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北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

今インドの若者に大人気のモバイルゲーム、"Player Unknowns Battle Grounds"(通称「PUBG」パブジー)。

 

実際の軍隊の戦闘員、あるいはテロリストの一員になったかの様なリアルな設定とグラフィック。オンラインでチームになった相手と音声会話しながら「敵はあそこだ!打て打て!殺せ!」と、うちのアパートでも若者が昼夜熱中する声が聞こえて、胸が痛くなる。

 

夫の甥っ子・姪っ子たちも、こんなに流行っているものだから、「上達」することを目指して、何の疑問もなく1日数時間はプレーしてるらしい。ゲームの最初は飛行機から目的の戦闘地へとスカイダイビングする。眼下には毎回異なる未知の国の大地が広がっているという、ワクワクな設定。

 

ゲームのルールは、単純でヒドい笑。

 

パラシュートで落下した先の、戦闘で人々が避難した後の民家に次々と侵入して、そこに落ちている武器を拾い集めながら、とにかく出会う戦闘員を片っ端から銃撃戦で殺害して行くという、いわゆるバトルロワイヤル。

 

最後に生き残った者が勝ち。

 

より多くを強奪して、ほとんど皆殺しにした者が「勝者・英雄」と讃えられる。

 

この「#1」のポジションを奪うために、ちびっ子から若者の多くがこのゲームにハマり、大事な時間と、共感することのできる大切な心を犠牲にしてる。

 

 

まるで軍の特殊部隊のシミュレーション。

 

 

私情を殺した職業軍人のような世界が、ゲームとしてインドの隅々まで広まっている。一般人は銃を持たないインドでも、絶対に何らかの冷血な犯罪を誘発しそうで恐ろしい。

 

一般的に軍人が英雄として讃えられるインドでは、入隊を夢見たり憧れ続ける人も

が多いのも、この爆発的人気の原因かもしれない。

 

 

インド、人気ゲーム『PUBG』禁止の動き 

一部都市や大学ではすでに禁止、逮捕者も

https://newsphere.jp/national/20190410-1/

 

 

↑日本でもこんな記事が。書かれているように、本当に「依存性」が高いと思う。と言うのも、うちの夫も今月初め頃からまんまとハマって、ちょっと困った事になってた。

 

 

夫は攻撃性の高い性格でもないし、普段は人を気遣う優しさやマメさがあり、いつも笑顔で冗談言って人を楽しませるタイプ。だから一緒にいると気楽で楽しい。

 

でもこのゲームにハマって以来、1日2、3時間はそういう彼が見られない。

 

夜帰宅してご飯食べて、私がお皿を洗って戻って来たら、もういない。

 

ゲームの中に吸い込まれてる!!笑

 

 

何が嫌って、その場にいるのに魂が抜き取られたみたいに、ゲーム以外のことは聞こえなくなってるのが一番イヤだし、怖いわ。

 

 

一般的な日本人なら、もっと色んなゲームや娯楽が選び放題だし、耐性もついてるから、こんなに熱中したりしないだろうな(ゲーム依存症は例外)。そんなに楽しみのない暮らしをして来たのかい?

 

最初は私も(ん?何か、大人しくなって楽だな)って、自分の事する時間にさせてもらってたけど、先週から仕事もなくなって昼間も暇なので、夜も夫がもぬけの殻じゃ余計につまらない。

 

何度か激怒もしてみた。

 

寂しいことも訴えてみた。いつもの心優しい夫は何処へ行ったのと。でも今の所「ゴメンゴメン、あと1ゲームでやめるから」と、結局私は起きていられず寝落ち。夫はここ毎晩午前2時まで寝られない。

 

 

何かねー。色々思っちゃったりするけど。

 

 

昔はこういう時、「自分を責める」ことってありがちだった。私と一緒にいてもつまんないの?とか、私はどうでもいいのとか。でもそういうはもう抜きにして。

 

 

「飢え」みたいのを感じなくもない。

 

 

隅々までネットとスマホが行き渡り始めたばかりのインド。エンターティンメントのなかった大国に、とんでもない流れが来てるなーと。

 

私がインドに来た3年前は、大人も子供もまだこんなの↑に夢中だったのに。

 

 

身内だけとの固い絆や、お寺や神事や数あるお祭りが人々の心を繋いで来たような場所だ。そんな所に、不特定多数の赤の他人とオンラインで声を掛け合いながら、同じ参加者をゲーム上とは言えどんどん殺戮してナンバー・ワンになるとか、

 

 

元々ある心の隙間に、悪い虫が憑いてる図、そのもの。。。

 

 

リアルな描写の豊富な場面に吸い込まれるんだろうねーご愁傷様。

 

 

ネパールはこのゲームを禁止したとか。

 

 

自制の力が育まれていない場合には、国が規制することで依存症の二次災害である「犯罪」を抑制することにつながると思う。

 

市場規模の大きいインドでは、どんな苦情や自殺者が出ても政府は二の足を踏んでいるように見える。今のところ規制は「1日4時間までプレーできる」というもの。命やモラルより経済効果か。。。神々の国だったはずのインドも、踵を返したように超巨大経済至上主義に転落してる気がする。

 

ウチも夫に4時間もこれされたら、家事も用事も終わりません。

 

 

流行りじゃなくて、恒久の教え

 

お金では買えない価値や文化

 

誰とも比較できない自分の尊厳

 

楽することと、幸せは別のもの

 

 

薄っぺらい経済バブルの対極にあるものが、身に積まされて分かるのって、やはりバブルを越えてからなのか。。。でも私はインドに期待したい。日本や先進諸国が歩んだ道とは別の道を行ってほしい。

 

5千年前にヴェーダの叡智がこの地に降りて、俗世的であり超人的な濃いキャラ過ぎるヒンドゥーの神々が伸び伸びと息づいて、仏教が生まれ世界中に広がって。この地ならではの良さをもっと広めれば、先進国にも経済至上主義にも迎合しなくていいんじゃない?

 

だってお金が儲かったって、今はまだ貧困層に還元するシステムが足りてなくて、寄付や良心頼みだし。大富豪と貧困層の格差がヒドすぎるよ。

 

 

私としては、夫に何を「禁止」することも疲れるから、もうやめる。

 

禁止の方はインド政府にお任せして、私は私の好きなこと楽しい事をさせてもらえばいいや。夫に遠慮も、もうしません。

前回は騒音に耐えられん!ってなった先週のことを書いたけど、今週もご近所の賑やかさは変わらないのに、何故かそんなに気にならない。不思議。

 

やっぱアレかな、ストレス度数で感受性が変わるという。

 

 

そーいえば、仕事先の一言一言がトゲトゲしいとか、小ちゃい事で悩んでたもね。でも、まずは「私自身」がどうなりたいのか、何を望んでいるのか、どんな心持ちで過ごしたいのかと向き合ってみたら、そんな悩みは原因ごと消えたみたい。

 

私はやっぱり、自分を大事にしたい。

その上で出来る限り、相手も大事にしたい。

 

どうしてもうまく伝わらない矛盾をやり過ごしていたら、

毎瞬毎瞬、もっとお互いを傷つけてたかもしれないし。

 

パッシブ・アグレッシブと言われるような、ただの思い込みと無言の圧力で、誤解したまま関係を続けるなんて一番不健康。

 

 

さ、自由になった分気楽さを楽しもっと。

 

 

 

先週末、夫がボスの奥さまの入院するICUにお見舞いに行った帰り、私にプレゼント!と言って買って来てくれたのがコレ。

 

バドミントン!

 

 

 

これ、何とセットで150ルピー (約230円)だそう。一体どこの世界にそんな値段のバドミントンがあるの?と聞いたら、職場の同僚が住む市営住宅街「ラムドゥラバール」価格だそうな。なるほど。

 

 

早速その日の夕方、涼しくなったのを見計らって近くの「ジャパニーズ・ガーデン」で試し打ちして来た。

 

このジャパニーズ・ガーデン、計画都市チャンディガールが誇る、数ある特徴的な公園の中でも結構な異空間。

 

「鳥居」と「枯山水」以外はどう見ても中国風。。w(Google画像検索より引用)

 

木材などは使わず、コンクリート造りのどう見てもチャイニーズ風なオブジェと遊具が立ち並ぶ、市民の憩いの場です。

 

日曜の夕方、同じ様にバドミントンやダンスの練習をする若者グループや、ウォーキングに勤しむおば様たち、安全な場所でちびっ子を放って談笑する親ごさんで賑わってました。

 

(週末以外はカップルが木陰でデートしてますの)

 

チャンディガールの他の公園「スクナ・レイク」や「ローズ・ガーデン」と違って地方からの観光客も少なく、近所の人たちが伸び伸びレジャーを楽しめるのもいい。カンティーンや売店もあって便利だし。

 

外灯は少ないので、1時間程で切り上げ、買い物してから帰宅。

 

それだけでも、大分スッキリ!

 

 

それ以来夫は毎日の様に「次はいつ行く?」と、すっかりバドミントンが気に入ったよう。

 

一昨日は、夫が8時半に帰宅してからバイクで15分の44マーケットにある路上のダバへ。夫の昔馴染みのお店で、建物と建物の間にタープを張っただけのディープな雰囲気。でも味は確かな人気店。安くてうまい!

 

9日間続く「ナヴラトリ」祭の間は菜食が続き、私のレパートリーも尽きたので、家では作れないタンドゥールで焼くチャパティや、こってりしたチャナ、ゴーヤのマサラフライ、シャヒパニールを堪能しました。

 

帰りは初めてセクター45の町を通ってみた。OYOなどのホテルがひしめき合う様子は、デリーの下町を思わせる。すると大きくて新しい学校の前に、煌煌と照明で照らされたファミリー向けの公園を発見。

 

バドミントンを背負って来ていた私たち、腹ごなしでプレーすることに。

 

クリケットの少年たち、遊具で遊ぶ小学生や、バドミントンの夫婦の他に、隅の方にはポツリポツリとソロの労働者がスマホを見てる。珍しくムスリムの人も。この辺の北インドの地元の人は普段サリーは着ないけど、普段着サリーのおばちゃんも。

 

安宿が多いってことは色々な人がいる訳で、夫は即座に荷物を見える位置に移動。2人で荷物を挟みながら30分程バドミントンタイム。風が強くて、その分動けたので汗かきかき。

 

アイス売りのカートで、20ルピーのマンゴーアイス食べて帰りました。これが結構美味しいんだ〜。(インドって、クッキーやケーキ、アイスも美味しい。さすが農業大国。)

 

 

夜のバドミントン。

酷暑の気晴らしに最高かも。

 

 

ちなみにケースの裏はもちろんこうなってる笑。

 

 

 

明日、甥っ子たちの分も買ってこよーっと。

 

インドの三丁目は朝っぱらから騒々しい。

 

毎日毎日、夜中過ぎまでうるっさ!

 

先週は私、ひょっとして騒音ノイローゼ?になりかけてるんじゃないかと思い、色々調べちゃった。でも分かったことは、私の耳がオカシイんじゃなくて、やっぱこの町がウルッサイってこと。

 

5AM:

ガーガー言うトラクターが爆音で最新のバンジャービ・ミュージックをかき鳴らしながら畑仕事に向かう。

 

小さな小売店に朝一で牛乳やヨーグルトを卸すグルグル言うトラックが、クラクション鳴らしながら行き交う。

 

6AM:

物乞いのババが大声でアールティ歌いながら、しつこく人の家の前でねばる。

肉体労働の労働者が、これまた大声で話しながら集合場所に向かう。

 

7AM:

通学のためのオートリキシャとスクールバスがエンジン音とクラクションを響かせて続々と集まる。

 

学校に行きたくないちびっ子の叫び声とそれを怒号する保護者の修羅場が延々と繰り広げられる。

 

8AM:

乳飲み子やしょんぼりした幼児を連れた物乞いのおばさん、物悲しい声でいかに貧しく困窮していてお腹が空いているかを、結構なボリュームで叫びながら練り歩く。

 

9AM:

無駄に声の大きい野菜売りのリヤカーが、安さと品揃えをアピールして特徴ある呼び声で競い合う。

 

それをアパートの上階のベランダや、至る所から呼び止めてそのまま大声で値段交渉するおじさんおばさんの声が響く。

 

10AM:

出勤ラッシュ。狭い道に縦列駐車した車が出られずに、クラクションをかき鳴らす。前後の車の持ち主を知ってるだろうに、電話するとかはない。

 

仕事に行くお父さんに「パパァー!ウギャー」と延々と泣き叫ぶ未就学児たち。

 

夫のポンコツバイクがブンブーンとエンジンをふかす音。調子悪いんならいい加減直してよ。

 

 

昼間はあちこちから工事の騒音。建材を積んだトラックがギリギリの幅で行き交う音。普段から向かいの家同士ででっかい声で話すおばさんたち。暑いから網戸だけ閉めて大音量でテレビや音楽を流してる人々。電話で話すのさえも、みんな一様に叫んでるから道路向かいの上階のオッサンの声まで聞こえる。

 

これで暑くなって来たらサトウキビジュース売りのエンジン音やアイスクリーム屋のベル音、祭日には移動式寺院の爆音サイババ音楽も加わる。

 

早朝4時と夕方6時にグルドワラから流れるお祈りなんて、最近は気づかないくらい。

 

 

デシベル数で測って比較してみたい。

 

騒音公害レベル振り切れるで。

 

 

音ってもっと、心地良いものだったはず。

 

日本の家ではスズメやカッコーのさえずりで目が覚めたり、昔はお豆腐屋さんや古紙回収の控えめなアナウンス、夕方の焼き芋屋さんの汽笛なんて情緒さえ感じたのに。

 

バイブレーションって言うんだろうか。

日々の波動が荒削りで肌に痛い。

 

何か集中して作業をしたくても、その意志さえもかき消されるように感じる。料理をしても洗濯しても気もそぞろ。もっとやりたくても、この辺でいいやとなってる。

 

私の肌感覚と、この環境のズレは激しい。

 

常に挑まれているような

いつも戦っているような消耗がある。

 

それは音だけじゃなく、人もそうなのかとも思う。

 

 

外界の波長にフォーカスを合わせていると、いちいち摩擦を感じるので、やっぱ自分の事に集中するしかない。ウルさいからと言って逐一イライラしたり、もっと静かにしてよと批判したりすると、確実に参ってしまうから。

 

ここは、こういう土地柄だ。

 

ずっと続いてきた流れの中で、こういう暮らしが根付いている。

 

私は、楽しめる音が好きだ。

 

ずっとそうして生きて来て、変えるつもりもないのだから。

 

 

夏と冬では音の響き方が違っていて、今は特に気になる時期でもある。3年目で慣れたのは、この音との付き合い方かもしれない。人との付き合い方も、大分洗礼を受けたように。

 

国立病院の壁にもスローガンの様に「Mind your own business.」と掲げられる北インド。渦巻く利害に関わる余地などない厳しさがある。中途半端でヤワな優しさや同情なんて要らないほどに、ここでは皆がサバイバルモードだと感じる。

 

同郷や身内や家族の絆が強いのも、身を守る術だろうか。

 

家の中が唯一ほっと出来る場所だとしても、守らなくては得られない安らぎでもある。

 

 

私も色々な術を覚えた。

いたずらっ子は、見て見ぬフリをしないで叱ること。近所の子と気軽に遊ぶと、親が期待して目を離し過ぎるので、あまり遊ばなくなったし。毎日ウチのベランダで日向ぼっこしてるアンティーにはどけてもらった。興味のない世間話を延々としに来るご近所さんには話しかけなくなった。前は大家さんの家族に会う度に丁寧に挨拶することにしてたけど、いわれのない事を言うスキを狙ってくるので止めにした。

 

今は行事の時や節目にだけ挨拶に回ることにしてる。

 

 

 

去年の今頃は、流産した国立病院を退院した記事を書いてたっけ。

起死回生の朝、退院。

 

あの時の辛さ、同室だった女性たちの優しさを思うと、周りの人と心を通わせることへの希望は失わないでいようと思う。

 

 

本来の私とは違う、仮の姿で生きる術の数々。

 

身を守ってくれていると思うと、それ程辛くもなくなってきた。風習も考え方も異なる場所に来て、ワガママに振舞うことで不利になることもある。日本で週末旅行に出かける時みたいに、天真爛漫な自由な気分は懐かしいけど、それは日本で出来るから大丈夫!笑

 

私が見た事もない理不尽さの中で生まれ育ち、空気みたいな不都合さを呼吸して代々生きてきた夫の元に嫁いだんだなぁと思う。

 

何年経っても日本人の私。ナイーブで夢想家で無邪気な部分は消えないだろう。ちっともインド人みたいに逞しく生き抜けない私に、夫はいつになったら愛想を尽かすのかと思ったけど、どんなに悩みを八つ当たりしても、ずっとここに帰って来る。

 

騒々しいインドの下町のど真ん中で、私たちが守って行くものは、この小さな部屋だけじゃないのだろう。

 

どんなに戦い疲れても、ここにはお互いを気遣う思いやりがあって、繊細な喜びや優しさがあって、心癒される美しいものが充ちているといいなと思う。この場所から、心の中からしか何事も変えられないのだから。

 

 

さぁ、暑いけど掃除でもしますか。

 

 

Feels like 38℃ だよー。
 

昨日のブログでもあったばかりの不可解な出来事を書いたけど、「フリーランス」について改めてWiki先生に聞いてみた。↓

 

フリーランス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

日本の税制上におけるフリーランス業の収入は営業等所得として、経費を差し引いた分から決算して確定申告する必要がある。また、その収入が所得税法第204条に掲げる報酬等に該当する場合は所定の金額(原則として100万円以下であれば支払額の10%)が源泉徴収される。

 

 

(↑要・確定申告だよね。所得100万以下で10%の源泉徴収か。私はまだそんな収入ないのと、非居住者なので、確定申告の義務に該当しない(今はね)。海外にいる人って日本とのお仕事で収入分、どうやって確定申告するのかな?オンライン?)

保険・年金

日本では国民健康保険国民年金に加入することが求められるが、職業によっては文芸美術国民健康保険組合のような職業団体が結成した国保組合の保険に加盟することもある。ただし個人企業法人(合同会社など代表が同一人のみ、純粋親族企業、など)として法人を組成している、いわゆる「法人成り」をしている自営業者は、社会保険制度に加入を求められ、会社法人の制度と同一の適用が行政運用から先行されているケースが混在している。社会構造として、法人と個人間の異なる制度あるいは一方の理解においてフリーランスの実態を捉える議論には注意が必要とされる。

 

(↑国民健康保険と国民年金への加入。私は国民年金は移住後の2016年度から払ってない。本籍のある自治体では、海外移住した人は免除申請できる。国保は一時帰国の年間数ヶ月間のみ加入。当分考えてないけど、今後本帰国する可能性も考えて調整した方がいいかもね。)

保護

日本においては、フリーランスは個人事業主もしくは個人企業法人であることから、労働者を保護する労働基準法の適用対象とはされず、事業者間の適切な取引を守る独占禁止法の適用対象とみなされる[10]。そのため、企業によるフリーランスの囲い込みは優越的地位の濫用として、同業者間での引き抜き防止協定はカルテルとして独禁法違反となる[11]

 

(↑労働基準法は適用されないのよね。知ってる。だから色んな事になっちゃう可能性も高い。明確なガイドラインや保護法がないのが怖いわ。)

 

 

 

 

今、労働基準法が適用されない「個人事業主」という働き方が問題になっていて、該当者が労働基準局に相談に行ったら門前払いされたというヤフーニュースが今朝目にとまった。。

実態は「労働者」なのに…… 「名ばかり事業主」の苦しみとは

 

私も「業務委託」で働いた事があるけど、事業主のいいように労働者を使って保障も付ける義務もない、悪質な適用が多いのは事実だと思う。独立を目指す人には「個人事業主」のポジションは魅力に聞こえるのかもだけど、実態はそこに結びつくメリットが少ないし。

 

色々と紆余曲折してみて分かるのでは遅い場合もあるし、個人という立場でいくら社会貢献をしても、認められず守られないのは、制度上の問題はデカい。

 

日本のマジョリティーはまだ「それなら会社に就職すれば?」っていうのが一般的だろうか。

 

働き方も仕事の内容も、企業のあり方も個人の生き方も、こんなに急激に多様化している中で、選択肢が増えた分だけ対応したセーフティーネットも必要だと思う。

 

格差は広がるばかりなんじゃないかな。社会的責任を果たした上での選択の自由が保障されれば、障害があったり、病気・妊娠出産育児・国際結婚・国際ビジネス事業、退職後の労働力が本当の意味で生かされて、もっと福祉や教育、エネルギー施策なんかが充実できるのかもと夢想してしまう。

 

お金のためにキツい仕事をイヤイヤやったり、自分では終えられない業務を会社に内緒で弱い立場の労働者に低賃金で横流ししたり、好きな事や得意な事の芽が出ないでくすぶる気持ちそのものが切なすぎる。

 

昨日のブログの担当者も、きっとそんな矛盾の板挟みになっている被害者なのじゃないかと思う。本当は誰だって、自分の力を認められる場で幸せになりたい筈なのだから。

 

安倍首相の言うように「令和には、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味が込められている」というのが真実なのであれば、画期的な時代になることを期待したい。

 

何かしんどー。

 

よく知らなかったけど、インドのお義母さんは高血圧・糖尿病・リウマチ?のトリプルX症状があって、毎回家族が病院に付き添わなくてはならない状況みたい。

 

インドの国立病院の待ち時間はしんどすぎる。先週、私は「仕事あるから」とパスしたけど、夫は自分の仕事を半休して付き添ってた。3回くらい一緒に来てと言われたけど、こっちもアップアップで無理〜〜泣。

 

幸い処方箋も無事にもらえて、今は落ち着いたみたいだけど、色々重複した慢性疾患だから今後もいつ何があるか分からない。

 

 

日本のお仕事先からも恐怖の10連休?を前に、戦々恐々の雰囲気がビシバシ飛んできてた。予め配布されているはずの資料が添付されておらず、担当者に尋ねると、メールの文面からも明らかに「渋々」対応していることが丸見えの塩対応。

 

てか渋対応。もー苦すぎ!

 

「一般常識では◯◯です」って言われても、専門分野ですよ。

 

今さら「添付資料をご確認ください」って、今まで隠し持ってた!?

 

「知る必要はありません」とか、秘密結社か。

 

「◯◯社の情報は正確です」って、

だったら隠さないでよ。今使うんだから。

 

 

もーこの状況がヤバい。相互関係だから、相手のせいにはしないけど、私の対人関係が崩壊してる。お仕事以前の問題。

 

それで少しでも歩み寄って改善につながればと、直接お電話でお話したいとお願いしたら、

 

「今は忙しい時期なので勤務中はお電話出来ません。」

「今回はお仕事をストップさせてもらいます。」

 

一方的〜!

 

勤務中はって、私の提供しているお仕事も、業務の一貫なのでは?

 

ぐるぐると更なる疑問がかけめぐる。

 

それでようやく気がついた。この方、以前からの知り合いだからすっかり気を許していたんだけど、このお仕事自体、ブラック作業なのでは?と。

 

ヤバいヤバい、全然気づかなかった私が!!

 

 

担当者からは3ヶ月前にメールがあり「私、新しい会社に移りました。◯◯(このお仕事)をお願いできますか?条件は △△です。」

 

という簡単な連絡が来ただけで、単発なら時間を都合できたので、軽く受けてしまったのだ。最初はメールの文面も普通の対応だったのだけど、最近何か様子がおかしく感じ始めた。それはご本人も言う通り「この時期忙しい」からだろうと、深く考えてもみなかったのだけど。

 

 

でもだんだんと、ちょっと失礼というか、これまで仕事上の関係ではあまりないような対応や、言葉使い?が目立ちはじめた。そもそも仕事に繁忙期があるのは当たり前なのに、「忙しい」ことや「上司が厳しい」ことを、毎回文面に入れて来る。

 

(それ、私のお仕事に関係ないですけどー?)

 

と思いつつ、やり過ごしていた。

 

そして私もインドでの結婚式、義家族との関わりで忙しくなり、あまり不要なやり取りはしたくないと、正直私自身、仕事以外の事は触れずに返答していた。

 

ホーリーで夫の村の実家に帰っていた時、バスを乗り継いで6時間の移動があり、メッセンジャーを見れない日があった。普段私は毎日メールしかチェックしておらず、メッセンジャーは見逃していた。すると締め切りまで1週間あったのにも関わらず、翌日にメールで「メッセージ見ていないんですね。今回は残念ですが別の方にお願いしました。」と。

 

それだけなら仕方ない、見てない私が悪かったで終わるところ。

 

でも慌ててメールを返信し、メッセンジャーを見ていなかったことを謝り、次はお願いしますと伝えると、

 

「じゃあ、やっぱりお願い出来ますか?」と。

 

既に他の人にお願いしてるのに??

 

でも、その事を追求しなかった私。今後のこともあるし。。という生活不安と、頼まれたのなら結果を出したいという変な欲求が勝ってしまったのだ。お引き受けしますというメールをしただけだった。「以前から知っているあの人が私に不利益になる事をする筈はない」という思い込みもあったのか、相手が通常とは異なる状態でお仕事を発注しているとは、まだこの時は思いも寄らなかった。

 

 

今も、今朝届いた冒頭のメールには返信していないし、直接質問できていないので確かな事は分からない。けれどおそらく、私が思い込んでいた「通常のお仕事」とは大分異なる実態なのではないかという疑いが生まれている。

 

私は、この◯◯さんが会社に雇用されていると聞いていた。もらった仕事内容からもそれは明らかなので、事実だろう。

 

その上で私は、この会社から業務を外注されたと思い込んでいた。

 

◯◯さんは仲介役・校正者として勤務しているのだと。

 

でも違う可能性が濃くなって来た。

 

先月「お給料は7月になりますが、大丈夫ですか?」と言われた。4ヶ月も支払いを先伸ばすのはおかしいなと思いながらも、色々調整があるのだろうと思い、今は日本円も特に要り用ではないし(引き下ろすのに手数料もかかるし)等と考えて、それ程問題視していなかった。

 

でも。

 

これって。

 

「会社」の口座から入金されないから?

(会社からの発注ではない可能性)

 

この方。

 

ひょっとして。

 

ご自身は「校正者」ではなく、やっぱり「翻訳者」として勤務しておられて、

ご自分の責務を会社に内緒で私に「外注」と称して振っているのでは・・・?

 

それって、イケない事じゃなかったっけ。。。?

 

??????

 

 

ええ。真偽のホドは分かりません。答えてくれないらしいし。

 

それでもイイネ!って会社もあるのかも。笑

それはそちら様の自由だから関係ないわ。

 

 

てか、関係したくない!

 

 

もし↑が事実としたら、トホホとしか言えない。だってどんな状況があったにせよ、確認しなかった私が悪い。不利益をこうむったとしても当然かもしれない。

 

今までの経験から「きっと必要条件やもっと詳しい説明があるはずだ」というアタマしかなく、待ちの姿勢でいたのもいけなかった。いくら働き方が多様化していると言っても、私の理解をとっくに越えてる。

 

 

お互いのために、より良いお仕事がしたいと思い、一生懸命させてもらってたのも事実だ。もっともっと実力をつけたいと、私自身は思っている。実力社会は厳しくもあるけど、潔く清々しくて尊いものだ。

 

 

でも甘かったーと痛感。

 

海外暮らしを安定させたいという焦りもあった。

 

 

でも、それ以上に社会のルールは守りたい。どこの国にいても自分の責任を果たしながら、社会の一員として根付いて行きたかった筈なのに。

 

こんな事をしている場合じゃないのに。

 

 

2月まで働いていたインドのNGOでも、契約書がなかった。それもあって色々と積もって行き、継続することは不可能だった。配偶者ビザで「慈善事業」への就業は出来ると熱烈なお誘いを受けて、でも入ってみたら何の書類もない。結局、外国人登録手続きでトラブるかもしれないのは私自身。過失があったり、責任を問われて個人で持ち直せる自信もない。賄賂だって絶対払いたくないし、そういう変な裏システムに無意識でも加担したくないわ。

 

 

ここからがスタートだ。

 

日本にいた時以上に法律や制度にも詳しくならないと、自分がやっている事も把握できない。日本の企業とお仕事をするにしても、知らずに社会的ルールや法を犯しているかもしれない。それって本当に気持ちが悪い。

 

海外移住する人もどんどん増えていて、海外にいながら日本の企業とお仕事をする人もすごく多いんだろう。単発の場合、最低時給賃金額なんて関係ないだろうし。

 

その辺全く分かっていないので、もっと勉強してから出直そうと思う。

 

不信な事にはもう関わりません!

今日は36度になるって。東に面してるウチは午前中から太陽に照らされて温室効果。ねっとりとした室温に、早く目が覚めてもちょっとだけ憂鬱。太陽光の強さで、外のプラスチック製の洗濯バサミがバキバキ折れる季節。自然の力は偉大だ。恵みを受け取るのにも、こちらの心がけが必要だ。

 

昨晩も1時までゲームに勤しんでいた夫。朝6時からスマホが鳴り続けてたけど、とても眠くて起きれない。見るとお義母さんからの電話。私は基本、夫の電話には出ないので放置。

 

昨日村からチャンディガール郊外のお義姉さん宅に出てきたお義母さん。最近体調が良くなかったらしく、ようやく電話を取った夫によると、

 

「国立大学付属病院に行くから付き添って」とのリクエストだった。

 

PGIというこの国立病院、すごく古くてすごく大きい。そして地域医療の拠点なため、もの凄い人混みで果てしなく待たされるのだ。インドの平均的な国立病院に総じて言えることだと思うけど、システムも人員も医療機器も満足に整っておらず、患者への配慮など最低限。

 

必然的に、1人の患者に何人もの家族を付き添いとして必要とするのは致し方ない。トイレも限られた場所にあったり、薬局・食堂・レントゲン質等の施設まで行くのに、迷路のような建物のいくつもの棟を越えて行かなくてはならない。

 

私が去年入院した時は救急で入ったので初診は待たなかったけど、その後訪れた外来の現状は凄まじかった。朝から1日がかりで、ゴザとお弁当持ってひたすら床に座り込んで待ち続ける家族が大勢いる。

 

お義母さんの既往症は「高血圧」にまつわる諸症状。67歳のお義母さん、もう何年も苦しんでいるらしい。処方された薬を見せてくれた事があったけど、1日3回6種類も服用するのだとか。インドの錠剤の大きさもあって、もの凄い量に感じた。

 

私の実家の母も高血圧だけど、ここ数年の新薬の効果もあり、日常生活に支障をきたさずに症状をコントロールすることが可能になっている。74歳の母、毎日スキーに出かけ友だちとランチして「楽しかったよ〜」と生き生きしてる。

 

1つの例にすぎないけれど、日本とインドの医療の差、ライフスタイルの差、そして考え方の違いってちょっと先が見えない程、途方もないなーと感じる。

 

 

夫はもう2週間休みなしで働いてる。やはり疲れるのか、帰宅してチャパティ焼いてくれて夕食を終えた後は、クリケット中継やゲームで息抜きしたいみたい。この前は私がまた将来が不安になって笑、ガミガミ言っちゃったけど、今はそっとしておこうと。それなのに今朝のお義母さんコールで、ご飯も食べずに朝早くから病院に借り出されて行った。仕事は遅刻させてもらうんだろうなぁ。

 

夫の職場のボスは、70代のシーク教ご夫婦。でっかいターバンに長いヒゲを蓄えて恰幅の良い、ユーモアたっぷりのサルダールおじさんと、こちらも恰幅が良くて優しい雰囲気の奥さま。毎日交代でボス席に座って店番に出る勤勉なご夫婦だ。

 

そのマダムジーが、一昨日の夜に心臓発作で入院した。今も私立病院のICUにいるらしい。日曜出勤の日にはスタッフにランチを作って来て振舞ってくれたり、ボスには内緒で笑毎日おやつを配ったり、心優しいマダムジのことも心配。きっとボスも気が気じゃないのに、昨日は売り上げ目標達成を目指して1日中店を守っていたらしい。

 

身近な人たちの健康状態を目の当たりにしても、日本のような医療水準や生活習慣病の予防方法が浸透していれば、防げるようにも見えてしまうのがもどかしい。去年はお義兄さんのお父さんが脳梗塞で寝たきりになってしまった。暮れには夫を可愛がってくれていたパキスタン出身のアンティも急逝。今年は私のボスのお母さまが「食事を喉に詰まらせて」帰らぬ人に。

 

みんな私の親世代だけど、何かあっけないなって。。

 

哀しいなって。

 

 

 

インドの平均的な暮らしをしている夫と一緒になって、まずはこの地に根着くため、ローカルなライフスタイルを適用している私にとって、インドの抱える課題や矛盾や、いわゆる影の部分は他人事ではない。

 

インド人なら「これがインド。当たり前」って受け入れて過ごせることも、母国の価値観がしっかり根付いているので、信じられないような、時に許せないようなこともある。

 

多分、広く共感してもらえない事も多々ある。そもそも、日本の一般的な常識では考えられない土台の元に暮らしているのだった。笑

 



今朝はちょっと重い気持ちだったけど、これからの人生への大切な課題をもらっているようなだ。大切な思い。


 

私、ポジティブで素敵なお話満載のブログ記事を読むのは大好きで、沢山のブロガーさんにとても元気づけらる。


一方悩み中な記事、ゴタゴタの記事もあると思うけど、あまり目に止まらない。そう思うと私のブログも気晴らしにはならないし、読みにくいだろうな笑。

 

でも。

 

他人さまの悩みはその人のもの。その人の尊い学び。こちら側の都合や主観で介入するものでもない。その悩み自体や自分との闘いの過程を広く公開できる方は、とても潔くてスゴいなと思う。自分で探して見つける答えは強い。結果、多くの人に参考になる普遍性にもつながって行くと思う。


SNS時代が来て「偉人」ではないの普通の人の生き方がどんどん語られて、私もきっと頑張れるって思って参考に出来るなんて、人生に迷う多くの人にとって革命的なことだ。

 

「参考」にしながらも、自分の胸に問うしかない。ヨガや瞑想のプラクティスでも、知識と体感はセットだけどそれぞれ全く別のチャンネル。今の私はインドの悲惨な現状をほとんど情報、チョロっと体験で見てる。アンバランスの只中にいる。体験を会得するためには時間が必要だと思ってる。ヨガや仏教の修行者も、知識、感覚、感情、魂の統合に一生をかける。

 


私も、一生かけても安住出来るかどうか、とうてい分からない道に踏み出したのだと思う。夫の幸せが私の幸せになった。インドの幸せを沢山見つけたいと思うし、できれば少しでも安心や笑顔を作ってみたいと思う。

 


日本政府がインド政府に向けて、新たに医療機器の支援を開始したニュースを見た。切実に、インドの医療水準の早期の底上げを願わずにはいられない。弱った時に、安心して頼れる医療機関が身近になるように。

水星逆行中は、その前に起きた出来事の総まとめ、反省会みたいなモードになっていた。流れに乗ってグイグイ進んできた時期を経て、頭も体もちょっと混線していたので小休止。

 

仕事では一波乱あり、今の私の課題が浮き彫りになった気がした。今までも日本で一緒にお仕事をしてきた相手だけど、お互いに限られた時間で、メールのみでやり取りとなると、見えない部分で不安が出て来たり。

 

日本社会はきっと年度末の忙しさ。こちらはと言うと、慣れないインドの義家族とのやり取りにアクセクしている最中。一緒に温泉も行く仲の担当者だけど、こちらの私生活などを説明するのははばかられると、そういう遠慮?があった。

 

20代からフリーランスで仕事をしてるのに、

 

「カクカクシカジカの者です。 ◯◯を承ります。報酬は△△で。日祝休。3時間半の時差のため、メールの返信は遅れることがあります」

 

と、自らの屋号を掲げることをしなかった私。

 

そうやってしまうと、受けらるお仕事の幅が減っちゃうと、無意識に思ってた。会社勤めもしていて、空いてる時間に受けていたから、「お役に立てたらラッキー」くらいな感覚で。まずは無報酬で、仕事ぶりを知ってもらおうと思ってた頃もある。

 

その頃のつながりもあり、職を辞して単身インドに来ても何とか食べて来られたけれど、こちらで結婚して移住した今、仕事のスタンスも変えて行かなくちゃと考えさせられるところ。

 

こちらの状況さえも上手に伝えられないで悶々としていては、相手もやり辛いこと、最近の出来事で自覚し始めた。

 

何よりも、こちらが辛い。フリーの外注先なんて溢れている時代、打てば響くような即答を求められるけれど正直、時差も温度差も地域差もハンパない。帰国して同じ業種で就職する気持ちはサラサラないので、もうそのテンションには戻れない自分が確かに存在している。

 

手短かで即答のやりとりが続く業務連絡の中、担当者に相談してみたい気持ちは高まったけれど、まだその時期じゃないのは明らかだった。まずは私が、私のスタンダードを明確にするべきなのだから。

 

 

今までも、何度もコミュニケーションでは試行錯誤を繰り返し、その結果やり方を変え、個々の相手でお互いの利害が一致する様に変化して来れたのだから、たとえ失うものがあっても怖れることはないとも思う。

 

こんなに遠くにいても何とかなっているのだし。

 

でも結婚してインド側の家族の「責任」の一部を引き受ける立場になって、「何とか」だけでは心もとなく感じるのだろう。私一人で「何とか」なっても、周りに費やすエネルギーとしては風前の灯火。

 

インドのNGOで働いていた間、めちゃめちゃ忙しかったけど、夫は朝早く起きてジムに行き、その足で野菜を買って朝食を作ってくれる日もあり、2人とも生き生きと過ごせていた。

 

友人や親戚と話をしていても、「妻は◯◯で働いていて、忙しくて」なんて、嬉しそうに答えていた夫。今はインド時間とはズレた時間に仕事の依頼や締め切りがあり、夕食の支度どころではない日や、日曜もパソコンに向かっている私に、何も言わないけれど、リズムのズレを感じてると思う。

 

一緒にバタバタと支度をして、一緒に出勤した日々が懐かしい気もする。

 

日本の事情を話しても、夫には実感がない。インド生活の実情も、日本の担当者には関係のない話。その板挟みなのか、最近はつながりや一体感を感じられずに、やる事はいっぱいでも孤独を感じてしまう。

 

 

インドの家族がいてくれるとは言っても、必要以上の負担は背負えないという気持ちから、セーブしながら関わる感じ。ビデオコール攻撃を何とかやり過ごしている。見返りを求めない相互関係など、インドにはまだ見当たらない。

 

 

私が、何を求めるのか。

 

 

はっきりさせる時期なんだと思う。担当者が察してくれない、夫が分かってくれない、義実家がトンチンカンだと、言っている間に大切な時間が過ぎて行ってしまう前に。

 

水星逆行は、コミニュケーションがチグハグになったり、電子機器でトラブったり、交通機関や移動で苦労したりと、本当にそのままの事が起こって(逆行最終日には夫も事故に巻き込まれたし)揺さぶりをかけられた感じだった。

 

このままでいいのー?って。

 

刻々と移り変わる景色の中、揺さぶられてばかりじゃなくて、自分の求めるものを知り、それを信じてまた一歩踏み出すチャンスを与えられている。

 

 

毎年の一時帰国も3回目。再来月に迫って来ているけれど、今年はちょっと辛くなりそうな気がしてる。旅行者気分でフットワーク軽くいられた頃とは、やっぱ状況が変わって来たんだなーと。

 

夫を残してどこかに行くなんて、すでに現実離れしてる感じ。それでも、仕事は仕事で気を引き締めてやり遂げなくてはならない。もちろん毎年辛いんだけど、今年は、ちょっと泣いちゃうかもね。笑

 

でも覚悟を決めて。

 

夫の思いも、私の道半ばのインド生活も、みんな背負って思い切り楽しもうと思う。

 

ステップアップの試練が来てること、これが自分を信じて進む人生の登竜門であること、意識して前を向こう。

 

 

胸の内に秘めたままだと、夫も私の雰囲気を察してか、最近はもっぱら流行りのスマホゲーム"Battle fields"だかにハマって現実逃避中なので、ガス抜きで記事にさせてもらいました。

 

これで今夜は、鬼の形相でスマホを取り上げたりせずにいられるかな?

 

 

インドに春を告げるホーリーも終わり、4月に入って少しは落ち着くのかと思いつつ、そうでもないこの頃。今日はやっぱり日本のニュースで新元号をチェック。

 

「令和」って。

 

。。うーん、まだしばらく馴染めなそう。毎年の帰国で何かしら書類の記入はあるので、間違えないようにしなくちゃ。

 

「昭和」だったら、アタマの文字がしっかりしてた感じ。

「平成」も、平和を成す的な意味合いが、頼れる感じ。

 

 

令和って、字面のバランスが三角形。ヒエルラーキーなピラミッド型が、今の内閣のトップダウンで国民感情無視な冷たささえ連想させる。

(※あくまで個人の感想です。)

 

 

赤ちゃん命名辞典」より引用。

 

万葉集に詠われた「令月」(何事にも良い月)から取ったと言われるけれど、常用では「命令」「指令」「辞令」など、トップダウンな感じやー。

 

安倍内閣と、そっち寄りの有識者が決めるんだもんね。

 

天皇が決めればいいのにと思うけど。

あるいはそろそろ、民意を反映するとか?

 

あまり好きではない安倍内閣なだけに、上がらないなぁ。

それでも、確実に時代を反映しているとは言えるのでしょう。

 

 

新時代。

 

インドに住んでても、日本国民としてしっかり見極めて生きて行きたいもの。

 

 

 

先週末から最高30度越えしたかと思ったら、連日33度前後のチャンディガール。ホーリー祭は春を告げるお祭りだけど、直後に来るのは真夏っていう笑。

 

5月からは40度越えの雨季なので、今のうちにやるべき事をこなしたい。。。のに。

 

 

日曜の気の緩みで、昨晩の夕食はデリバリーにして楽しよう!とターリーとアフガニチキンをオーダー。。。した結果、今朝は起きるのも辛い極度の胃もたれが!

 

同じものを食べて私が何かに当たっても、いつもケロっとしている夫。しきりに(かわいそーに)と憐憫の視線を送ってくれたけど、元気に仕事へ行ってしまった。

 

昨晩は家で作ったスープやサラダも一緒に食べたから、何が原因かは定かではない。。でも一日中、胃が石の様に重苦しく、午後からは◯◯ピーに。

 

冬の間は、まだ良かった。

 

インドでは今、デリバリー・フードアプリが凌ぎを削っていて、連日50%オフなどのオファーもやってる。ウチも去年の秋あたりから、家のご飯に飽きるとついつい、週1、2回は確実に頼んでしまう。

 

しかし、あっという間に気温が30度半ばまで上昇した今、デリバリーは危険も伴うんだぁと自覚。

 

確かにデリバリー便、保温バッグを背負ったスタイルのバイク便で届けてくれるけど、あくまで「保温」であって「保冷」ではない。しかも場所によっては、配達まで時間がかかる。注文担当の夫はいつも値段で決めちゃうので、昨夜も注文から45分程かかって到着したのだった。

 

 

インド3年目でも、ストリートフードを食べてても、めったにお腹を壊さない私。不覚であった。。。泣

 

 

夕方、夫にメッセージしてみると、

 

夫「何か。。、僕もお腹痛い。。」て泣。

 

 

屈強なインド人も耐性のない菌が入ってらしい。今晩どうしよう?日本のお粥は味薄いから夫は食べてくんないし、 キチョディ(ダルとバスマティのお粥)は私が消化できない(こういうのが面倒な国際結婚)。

 

 

でも、何となく今年は色々ありそうだという予感がしていたので、先々週、コレを買っていた。

 

じゃーん。待望の冷蔵庫ーー!

 

 

今までは朝晩2回、八百屋さんから野菜を買ってそれを調理していた私たち。ほぼ同じ時間に八百屋さんが家の前まで来てくれて、それを逃しても近所の青空市場がある。いつも新鮮な物を食べられるので、いいなぁ。?と思っていたシステム。

 

でも八百屋のおじちゃんお休みの日もあるし、夫の休日はゆっくりしたい朝も。そして八百屋さんと言えども、台車の上に常温で野菜を積んでるだけなので、トマトを買いに行ったら使い物にならないのしかなかったとか、しょっちゅう。

 

 

アーユルヴェーダでは、野菜を冷蔵すると生命エネルギーが減ったり、冷えた果物を食べるのは有害と言われる。だから程々に工夫して使うことにして、小さいのを購入(ワンルームで大量放熱されたら夏に家にいられなくなるし)。

 

 

せっかくセールスのプロ(値切り魔)の夫が、ネット価格よりも数千ルピーも値切り倒して買ってくれた冷蔵庫。

 

これで40度越えのインドの夏にも、新しい時代の風が吹くに違いない。。!

 

(まずは◯◯ピー治します笑)

 

 

ちょうど1年前でした。

 

まだヘロヘロだったけど、強烈な経験と気づきを書かずにはいられなかったっけ。

 

(入院・手術の手記です。閲覧注意)

1年経ってみて。

 

このことがあったから

少しは

肝を据えられた。

 

大切なものを失ったのに

今はそれが

心の中の宝物。

 

辛いことがなくなった。

 

綺麗ごとじゃない現実も

享楽ばかりじゃない毎日も

予想の出来ない試練も

 

もう怖くなくなってた。

 

 

私たちは

どんな経験をも学びにかえて

大切なものを受け継ぐために

この地上に降りて来た。

 

星になった私の天使は

大切なものが何かって、

 

私が全然知らなかったこと

教え続けてくれている。

 

 

私の魂が選んだ道

受け入れるまでは

苦しいけれど

 

逃げないで

ごまかさないで

茶化したりしないで

 

泣いてばかりいないで

もっと

愛を受け取って

 

そう教えてくれた。

 

うまく出来なくても

自信なんてなくても

何も知らなくても

クタクタでも いいから

 

そのままでいいから

顔を上げて歩いてと。

 

 

どこにいても毎日

まやかしの世界の

誘惑に流されながら、でも

 

今は戻る場所がある。

 

いなくなったはずなのに。

 

 

1年の節目。

 

色々あった。

色々させてもらって

元気でいられること

 

感謝しながら

お祝いしようと思う。

 

 

今晩は

夫の大好きなチキンカレーかな。

 

昨晩夫が事故に遭った。

 

夕食を食べ終えて一息ついた昨晩10時半頃、スマホに電話があったらしく、急に

 

「ちょっと出てくる」

 

と言い出した夫くん。

 

何時だと思ってるんだコラぁと思い、

 

「どこへ?」と聞くと、

 

「すぐそこ」と。

 

何か答えが簡単すぎて怪しい。。。聞かなきゃいけないものは聞かなきゃいけない。

 

「電話して来たの、誰?」

 

「あーほら、あいつだよ。カタールで働いてて、こないだ帰って来てて村で会ったでしょ。チャンディガールに来てるんだって。」

 

。。。薄っすらと思い出す。村で会って挨拶した時、そいつだけ香水の臭いしてたこと。カタール帰りは浮いちゃうんだーって笑。

 

「ちょっと喋って、すぐ帰るから」

 

と、私が何か言う前に、さっさと出てってしまった夫くん。

 

 

30分後。帰って来ないので電話してみるも、、、出ない。

直後にメッセージが来た。

 

「遅くなるから、君は寝てていいよ」と。

 

。。。。。。。。

 

私、「はぁ?」と返信。なんじゃそりゃ。

その時のやり取りが、これ。

 

 

パーティーしたいって、ティンエイジャーか!?

 

夫は断ったけど、ちょっと飯でも食おうぜと誘われて、ちょっとだけなら。。。と車に乗ったらしい。そしたら、「友だちの友だち」がもう2人乗ってて、運転手は完全に飲酒運転中だったと。。。

 

まぁ、相手のせいにしたいのも分かるけど、魔が差してフラフラ付いて行ったのはまぎれもなく夫自身だ。

 

だって分かるでしょう?雰囲気で!

 

 

すぐに電話した。「今すぐ車を止めてもらって、降りてオート拾って帰っておいで」って。

 

「ご飯食べて、すぐ帰るから」と、夫。

 

夫は電話を切ったけど、電話の背後で音楽をガンガン鳴らして大声で話してた「友だち」のバカっぷりが気になって、またすぐに掛け直した。

 

夫「ハロー?。。”#$%’*+。。。$&%?。。。。”#*`〜&%$#。。。」

 

 

電話を出てから、私との会話が出来る感じじゃなくなって、色々な物音がして、色々な人が色々な事を言っている様子が受話器越しに聞こえて来た。

 

 

この時、彼らの車は事故を起こしてた。

 

 

後で聞いたところによると、調子に乗って郊外まで出ていた彼ら、左右に道路規制板?が設置された道に出たらしい。運転手はかなり酔っていて、80キロのスピードを緩めることも出来なかった。

 

いくつかの規制板を、ハンドルを左右に切って交わした後、交わし切れずに衝突。車は横転し、1回転して大破した。

 

 

と。そんな事はツユ知らず。

 

意味不明の音だけ聞こえる電話を一旦切った後、何かめっちゃ騒いでたなぁーと心配になり、5分後にもう1度電話してみたら、ようやく夫と話が出来た。

 

「事故だよ。。大変だ。。。友だち、すごい酔っ払ってて。。。ごめんね、止めてくれたのに。怪我はないよ。。。神さま、ごめんなさい。。。」

 

動揺して説明する夫に、「それで?今どこ?どうするの?事故処理?警察来るの?オート拾える?タクシーでもいいや。終わったらすぐ拾って戻って来て。一人で!」と指示。

 

神さまごめんなさい。。。。。。?

 

じゃねえし。笑

 

 

 

無事であった事は何より。

 

でも、そういう事じゃない。

 

この大事な時期に、怪我なんてしてる場合じゃない。

 

死んでる場合でもない。。。!!!

 

 

 

 

2時間後。夫は申し訳なさそうに、トボトボ帰って来た。とっくに閉まっている1階のゲートの鍵を開けて、私はさっさと3階の部屋へ。夫も来て、事の経緯や次第を説明してた。本当に、肩と肘と膝に擦り傷程度。夫は他の人たちのテンションと、無謀運転にビビって、勧められても一滴も飲めなかったらしい。結果警察からは何も追求されずに帰ることが出来たと。(当たり前だわ。。ってか、ビビりで良かった)

 

明日も早いので、さっさと落ち着いて寝なくちゃならない。

 

 

と、電話が鳴った。

 

「友だち」の1人らしかった。

 

 

私は、申し訳ないけどそのまま夫のスマホを勝手に持って廊下に出て、応答。

 

私「ハロー。アシーシの妻です。どうした?」

 

カタール野郎「あ、バビジ。◯◯です。アシーシいる?」

 

鬼「アシーシいる、じゃないでしょう。いなかったかもしれないよね?あなたたちと一緒に付いて行って、事故に遭ったんでしょう。一体何を考えていたの、あなた?」

 

野郎「すみません、事故になっちゃって、大変だったんです。」

 

鬼「大変だったって、だれの行動でこうなったと思ってるの?そもそも何時だった?夜中に人の夫を呼びつけて、こんな事になって、一体誰が責任取るんですか?」

 

野郎「。。。ええ、それで、アシーシは家に着いたかと思って。。。」

 

鬼「アシーシは家に着いたかって?どう思う?あなた、想像力ある?あなたたちと一緒にんいたら、家に着いてなかったかもしれないよね?」

 

郎「。。。、。。。」

 

鬼「パーティーとかもう、やめなさいね。それにもう、電話して来ないでちょうだい。実家のご家族がどんな気持ちになるか分かるでしょう。私もね、家族を守る責任があるの。お願いだから、私の家族を危険にさらさないで。じゃあね!」

 

 

申し訳ないけど、言いたい事は全部言わせてもらいました。

 

 

スマホの電源もブチっと切って、終了。

 

 

夫もおそるおそる出てきて、「誰だった〜?」って聞いてたけど、「言う事は言ったから、もう電話はおしまい。あなたも気を付けないといけないんだよ」と言うと、「本当にごめん。もう絶対行かない」と言って、その後ポツリ、「僕は死にたくない」とも。

 

 

今朝は1時間遅れであわてて起きて、また仕事に行った。

 

 

また平和な日常が戻りますようにと、私は願うのみ。

 

昨晩もだったけど、自分がすっかり肝っ玉母ちゃんのようになっていることの方にタジろいでいる私笑。

 

危険がいっぱいのインド。娯楽も少なく(出稼ぎ)生活も大変で、ウサ晴らししたくなる若者の、自暴自棄の事件事故が絶えない。眠りに着こうと目を閉じても、若い頃を過ごしたアメリカで、無謀な若者の顛末を思い知ったっこと、久しぶりに脳裏に浮かんでいた。それでも生きて帰って来って来れただけで、あの頃よりはずっとマシだった。

 

 

悪いけど、私は絶対に守るから。誰の失態にも、もうこの足は引っ張らせない。

 

事故が怖いんじゃない。

死ぬのが怖いんじゃない。

 

そこへ突っ走って行ってしまう無意識と

無防備さと

失われる尊い輝きが

 

悔しくて悔しくて、ただ悔しいの。

 

防波堤にでも、最後の砦でも

説教ババアでも何でもなるさ。

 

 

まだまだ若くて未熟な夫。それでも、私の家族になった人だ。

 

守って、生き抜いて、絶対に幸せになって、

 

すぐに笑い話にして見せるから。

 

カタール君も、覚えとくといい笑。

 

 

で、もうみんな、幸せになろうよ。