心を通わす魔法について | 北インド☆ゆるヨガライフ

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

オンラインショッピングが解禁になってすぐさまエアコンを買ったのに、例年になく北インドの夏が涼しい。。笑

 

免疫を保つためにも室温34度ぐらいまではエアコンなしで。。と、私が前向きにいるところへ、新しい物を何でもいじり倒す暑がりの夫、何と就寝時に24度に設定していた。おかげでお腹痛ぃ。。おもちゃじゃないんだぞ!

 

 

いつも「ありがとう」や「愛してるよ」と口はは達者でも、物の扱いに感謝を表す文化はない村出身の夫。

 

野菜を買ってきてくれるのは助かっても、あとは床に放りっぱなし。食べたお弁当箱はカバンに入れっぱなし。

 

「お弁当おいしかったって言ってもらうより、シンクに持って行ってもらった方が嬉しいなー」

 

言ったところで真意が分からないようで、頭にはてなマークが浮かんでいる。それより目の前の朝食の「お代わり早くちょうだい」という顔。ワンワンですか?笑

 

 

エアコンを買ったその日からモンスーンの季節に入ったらしく、低気圧が苦手なオバさんは低調子。まだ若い夫はコロナ禍も忘れかけたように元気に出勤して行ったけど。

 

 

永遠の子供(大型犬)みたいな人と一緒になったことの不思議。

 

ジョージクルーニーみたいな大人の男が理想なのに。笑

 

 

初ものライチー。

 

 

この下町はアパートも多く、常にベビーブームのようにポコポコと新顔の赤ちゃんを見かける。今朝もお向かいのアパートのベランダに、ちょっと強面でがっしり系のパパに抱っこされたベビーが小雨のお外を見に来てた。

 

ちょうどお向かいが見える台所で洗い物をしながら(かわいいなぁ。。でも相変わらずパパ、イカつー)と思ってたら、ベランダに出た夫が、

 

「よぉ!バイー(兄さん)!元気かい!」と呼びかけ、イカつい兄さん満面の笑顔。ベビーもキャッキャ笑ってる。

 

知らない男性はみんな「兄さん」ってことで。笑

 

ビバリーヒルズ青春白書?並みに陽気な夫でビックリするわ。

 

ロックダウン中は家にいることが増えたあのヒットマンみたいなお兄さん、あんな笑顔は初めて見たよ。良い人そうで安心した。

 

うちの夫は誰にでも話しかける特技がある。どんな場面でも周囲との壁を取り払ってしまうのだ。ある意味天然でKY。、でも人を和ませる天才だと思う。

 

 

インドでは警戒して人見知りになる私は、かたや貝のように固まっている。夫が無邪気に広げていく人脈も私には理解できない人が多いので、この町で信じられるのは小さな子供くらい。小学生でもズルい子もいるし。笑

 

 

同じお向かいのアパートには、夫のお気に入りのベビーがいる。ベビーと言っても2歳半になるパリーちゃん。両親は夫と同じ州の人たち。夫も私も、パリーをお母さんのお腹にいる時から知ってる。と言うのも、私も同じ時期に妊娠していたからだ。

 

スクスク育ってちょっと生意気さも入ってきたパリーを見かける度に、何だか嬉しくなる。夫はパリーの成長が面白いみたいで、いつもベランダ越しにちょっかいをかけてる。夫が「パリー、こっちにおいでよ!チョコレートあげるよ!」と言うと、パリーのパパも悪ノリして「ホラ、行っといで」と、抱っこしたパリーをこちらに放り投げるフリ。

 

パリー絶叫。パパにしがみついて小さな手でバシバシ叩く。

 

毎回懲りずにコレの繰り返し。でも毎回「え?チョコ??」って、一瞬まんざらでもないパリーが可愛い。

 

私は内心(心の傷になったら困るから止めてーーーっ!)と祈るけど、こんな事で心の傷になってたらインド人やってられないのかも?まぁインド人同士、うまくやってくれ。笑

 

 

流産を繰り返した後は、子供を持ちたいのかそれとも諦めたいのか、とにかくハッキリしたくて悩んだ時期があった。そんな時にも周りにはノンストップで(そりゃそうだ)かわいい赤ちゃんが生まれて来る。(日本みたいに少子化だったら、拷問みたいに赤子ばかり目にする事もなかろうに)と恨めしく思ったのは、ほんの一瞬。

 

自然に生まれて来るのが命。

 

あちこちで泣いたり笑ったり遊んだりする姿を眺めていると、いつの間にか理屈をすっ飛ばして受け入れていた。

 

生まれて来ないのも、また自然なこと。

 

 

以前は屁理屈が得意だったはずの私。自分を慰めるためにいくらでも頭の中で理屈をこねていられたかもしれない。でも、目の前の現実がこうなんだから、まぁいいいかって。

 

 

夫の村の友人たちもベビーラッシュ。

 

 

子供が好きで、日本では幼稚園〜高校生までの子供たちの英語教師をした。どの子にもユニークな才能を見つけるのは得意だ。子供たちの笑顔や眼差しに魂の輝きが見えるような瞬間が好きだった。

 

きっと自分の子供のいない人生は寂しいだろうなぁと、知らないから不安だった。自分たちの子供が出来ないことイコール、子供と関わることのない人生のように思えて。

 

でも不思議なもので、見回すとこの町にはキラキラした目の子供たちがたくさん。人口爆発のインド、元気すぎる子ばかりで困るくらい。そして普段は愛想のない奥さんもイカつくて怖そうなお兄さんも、子供たちの周りでは魔法のように無邪気な笑顔を見せる。

 

 

(私は正直、まだまだインドの人が怖いんだなぁ)って、今朝あの赤ちゃんを抱いたお兄さんの笑顔を見て気付いた。

 

北インドの人は愛想笑いをしない。特別人懐っこくもない。彫りが深くて浅黒くて、どうも気難しそうに見えて仕方がないのだ。若い男の子などが何人かで集まってると、勝手に脳が(ハイ避けて!)と指示を出す。

 

(この前も私、夫の弟が同年代の友達と群れてるのを見ただけで悪い予感しかせず、さっさと仕事しなさい!と追い払って夫にたしなめられたばかり。確かに悪友もいるけど、決めつけはマズイ。。)

 

この世界でいまだ肌の色の違い、顔つき体つき、人種の違いで差別が起きているのも、私自身の幼稚な思い込みを省みると、揺るぎない事実なのだろうと思う。そんな事件は悲しいし絶対に嫌だと思う反面、私自身の無意識も加担者じゃないかと思えてくる。

 

私の脳が勘違いした指令を出すのと同じ無意識が、行き過ぎた差別の発端のような気がしてならない。力の弱い私は、勘違いのお説教をたれた後に恥をかくくらいで済むけど、もし、武器を持つ権限を与えられた警官だったら、と。。

 

 

20代のアメリカ留学時代から私にも黒人の友人、恩師、教え子がいる。その人たちに差別感情など全くない。でも一方で「知らない人は信用しない」プログラミングもされていて、それは国や人種に関係なく発動されてる。しかもインドでは発動回数が多い。

 

身を守る本能と関わっているのだろう。

 

 

自分が「差別をする側」と仮定して、その心理状態や置かれた状況を理解しないと、差別はなくせないだろうと思う。「自分は差別なんてしない」と言い切れる時は、安心安全な社会に守られているからかもしれない。平和な時は見えなくても、緊急時には抑圧してきた側面が表面化するのが人間でもある。

 

 

差別する側に、心の平和がなかったんだろう。

心が恐れでいっぱいになっていたんだろう。

冷静に事実を見る余裕がなかったんだろう。

 

自分のことを省みると、そんな風に思ったりもする。

 

日頃から心のケアを怠ってはいけないと気付かされる事が多かったこの頃。キレやすいのも、見た目や地位で人をジャッジしちゃうのも、未知の恐れから、ありのままの相手を知る努力を怠っているのも。それは私の人格の足りなさであり、同時にこの時代の価値観を映す「現代病」でもあるんだと思う。

 

外国に行ったり住んでいると周りから「国際的」と言われたり、差別なんて乗り越えたように思われるけど、そんなことはない訳で。笑

 

心を開いて通わせることが出来ないでいると、どこにいても同じ。どこにいても、自分の中に闇を隠し持ちながらしばらくは生きていける。問題が表出するまでは。

 

心の中が「恐れ」でいっぱいなんだったら、それは癒すしかないのだと思う。

 

過去に傷ついたこと、怖かったこと、あんな人にあんな風にされたこと、知らない人は信じるなという根拠のない思い込み、身を守るようで世界を狭めるだけの昔の誰かの言いつけや、もういらなくなった概念はさっさと癒してバイバイしたい。

 

知らない人から手を差し伸べたことも助けられたこともない、知らない人に笑顔を向けたことも向けられたこともない。。そう言って子供っぽく拗ねてる自分の殻を破って、

 

勇気を出して相手を知ろうとしたり、曇りのない目で見ようとしたり、心を通わせようとする経験を刻むことで、みんなで賢い世界を作るしか差別はなくせない気がする。

 

 

未知なる恐怖は、知ってしまうと一転、愛おしくなる。

 

恥ずかしながら私も、前はぜんぜん自分を許せなかった。

 

40代まで結婚できない女も、子供のいない人生も、一回り以上年下のインド人と結婚したことも、3度も流産することも、市場でボッタクられたり、バスで痴漢にあったり、物乞いのオジさんに騙されて食料買わされたり、インドの下町でボーッと生きているのも、

 

やってみて、見て知って、怒りも恥も醜聞もいったん飲み込んで、そのうち落ち着きを取り戻し自分なりに消化して、ちょっと分かったかな?と思えて来てる。苦し過ぎた自分を、許すと決めたから。

 

どんな自分も許すことで、相手の見方も変わると思う。

 

差別も批判もジャッジメントも、

ネガティブ感情は全て

大切な学びの魔法を秘めている。

 

自分の闇をありのままに見ていくと、ようやく世界の闇のその先が見える。だから恥も外聞も失敗も恐れずにいたい笑。どんな困難が訪れても、心は自由でいたい。

 

 

まだ見ぬ誰かと心を通わせられる世界、

人として生まれ落ちた地球の本当の美しさを

やっぱり、生きているうちに見てみたいなー。

 

 

インドの下町でロックダウンしながら、密かに明るい未来を妄想しているのです。

 

 

もっともっと

怖がりの自分、悲観的な自分、信じられてない自分を見てあげて

安心して、楽観的になって、理屈じゃなく信じてあげようと思う。

 

 

そしてもっともっと

相手と心を通わせる経験を魂に刻めば

偏見も差別も居場所がなくなっていくし

建設的で楽しい事に集中できるようになる。

 

私のインド生活も、また少しずつ楽になると思うんだけど。

 

ロックダウンが終わったら再び訪ねたい場所。マナリーレイ・ハイウェイにあるロータンパス峠。