ロックダウンになって30日目のインド。
前回のブログの15日目くらいまでは、それほど「不安」を感じずにいた。この機会を最大限に活かすことに意識があったから。健康的な食生活を心がけ、呼吸法、ヨガ、瞑想をローテンションで組んで、毎朝バドミントン。昼間はインド占星術とヒンディー語をやってみたり。
それが、やっぱり挫折する。笑
ロックダウンの延長が決定した4月14日(21日目)、やはりショックだったのか、身体が重くて付いて行かない。でも「ショックに打ちひしがれる理由なんて自分で決めつけていること」と、頭の片隅では知っている。
2年前から「トラウマワーク」と呼んで、私なりに潜在意識の掃除をして来たつもりだったけど、それで気づいたどんな闇よりも深く愛着の強い闇に、毎日気づかされるようになった。「コロナ効果」とでも呼ぼうか笑。インドでロックダウンするという、私の中でも未知の領域の中で、これ以上誤魔化しきれなくなった闇。
過去の事象のネガティブ解釈たち(トラウマ)や、ネガティブ概念(認知の歪み)が、
私の生きる自信を奪い、未来を見えなくしてしまっている。
どんな未来の夢だって、見てみればいいのにね。笑
遠慮なく明るい夢を見ればいいのに、そう出来ないでいる。
特に悲観的な未来を見る訳でもないんだけど、ただただ、これからどうなるのか、その場合どんな風に生きたら幸せに感じるのか、見えなかった。見えないことが、静かに重苦しく迫る「不安」の圧力だった。
世界中の人が、いったん未来を失った。
あると思っていた世界が、幻想だった。
もう幻想は抱きたくないけれど、「正しい」道は何なのか手探りしている。まるで道を間違えて来てしまったみたいに。自分を責めてしまう癖も復活。
今までの自分を信じ切れずに、無意識にニュースや情報に答えを探して、さらに見えなくなったのは私。笑
瞑想しないと、あらゆる思考や感情でとっ散らかって、ずっと隣にいる夫に被害が及ぶ心配も。夫はゲームに没頭してうまくバランスを保ってるけど。
これまでの人生で疎遠になってしまった人たちを、毎日一人ずつ思い出すような日々だった笑。思い出とともに、癒え切れない傷が蘇る。誰も悪くないと決めつけて、蓋をして葬られた感情。忘れ去ったようで、解けていなかった感情。今、避けては通れない浄化が起きているんだと思う。再び蓋をして闇に飲まれる前に、光に返して愛に戻してあげたかった。
父も母も姉も妹も、おばちゃんも、おじちゃんも、昔飼ってた猫も、みんな順番に出てきた。笑
まだまだ、思い出す人たちがいっぱいいる。
思い出す度に、わだかまりは解けて行く。
そうやってスッキリして、また現実に向かう力をもらう。
「自信」をすっかり失くしていたはずなのに。
自信って、何が出来て何を持ってるとか、そういうものでもない。
光につながる経験を重ねることが、唯一信じられるものな気がする。

ところで、インド各地のトピック的にSNSで上がるコロナ関連のニュースは、強烈。行き場を失った大勢の貧しい人たちが、至近距離から消毒液をかけられてたり、ロックダウン解除のデマを信じた3,000人もの群衆がムンバイの駅に押し寄せたり、首都デリーのモスクの集会でクラスター感染が起き、その参加者が全国に帰郷して感染を起こしたことで、テロの疑いが持たれたり。刺激強め。笑
感染者が2万人を超えた今、5月3日までというロックダウンが再延長になっても不思議はない。
未来が見えなくなった気がした
けれど、
今までだって見えてなかったのに、
見えてると思い込んでいて
仕事や予定や日常に流されていただけ。
不安さえも、勝手な幻想なんだよね。
どんな事態も、起きてから対処するしかない時もある。
このコロナの性質も未知なことばかりのようだし。
何に従って生きるべきかの感覚を失いそうになって、自分の五感に帰ろうとした。
身体感覚に戻って、ヨガを味わい、呼吸を試し、瞑想で無になって
多分、宇宙や自然と繋がろうとしてる。
じゃないと本当に、帰る場所が見つからないの。笑
生命エネルギーに導かれるままに、
不安なく生きてみたい。
計算なく行動してみたい。
私、たまーにある緊急の場面では、別人のように冷静に迅速に行動出来るんだけど、そういう火事場の馬鹿力を、普段から発揮して、もっとスッキリ生きたいのかもしれない。
今世界で起きていることも、この急激な心の変化も、まだまだ序の口に思える。
持てる経験の全てを1つずつ希望の光に換えて、
新たな世界を積み上げて行くんだよねきっと。
悲しみや犠牲の少ない未来、
豊かな喜びを実感する未来へ。
