は過去からやり残している事に取り組んだり、自分の内側を見つめて内観をするのに適した時期。

 

(新しい契約や事業には向かず、思考、交通、通信、コミュニケーション、電化製品には支障が出るとも言われる)

 

 

先日苗を買ってきたブーゲンビリアの真ん中に、可憐な白い花が咲きました♪

 

 

 

私にとって「ヴェーディック占星術」は何かと言うと、

自分をより良く理解して人生を歩むためのツール。

 

そして奥深いエンターテイメントの1つでもある。

 

学んでも学んでも学ぶ尽くすことがないという醍醐味がある。

一生楽しめるエンタメ。笑

 

 

みんなのためのエンタメになりつつあるとも思う。

 

これだけグローバルなレベルで各方面のネットワーキングが進んだ現在は、さまざまな古代の叡智も隠された秘術ではなくなってきている。プロアマ問わず世界各国の愛好家が、実際の人生経験を踏まえたエッセンスを公開できる時代。特定の人だけがアクセスできた時代は過去になるのだと思う。アプリもいっぱいあるし。笑

 

ただ人によって自分で読みやすい人と読みにくい人がいるので、得意な人の力を借りる方が良い場合もある。

 

本来、誰もがより人生を謳歌するためにある教え。

 

激動のこのご時世、古代から変わらないインドの現行の解釈方法ではうまく読めない事象もある。ネットのなかった時代には不可能だった情報交流や意思疎通。昔の人なら「テレパシー能力」と呼ぶような事も多くの人に可能になった。ちょっと前は「チャネリング」できる人しか得られなかった情報も溢れているし、自らチャネリング出来る人も急増していると思う。

 

私個人としては、せっかくこの時代に生まれたからには、みんなが自分の生まれ持った運命やその障害を知り、それらの葛藤を乗り越える術があることを知り、自分の人生の主導権を得て、与えられた力を生かす喜びを感じられるようにと願う。

 

命に絶望する人の幻想が晴れますように。

 

この混沌の時代に希望の光がさすように。

 

 

トート・アーム(オウムのマンゴー)と呼ばれる種類のマンゴーはモッチリした食感。

 

 

今回、私自身の出生図ついて学んだことを、ノート的にまとめてみたいと思った。

 

今日は、ヴェーディック占星術を読む上では重要な星である「ラーフー」と「ケートゥー」について。伝統的なヴェーディック占星術の解釈では両方とも凶星と言われ、日食や月食を引き起こす星たち。(蝕にはネガティブな力を及ぼす力があると言われる)

 

 

私のラーフーは1ハウス、ケートゥーは7ハウス。何度自分の出生図を見直しても、私の人生前半にかなり大きな影響を及ぼしたと思える星たちでもある。

 

ラフーとケートゥーは必ず真向かいのハウスに位置する。常にオポジション関係。そして他の惑星の動きとは真逆(北インド図では時計回り)の方向に進行する。

 

ラーフー1ハウス・ケートゥー7ハウスは、両方ともケーンドラ・ハウス(チャートの中心側に位置する4つのハウス)に入り、これらのハウスに位置する星は影響力が強まる。過去生からのカルマを表すラーフーとケートゥーがケーンドラに入ることは、過去生からのカルマを解消することに重きを置く人生と言える。

 

 

(あくまで自分自身を理解するために長々と書きます。興味のない方は本当にすみません!笑。ちなみに他の星の影響を加えずにラーフーとケートゥーだけ見るので、同じ配置を持つ人でもすべて当てはまる訳ではありません)

 

 

上は私の北インド式の出生図。ラーフー(Ra)が一番上の1ハウスにある。
 

 

 

 

【ケートゥー 過去生で取り組んで達成した事】

 

 

7ハウスのケートゥーは、過去生で人間関係やパートナーシップについて学びマスターしたことを示す。現生においても、新しい友人を作ったりパートナーを得たりしやすい。一緒にいて居心地が良いため多くの人を引き付けるが、騙されやすい部分があり、利用しようとする人が近寄って来ることもある。あなたのためになる人間関係を見分けることが課題。

 

過去生からのカルマによる運命的なパートナーと出会うことになり、パートナーシップにより自分軸が定まることになる。その一方で、自らのユニークな才能を発揮して表現するという目的があり、それが叶えられなければ、どんなに完璧なパートナーに恵まれても、完全に満足することはない。

 

自己のハウスである1ハウスと、他人のハウスである7ハウスのバランスを取ることが問われる。

 

10ハウスの表す「社会」や、3ハウスの表す「きょうだい」にアスペクトが取られるため、社会に所属することは出来ても「本当の自分」を見つけることが難しく、きょうだいの価値観はしっくり来なくなる。社会に属する事、きょうだいとのコミュニケーションが疲れたり、パートナーの存在が重荷になるのは、自分だけの道を見つけて突き進む目的があるから。

 

ソウルメイトに出会い結ばれるまでには、人間関係において望ましくない経験も積むことになる。1ハウスのラフーが成熟する年齢(36〜42才ころ)には自分軸を自覚できるようになり、満足できるパートナーを引き寄せられるようになる。

 

次に、真向かいのラーフー1ハウスについて見て行く。

 

 

 

【ラーフー 過去生では得られず、今生で達成するもの】

 

 

古典的なインドの解釈では、ラーフー1ハウスに良くない解釈がされることが多い。それは(物質欲が強くなったり、自己中心的になったり、周りに不協和音をもたらす)と言われることだが、これは未成熟な解釈と言える。

 

ラーフー1ハウスには、その様な俗世的な通念を超えて行くという真の目的がある。生まれた環境や子供の頃の状況、その文化や価値観を乗り越えて進むところに、この配置の真の意味が隠されている。

 

ラーフー1ハウスの人は、ある種の才能や力を持って生まれるが、幼少期からその力を阻害されることになる。周囲の人に合わせ過ぎてしまうところがあり(ケートゥーの影響)、自分の思うように物事を進めることが出来ない。常に周囲の様々な障害に飲み込まれるため、気がつくと(親のせい)(きょうだいのせい)(パートナーのせい)など、他人のせいで自己実現が出来ないという無力感、被害者的な意識に陥ることになる。

 

しかし元々今生では「自己実現」に大いなる目的がある。それは過去生では決して得られなかった目的だからである。自分の行いや出来事の責任を引き受け、人生の主導権を取り戻す必要がある。そのためにも、勇気を持って(その他大勢の価値観)から抜け出し、周囲との円満な人間関係を築きながらも自己実現を達成する道を模索することになる。

 

長年、自分の持つ才能や力が何なのか確信を持てずに苦しむことも多い。出生図においてラフー1ハウスの「星座」が何なのか、その星座の守護星がどこに位置しているかを見る事で、その人の持つ才能を読み取ることが出来る。また、出生図とは別に「ナバムシャ図」(D9チャート)でのラフーの位置を見ることも重要になる。

 

1ハウス(自己を表すハウス)なので、自己実現で満足するためには、周囲に合わせず全く新しい事を試みる必要がある。どんな職種を選んだとしても、その業界で試されたことのない手法に達成の道が開かれる。しかしながらラーフーの示す道は簡単に達成できるものではない。周囲の声に自分を見失うことなく、自分の個性や才能を生かすことが今生で与えられたギフトである。

 

ラーフーから数えて9ハウスと5ハウスにラーフーの影響が出る。9ハウスでは父親との関係に障害が出るが、これは結果的には生まれ持った価値観を越えて進むことに繋がる。また哲学や宗教学に造形が深くなる。5ハウスでは「教える」ことに縁があり、子供との関わりが強くなるが、子供について困難も経験する。ユニークで斬新な哲学的な見解を持つようになり、世の中に表現して行くようになる。

 

 

 

【ダーシャー期について】

 

 

ヴェーディック占星術では、人生をダーシャー期という期間で区切る。各惑星・太陽・月・ラーフー・ケートゥーが支配する時期(外惑星は含まず)があり、それぞれの時期でそれぞれの星の影響が出る。

 

 

・ケートゥー・ダーシャー(ケートゥーが支配する時期)は18年間。

 

この時期の影響の強さは、ケートゥーの度数が高いほど(1〜5度など)強く出やすく、過去生からのカルマをより強く体験することになる。反対に度数が低い(26〜30度など)場合、影響が出ても若い魂のように早めに切り替えることが出来る(私のケートゥーは1度)。

 

ケートゥー7ハウスの人がケートゥー期に入ると、周囲の人間関係に飲まれたり、本当の意味での人との繋がりを感じられず、共依存的なパートナーシップで孤独や苦しみを味わうことになる。結婚には向かない時期であるが、カルマ的な関係やソウルメイトに出会うこともある。これらは過去生からの持ち越された学びであり、通過しなければいけない経験でもある。ケートゥー期から脱する頃には、自分にとってより望ましい関係が自覚できるようになる。

 

 

・ラーフー・ダーシャー(ラーフーが支配する時期)も18年間。

 

ケートゥー期と同じくラーフー期においても、ラーフーの度数が高い(1〜5度など)ほどその影響が強い。この時期に入ると父親や子供との関係に障害が生まれたり、自分の置かれた環境から抜け出して心機一転したいという思いが強まる。

 

新たに強い影響力を及ぼす人物が現れ、人生の新たな方向性や転職がもたらされることもある。人生の転換期の大きな波にさらわれるような感覚に恐れを抱かず、示された方向に一歩踏み出すことで多くの恩恵を受けることが出来る。

 

 

と。

 

以上が私なりに納得しているこの配置の解釈。

 

様々な解釈の仕方はあれど、実体験と重ねて実感出来るので、自分のチャートを読むことは意義深い。

 

 

最近富に意識が及ぶのは、やっぱり6月21日の皆既日食のこと。皆既日食が見られるのはアフリカの一部、パキスタン、インド北部、インド中国国境を通り、何と話題の武漢のあたりまで。

 

インドでは特にデリーなどの大都市でコロナ感染者が急増し続けており、中国との国境で死傷者を出す衝突が起きている。多くの懸念材料がある中、伝統的にインドの人たちは蝕の時間には断食をしてマントラを唱え、瞑想をし、静かに内観をして過ごす。

 

また蝕の時間に受胎すると生まれた子供に影響するとも言われることから、仲良しは控えたり、飲食や入浴をしない、外出や表に出て日食の光を見たりと影響を受けそうなことは極力避けると言われる。

 

幸い日曜日なので、夫は先週あたりから「21日は仕事を休む」とスタンバイ。

 

不思議と勘は悪くなく、習った訳でもないヴェーダ的な知識の豊富な夫。夫の出生のナクシャトラの真向かいで今回の蝕が起こるので、かなり気をつけるべきなのだけど、何の説明をしなくても直感で分かるのかな?

 

世界の混乱が少しでも平和におさまることを祈って、

私たちもインド式のサーダナで過ごしたいと思う。

 

 

こちらは小さくて小ぶりのデーシー・アーム(地物マンゴー)。パイナップルの様な芳香と酸味があり、野性味を感じます。

 

 

 

ロックダウン82日目。

 

ロックダウンになってから、ただでさえ孤独なインド生活、気の合う人と会えなくなってしまって久しい。

 

インドに住む日本人は緊急帰国した人も多い。加えて私は年に一度の楽しみ、一時帰国とお仕事も中止になった。(この春小学校に上がった甥っ子姪っ子と会えないのが一番さみしいー。。)

 

 

発酵食にハマりつつある。。。気温が高くなって失敗が減った!

 

 

もちろん、唯一の家族である夫とこんなに長く一緒にいられたのは、かけがいのない経験。

 

孤独だったからこそ、ヨガや瞑想、心理ワークの時間を取って自分の心と向き合えた。

 

行動できる範囲のことは変えられるけど。でも急激な変化を余儀なくされるのって、やっぱり大変。インド政府がロックダウン封鎖の通達したのも実施4時間前だった。

 

 

「もし、日本に帰れたら」って妄想したくもなる。。笑

 

 

人目を気にせず、

 

好きな服装や髪型も出来るし

 

自由に外出できるし

 

好きなだけ仕事もできるし

 

遠慮せず色々買えるし

 

会いたい人に会いに行けるし

 

それで色んなアイデアが生まれて

 

人目を気にせず何にでも挑戦できて

 

実現したら喜んでくれる人もいて

 

応援してくれる人もきっと見つかるし

 

分かってくれたり共感してもらえたり

 

ワクワクと話が尽きない時間も過ごせる。

 

 

 

↑↑人目を気にせずって、2回も出た。笑

 

 

理想の生活の形が、見えそうで見えなくて、腑に落ちてないところがある。

 

 

インドについて私が本当に全然分かってなかったのは、「努力が報われない社会」があるってこと。

 

夫と一緒に3年半インドで暮らして、まだまだ先の見えなさを感じる。

 

 

夫の仕事は毎日10時間勤務。

 

体調を崩して休むこともない。

休暇は週に1日あるかないか。

向上心もあり、成績はずっとトップ。

律儀で細やかな対応を欠かさない。

それでも10年同じ業界に勤務して、

7年は同じ店舗で働いている。

 

 

ひいき目だとしても、もっとチャンスが与えられていいのに。もったいないなって。

 

逆に言うと、

同じお給料で文句も言わずにずっと働かなくちゃいけない。そんな人たちが大多数。

 

ヘルシーではない気が。。

 

 

昨日はアパートの1階の大家さんの孫娘ディクシャと久々に話した。ママがコロナ不安から塞ぎ込んでて心配って言ってた。

 

確かに。私も、街全体からそういうエネルギーを感じなくもない。「不安」でいることがここの常識みたいに。

 

中学生なのにしっかり者の長女のディクシャ。英語もどんどん流暢になって嬉しい。

 

怖れることを止めるのを習慣にしないと、

世代連鎖しちゃうかもって思うんだけど。


お隣さんからトゥルシーとポトスをいただいた✨

 

 


夕食後、しばらく話題にしてなかったけど久しぶりに夫に「日本に住みたいと思う?」と聞いてみた。

 

すると「弟の結婚式が終わらないと」「母さんを世話してくれる人がいたら」って。残して行けない事情も色々とある。

 

 

でも今朝、日本のテレビ番組を見てたら急に、

 

「僕も日本の田舎の家に住みたい」と、夫。

 

「農業したい。有機農家の手伝いなら出来るよ」って。。

 

 

まるで私の憧れの生活に無意識に合わせてくれたかのような発言。楽しそうだなー。

 

 

夫にはこれ以上苦労させたくないって思いがちだけど、楽しい苦労はワクワクするかも。

 

 

ストリートフードの「アルーティッキ」。色んなベジタリアン料理が勉強になるインド。

 

 

 

さて私、ロックダウン中にもう1つ実験している趣味がある。

 

それは「レイキ」。

 

 

インドで受けたヨガ講師養成コースの先生がレイキも教えていて、レベル1まで受講した。ゲストハウスに住んでいた3年前は実験台になってくれる旅人や友人もいたのだけど、今ではたまぁにお義母さんが喜んで受けてくれるくらい。

 

それでちょっと、セルフヒーリングを復習したかった。

 

今はもう時代が急速に進んでいるようで、何とオンライン上にで学習材料がいくらでもある。

 

(インド占星術も、チベット仏教の瞑想手法も、ヴィパッサナーも、何でも!)

 

昨晩は、6月21日にやってくる皆既日食(インド北部)に向けて、と言うか、このところの急激な変化に追いつくためにも、誘導によるヒーリングを試していた。


外しておかなきゃいけない頑固なブロックがまだまだ。

 

我ながら、トラウマにトラウマを重ねて来た人生のようで。笑


昨晩の誘導ヒーリングは目からウロコというか、すごく勉強になった(下にリンクしますね)。

 

20代、30代と通院、カウンセリング、心理療法、心理ワークと進んできて、40代になってヨガ・瞑想・レイキのエネルギーワークに入った。インド占星術も。

 

全然真面目に伝統手法なんて追えないタイプだけど、「ひびき」は感じる。

 

色々と続かないのがネックなので、まぁ色々と時間をかけて模索中でもある。

 

 

インド占星術ではアセンダント蠍座、海王星がコンジャンクション、月と木星が第5ハウス魚座、ラフー第1ハウス、ケートゥ第7ハウス。火星も第7ハウスでマンガリーク、第11ハウス乙女座に太陽と水星がある。

 

そろそろ人生後半のナバムシャ図で運勢は見なくちゃと思うけど(まだ読めてない)。

 

 

出生図を何度も見ていて、これから何をしようかと模索しているのだけど、最近は自分の図が「ヒーリングワークを進めなさい」と言ってると感じる。

 

いやいや、、、

 

こんなにブロックだらけの人もいないだろうに。。。!

 

 

さてチャンディガールでも感染者がまた増えつつあり、夫は日曜がお休みなった。私たちは結局ロックダウンに感謝の方が多い。笑

 

 

明日は夫の誕生日♪

 

 

レイキに興味がある方、不安や心配でモヤっとする方におすすめの動画です。

 

 

この辺りの北インドのモンスーンは、梅雨時の京都を思わせる。

 

まだ始まったばかりだけど、これからは息をするのも辛い日も来るはず。体力だけは維持しなくてはと、最近は晩のチャパティ作りだけ夫に任せて、涼しくなった屋上でウォーキングが日課に。

 

ロックダウンになって通算79日目。アンロックも始まっているので、いつもの不便なだけの日常に戻りつつある。感染者は減らないので、心理的なロックはまだ解けなさそう。
 
小さなブーゲンビリアの苗をお迎えしました。
 

 

それにしてもこの町の女性たちは、普段からロックダウンに近い生活だ。歩いて近所に買い物やお寺参りに行く以外、バスやリキシャで中心街へ行くなんてことも殆どない。

 

自由とか自立すること、贅沢することを「知らない」からこそ守られる規律。

 

毎朝お祈りし、路上やベランダをほうきがけ、モップがけする女性たちの規則正しさに内心憧れる。今日も最高39度になるらしいと言うのに。

 

 

 

以前はずっとニュース断食をしてたけど、コロナ危機になって状況把握が必要になった。

 

インドのニュース、私には怖すぎるのだけど。。。笑

 

先月はここチャンディガールでギャング絡みの発砲事件があったとか。インドの割に平和な町なのに珍しい。

 

酒店の経営者の弟の邸宅に、17発の銃弾が打ち込まれたそう。家族写真と重ねて撮っちゃう報道の方が怖い。
 

 

平行して日本のニュースも見てると、やっぱりお国柄って違うものだなぁと改めて思う。昨日はまた芸能人カップルの不倫騒動で持ち切り。

 

いつも光を浴びて微笑む有名人も、やはり人間なのだ。

 

人並みならない努力があったり、苦労もあるんだろうなーとか。

 

 

 

私、夫と結婚する前、相当な年上女房になることから「子供が欲しいなら、お願いだから私と結婚しないで」と何度も話し合った。流産を繰り返した直後も「離婚して、若い人と一緒になって」と頼んでみたり。

 

夫は(言っている意味が分からない)という笑顔で、「一生一緒だよ」と言う。あまりしつこく話すと泣きそうになってた。笑。インドの村出身者には「離婚」という概念はまだ一般的じゃない。

 

 

そんなこんなで私、夫が私に不満を持っても仕方がないと思う。

 

だから私以外の何かに夢中になったり、ちょっと距離を取ってくれるのは大歓迎。どこへでも一人で行って成長して帰って来いよ!と思う。

 

浮気も人生経験、きっとすごく勉強になるだろうと思うけど、私の勘が鋭すぎてまず無理か。笑

 

恋愛経験もほとんどなく、まだお見合い結婚が主流のインド。それでも不倫は日本より少ないだろう。

 

夫婦は生活共同体として厳しい暮らしを成り立たせなくてはならないし、結婚は神聖なもの。個人の勝手は通らなさそう。

 

この時期の風物詩、ライチー売りのリヤカー。

 

 

それでも、あるけどね。痴情のもつれの末の事件も。夫の職場にも、どうも浮気してるのでは?って噂の同僚がいる。しかも奥さんも知ってるかもと、夫は言う。小学生の娘もいるけど別れる気配なんて全然ない。

 

この町の価値観だと、浮気されて傷つくプライドより、生活のほうが大事だろう。

 

 

 

私は多分、浮気されても別れないかも。

 

あんなに別れてと言って別れてもらえなかった末に、なんだけど。笑

 

(別れる判断は人それぞれ尊重されるべきと思います)

 

ずっと支え合って来たパートナーとしての信頼があるから。もし本当に夫が浮気したとしたら、少し同情するかもしれない。そこまで血迷ってしまう狂気を生んだ状況に。

 

死ぬまで一緒と言った夫や、神さまに祝福された結婚っていうものが、本当なのか見てみたいっていうのもある。笑

 

 

 

今日も元気に出かける夫くん。先週末、職場の区域で感染者が出てからかなり気を付けてるらしいけど、心配😢
 

 

いずれにせよ私は、まだインドに残る無垢さが好き。

 

大昔、欧米の人たちと付き合った頃の気苦労は今はない。年齢的なこともあるかもだけど、彼らの取っ替え引っ替え精神と来たら、安眠できる気がしなかった。

 

どうしてそんなに人との絆を信じられないのか?って。

 

日本も忙しない時代になったけど、それでも日本にはまだ、目に見えない絆を信じる文化がある。

 

 

目に見えるものに騙されないで。

 

 

若かりし頃の自分に、インドのおばちゃんからエールを送りたい。

 

 

あなたのせいじゃない。

 

 

裏切られるショックは大きいけど、それまでの自分の努力が無になる訳じゃない。良心が奪われることもない。愛がなかった訳でもない。

 

目に見えないものの大切さに気づくために、裏切りっていう体験をすると言っても良いくらい。

 

それにしても人間、色んな体験をするために生まれたものよ。笑

 

 

目に見えるものは、全て過去のものでもある。

 

 

私、いまだにパッとしないインドの暮らしに正直がっかりする時がある。でもそれって、目に見えるものだけで測ってジャッジしてるから。

 

視野が狭くなってる証拠。

 

もっと広い視点が持てたら、物質的な豊かさはなくても、深い所にあるインドの良さが分かるようになるのかもしれない。

 

 

目に見えないものの尊さを知れたなら。

 

 

 

 

インド発ギャング映画の傑作「Gangs of Wasseypur」の名場面。ドンの未亡人が息子の結婚式を祝い歌います。私の中ではゴッドファーザーを越えた渋すぎ2部作です。

 

オンラインショッピングが解禁になってすぐさまエアコンを買ったのに、例年になく北インドの夏が涼しい。。笑

 

免疫を保つためにも室温34度ぐらいまではエアコンなしで。。と、私が前向きにいるところへ、新しい物を何でもいじり倒す暑がりの夫、何と就寝時に24度に設定していた。おかげでお腹痛ぃ。。おもちゃじゃないんだぞ!

 

 

いつも「ありがとう」や「愛してるよ」と口はは達者でも、物の扱いに感謝を表す文化はない村出身の夫。

 

野菜を買ってきてくれるのは助かっても、あとは床に放りっぱなし。食べたお弁当箱はカバンに入れっぱなし。

 

「お弁当おいしかったって言ってもらうより、シンクに持って行ってもらった方が嬉しいなー」

 

言ったところで真意が分からないようで、頭にはてなマークが浮かんでいる。それより目の前の朝食の「お代わり早くちょうだい」という顔。ワンワンですか?笑

 

 

エアコンを買ったその日からモンスーンの季節に入ったらしく、低気圧が苦手なオバさんは低調子。まだ若い夫はコロナ禍も忘れかけたように元気に出勤して行ったけど。

 

 

永遠の子供(大型犬)みたいな人と一緒になったことの不思議。

 

ジョージクルーニーみたいな大人の男が理想なのに。笑

 

 

初ものライチー。

 

 

この下町はアパートも多く、常にベビーブームのようにポコポコと新顔の赤ちゃんを見かける。今朝もお向かいのアパートのベランダに、ちょっと強面でがっしり系のパパに抱っこされたベビーが小雨のお外を見に来てた。

 

ちょうどお向かいが見える台所で洗い物をしながら(かわいいなぁ。。でも相変わらずパパ、イカつー)と思ってたら、ベランダに出た夫が、

 

「よぉ!バイー(兄さん)!元気かい!」と呼びかけ、イカつい兄さん満面の笑顔。ベビーもキャッキャ笑ってる。

 

知らない男性はみんな「兄さん」ってことで。笑

 

ビバリーヒルズ青春白書?並みに陽気な夫でビックリするわ。

 

ロックダウン中は家にいることが増えたあのヒットマンみたいなお兄さん、あんな笑顔は初めて見たよ。良い人そうで安心した。

 

うちの夫は誰にでも話しかける特技がある。どんな場面でも周囲との壁を取り払ってしまうのだ。ある意味天然でKY。、でも人を和ませる天才だと思う。

 

 

インドでは警戒して人見知りになる私は、かたや貝のように固まっている。夫が無邪気に広げていく人脈も私には理解できない人が多いので、この町で信じられるのは小さな子供くらい。小学生でもズルい子もいるし。笑

 

 

同じお向かいのアパートには、夫のお気に入りのベビーがいる。ベビーと言っても2歳半になるパリーちゃん。両親は夫と同じ州の人たち。夫も私も、パリーをお母さんのお腹にいる時から知ってる。と言うのも、私も同じ時期に妊娠していたからだ。

 

スクスク育ってちょっと生意気さも入ってきたパリーを見かける度に、何だか嬉しくなる。夫はパリーの成長が面白いみたいで、いつもベランダ越しにちょっかいをかけてる。夫が「パリー、こっちにおいでよ!チョコレートあげるよ!」と言うと、パリーのパパも悪ノリして「ホラ、行っといで」と、抱っこしたパリーをこちらに放り投げるフリ。

 

パリー絶叫。パパにしがみついて小さな手でバシバシ叩く。

 

毎回懲りずにコレの繰り返し。でも毎回「え?チョコ??」って、一瞬まんざらでもないパリーが可愛い。

 

私は内心(心の傷になったら困るから止めてーーーっ!)と祈るけど、こんな事で心の傷になってたらインド人やってられないのかも?まぁインド人同士、うまくやってくれ。笑

 

 

流産を繰り返した後は、子供を持ちたいのかそれとも諦めたいのか、とにかくハッキリしたくて悩んだ時期があった。そんな時にも周りにはノンストップで(そりゃそうだ)かわいい赤ちゃんが生まれて来る。(日本みたいに少子化だったら、拷問みたいに赤子ばかり目にする事もなかろうに)と恨めしく思ったのは、ほんの一瞬。

 

自然に生まれて来るのが命。

 

あちこちで泣いたり笑ったり遊んだりする姿を眺めていると、いつの間にか理屈をすっ飛ばして受け入れていた。

 

生まれて来ないのも、また自然なこと。

 

 

以前は屁理屈が得意だったはずの私。自分を慰めるためにいくらでも頭の中で理屈をこねていられたかもしれない。でも、目の前の現実がこうなんだから、まぁいいいかって。

 

 

夫の村の友人たちもベビーラッシュ。

 

 

子供が好きで、日本では幼稚園〜高校生までの子供たちの英語教師をした。どの子にもユニークな才能を見つけるのは得意だ。子供たちの笑顔や眼差しに魂の輝きが見えるような瞬間が好きだった。

 

きっと自分の子供のいない人生は寂しいだろうなぁと、知らないから不安だった。自分たちの子供が出来ないことイコール、子供と関わることのない人生のように思えて。

 

でも不思議なもので、見回すとこの町にはキラキラした目の子供たちがたくさん。人口爆発のインド、元気すぎる子ばかりで困るくらい。そして普段は愛想のない奥さんもイカつくて怖そうなお兄さんも、子供たちの周りでは魔法のように無邪気な笑顔を見せる。

 

 

(私は正直、まだまだインドの人が怖いんだなぁ)って、今朝あの赤ちゃんを抱いたお兄さんの笑顔を見て気付いた。

 

北インドの人は愛想笑いをしない。特別人懐っこくもない。彫りが深くて浅黒くて、どうも気難しそうに見えて仕方がないのだ。若い男の子などが何人かで集まってると、勝手に脳が(ハイ避けて!)と指示を出す。

 

(この前も私、夫の弟が同年代の友達と群れてるのを見ただけで悪い予感しかせず、さっさと仕事しなさい!と追い払って夫にたしなめられたばかり。確かに悪友もいるけど、決めつけはマズイ。。)

 

この世界でいまだ肌の色の違い、顔つき体つき、人種の違いで差別が起きているのも、私自身の幼稚な思い込みを省みると、揺るぎない事実なのだろうと思う。そんな事件は悲しいし絶対に嫌だと思う反面、私自身の無意識も加担者じゃないかと思えてくる。

 

私の脳が勘違いした指令を出すのと同じ無意識が、行き過ぎた差別の発端のような気がしてならない。力の弱い私は、勘違いのお説教をたれた後に恥をかくくらいで済むけど、もし、武器を持つ権限を与えられた警官だったら、と。。

 

 

20代のアメリカ留学時代から私にも黒人の友人、恩師、教え子がいる。その人たちに差別感情など全くない。でも一方で「知らない人は信用しない」プログラミングもされていて、それは国や人種に関係なく発動されてる。しかもインドでは発動回数が多い。

 

身を守る本能と関わっているのだろう。

 

 

自分が「差別をする側」と仮定して、その心理状態や置かれた状況を理解しないと、差別はなくせないだろうと思う。「自分は差別なんてしない」と言い切れる時は、安心安全な社会に守られているからかもしれない。平和な時は見えなくても、緊急時には抑圧してきた側面が表面化するのが人間でもある。

 

 

差別する側に、心の平和がなかったんだろう。

心が恐れでいっぱいになっていたんだろう。

冷静に事実を見る余裕がなかったんだろう。

 

自分のことを省みると、そんな風に思ったりもする。

 

日頃から心のケアを怠ってはいけないと気付かされる事が多かったこの頃。キレやすいのも、見た目や地位で人をジャッジしちゃうのも、未知の恐れから、ありのままの相手を知る努力を怠っているのも。それは私の人格の足りなさであり、同時にこの時代の価値観を映す「現代病」でもあるんだと思う。

 

外国に行ったり住んでいると周りから「国際的」と言われたり、差別なんて乗り越えたように思われるけど、そんなことはない訳で。笑

 

心を開いて通わせることが出来ないでいると、どこにいても同じ。どこにいても、自分の中に闇を隠し持ちながらしばらくは生きていける。問題が表出するまでは。

 

心の中が「恐れ」でいっぱいなんだったら、それは癒すしかないのだと思う。

 

過去に傷ついたこと、怖かったこと、あんな人にあんな風にされたこと、知らない人は信じるなという根拠のない思い込み、身を守るようで世界を狭めるだけの昔の誰かの言いつけや、もういらなくなった概念はさっさと癒してバイバイしたい。

 

知らない人から手を差し伸べたことも助けられたこともない、知らない人に笑顔を向けたことも向けられたこともない。。そう言って子供っぽく拗ねてる自分の殻を破って、

 

勇気を出して相手を知ろうとしたり、曇りのない目で見ようとしたり、心を通わせようとする経験を刻むことで、みんなで賢い世界を作るしか差別はなくせない気がする。

 

 

未知なる恐怖は、知ってしまうと一転、愛おしくなる。

 

恥ずかしながら私も、前はぜんぜん自分を許せなかった。

 

40代まで結婚できない女も、子供のいない人生も、一回り以上年下のインド人と結婚したことも、3度も流産することも、市場でボッタクられたり、バスで痴漢にあったり、物乞いのオジさんに騙されて食料買わされたり、インドの下町でボーッと生きているのも、

 

やってみて、見て知って、怒りも恥も醜聞もいったん飲み込んで、そのうち落ち着きを取り戻し自分なりに消化して、ちょっと分かったかな?と思えて来てる。苦し過ぎた自分を、許すと決めたから。

 

どんな自分も許すことで、相手の見方も変わると思う。

 

差別も批判もジャッジメントも、

ネガティブ感情は全て

大切な学びの魔法を秘めている。

 

自分の闇をありのままに見ていくと、ようやく世界の闇のその先が見える。だから恥も外聞も失敗も恐れずにいたい笑。どんな困難が訪れても、心は自由でいたい。

 

 

まだ見ぬ誰かと心を通わせられる世界、

人として生まれ落ちた地球の本当の美しさを

やっぱり、生きているうちに見てみたいなー。

 

 

インドの下町でロックダウンしながら、密かに明るい未来を妄想しているのです。

 

 

もっともっと

怖がりの自分、悲観的な自分、信じられてない自分を見てあげて

安心して、楽観的になって、理屈じゃなく信じてあげようと思う。

 

 

そしてもっともっと

相手と心を通わせる経験を魂に刻めば

偏見も差別も居場所がなくなっていくし

建設的で楽しい事に集中できるようになる。

 

私のインド生活も、また少しずつ楽になると思うんだけど。

 

ロックダウンが終わったら再び訪ねたい場所。マナリーレイ・ハイウェイにあるロータンパス峠。

6月からロックダウン5.0(アンロック0.1とも呼ばれる)が始まったインド。

 

感染者数は20万人を越え日々増え続けるのに、都市封鎖は解除、経済活動もほぼ再開。

 

命の危険のぬぐえないところに、職場のパソコン店の営業時間が延びた夫は帰りが遅い。リモートワークやオンラインクラスの風潮で、ノートパソコンはよく売れている。嬉しいような、でも、命と比べたら屁ぇ(失敬)みたいなお話で。

 

夫には毎日完全防備を説いていたけど、それにも限界がある。コントロールし過ぎると本当、心を病むわ。

 

程々にして、あとは夫と私の強運を信じるのみ!笑

 

 

 先日発表のニュース。明るいようで怖い決定でもある。

 

 

クラスター感染が起きている地域は containment(封じ込め)ゾーンとして隔離されているので、無尽蔵な感染は収束に向かっていると思われる。この6月からのアンロックで再拡大しなければ、ね。汗

 

 

例年は私、この酷暑の季節は日本にいる。そう思うだけで調子が下がり気味だった。ロックダウン中に無理して義実家の村に滞在したりチャンディガールに戻ったりで、不安定な情勢と相まって調子が出ない。

 

そして買い渋っていたエアコンを、ついに購入。夫との話し合いの段階で、夫は限られたお給料から月賦で捻出すると言い張り、その心意気が頼もしいような、悲しいような気分になった。


この下町でエアコンを設置できる家は少ない。私が日本のカードで簡単に買うことは、色んな思いを蹴散らかすことにならないか、と。

 

まだまだ試行錯誤の、日印婚4年目。

 

エアコン工事中。室外機の時は近所の人たちがギャラリー化して凝視。最高気温46度で停電もするのに、この町でエアコンは珍しい。

 

 

しかし結局、イオ○カードさんが国外セキュリティー強化したそうで、私のカードは使えず。夫の友人のカード番号を借りて立て替えてもらうという、インド式のなぁなぁ決済に至った。友だちの友だちは、まだみんな友だちか?

 

コントロールできないことだらけ。

 

私の責任じゃどうにもならないことだらけ。

 

なんでも自分の責任って勘違いして暴走するエゴくんが、コントロール狂の現代病にやられているのが、「不便な」インドにいるとイタすぎて、手放さざるを得なくなる。

 

やれば出来る、努力したら認められる、変化や改善が好まれる、自分が良ければ周りは関係ない、周りは周りで何とか出来るからってのは、ここではアベコベの話。

 

インドの実家の梅で梅干し✨やっと何かがひとつ形になる喜び。

 

 

不安なロックダウンの時期に少しでも拠り所をと再開したヨガ、瞑想、仏教学、バドミントン等の時間も、夫の仕事再開であっという間に膨大な心配の時間に費やされている。イコール、自分の命の心配なわけで。笑

 

心配なんて幻想だと、頭では分かるのに。

 

「気を紛らわそう」と手を出す事には集中出来ず、マスクも4枚縫って飽きちゃった(でも、お義母さんと義弟にあげられて良かった!)。

 

家計も回したいけれど、カードを使う度に毎回イオ○カードさんにメールして、海外にかかるブロックを個人的にその日のみ(日本時間の24時まで)解除してもらう必要があると昨日コールセンターから電話があった。非常時感満載ー。

 

まだ、外に変化を求める段階ではない。

 

と言うことは、

 

まだまだ、内側に変化の余地があるのだと思う。笑

 

 

この厳格なロックダウンの2ヶ月で、ヨガ・呼吸法・瞑想は大分身近になったけど、度々大きな壁にぶち当たって砕けている。今も絶賛挫折中なのだ。

 

と言うのも、義実家で色々と衝突があって以来、自分の内面なんてもう見つめたくない気分になってる。笑

 

「そのままにしておく」

「そのままを見る」

 

そのことで現わになる、自分の内面の闇やアンバランスさ。それを見るのが震え上がる程に怖かった。恥ずかしくなった。それは私がまだ自分を責めてしまうからだろうか。

 

「責めて正す」という習慣を手放せないと、自分の内面を無意識に責め続け、無意識に闇の中に抑圧してしまう。

 

それが何かの拍子に表出した時のエネルギーは、破壊的すぎるのだ。

 

自分の心をケア出来ないことの代償は、あまりに大きすぎる。それを今回、インドの実家での衝突で学んだ。

 

 

世の中では差別や弾圧、行き過ぎた批判で人々が命を落としているけれど。

 

私の中にも、そんな攻撃的なエネルギーが存在している事を自覚した。

 

義実家に滞在した時、「非常識だ!許せない!」と私自身が激怒したことがきっかけだった。

 

まさか自分が、感情を爆発させることなんてないと思っていたのに。

 

「正しい、正しくない」でジャッジして、周囲の人を傷つける勢いのエネルギーが出てしまった。でも、

 

インドの田舎で何が正しかろうが正しくなかろうが、

まったくもって私の責任じゃないはずなのだ。実際は。

 

境界性人格障害のつぼみとも思える拘りと偏見が、私の中で育っていた。

 

 

あなたは、あなた。

わたしは、わたし。

 

それで良いことを、この人生でどれだけ深く知れるだろうか。

 

偏見は完全になくせなくても、青いうちに摘み取って梅干しに出来るかも?笑

 

 

日本のニュースや欧米にいる友人のメッセージでは、徐々に活動再開している報せもあり喜ばしい反面、心がザワザワ晴れないのは、この表出したエネルギーと葛藤しているから。

 

 無意識の差別や偏見の代償が、厚い雲となっていまだ世界を覆っているせいかもしれない。



インド発着の国際線は6月いっぱいは再開しない予定とか。

 


6月5日の部分月食、21日の部分日食、7月5日の部分月食と、 蝕のシーズンを迎えている今、世界的にも見えていなかった部分が露呈して行き、理解が進むキッカケとなる事象が続くと言われる。

 

犠牲を強いて見失っている自分の存在や、一部の繁栄のために封じ込めている他者、変化に猛進するばかりに破壊している自然、人間のエゴの姿をしかと見る時期なんじゃないかと思う。

 

エゴは消えない。

 

バランスを取る努力が可能なだけ。

 

この時代に生まれて、ぬくぬく楽をする以外に、一体何を見に来たんだろう?このインドまで。笑

 

そんな事を思いながら、もう少しゆっくりとロックダウンさせてもらいたいと思う。

 

犠牲の上に成り立った幻想の安心・安全の上で、頑張れば何でも出来ると意気がっていた時代が終わったので、この別れを悲しもうとも思う。本当の光を見るために。

 

エアコンの風に当たりながらなんて、ロックダウンで行き場を失った人たちが野ざらしな中、矛盾だらけでどうしょうもないけど。

 

あなたは、あなた。

わたしは、わたし。

 

批判し合うよりも、助け合える世界をこの目で見てみたい。

自分の闇を見捨てるよりも、許し合って手を取りたい。

そういう力を、私たちは持って生まれたらしいのだから。

 

 

先月、まだ完熟しない梅を頑張って採ってくれる夫。偏見やこだわりが少なく寛大な夫にいつも救われています。

去年の12月くらいのブログで、「夫の従姉妹が巫女さんだった」話を書いたけど

 

(→ 山の神さまのこと )、

 

 

夫の母もなかなかの魔女だと思う。

 

白魔術も黒魔術も両方発信する(無意識に)。笑

 

 

今回は村での滞在が長かったので、そんな義母の色んな面を見た。

 

 
何よりも長電話優先📱✨

 

 

何故「魔術」を使ってると感じたかと言うと、

 

「周囲をコントロールするため」に色んな「技」を繰り出すから。笑

 

 

自分の思い通りにならない時は、嘘泣きも入る(半分は本気)。

 

愚痴なんて挨拶代わり。

 

(でも人を批判したりはしない。

悪口は言わない様わきまえてる)

 

人のためには明らかに省エネ行動、

しかし自分の利害には全力で突進する。

 

(ほぼ他人の事には興味がない)

でも、噂話は好き。

 

そんな生命力抜群の、村でも有名な1人暮らしの頑固ばあさん。

 

 

麦畑の後片付け中。炎も自在に扱う🔥

 

 

私といる時はいつも「痛い痛い」と弱気を装うんだけど、よーく観察していると、とんでもない量の作業を一人でこなしている(人もビシバシ使う)汗。

 

一族が一年間食べられる量の小麦とトウモロコシを栽培し、他にもニンニク、ターメリック、玉ねぎ、ハーブ、果物等を栽培。自然農でも手がかからない訳がない。

 

水の供給が途切れる事も多いため、何かと近所の人に作業を頼むようになっており、自分は鬼監督に変貌する。水道局に強めの抗議の電話も欠かさない。

 

 

どこでもゴロ寝できる特技があり、特等席をわきまえていて、いつの間にかその時間帯で一番風通しの良い場所に椅子付きで縦横無尽に移動する。

 

 

「腰が痛い、足が悪い」と言う割に、ものすごい高速で野山を移動する。健康な私の2倍速。あの勢いはどこから来るのか?

 

 

母屋の倉庫に自然・自家栽培の作物を保管。

 

 

 

滞在中のある晩、1匹の狂犬が村を襲ったことがあった。

 

夕食後離れの家に戻る時、黒と茶色の長毛の犬が敷地を猛ダッシュで横切るのも見た。いつもは見ない犬。

 

近隣の飼い犬たちが一斉に吠え始める。その夜は嵐も近づいていて、隣の森も不穏にざわめいていた。私は気が気じゃなかく、でもお義母さんはさっさと戸締りしてご就寝。私も何も聞こえないフリをして寝た。

 

翌朝。近所のおばちゃんが来て、簡易ベッドにごろ寝スタイルのお義母さんに何やら相談してる。「何話してるの?」と夫に聞くと、誰かが昨夜の狂犬に噛まれたらしく、

 

「母さんに薬をもらいに来た」と。

 

「?狂犬に噛まれたら病院じゃないの?」と言うと、

 

「病院も行くけど、その後に使う薬。母さんは山で植物を採って薬を作るんだ」と。

 

「アーユルヴェーダみたいなものだよ」と夫は言う。伝承の家庭療法のようなものだろうか。

 

アメリカインディアンにもメディスンマンがいるし、北海道のアイヌ民族の知人も山で植物を採る。お義母さん、世界の先住民族みたいでカッコイイ。

 

 

 

畑でも長電話。

 

 

でも大自然の近く暮らすのは、私にはヘヴィーな体験だった。

 

そもそも、村に到着した頃からグンと「重力が増した」様に感じていた。何故なのかは分からない。緑が多く空気もキレイで快適なはずなのに、町で暮らす毎日よりも格段に身体が重いのだ。「アパートは3階だけど、ここは地面に近いから?」と考えてもしっくり来ない。

 

まるで磁場に引っ張られる感じ。

 

自然の影響がモロに直撃する感じもある。人も作物も天候に大きく左右され、自然現象にも天の?メッセージを感じるようになる。

 

 
 

私が呑気に「ハイキングしたい!」と夫と歩いた森も「神聖な場所で良くない精霊もいる」らしく(後から言うな夫よ)、次の日は意味もなく気持ちが沈んで寝込んだり。本当に美しい場所なんだけど。。

 

草原を覆う松の林には数え切れない種類の小鳥が訪れ、途中キレイな小川が流れていて、あちらこちらに野の花が咲いたりベリーが生ってたり。エデンの楽園のよう。

 

でも毒蛇もいるし、水色の花が咲く毒草もある。

 
 

 

 

眩しすぎる光と、見てはイケない影を内包する大自然。

 

その側で暮らすのはサバイバルかもしれない。気性も荒くならざるを得ないのだろう。

 

自分の興味や利得を最優先しなければ、あっと言う間に色々失いかねない。

 

村の人たちとの近所付き合いはギブ&テイクの関係なのに、常にお互いを見張るような緊張感もある。親しい間柄ではお礼や挨拶は「無駄口」と言う認識。

 

近所の人が来て話す事も、「あの人がいくらであれ買って○○だった」、「あれを買うんだけど、どこがいい?」とか、実利的な話ばかり。

 

ほぼ仕事中のオジサンの会話。そして電話では愚痴る。

 

 

しかし、時には猫なで声?も繰り出す。嘘泣き同様、高度なコミュニケーションスキル。一度夫に「どうしたらいい?私困っちゃう〜」的に甘えて言うのを見て、回れ右して退散した。色々使い分けますね!笑

 

乙女なところもある魔女。笑

 

何が起こっても、たいがい夫はいつも楽しそう。

 

 

「人間こうも自由でいいのか。。?!」と驚嘆してばかり。

 

 

私は圧倒されっ放しだでも、実はお義母さん、私には良くしてくれる。息子たちに作業の怒号を浴びせた後、こっそり私の部屋に来て亡きお義父さんの思い出話をしたり、得意そうに料理を教えてくれたり。

 

疲れた時は私を頼って来てくれて、レイキやマッサージしたり、一緒に呼吸法の練習をしたり。

 

実は私のことを偏見なく見てくれようとしている。でも私が受け取れる精神状態じゃない事が多くて。笑

 

出来れば私も、表面的な違いで衝突せずに理解し合える方法を探したいと思う。

 

言われた事を誤解して反感を持ったり、自分のロジックで思い込んで早とちりしたり、大きな声や激しい言動に圧倒されて殻にこもったり。譲れない事を必要以上に主張してしまったり。

 

滞在後半には、お義母さんに負けない大声が出て自分でも驚いた。笑

 

 

「人として」許せないとか「常識的に」良くないとジャッジして、私はこの土地と暮らし、ここの人たちを、全然ありのままに見れていなかったのが事実。

 

でも心の底で感じているのは、私の大切なご縁のある人たち、愛すべき、学ぶべき人たちだって知ってるのに。

 

 

滞在中、色々と必要のない衝突を仕掛けたのは私の方だったかもと、滞在記の後半を書く前に思い当たった。それでお義母さんのもっと違う面を思い出してみたかった。

 

 

お義母さんは、森の魔女と思うことにした。

 

 

都会から小手先の知識で乗り込んで、その魔法を奪ってしまいたくはない。

 

私もまた自分の新たな側面を開発して、この未知の領域で自分の良い所を活かして行けたら、ビビって頭爆発する回数も減るのだろう。

 

そんな希望を込めて。

 

 

大声だけはどうしても苦手だけど。

 

 

ナタ?の刃を研ぐ魔女♡

都市封鎖、州境封鎖、外出制限と、長期に渡って厳し目だったインドのロックダウン。再々々延長が決定し、今日18日から月末までロックダウン4.0が開始。もう今日で55日目だけど。笑

 
これは37日目。ロックダウン中最初で最後のワインで晩餐✨
 

 

外出制限38日目の5月1日、州の農政部から許可証を得て、私たちは夫の実家ヒマーチャルプラデシュ州の山村に移動した。

 

チャンディガール市では感染拡大の兆候もあり、仕事の再開もしばらくは望めず、そのタイミングで実家の村では例年の麦の収穫期を迎えていた。

 

いつ都会に戻って来れるのか定かではないけれど、一人農業をする義母を手伝わない訳にもいかない。

 

 

タクシーを待つ間もドキドキ。脱出開始。
 
 

早朝4時、初めての州境封鎖突破にドキドキしながらタクシーで発つ。

 

お願いしたドライバーも不安そう。道中、交通量はほとんどない。結局、州境と村の入り口の2箇所の臨時検問所で車を降り、警察のチェックを受けた。

 

諸々の判断は夫とドライバーにお任せして、私は途中の景色を撮ったり、村に行ったら何しようか考えたり。

 

車や人の少ないインド北上の道中はインドらしからず、故郷の北海道の景色のようだった。

 

広大なパンジャーブ州を抜ける所で朝日が登る。

 

 

タクシーがギリギリ入れる山道でタクシーを降り、2人で大きな荷物を抱えて畑の中の実家に到着し、前庭に座って朝食の準備をするお義母さんの姿を見た時の感慨はひとしおだった。

 

 

しばしの間の、インドの農村生活が始まった。

 

 

長期滞在になっても良い様に荷物を多めに持って来ていた。今回はお義母さんの隣の部屋に滞在。

 

朝は小鳥のさえずりで目をさまし、昼間は森を歩いて花や植物を観察し、夕方は外でバドミントン、夜は虫の声を聞いて早めに就寝。面倒な親戚付き合いもロックダウンで皆無。。

 

。。のはずが、、

 

2日目にはお義母さんの大きな声に耐えられなくて発狂。笑

 

北インドの山村の人たちには、多分大声でコミュニケーションを取る必要があるんだとは思う。民家同士が離れているし、畑の中で小さな声で話しても聞こえないもんね。それにしてもお義母さん、朝から晩まで誰かに叫んでる。独り言さえもデカい。

 

 

ジャングルを切り開いて作られた、トラクターがギリ入る山間部の農園。

 

 

特に耐えられないのは、夫の呼び方。村中に響き渡りそうな大声で「ムンヌー(赤ちゃんw)!」って。夫も嫌がっていた。

 

そして工事中の貯水タンクを作る手伝いのおばさまたちに指示する時は、更に怖い声を張り上げる。。何もそんな厳しくしなくたって誰も間違えたりしないと思うのに。

 

長期滞在で見た義母の本性は、私の一番苦手なタイプだったという。笑

 

 

滞在3日目には夫の弟も街から帰郷した。「ロックダウンで仕事がお休みになったお陰で、母と兄弟の久々の再会か〜!いいね!」なんて勝手におめでたい妄想をしたのも束の間。

 

この弟が滞在中、私が堪忍袋の紐を何度もぶっちぎるキッカケになってくれた。。笑

 

 

インドは本当、どこまでも私の限界を試して来る。

 

日本や先進国の常識は、ここでは簡単に覆される。

今までの自分を見事に信じられなくさせてくれるよね。

 

 

でも、

 

何が本当の自分なのか、否応なしに手痛く目覚めさせてくれる気もする。

 

 

前みたいに制度や常識、流行りに右習えしていたら、私はインドの農村では暮らせないのだろう。

 

 

マンゴーの実が付いていた。かわいいなー✨

 

 

結論を言うと、私にはやっぱり夫の実家のあり方に従うのは無理だった。もちろん良いところもいっぱいあるけど(自然・風土・無邪気さ)、それよりも闇の深さが半端ない。

 

無意識の闇、教育や経済が行き届かないことの闇、弱者の闇、共依存の闇そして世代間連鎖。厳しい生活から出現する人間の闇の部分なのだと思う。

 

まず、健全な精神を保つために必要とされる事が成ってない(と思う)。

 

外国人の嫁である私の扱いに困るのか?隣の人や弟さえ、私と目が合っても挨拶もしない。こちらから挨拶すべきと思われてるのは仕方なくても、めっさ寂しいやん。泣

 

お義母さんは息子たちが帰って来たのに、最初の3日間はご飯を作って食べさせることをしなかった。必然的に食費も私たち夫婦持ち。

 

それより一日中工事現場や畑仕事に貼り付いて趣味の大声を上げている。

 

。。何かこう、家の中心が不在で心が噛み合ってない感じが満載。まず、義弟の心が離れて行くのが見えた。何の手伝いをするでもなく、彼も一日中電話でぐーたら友だちと喋ってばかり。

 

私と夫が家事全般を担った。プラス、麦の収穫の手伝いやタンクに水を貯める仕事も。

 

さすがにこの家庭ヤバい?と思い始めた私。。笑

 

 

唯一この環境に来た収穫があったなら、それまでの幻想の自信が削ぎ落とされて、周りの全員を敵に回すとしても本当の自分の信念だけが残ったことだろうか。

 

(私ってこんな人だったけ。。。!?)

 

と、良くも悪くもガツンと目覚めるのかもしれない。ちょっとした異次元体験だった。

 

 
つづく。
 

階段下の壁に上手に作った巣に、小鳥を4羽発見。毎朝見に行っちゃう♪

 

 

ロックダウンになって30日目のインド。

 

前回のブログの15日目くらいまでは、それほど「不安」を感じずにいた。この機会を最大限に活かすことに意識があったから。健康的な食生活を心がけ、呼吸法、ヨガ、瞑想をローテンションで組んで、毎朝バドミントン。昼間はインド占星術とヒンディー語をやってみたり。

 

それが、やっぱり挫折する。笑

 

ロックダウンの延長が決定した4月14日(21日目)、やはりショックだったのか、身体が重くて付いて行かない。でも「ショックに打ちひしがれる理由なんて自分で決めつけていること」と、頭の片隅では知っている。

 

2年前から「トラウマワーク」と呼んで、私なりに潜在意識の掃除をして来たつもりだったけど、それで気づいたどんな闇よりも深く愛着の強い闇に、毎日気づかされるようになった。「コロナ効果」とでも呼ぼうか笑。インドでロックダウンするという、私の中でも未知の領域の中で、これ以上誤魔化しきれなくなった闇。

 

過去の事象のネガティブ解釈たち(トラウマ)や、ネガティブ概念(認知の歪み)が、

 

私の生きる自信を奪い、未来を見えなくしてしまっている。

 

 

どんな未来の夢だって、見てみればいいのにね。笑

 

遠慮なく明るい夢を見ればいいのに、そう出来ないでいる。

 

数日に一度、消毒剤が勝手に撒かれるようになった。自信喪失もする。笑


 

特に悲観的な未来を見る訳でもないんだけど、ただただ、これからどうなるのか、その場合どんな風に生きたら幸せに感じるのか、見えなかった。見えないことが、静かに重苦しく迫る「不安」の圧力だった。

 

世界中の人が、いったん未来を失った。

 

あると思っていた世界が、幻想だった。

 

もう幻想は抱きたくないけれど、「正しい」道は何なのか手探りしている。まるで道を間違えて来てしまったみたいに。自分を責めてしまう癖も復活。

 

今までの自分を信じ切れずに、無意識にニュースや情報に答えを探して、さらに見えなくなったのは私。笑

 

瞑想しないと、あらゆる思考や感情でとっ散らかって、ずっと隣にいる夫に被害が及ぶ心配も。夫はゲームに没頭してうまくバランスを保ってるけど。

 

 

これまでの人生で疎遠になってしまった人たちを、毎日一人ずつ思い出すような日々だった笑。思い出とともに、癒え切れない傷が蘇る。誰も悪くないと決めつけて、蓋をして葬られた感情。忘れ去ったようで、解けていなかった感情。今、避けては通れない浄化が起きているんだと思う。再び蓋をして闇に飲まれる前に、光に返して愛に戻してあげたかった。

 

父も母も姉も妹も、おばちゃんも、おじちゃんも、昔飼ってた猫も、みんな順番に出てきた。笑


まだまだ、思い出す人たちがいっぱいいる。

思い出す度に、わだかまりは解けて行く。

そうやってスッキリして、また現実に向かう力をもらう。

 

「自信」をすっかり失くしていたはずなのに。

 

自信って、何が出来て何を持ってるとか、そういうものでもない。

光につながる経験を重ねることが、唯一信じられるものな気がする。

 



新鮮野菜を家の前に売りに来てくれる事に感謝。前は気にしてなかった💦

 


ところで、インド各地のトピック的にSNSで上がるコロナ関連のニュースは、強烈。行き場を失った大勢の貧しい人たちが、至近距離から消毒液をかけられてたり、ロックダウン解除のデマを信じた3,000人もの群衆がムンバイの駅に押し寄せたり、首都デリーのモスクの集会でクラスター感染が起き、その参加者が全国に帰郷して感染を起こしたことで、テロの疑いが持たれたり。刺激強め。笑

 

感染者が2万人を超えた今、5月3日までというロックダウンが再延長になっても不思議はない。

 

未来が見えなくなった気がした

 

けれど、

 

今までだって見えてなかったのに、

見えてると思い込んでいて

仕事や予定や日常に流されていただけ。

 

不安さえも、勝手な幻想なんだよね。

 

どんな事態も、起きてから対処するしかない時もある。

このコロナの性質も未知なことばかりのようだし。

 

 

何に従って生きるべきかの感覚を失いそうになって、自分の五感に帰ろうとした。

身体感覚に戻って、ヨガを味わい、呼吸を試し、瞑想で無になって

 

多分、宇宙や自然と繋がろうとしてる。

 

じゃないと本当に、帰る場所が見つからないの。笑

 

 

生命エネルギーに導かれるままに、

不安なく生きてみたい。

計算なく行動してみたい。

 

私、たまーにある緊急の場面では、別人のように冷静に迅速に行動出来るんだけど、そういう火事場の馬鹿力を、普段から発揮して、もっとスッキリ生きたいのかもしれない。

 


未来が見たくて引いたカード。読んでみたら、全部私の中の解消すべきブロックだったという。。目指せ、明るい未来!笑

 


今世界で起きていることも、この急激な心の変化も、まだまだ序の口に思える。

 

 

持てる経験の全てを1つずつ希望の光に換えて、

 

新たな世界を積み上げて行くんだよねきっと。

 

悲しみや犠牲の少ない未来、

 

豊かな喜びを実感する未来へ。

 


毎日毎日、空が美しくて見惚れている。

 

未来って、こうも見えないものなんだーと。笑

 

インドがロックダウン、外出制限になって20日目。

 

明日で予定の「21日間」は終わるけど、今は延長するのかしないのか、何処を封じ込めるか、どの職種を営業再開するかなど、色々な議論があり、最終日の明日、朝10時にモディ首相の発表がある。

 

 

首相の発表がほぼ「即発動」されるインド。こっちは当てずっぽうな準備だけで従うことになる。13億の人口では必要な方法だけど、インド人もびっくりなこの状況、私が平気な訳もなく。笑

 

やるべき事をして平静を保つ中、生理が2週間止まらなかった。収まったと思ったら、史上最悪レベルの歯痛と闘うことに。それも昨日終わったかと思えば、この延長説にモヤっとしてる。

 

周囲の人たちの見通しも効かないから、色々と計画していた未来が崩れていく。まるでタロットカードの「タワー」のよう。笑



今日引いたタロットはこれ。

 

左から過去・現在・未来。


過去(左)は、剣ささって倒れちゃってるソードの10。「最悪の状況に見舞われる可能性をはらむが、そこで終わるわけではない」というカード。逆位置は「あとは起き上がるのみ」って、ズバリ過ぎる。笑


現在はスターのカード。大アルカナでは、さっき言った破壊的な「タワー」の次のカード。「直感が働き、不運を遠ざけ、将来に明るい見通しがつく」の意味。今の心境の通りかな。


未来(右)はクイーン・オブ・ペンタクルズの正位置。実は一昨日、「未来を教えて」と聞いて引いたのは、同じカードの逆位置だった。(こういう偶然よくある)


一昨日引いた時の写真。逆位置で出た。


クイーン・オブ・ペンタクルズは、正位置では「多才、しっかり者、包容力、庇護、有益」の意味。

逆位置では「気難しい、偏屈、不信感、自立できない」という感じ。2日前より心の整理がついて、正位置である本来の未来へ向かう段階に来たとも読める。

楽観ばかりのリーディング。笑

 

 

明日の首相発表がどうなるのか、状況がどうなるか憶測ばかりしていると、自分の感覚、勘もブレてしまう。


これまで自分で対処出来ない問題は起きてないし、いずれ何とかなるんだったら、自分なりの見通しを新たにして、この日々に流されず生きたい。

 

 

明るい未来を描こうと思う。

 

未来予測なんて出来ないと思ってた、今までの壁を越えて。

誰かに作られた未来が勝手にやって来る毎日は終わった。

本当に。笑

 

ロックダウン中は、誰のために何をしなくても良い。

するといかに今まで、自分のために何もしてなかったかが分かる。

自分の夢も希望も未来も、言い訳つけて犠牲にしてた。

相手のためと言いながら、実は損得勘定で絞り出してた、夫への愛情表現。


少しずつ、そういうのを止められるチャンス。

 


満開になったバラちゃん。そろそろ夏です。



インド政府が外へ出るなと言って、ちょっと歩いたら棒で叩かれるとか、あまりにも興味がなくてまだ1度しか買い物に出てない。


見たくない未来は見なくても良い。どんなに制限されようと、魂の選ぶ明るい未来を目指そう。

  

そう強く思うのは、自分が意志も行動力も乏しいこと知ってるから。笑

 

瞑想やヨガ、レイキ、占星術、タロット、どのエネルギーワークでも、ある程度のところで自分の限界を越えられない。


料理は作れても心から楽しめない、夫といても心から安らげない、etc. ゆゆしき問題ぞ。笑

  

 

自分を静かに観察することで、するべき事が見える気がする。


ヨガ、呼吸法、瞑想。

 

そして思い切り遊んで、誰かのために働いて、心から笑って、泣いて、精算しながら進むのだ。


いらないプライドや劣等感を捨てる、前代未聞のチャンス。

  

 

ここ2、3日は、チベット仏教の瞑想の講義にどハマり。ダライ・ラマ14世にお会いして修道院を訪ねる旅をして以来、私にとってチベット仏教は親しみがある。実践的で分かりやすい。

 

リンポシェとは、ダライ・ラマと並ぶ高僧の生まれ変わりとして選ばれた僧の称号。ダライ・ラマは仏教は「宗教ではない」と仰る。争うことなく、より良く生きるための実践的哲学とのこと。

 

インド全土でロックダウンが始まって15日。

北インドの地方都市ここチャンディガールは、最初から外出禁止に近い形のまま。

 

食料品と医薬品店以外の店舗は営業中止。徒歩で行ける範囲の買い物は11 - 15時まで。


公営バスに野菜を乗せて各地区に供給してるけど来ない日もある。そんな時はリヤカーの野菜売りがいるので、必要な物が売りに来てれば、時間内に買う。

 

3食作って食べてる。おやつは果物やお菓子も買える。

 

酒屋さんも、鶏肉屋さんも閉めてる。

アマゾンも、フードデリバリーもない。確かに不便にはなった。笑

 

ポリスが巡回・検問しているとかで、散歩には行けない。運動は屋上でバドミントンや縄跳び、室内でヨガ。

 

1日がとても長く感じる。一日中家にるのに、色々な初めての事が起きる。近所の人たちも同じ様にとまどい、静観しながら事態を共有している。

 

休む時はしっかり休み、遊びも家事もちゃんと楽しむ。それが出来ないと今・ここから、自分が離れてしまう。


ニュースや憶測に負けてはいけないね。

 

1日って本当は、こんなに大切に出来たんだ。そう思ったのは最初の10日。

その後は非日常が新しいルーティーン化する。

いらない習慣を捨てないと、新しい習慣が入らない。意外と忙しいロックダウン。




瞑想アーシュラム並みに
瞑想し放題なロックダウン期間。
色んなことが降って来るので笑、
書いておきます。


 
 
エゴの栄光、過去の栄光に酔っている自分をみた。
とてつもなく心地が良いもので、自分が酔っていることに気付かない。
 
潜在意識の中で、過去にまだ酔ってる自分がいる。
 
私のエゴの過去。
自分だけが特別だっていうドラマを演じてた自分。
 
そのためなら、何でも犠牲にしてきた。
愛を深める時間、
向き合って解決する時間、
家族と分かり合う時間、
人を許す時間。
自分を許す時間。
信じる時間。
祈る時間。
笑う時間。
遊ぶ時間。
 
ありのままを見る勇気も。
 
エゴはなくならないけど、
気付いてなだめてあげることはできる。
 
ロックダウンのこの時間は
神さまがくれた時間。
 
犠牲にしてきた全部
もう諦めなくていい。

 エゴは何か、疲れるからね。笑
 
長〜い目で見て、
一歩ずつ、
闇の少ない世界へ。
 
一年半ぶりに花を付け、今朝咲いた🌹✨💕長い間ゴメンね🙇