最近、毎晩のように夢を見る。
リアルな感覚の残る夢ばかり。起きている時は全く意識していない、自分の中の感情に揺さぶられて目を覚ます。
嫌な事は考えたくないし、ネガティブな感情も、感じたくないのが人間の性なのだろう。だから結構不快な目覚め。
おぼろげでも夢の場面は大抵、実家の家族と過ごしている。どこか出かけて食事をしていたり、家の居間で一緒にいたり。そして共通するのは、最後には私がすっごく憤慨して終わること。
私はとても怒っている。何故か、最近インドに来てくれたばかりの母や姉が登場するのだけど、彼女たちの理不尽な言動に、私は内心すごーく傷ついている設定。でも、それを表現することに強い抵抗があり、とても口には出来ない雰囲気でもあるっていう。
恐れがある。きっと子供の頃に体得してしまった、絶対的な年長者への恐れ。
それと、途方もない苛立ち。家族なのに、彼女たちの言動のパターンが理解できない、受け入れられない。それは、私への思いやりが感じられないからだった。潜在的なボタンの掛け違いのような違和感の中、安全な筈の家族の中で毎瞬、言葉にならない傷を重ねている。そんな夢。
とーーっくに、許せたと思ってた。
平気になれたって信じてた。
だから、こんな夢は残念で仕方ないけれど、何度か夢を繰り返す毎に、これはただの夢じゃないこと、渋々分かってきてしまう笑。これも、今の私の現実の一部。
目を開けると、そんな実家からは遠ーく離れた今の世界。もう、どんな感情も受け止められるし、許し合える!と、自信を持って一緒になったはずの夫の無邪気な寝顔を直視出来ない気がした。
気持ちが重い。生々しい怒り、それを上回る強烈な抑圧。危険な武器でも隠し持っているようで居場所がないのだ。ベランダに出て空を仰ぐと、ひときわ明るいシリウスの下に、赤く鈍く火星が鎮座していて、こっちを見てる気さえした。
知ってるんだぞって。笑
とても長い道のりを、ひとつひとつ乗り越えて来たつもりでいた。私のコアでもあるこの感情に共感してもらえない家庭から、独り立ちした途端、人間関係の荒野に放り出された。私自身、愛情が何なのか分からず、信じては裏切(られ)る共依存を繰り返して、でもDVも事故も何とか生き延びて。
人を見る目もなく、心も弱かったから、未熟な私には必要な学びだったと思う。
ようやく自分を愛そうと試みた末、結局は仕事と趣味に没頭しただけ。成果を出せば誰かが認めてくれるけど、達成感も一時のもの。でも中毒のように止められない。それしか知らないし、それがないと不安で、自己否定が始まる。
あの嫌な感情を感じずに済むように、何かをしていなくてはならなかった。無意識は巧みに言い訳をした。好きな事をしてる、頑張っている、責任を果たしてる、誰かの役に立ってる、生活が出来てる、続いてる、etc.
私の感情は、無視され続けていたのかもしれない。気づいてくれなかったのは、母でもない姉でもない。今度は私自身がわざと無視した。その感情に気づいてしまうのは、怖いものと思い込んでいる。恥ずかしいし、ダメなことだし、弱いことだからと、なかったことにされたように、なかったことにし続けていた。
夢だけじゃなく現実には、40代になってから腎臓に来てしまっている。腎盂腎炎をしてから結石が見つかり、医者にはまだ粉砕する程の大きさではないと言われたけど、不調が続くこともある。腎臓は「怒り」や「恐れ」に関わる臓器と言われるけれど、何か納得。こうなったら少しでも楽にしてあげたい。
共依存を逃げ切ってからは、悲しい歌も、映画も、ロマンチックな曲も、感情移入させるものは全部嫌いになっていた。怖い映画も見ないし、ハッピーエンドはチープだと思ってた。素直になって、無防備になってしまったら、また怖い目に遭うじゃないかって怖いんだろうね。
せっかく先日結婚式を挙げたばかりなのに、早速難題まみれ笑。何をどうやったら夫が喜ぶのかまだよく分からない。とりあえずは自由にのびのびしてもらうのが一番と思ってたら、寂しそうな顔をされたり。
自由にしてたら寂しく感じるのかと思って、今度は逆にあれ買って来て、これ電話してとやってたら、日々の会話がタスク達成のためだけに成ってた。さすがにこれは私も寂しい。
多分私の感情が置いてきぼりなので、夫のロマンチックな演出にも共感出来ず、サプライズプレゼントを貰った時ちょっと引いてる自分がいたり。喜んで見せるんだけど、現実的な事に意識が向いてしまう。
でもまぁ、これが私の幸せ。
私とは正反対に素直な夫の中に、私は私の素直な感情を見つけてホッとする。自分が笑う以上に、笑っていてほしいと思う。
ずっと笑顔でいるような優しい人だけど、寂しい時はそう言ってほしいし、怒っている時には理由を聞かせてほしい。出来ることは全部、2人で力を合わせて答えを見つけて行きたい。
過去に繰り返し感じてきて、繰り返し抑圧してしまった「未消化の感情」が蘇ってしまうことに関しては、今すぐ都合良く止める方法は正直分からない。夢という形で再現するのも、その感情の昇華の意味があるように感じる。瞑想をすると似たような事が起こる。それも、瞑想の効能の1つであるとも言える。
一昨日の夜の夢は、誰かの言葉で目が冷めた。
「諦めなさい。。。」
笑笑。
それがどういう意味かは分からないけど、最近の夢見でモヤモヤしてた気分が一気に吹っ飛んだ。あーもういいや笑。今、最善を生きるしかない。不器用でも、目の前の人を愛するしかない。どんなミラクルなトラウマ療法も、その積み重ねに叶うものはないような気がする。
昨日、結婚式前後のドタバタを機に辞めたスラム支援のNGOから、「日本から荷物が届いた」との連絡があった。日本で勤めていた幼稚園のスタッフが、「少しでも役に立てたら」と善意で送ってくれた文房具や服の寄付。3ヶ月前に船便で送ってくれたのがようやく届いたらしかった。
辞めてしまったので、私は直接関わることは出来ないけれど、、、そんな思いが湧いてグルグルしそうになったけど、「諦め」た笑。
これが私の最善だった。
私を通じて少しでも誰かの思いと繋がったこと、海を越えて善意が届けられたこと、その事実はきっと消えない。
信じて、諦めて、また最善を尽くそう思う。