ロックダウン後の世界へ。 | 北インド☆ゆるヨガライフ

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

6月からロックダウン5.0(アンロック0.1とも呼ばれる)が始まったインド。

 

感染者数は20万人を越え日々増え続けるのに、都市封鎖は解除、経済活動もほぼ再開。

 

命の危険のぬぐえないところに、職場のパソコン店の営業時間が延びた夫は帰りが遅い。リモートワークやオンラインクラスの風潮で、ノートパソコンはよく売れている。嬉しいような、でも、命と比べたら屁ぇ(失敬)みたいなお話で。

 

夫には毎日完全防備を説いていたけど、それにも限界がある。コントロールし過ぎると本当、心を病むわ。

 

程々にして、あとは夫と私の強運を信じるのみ!笑

 

 

 先日発表のニュース。明るいようで怖い決定でもある。

 

 

クラスター感染が起きている地域は containment(封じ込め)ゾーンとして隔離されているので、無尽蔵な感染は収束に向かっていると思われる。この6月からのアンロックで再拡大しなければ、ね。汗

 

 

例年は私、この酷暑の季節は日本にいる。そう思うだけで調子が下がり気味だった。ロックダウン中に無理して義実家の村に滞在したりチャンディガールに戻ったりで、不安定な情勢と相まって調子が出ない。

 

そして買い渋っていたエアコンを、ついに購入。夫との話し合いの段階で、夫は限られたお給料から月賦で捻出すると言い張り、その心意気が頼もしいような、悲しいような気分になった。


この下町でエアコンを設置できる家は少ない。私が日本のカードで簡単に買うことは、色んな思いを蹴散らかすことにならないか、と。

 

まだまだ試行錯誤の、日印婚4年目。

 

エアコン工事中。室外機の時は近所の人たちがギャラリー化して凝視。最高気温46度で停電もするのに、この町でエアコンは珍しい。

 

 

しかし結局、イオ○カードさんが国外セキュリティー強化したそうで、私のカードは使えず。夫の友人のカード番号を借りて立て替えてもらうという、インド式のなぁなぁ決済に至った。友だちの友だちは、まだみんな友だちか?

 

コントロールできないことだらけ。

 

私の責任じゃどうにもならないことだらけ。

 

なんでも自分の責任って勘違いして暴走するエゴくんが、コントロール狂の現代病にやられているのが、「不便な」インドにいるとイタすぎて、手放さざるを得なくなる。

 

やれば出来る、努力したら認められる、変化や改善が好まれる、自分が良ければ周りは関係ない、周りは周りで何とか出来るからってのは、ここではアベコベの話。

 

インドの実家の梅で梅干し✨やっと何かがひとつ形になる喜び。

 

 

不安なロックダウンの時期に少しでも拠り所をと再開したヨガ、瞑想、仏教学、バドミントン等の時間も、夫の仕事再開であっという間に膨大な心配の時間に費やされている。イコール、自分の命の心配なわけで。笑

 

心配なんて幻想だと、頭では分かるのに。

 

「気を紛らわそう」と手を出す事には集中出来ず、マスクも4枚縫って飽きちゃった(でも、お義母さんと義弟にあげられて良かった!)。

 

家計も回したいけれど、カードを使う度に毎回イオ○カードさんにメールして、海外にかかるブロックを個人的にその日のみ(日本時間の24時まで)解除してもらう必要があると昨日コールセンターから電話があった。非常時感満載ー。

 

まだ、外に変化を求める段階ではない。

 

と言うことは、

 

まだまだ、内側に変化の余地があるのだと思う。笑

 

 

この厳格なロックダウンの2ヶ月で、ヨガ・呼吸法・瞑想は大分身近になったけど、度々大きな壁にぶち当たって砕けている。今も絶賛挫折中なのだ。

 

と言うのも、義実家で色々と衝突があって以来、自分の内面なんてもう見つめたくない気分になってる。笑

 

「そのままにしておく」

「そのままを見る」

 

そのことで現わになる、自分の内面の闇やアンバランスさ。それを見るのが震え上がる程に怖かった。恥ずかしくなった。それは私がまだ自分を責めてしまうからだろうか。

 

「責めて正す」という習慣を手放せないと、自分の内面を無意識に責め続け、無意識に闇の中に抑圧してしまう。

 

それが何かの拍子に表出した時のエネルギーは、破壊的すぎるのだ。

 

自分の心をケア出来ないことの代償は、あまりに大きすぎる。それを今回、インドの実家での衝突で学んだ。

 

 

世の中では差別や弾圧、行き過ぎた批判で人々が命を落としているけれど。

 

私の中にも、そんな攻撃的なエネルギーが存在している事を自覚した。

 

義実家に滞在した時、「非常識だ!許せない!」と私自身が激怒したことがきっかけだった。

 

まさか自分が、感情を爆発させることなんてないと思っていたのに。

 

「正しい、正しくない」でジャッジして、周囲の人を傷つける勢いのエネルギーが出てしまった。でも、

 

インドの田舎で何が正しかろうが正しくなかろうが、

まったくもって私の責任じゃないはずなのだ。実際は。

 

境界性人格障害のつぼみとも思える拘りと偏見が、私の中で育っていた。

 

 

あなたは、あなた。

わたしは、わたし。

 

それで良いことを、この人生でどれだけ深く知れるだろうか。

 

偏見は完全になくせなくても、青いうちに摘み取って梅干しに出来るかも?笑

 

 

日本のニュースや欧米にいる友人のメッセージでは、徐々に活動再開している報せもあり喜ばしい反面、心がザワザワ晴れないのは、この表出したエネルギーと葛藤しているから。

 

 無意識の差別や偏見の代償が、厚い雲となっていまだ世界を覆っているせいかもしれない。



インド発着の国際線は6月いっぱいは再開しない予定とか。

 


6月5日の部分月食、21日の部分日食、7月5日の部分月食と、 蝕のシーズンを迎えている今、世界的にも見えていなかった部分が露呈して行き、理解が進むキッカケとなる事象が続くと言われる。

 

犠牲を強いて見失っている自分の存在や、一部の繁栄のために封じ込めている他者、変化に猛進するばかりに破壊している自然、人間のエゴの姿をしかと見る時期なんじゃないかと思う。

 

エゴは消えない。

 

バランスを取る努力が可能なだけ。

 

この時代に生まれて、ぬくぬく楽をする以外に、一体何を見に来たんだろう?このインドまで。笑

 

そんな事を思いながら、もう少しゆっくりとロックダウンさせてもらいたいと思う。

 

犠牲の上に成り立った幻想の安心・安全の上で、頑張れば何でも出来ると意気がっていた時代が終わったので、この別れを悲しもうとも思う。本当の光を見るために。

 

エアコンの風に当たりながらなんて、ロックダウンで行き場を失った人たちが野ざらしな中、矛盾だらけでどうしょうもないけど。

 

あなたは、あなた。

わたしは、わたし。

 

批判し合うよりも、助け合える世界をこの目で見てみたい。

自分の闇を見捨てるよりも、許し合って手を取りたい。

そういう力を、私たちは持って生まれたらしいのだから。

 

 

先月、まだ完熟しない梅を頑張って採ってくれる夫。偏見やこだわりが少なく寛大な夫にいつも救われています。