自分軸から始めよう | 北インド☆ゆるヨガライフ

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

自分にとって何が大切かは、

 

本当は、自由に選ぶことが出来る。


どんな気分で過ごしたいか

どんな体調でいたいかも、

ある程度は自分で選んでいる。

 

体調が優れない〜って感じる時、最近私はそれを選んでいる気がする。何か自主的に指揮を取れない物事に対して、心身がプチストライキして知らせてくれる。

 

違うよー、嫌だよこんなのって。笑

 

身体は正直だ。でも私たちは、自分の心身だけに忠実ではいられない。家庭や社会的な役割とか、責任とか。。。?

 

でもホントーは、誰のせいでもない。

 

家庭も、社会的な役割も、自分で「何となく〜」とか「どうしても!」って、「選び」取ったもの。

 

大体は思ってもみなかった障害や困難が訪れるから、テキトーに扱ったり投げ出したくなったりするんだけど、そこに良し悪しのジャッジメントは全然必要ない。

 

どんな不調も、「現実に心身が追いついてない」サインとして、むしろ大切に受け止めたいと思うようになってきた。(そうしないと、実際身体が追いつかない年齢。笑)

 

以前は私「ちゃんとしなくちゃ」「責任感が足りない」と、ジャッジメントしか持ってなかった。小さな頃からお調子者のくせに小さい事を気に病むタイプだったから、親にはあまり理解されず、よくそう言われてきたし。

 

自分と違う性質って理解し難いもの。親も何とかしようと努力してくれて、厳しい事で有名なピアノ教室やテニスクラブで根性入れ直そうとしてくれた。でも「厳しい」のとか苦手だし笑。

 

何のためのルールなのか

理解せずに鵜呑みにすることも

強い立場の大人や先輩に従うことも

多数派のグループに所属して

個人の気持ちがなぁなぁにされることも

大っっ嫌いで、苦手だった。

 

それで一時期、自分だけおかしいと悩んだっけ。でも結局、そいういう人だったってだけ。笑

 

「違うんだー」って気付くのって大切。

違ってても「良いんだ」って。

 

 

「普通」に「人並み」に出来なくて、みんなと同じ事に興味を持てないことは、誰にでもある。いちいち気にすんなって、今の私なら言ってあげるのに。

 

日本の様に情報網の発達した超近代社会では、平均的に「出来ないこと」にフォーカスしがち。「え?そんな事も知らないの?」って、私、インドに来てから(インド人に)思いまくってて気がついた。

 

知らなくたっていい。

 

そんな事、本当はどうでも良い。笑

 

私は、インドの常識や流行にはうといので、目的なく「つるむ」ような友だち関係はインドでは出来ない。私の中の依存的な甘えた部分で、一抹の寂しさを感じるけれど、本当は知ってる。インドで必要なのはそんな関係じゃないって。

 

何を知らなくても、何を持ってなくても、

目的のためにすぐに助け合えることの方が

ずーっと大切。

 

特に、厳しい環境の元では、何を知ってようと、何ができようと、実際に助けの手を差し出すこと以上の価値は産まない。

 

自分は自分、人は人。

違いは良しとして、

でも助け合う。←っていうインドに感心したり。

 

相手と同調しないと助け合えない、壁のある社会を作っていたのも、かつての私自身だったってこと、気付かされることも多い。

 


日本人のお友だちKちゃんから戴いた手作りバナナブレッド&お手紙おねがい

 


。。。が、

「仕事」となると、また話が違ったり。

 

修行の足りない私はやっぱり、今の職場は合わないみたい。こうして不調が現れると「そうかー」と、身体の声を聞くしかない。この仕事の意味や理念にも共感するし、違う形では関わって行きたいと思うけど、何せ今は、

 

私自身が、助けを必要としている状態w

 

 

色々やってみた。理解しようと務めたし、ある程度は目をつむって来て、自分の違和感は周りに相談もしてみた。でも、変わらないもの、変えられないもの、そこまで情熱を持って変える努力もできない物事(笑)もある。


先週、事務所でちょっとした事があり、

結果モチベーションが、地に堕ちた。

(ぶっちゃけ同僚のチュッチュ現場に遭遇したってだけ)笑

 

それ以来、今のメンバーと一緒に仕事に取り組みたいって、どーしても思えなくなってしまった。う仕事上の意見さえもスーーっと耳を通り抜けて行く。

 

上司に言うも、ちょっとはばかられる。インドの倫理観も知らずに言って、オオゴトにして、責任取れる立場でもない。若い人材には頑張って欲しい気持ちしかない。ただ強烈な違和感で、ひー、勘弁!なだけ。笑

 

今後どうするにしてもまぁ、笑える理由で良かったわ。

 

肌に合わない環境にいるうちに、せっかく築いてきたインド生活が楽しめなくなって、家族に迷惑をかけたり、体調を壊すことの方がタイヘン。挙げ句の果てに日本に帰るとかもイヤ。

 

誰に分かってもらえなかったとしても

私の身体は私がずーっと守るのだ。

 

色々あり続けるインド暮らし。笑

 

おかげで、何が一番大切なのか

分かり始めたから、良しとしよう。

 

夫の行きつけ、路上理容院爆笑

 


昨晩は、夫の2番目の姉が原因不明の発作で倒れ、国立病院の救急へ運ばれたそう。親戚一同と実弟が付き添ってくれたこともあり、夫は一夜明けてから病院へ。もともと高血圧の症状がある義姉2だけど、それ以上に精神的な負担による発作らしいと、電話で夫が教えてくれた。

 

3人いる夫の姉たちの中では、一番柔和で口数も少ない義姉2。10歳になる双子の男の子たちはやんちゃ盛りだし、質素な暮らしで実際大変な事も多い状況。

 

 

インドの主婦たちは、置かれた状況以上に、我慢強く謙虚な人たちが多いんじゃないかと思う。

 

言ってしまえば「他人軸」。

 

優しい人ほど、気がついたら

色々犠牲にしてしまっている。

 

でも、時代は変わり、そこそこ選択肢も増え、迷いも責任も後を追ってやって来る。急成長するインドの全然身体に良くない一面。。なんて簡単には言えない、私たちには到底分かり得ない苦しみがあるのかも。

 

「自分軸」に切り替えるなんて、

怖ろしいと思われても仕方ない。

 

私も怖い。

好きなように生きるだなんて。

自分の気持ちを優先するなんて。

「そして誰もいなくなった」的な結末が

待っているような怖さがある。

(「そして仕事がなくなった」とか笑)

 

でもその「怖さ」を乗り越えると、

怖れていたものなんて

ただの幻想だったことを知る。

 

怖れることよりも

信じることの自由を知る。

 

そんな事が面白可笑しく、嬉しくて、「自分軸」はやめられない。

この地ではまだ、うまく伝える自信はないのだけど。