北インド☆ゆるヨガライフ -17ページ目

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

最近、毎晩のように夢を見る。

 

リアルな感覚の残る夢ばかり。起きている時は全く意識していない、自分の中の感情に揺さぶられて目を覚ます。

 

嫌な事は考えたくないし、ネガティブな感情も、感じたくないのが人間の性なのだろう。だから結構不快な目覚め。

 

おぼろげでも夢の場面は大抵、実家の家族と過ごしている。どこか出かけて食事をしていたり、家の居間で一緒にいたり。そして共通するのは、最後には私がすっごく憤慨して終わること。

 

私はとても怒っている。何故か、最近インドに来てくれたばかりの母や姉が登場するのだけど、彼女たちの理不尽な言動に、私は内心すごーく傷ついている設定。でも、それを表現することに強い抵抗があり、とても口には出来ない雰囲気でもあるっていう。

 

恐れがある。きっと子供の頃に体得してしまった、絶対的な年長者への恐れ。

 

それと、途方もない苛立ち。家族なのに、彼女たちの言動のパターンが理解できない、受け入れられない。それは、私への思いやりが感じられないからだった。潜在的なボタンの掛け違いのような違和感の中、安全な筈の家族の中で毎瞬、言葉にならない傷を重ねている。そんな夢。

 

 

とーーっくに、許せたと思ってた。

 

平気になれたって信じてた。

 

 

だから、こんな夢は残念で仕方ないけれど、何度か夢を繰り返す毎に、これはただの夢じゃないこと、渋々分かってきてしまう笑。これも、今の私の現実の一部。

 

 

目を開けると、そんな実家からは遠ーく離れた今の世界。もう、どんな感情も受け止められるし、許し合える!と、自信を持って一緒になったはずの夫の無邪気な寝顔を直視出来ない気がした。

 

気持ちが重い。生々しい怒り、それを上回る強烈な抑圧。危険な武器でも隠し持っているようで居場所がないのだ。ベランダに出て空を仰ぐと、ひときわ明るいシリウスの下に、赤く鈍く火星が鎮座していて、こっちを見てる気さえした。


知ってるんだぞって。笑

 

 

 

とても長い道のりを、ひとつひとつ乗り越えて来たつもりでいた。私のコアでもあるこの感情に共感してもらえない家庭から、独り立ちした途端、人間関係の荒野に放り出された。私自身、愛情が何なのか分からず、信じては裏切(られ)る共依存を繰り返して、でもDVも事故も何とか生き延びて。

 

人を見る目もなく、心も弱かったから、未熟な私には必要な学びだったと思う。

 

ようやく自分を愛そうと試みた末、結局は仕事と趣味に没頭しただけ。成果を出せば誰かが認めてくれるけど、達成感も一時のもの。でも中毒のように止められない。それしか知らないし、それがないと不安で、自己否定が始まる。

 

あの嫌な感情を感じずに済むように、何かをしていなくてはならなかった。無意識は巧みに言い訳をした。好きな事をしてる、頑張っている、責任を果たしてる、誰かの役に立ってる、生活が出来てる、続いてる、etc.

 

 

私の感情は、無視され続けていたのかもしれない。気づいてくれなかったのは、母でもない姉でもない。今度は私自身がわざと無視した。その感情に気づいてしまうのは、怖いものと思い込んでいる。恥ずかしいし、ダメなことだし、弱いことだからと、なかったことにされたように、なかったことにし続けていた。

 

 

 

夢だけじゃなく現実には、40代になってから腎臓に来てしまっている。腎盂腎炎をしてから結石が見つかり、医者にはまだ粉砕する程の大きさではないと言われたけど、不調が続くこともある。腎臓は「怒り」や「恐れ」に関わる臓器と言われるけれど、何か納得。こうなったら少しでも楽にしてあげたい。

 

 

夫の実家のマスタード。インドでは主流の食用油になります。

 

 

共依存を逃げ切ってからは、悲しい歌も、映画も、ロマンチックな曲も、感情移入させるものは全部嫌いになっていた。怖い映画も見ないし、ハッピーエンドはチープだと思ってた。素直になって、無防備になってしまったら、また怖い目に遭うじゃないかって怖いんだろうね。

 

 

 

せっかく先日結婚式を挙げたばかりなのに、早速難題まみれ笑。何をどうやったら夫が喜ぶのかまだよく分からない。とりあえずは自由にのびのびしてもらうのが一番と思ってたら、寂しそうな顔をされたり。

 

自由にしてたら寂しく感じるのかと思って、今度は逆にあれ買って来て、これ電話してとやってたら、日々の会話がタスク達成のためだけに成ってた。さすがにこれは私も寂しい。

 

多分私の感情が置いてきぼりなので、夫のロマンチックな演出にも共感出来ず、サプライズプレゼントを貰った時ちょっと引いてる自分がいたり。喜んで見せるんだけど、現実的な事に意識が向いてしまう。

 

 

でもまぁ、これが私の幸せ。

 

 

私とは正反対に素直な夫の中に、私は私の素直な感情を見つけてホッとする。自分が笑う以上に、笑っていてほしいと思う。

 

ずっと笑顔でいるような優しい人だけど、寂しい時はそう言ってほしいし、怒っている時には理由を聞かせてほしい。出来ることは全部、2人で力を合わせて答えを見つけて行きたい。

 

過去に繰り返し感じてきて、繰り返し抑圧してしまった「未消化の感情」が蘇ってしまうことに関しては、今すぐ都合良く止める方法は正直分からない。夢という形で再現するのも、その感情の昇華の意味があるように感じる。瞑想をすると似たような事が起こる。それも、瞑想の効能の1つであるとも言える。

 

 

一昨日の夜の夢は、誰かの言葉で目が冷めた。

 

 

「諦めなさい。。。」

 

笑笑。

 

それがどういう意味かは分からないけど、最近の夢見でモヤモヤしてた気分が一気に吹っ飛んだ。あーもういいや笑。今、最善を生きるしかない。不器用でも、目の前の人を愛するしかない。どんなミラクルなトラウマ療法も、その積み重ねに叶うものはないような気がする。

 

 

昨日、結婚式前後のドタバタを機に辞めたスラム支援のNGOから、「日本から荷物が届いた」との連絡があった。日本で勤めていた幼稚園のスタッフが、「少しでも役に立てたら」と善意で送ってくれた文房具や服の寄付。3ヶ月前に船便で送ってくれたのがようやく届いたらしかった。

 

辞めてしまったので、私は直接関わることは出来ないけれど、、、そんな思いが湧いてグルグルしそうになったけど、「諦め」た笑。

 

これが私の最善だった。

 

私を通じて少しでも誰かの思いと繋がったこと、海を越えて善意が届けられたこと、その事実はきっと消えない。

 

信じて、諦めて、また最善を尽くそう思う。

 

 

美味しいポピッタ(パパイヤ)!利尿作用があって腎臓の機能を高めるそう。

 

さて、村の結婚式ブログは置いといて、近況を書いてみます。

 

今週はマハ・シヴラトリが過ぎ、ホーリー祭&春分までのカウントダウンな感じ。本日、魚座の新月付近は毎年ウチでは水漏れ祭り〜笑。呼んでもすぐには来ないインド人に修理を頼む程でもない?って感じに始まり、ずーーーっとポタっポタっ。イライラする!

 

春のムズムズ。季節の変わり目、宇宙の大移動で、現実も潜在意識も微調整が必要なよう。

 

それで夢やら、既視感やら、シンクロやらで、潜在意識からの情報が来てる。忘れていたけど、まだそこに在るもの。本当は大切なのに、なかった事にしてる物事が、向こうからやって来てしまう時期。

 

水星も魚座で逆行へ。水の星座なだけに、過去の未消化の感情が再浮上して、え?まだそこ?って感じにも。でも内観の材料には持ってこい!

 

春って、ね。

 

そしてインドにいると、旧暦や占星術に基づいた祝祭日のおかげで、季節感よりも「宇宙観」がジワります。暖かくなったからと言って、楽観してばかりもいられない。宗教的にもお務めが色々とあります。

 

 

 

今日は夫から「これ何て書いてあるの?」と、1枚の診断書の写メが送られて来た。医療用語って難解だし、きちんと理解したかったらしい。

 

「誰のエコー?」と聞くと、

「同僚の奥さんの」と。

 

見覚えのある様式。見覚えのある単語が並ぶ。妊婦検診のエコーの診断書。推定14〜15週の胎児に、心拍が見られないという報告だった。

 

中期の稽留流産。。。とり急ぎ要点を書いて送る。

 

「お大事にって伝えてね。私たちの時よりも週数が多いし、それだけ赤ちゃんが大きくて、きっと大変なことだから」と書き加えて。

 

夫は「ありがとう。すぐ伝える」と。

 

 

ちょうど去年の今頃、私たち夫婦も試練の只中にいた。10週での稽留流産。でも本当にダメって分かるまで、望みを託し続けた数週間。そして突然の大量出血と緊急入院、再手術。今となっては過ぎた悪夢のようでもあり、かけがえのない大切な時間。

 

夫とも、取り立ててこの話はしなくなってる。

 

でも悲しみは去ったけど、

ずーっと消えない「何か」が残ってる。

 

後悔でも、未練でもない。

絶望でも、諦めでもない。

 

もっと大事なもの。

ずっと終わらない「何か」。。。

 


義実家のハーブ畑。コリアンダーとフェンネル etc.

 

話は飛んで、先月のこと。結婚式を終えた私たちは、しばらく夫の村の実家に滞在していた。毎日挨拶周りと、訪ねてくる人たちを迎えて夜中までお喋り。

 

するとある夜突然夫が「背中が痛い。すっごく痛い」と言い出した。長旅と実家の整理を手伝って重い物を持った筋肉痛が、一段落着いたスキに出たんだろうと、タイガーバームでも塗っとけば?と軽く考えていた私。

 

でも午前2時を過ぎて、夫の口から「救急車」の言葉が。 よく話を聞くと、式でお神輿に乗っていた時、揺さぶられ過ぎて最後には落っこちながら降りたそう。私の方は覆いがかけられていて、そんなの全く見てなかった。

 

遅い時間に他に移動手段もないので、夫が呼んだ救急車に同乗して村の診療所へ。結局ただの打撲だろうと、夫は筋肉注射2本で済んだ。

 

で。1本目の注射が効くのを待っている間、同室にいた女性が急に苦しみ出した。付き添いの旦那さんもいるのに、夫は何故か「付き添って今すぐトイレに連れてって」と。

 

それで、立ち上がるのも必死の女性の手を握り、付いてる点滴を掲げながらトイレに行った。この時点で私、気づいていた。この女性が流産中なこと。やっと個室に辿り着いて、何とかかがんで、そのまま排出。

 

不思議と緊急時には冷静な私、背中を摩りながら呼吸を促して介助。立ち上がれるようになってから、手洗いを手伝って病室へ。すると救急車が待っていたので、そのまま彼女を車内のストレッチャーに寝かせて、毛布で身体を覆った。

 

旦那さんも後ろから付いて来て、点滴を手渡すと満面の笑顔で「ありがとう!」って、、、あ、この人、目が見えないんだと、その時気づく。心細そうな妊婦さんも、声を振り絞るように「ありがとう。神のご加護を」って言ってくれて。私も「大丈夫よ。頑張って!気を付けてね」と男前に言って降車。

 

ぽつねーん。。。と、

 

真夜中をとっくに過ぎた村の診療所で、走り出す救急車を見送った。

 

こんなことって、ある?

何これ「ER緊急病棟24時(覚えてますかー)」?


インドなら、ある笑。人手不足と言うよりも、そこにいる職員みんな眺めとるし。看護師どこ行った?とも思ったけど、何と言うかそう、私が、そうしたかったんだ。

 

そうせずにはいられなかった。

 

私自身去年入院した時も、付き添いの人たちや患者さん本人にどれだけお世話になったことか。医療行為そのもの以外は、お互いに助け合って担うのがインド。

 

命は、この世界には来られなかったけど。

 

「何か」が繋がるのを感じた。

 

目の見えないオジさんの笑顔に

見つめ返してくれたあの妊婦さんの目の中に。

 

 

病室に戻ると、痛み止めが効いて元気になった夫が、筋肉注射がどれだけ痛かったかを訴えてくる。そうだねーと言いながら、少しずつでも痛みを知って、人の痛みが分かるようになってくれと願った笑。

 

そう思うと、痛みも、悲しみも、

決して自分1人のものじゃない。

 

何を遠慮する必要もなしに

否定的な感情や、

悲劇的な状況を

自然と人と分かち合える体験が

その時の私の腑に、ストンと落ちた。

 

普段はプライバシーの鬼なのに笑。

 

 

と、そんな場面に出くわしたりで、私自身、色々と振り返って整理して行きたいと思うところ。

 


ナヴラトリ祭、そして春分あたりまで、ヨガ、瞑想、心理ワーク、占星術の独学祭りな気がしてます。

一時的な絶不調におちいって、日中4時間ぐっすり眠って起きたところ。

 

行き詰まって、自分では何の策も打てなくて、もうダメってうつになっても、私は眠れることが救い。

 

頭の中が悩みでパンパンで、夕飯は焦がすは、朝食は食べれないは。悩みから意識をそらそうとしてもボーッとし過ぎて別の事に集中できず、そのうち息が苦しくてうまく呼吸が出来ず、胃が痛くて吐きそうにも。

 

何ら物理的な障害も今目の前にないのに、私がベッドでウヘーとなっている事について良く分からない夫は、「起きて!」と結構な力でユサユサ揺すって来る。全身が謎に痛い上、肩を掴まれて恐怖心と悲しみしか湧いて来ない。とっさに、とにかく脳に酸素を送ろうとフーフーしてみた。

 

そんな朝。

 

 

分かって欲しい、を

 

勝手に諦めて

勝手に絶望して

勝手に自分を追い込んでいる。

 

 

夫にも、世間さまにも、どうやってこの状況を説明して良いのか分からない。何が不満なの?僕はもっと大変だけど毎日仕事に行ってるよって言われると、さらに何をどう伝えたら良いのかも分からない。

 

今日は病院は必要ないと思うと言って、

満足にご飯も作れずお茶も淹れてあげられずに

出勤して行く夫の背中を見送るだけ。

 

 

眠ることで今は少し癒されるのを感じる。

夢も何も見ないまっさらな世界。

 

起きたら現実が始まって、あれもしてない、これもしなきゃ、全然出来ないってなるかと思いきや、以外と色々、そのままで良いいやと思えた。

 

ここ数ヶ月、夫が帰って来る時間に緊張している。台所が寒くて夕飯の支度が終えれないことや、インド料理を上手に作れないこと等、小さな事が私の中に積もっていた。

 

そうすると、今までそんな事は気にしたこともなかった夫が、それらを気にするようになって、私をたしなめる様になっていた。夫らしくない、別人の様な言動に思えた。

 

マサラを焦がすタイミングなんて些細な事に過ぎないのに、それをたしなめられる事が怖くて、私は益々料理から遠のいてしまう。夫に喜んで欲しくてカレーの練習を続けて来たはずが、がっかりされるのが怖くて仕方がない。私が好きだった夫は、そんな細かいことは気にもせずに笑っている人だった、と。。。

 

夫はただ、私の自信のなさを感じ取るのだろう。

ただそれを反映して言葉や態度で返してるだけ。

 

いくら私が形だけ頑張っても、

不安や、やる気のなさが滲んで見えるから

きっとすごくチグハグでフェイクに見えて

とっても嫌な気分になるよね。

 

今日は退勤後に友人の結婚式に行くと言っていた夫。夕方メッセージが来て、やっぱり行かないで帰宅するって。嬉しいけれど、嬉しくないような。少しだけ1人で整理して、この状態から回復したい。この気分だけ夫に伝染して、理由を理解されないままに誤解されてしまうのは嫌なんだ。

 


リージャーヴァリー公園の動くモニュメントと夕日。

 


ここで生活して行くって決めたのは、夫がいてくれたからだった。でも私には、それは危ういこと。恋愛の熱は現実の困難に冷静さを取り戻し、私は私の人生の核が見つけられずに、ずっと探したまま。

 

何か困ったり、夫と喧嘩した時にはいつも「日本にいたら」という言葉をグッと堪えて飲み込む日々。言わなかったとしてもバレバレ。明るい未来がまだ描けない。

 

赤ちゃんを授かった時は、私はこのために生きるんだと思った。でも、つわりに耐え、痛みに耐え、入院に耐えともがいている内に、気がついたら3度も流産していて、心に残ったのは埋めようのない空白、どうしても過去に縛られる感覚。

 

埋めよう、埋めようとしてしまう。

 

本当はもう、すっかり忘れて再スタートしたいのに。取り戻せないのなら、何か他のものでと、焦って漁るような強力な磁力から、自由になれないでいる。

 

 

仕事をすることも、その代替品のようになっていたのかもしれない。いつの間にか、必死になってしまった。頑張らなくちゃ、失敗できない、、、そして今、自分でかけた呪いのプレッシャーで見事に自爆している。

 

禁断の期待を、私は確かに隠し持っていた。

求めても得られないものに、取り憑かれていたんだ。

 

そしてどんどん、ここに在る幸せが見えなくなった。

隣で慈しんでくれる人の気持ちを踏みにじっていた。

まるで「あなたには分かりっこない」とでも言うように。

 

分からなく操作しているのは、自分なのに。

自分自身さえも騙くらかして、

頑張っているフリをしながら。

 

 

Do you love me? と聞かれても今は

正直、よく分からなくて答えられない。

 

I love you! と言われてやっと Me, too!となる。

 

。。。コダマですか?笑

 

 

共感する、歩み寄る、相槌をうつ等々、人間関係で必須とも言えるコミュニケーションの能力が欠如するまで、私は必死に自分の殻の中だけでもがいてしまった。

 

ダレも分かってくれない。

 

という、上から目線の穿った思いにハイジャックされていた。だから職場でも会話に入れてもらえない。英語で話してもらえない。お茶を淹れてもらえない。目の前でチュッチュ始められる、敬意を払ってもらえない。

 

○○人は、△△だ

 

という様なステレオティピカルな表現や断定はしたくないと、凄ーーく気を付けて来たつもりが、すっかりやってしまった。「気を付ける」って、そう思ってイケナイのではない。逆に抑圧してしまうと、実際目の前で起こるカルチャーショックな出来事に開けない。

 

抑圧して内に溜まって思い込むと、しっぺ返しを喰らうのは自分自身。誰にでも心を開く必要はないけれど、きちんとした敬意を持って積極的に相手に対応しなければ、誰だってこちらの「秘めたつもり」の態度に傷つくのだということ。

 

ウツになりたかった訳でも、上手く行かない事を卑下したかった訳でもなくて、私の心は↑を、体験を持って徹底して学びたいんだと思う。

 

 

私は、時間にルーズに見える仕事のやり方は苦手だった。仕事やイベントのスケジュールを知らされない事も不便で不安にかられてしまった。目の前で開けっぴろげに親密な愛情表現をされるのは、気持ちを無視して蹴散らされるようで怖かった。仕事以外の私語で大半の時間が過ぎて行く意味が、理解出来ずに反感を持ってしまった。

 

 

それはそれで事実として、相談できる時に、相談できる人に、表現できる言葉で自分の気持ちを伝えるべきだったのに、抑えて抑えて、自分が具合悪くなる程「大事」にしたのも私。

 

家に帰って関係のない立場の夫に話しても「スッキリ」する訳もない。逆に彼の不安をあおるだけ。家庭の秩序が崩れるだけだ。いつも話を聞いてくれる夫は、ポツリと「家には仕事の事は持って来なくていいよ。全部職場に置いておいで」と言った。そんな事言われてもーと思ってたけど、全くおっしゃる通り。

 

 

きっと分かってくれる。

 

 

急に反転させるのは現実には難しくても、焦らず、押し付けず、無理強いせずに、そう信じていよう。

 

きっと分かってもらえる。

 

きっと、大事な経験だから。

 

私も周りを大切にしたいから。

 

きっと私にも分かる日が来る。

 

 

よし、起きて夕飯の準備をしよう。笑

 

今日は勤めているスラムの学校で「ローリー祭」のイベントが行われた。イベントの日はいつもの事務所を離れ、現場へ。夫のバイクが破損するんじゃ?という激しい凹凸の道を送ってもらう朝。

 

ローリーは北インドならではのお祭りで、1年の最後の日(インドの暦では1月13日)にコミュニティー毎に外で焚き火をして、火の神さまにお祈りする。パンジャブ州に伝わる物語や歌を歌い継ぎ、親族等で集まって、収穫時期でもあるトウモロコシや落花生で出来たお菓子を食べる。

 

今年は13日が日曜で休日なので、イベントは金曜に実施。スラムの学校のグランドの真ん中には大きな焚き火が焚かれ、張り切ってオシャレして来た幼稚園生と、スタッフや先生たちが輪になって恒例のパンジャビダンスを踊り、踊り、また踊り、かなり盛り上がりながら新しい1年の到来を祝っていた。

 

パンジャビダンスは踊れない私のお役目は写真係。いつものイベントのように、子供たちの自然な仕草や表情、集まった親御さんたちのローカルな風情を修めたいとグランドを走り回ってみる。でも今回は、同僚たちの新品のスマホの画像に完敗。日本から持って来た4年物のスマホは、もう今年が替え時のよう。



 

今週も頑張って出勤出来た。先週から職場の風紀?への疑念が頭をもたげ続け、私の、同僚たちへの信頼が揺らいでいた。

 

このお仕事を始めた当初、チーム一丸となって未踏の領域にチャレンジ出来るような、やり甲斐のあるお仕事の話を代表から頂いて、ワクワクした。ぽつんと1人きりでインドで暮らして来て、「一緒に」「新しい」「お仕事」が出来るなんて、思ってもみなかったから。

 

蓋を開けてみると、私にとって最も難しく「未知の領域」なのは、お仕事じゃなく、周囲の人たちとの関わり方だった。インドという国で、もちろん文化や考え方が違うのは想定内!と前向きでいたけれど、実際は想像以上に対応出来なかった。

 

言葉で表現すれば、色々な「違い」や驚く「出来事」の数々があったのだけど、あり過ぎて多分書き切れないので省略。笑

 

一言で言うならば、

「波長がズレてる」あの違和感。

 

今日も午後は事務所で作業の時間だったけど、見ていると若いスタッフはお喋りに夢中で何も進んでいない様子。代表から指示の電話があると忠実に答えているけど、終わると代表や仕事に対する愚痴や批判大会で盛り上がる。しばらくするとポツリポツリと作業をするものの、1つの作業に3人「全員」がダマになって文句や冗談を言いながらダラダラ。。。

 

悪夢でも見てるのかな。。。

 

そんな毎日。

 

 

帰りのタクシーではモヌケの殻のように、流れる行く景色を眺める。大気汚染で汚れた町が、より一層くすんで見えた。胸も息もお腹も苦しくて、頭痛が止まらない。苦しい。。。

 

 

どうして私はこうやって、

いつも自分を苦しめるのか。

 

 

相手のせいではないのだ。

環境のせいでもない。

 

そう考えないと、何も変えられない。

 

私は私のマニアックな趣味で、この環境を選んで、この人たちを選んで、自分を苦しめて言い訳してる。

 

「ほら、やっぱり上手く行かない」って。

 

 

そのことが悔しい笑。遠くから、私の幸せを願ってくれている母や姉妹、友だちに申し訳なかった。私はいつも、親しい彼らに理解されないと不満だったけど、それもそのはず。幸せとは真逆の場所に歩いて来てしまうのは、他でもない私だ。

 

やった事のない事をやってみたかったり

見た事のない場所に行ってみたかったり

出来なかったことに挑戦してみたいって

落ち着きのない刺激中毒の私は、

いつも欲張り過ぎてしまう。

 

怖いんだと思う。

 

自分の意思で進んで来たつもりだったのに、

いまだに目が覚める度に、

何も知らない異国の真ん中にいる。

 

共感できない人たちの中で

自分を曲げて合わせてアクセクしてる。

 

いつの間にか、

日本人の自分も、

自分らしさも、

主張することに疲れてしまった。

 

なぁなぁにして来た分だけ

なぁなぁに扱われてしまう。

 

でももう、これ以上主張したくない笑。

 

商店やタクシーや大家さんや職場でも、

周りの調和を乱してまで

主張なんてしたくないのに。

 

調和を好む日本人なのに。笑

 

夫に対しても、そう。

もう、何も言わないでも分かって欲しい。

 

いちいちネットで日本の紹介見せなくても

インドはこう、日本はこうと、

あーだこーだ話なんてしなくても、

 

私は、こう。

 

都合良くは変われない。

 

インドっぽくも出来ない。

 

親戚の世話もしたいと思わなきゃ出来ないし、

実家の管理もしたいと思わなきゃ出来ないよ。

 

誰が泣こうが死のうが、

無理なものは無理。

 

もうね、経験上知ってるからね笑。

 

お願いだから、

これ以上私に主張させないで。

 

私のままでいさせて。

 

 

ってね。

そんな気分です。笑



イベントを楽しむ親御さんと住人の皆さん。こんな笑顔がもっと見たくて、私の心は彷徨っている。

自分にとって何が大切かは、

 

本当は、自由に選ぶことが出来る。


どんな気分で過ごしたいか

どんな体調でいたいかも、

ある程度は自分で選んでいる。

 

体調が優れない〜って感じる時、最近私はそれを選んでいる気がする。何か自主的に指揮を取れない物事に対して、心身がプチストライキして知らせてくれる。

 

違うよー、嫌だよこんなのって。笑

 

身体は正直だ。でも私たちは、自分の心身だけに忠実ではいられない。家庭や社会的な役割とか、責任とか。。。?

 

でもホントーは、誰のせいでもない。

 

家庭も、社会的な役割も、自分で「何となく〜」とか「どうしても!」って、「選び」取ったもの。

 

大体は思ってもみなかった障害や困難が訪れるから、テキトーに扱ったり投げ出したくなったりするんだけど、そこに良し悪しのジャッジメントは全然必要ない。

 

どんな不調も、「現実に心身が追いついてない」サインとして、むしろ大切に受け止めたいと思うようになってきた。(そうしないと、実際身体が追いつかない年齢。笑)

 

以前は私「ちゃんとしなくちゃ」「責任感が足りない」と、ジャッジメントしか持ってなかった。小さな頃からお調子者のくせに小さい事を気に病むタイプだったから、親にはあまり理解されず、よくそう言われてきたし。

 

自分と違う性質って理解し難いもの。親も何とかしようと努力してくれて、厳しい事で有名なピアノ教室やテニスクラブで根性入れ直そうとしてくれた。でも「厳しい」のとか苦手だし笑。

 

何のためのルールなのか

理解せずに鵜呑みにすることも

強い立場の大人や先輩に従うことも

多数派のグループに所属して

個人の気持ちがなぁなぁにされることも

大っっ嫌いで、苦手だった。

 

それで一時期、自分だけおかしいと悩んだっけ。でも結局、そいういう人だったってだけ。笑

 

「違うんだー」って気付くのって大切。

違ってても「良いんだ」って。

 

 

「普通」に「人並み」に出来なくて、みんなと同じ事に興味を持てないことは、誰にでもある。いちいち気にすんなって、今の私なら言ってあげるのに。

 

日本の様に情報網の発達した超近代社会では、平均的に「出来ないこと」にフォーカスしがち。「え?そんな事も知らないの?」って、私、インドに来てから(インド人に)思いまくってて気がついた。

 

知らなくたっていい。

 

そんな事、本当はどうでも良い。笑

 

私は、インドの常識や流行にはうといので、目的なく「つるむ」ような友だち関係はインドでは出来ない。私の中の依存的な甘えた部分で、一抹の寂しさを感じるけれど、本当は知ってる。インドで必要なのはそんな関係じゃないって。

 

何を知らなくても、何を持ってなくても、

目的のためにすぐに助け合えることの方が

ずーっと大切。

 

特に、厳しい環境の元では、何を知ってようと、何ができようと、実際に助けの手を差し出すこと以上の価値は産まない。

 

自分は自分、人は人。

違いは良しとして、

でも助け合う。←っていうインドに感心したり。

 

相手と同調しないと助け合えない、壁のある社会を作っていたのも、かつての私自身だったってこと、気付かされることも多い。

 


日本人のお友だちKちゃんから戴いた手作りバナナブレッド&お手紙おねがい

 


。。。が、

「仕事」となると、また話が違ったり。

 

修行の足りない私はやっぱり、今の職場は合わないみたい。こうして不調が現れると「そうかー」と、身体の声を聞くしかない。この仕事の意味や理念にも共感するし、違う形では関わって行きたいと思うけど、何せ今は、

 

私自身が、助けを必要としている状態w

 

 

色々やってみた。理解しようと務めたし、ある程度は目をつむって来て、自分の違和感は周りに相談もしてみた。でも、変わらないもの、変えられないもの、そこまで情熱を持って変える努力もできない物事(笑)もある。


先週、事務所でちょっとした事があり、

結果モチベーションが、地に堕ちた。

(ぶっちゃけ同僚のチュッチュ現場に遭遇したってだけ)笑

 

それ以来、今のメンバーと一緒に仕事に取り組みたいって、どーしても思えなくなってしまった。う仕事上の意見さえもスーーっと耳を通り抜けて行く。

 

上司に言うも、ちょっとはばかられる。インドの倫理観も知らずに言って、オオゴトにして、責任取れる立場でもない。若い人材には頑張って欲しい気持ちしかない。ただ強烈な違和感で、ひー、勘弁!なだけ。笑

 

今後どうするにしてもまぁ、笑える理由で良かったわ。

 

肌に合わない環境にいるうちに、せっかく築いてきたインド生活が楽しめなくなって、家族に迷惑をかけたり、体調を壊すことの方がタイヘン。挙げ句の果てに日本に帰るとかもイヤ。

 

誰に分かってもらえなかったとしても

私の身体は私がずーっと守るのだ。

 

色々あり続けるインド暮らし。笑

 

おかげで、何が一番大切なのか

分かり始めたから、良しとしよう。

 

夫の行きつけ、路上理容院爆笑

 


昨晩は、夫の2番目の姉が原因不明の発作で倒れ、国立病院の救急へ運ばれたそう。親戚一同と実弟が付き添ってくれたこともあり、夫は一夜明けてから病院へ。もともと高血圧の症状がある義姉2だけど、それ以上に精神的な負担による発作らしいと、電話で夫が教えてくれた。

 

3人いる夫の姉たちの中では、一番柔和で口数も少ない義姉2。10歳になる双子の男の子たちはやんちゃ盛りだし、質素な暮らしで実際大変な事も多い状況。

 

 

インドの主婦たちは、置かれた状況以上に、我慢強く謙虚な人たちが多いんじゃないかと思う。

 

言ってしまえば「他人軸」。

 

優しい人ほど、気がついたら

色々犠牲にしてしまっている。

 

でも、時代は変わり、そこそこ選択肢も増え、迷いも責任も後を追ってやって来る。急成長するインドの全然身体に良くない一面。。なんて簡単には言えない、私たちには到底分かり得ない苦しみがあるのかも。

 

「自分軸」に切り替えるなんて、

怖ろしいと思われても仕方ない。

 

私も怖い。

好きなように生きるだなんて。

自分の気持ちを優先するなんて。

「そして誰もいなくなった」的な結末が

待っているような怖さがある。

(「そして仕事がなくなった」とか笑)

 

でもその「怖さ」を乗り越えると、

怖れていたものなんて

ただの幻想だったことを知る。

 

怖れることよりも

信じることの自由を知る。

 

そんな事が面白可笑しく、嬉しくて、「自分軸」はやめられない。

この地ではまだ、うまく伝える自信はないのだけど。