北インド☆ゆるヨガライフ -18ページ目

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

一年で1番日が短くなる冬至。この厳しい時節に安寧を願い、家族の健康を祝うのがクリスマスの起源という説がある。


今年も私たちにとって、北インドの冬はまだまだ厳しい。厳しい環境では、ここをどう乗り越えるかが肝心な所。

レンガと大理石で造られた部屋は外よりも底冷えし、外に面したお手洗いで、バケツお湯を沸かして入浴する前には、毎回ちょっとした恐怖を覚える。笑


どこの国でも師走は忙しいのか、市場は冬支度のために防寒衣類などを求める家族でごった返し、先週末友人はスマホをポケットから擦られる被害に遭ったそう。

通勤途中に通るショッピングモールには、クリスマス前から若者や家族連れが押し寄せるので、私たちは最初の年以来近づかない様に。


今年も私と夫のクリスマスは、冬至を無事に過ごせたことを喜ぶくらいで、あとは普段通り。スリも近付けないだろうと思われる程?ギュウギュウに混み合ったセクター19の露天市で、夫の手袋とジム用のパンツを値切り倒して購入。

ついでに夫が結婚式で着るインドの民族衣装シェルワーニーを試着して、ご満悦で写真を撮ってみた。もう結婚式まで1ヶ月半。でも一度しか着ないし、一生に一度の結婚式だとしても、変に焦って無理して後で困る方が私は避けたいところ。

屋台で焼き立てのティッキー(じゃがいものパテに、ひよこ豆、刻んだ玉ねぎ、パクチー等とヨーグルト&チリソースがかかってて美味)を食べてから、お向かいの大聖堂を訪ねた。

イギリスの植民地時代に建てられた教会、まだ23日で入口外のクリスマスグッズを売るバッタ物屋のテントは賑わってたけど、敷地内は人もまばら。

建物は新しく再建された様だったけど、祀られた古めかしい聖餐のキリスト像は、この世界の罪を一身に負った苦しみで、目を向けるのも痛々しい。

夫は一瞬ためらったけど、私は吸い寄せられるように祭壇の前に膝をついて、ありがとうございますと祈っていた。

何も特別なことはしてないし、まだまだ満足の行く暮らしではなくて、不満や不安に心が奪われそうになるけれど、

異国の地でもこうして元気で、家族になってくれた人と平和に生きられて、

手術や入院で無力な時も、ビザや婚姻手続きでテンパっていた時も、職場でやらかして落っこちた時も、2人で何とか乗り越えて、こうしてまたご挨拶に来れました。笑


顔を上げると、隣で夫が両手で床に触れながらヒンドゥー式にお祈りをして、キリスト像を見上げながら、ヒソヒソ声でビューティフルだね!僕たちはハッピーだねと言って笑ってた。


ああ、今年も山場を越えたのかな。。

ちょっとだけ、そんな気がした。


帰り道。色んなものがゴチャ混ぜに存在して住み着いているような三丁目の町外れを通ると、水牛とヤギの飼われている向こうのみすぼらしい建物に、いつになく明るい光が灯っていて、村の人たちがポツリポツリ、手にキャンドルを持ちながら吸い込まれて行った。

中を覗くと、聖歌隊が歌の準備をしているのか、並んだ何人かの笑顔が見える。童話「マッチ売りの少女」に出て来るような、夕暮れに沈む村外れに灯る一筋の温もりだった。

キリストは質素な馬小屋で産まれたと言う。インドの町外れの教会は、その情景を思い浮かばせた。


この町の人々は殆どがヒンドゥー教徒。でもこの時期、いくつかの窓辺にロウソクや星の電飾を見ることができる。夜中に、寒空の下トイレに行く帰り笑、私は家々の窓にこのクリスマス飾りを見るのが好きだ。


願い祈ることに、宗教も国境もない。


同じ祈りと、感謝の気持ちでみんな生きてること、そっと教えてくれるようで、心がじんわり温かくなるのだ。



さて前のブログで書いた私の最上級ネガティブモードも、冬至前の2、3日で収まった感じ笑。

職場では団体の主催する幼稚園のクリスマス会、募金キャンペーン等、落こんでいる暇がなくてかえって良かった。

心の中に溜まって行ってたモヤモヤ、イライラは、申し訳ないけど一旦、夫にぜーんぶ話し(ぶちまけ)て、夫も終始ポジティブ姿勢で受け止めてくれていたけど、

私も現実的に彼にはどうすることもできない事まで問い詰めてしまい、最終的に夫が本気で困って慌てる姿を見て、

あ~やっちゃったかなぁ?と。。

そこでようやく冷静になれた、という笑。


決してパワーゲームをしたいとか、イジメて泣かせてやろうとか、ストレスを八つ当たりしようなんて思ってないのに、なんじゃこれは?!ってなってた。

夫婦って。。。

私たちもまだ新米夫婦、どうやって建設的に問題解決をするのか学んでいるんだと思う。

かたや相手(夫)の頭はインド・オンリーで、私から見たら脳内お花畑。ボリウッドの駆け落ち婚の映画で見たような、ハッピーエンドしか描いていない。

ハッピーエンド。。。て、その後は。。。?

借金して田舎の村で結婚式して、あれもこれも殆ど自分たちで用意して(実家が余裕がないので)、親戚や周りに認めてもらうために、見栄張って頑張って、その後は??

今だって戦後日本みたいに電化製品も何もない暮らしなのに、結婚式の返済で何年かかる?こうやってずーと、あなたがよく知ろうともしない日本の私の貯金に頼って生きて行きたいの?違うでしょう、と笑。

しかも私たち、正式な結婚手続きも終わってるし。

本気で自分たちの力で生きていく気があって、本気でこの披露宴をやる気があるの??

。。。


て笑。


我慢してた訳じゃないけど、言って良かったと思う。夫はかなり反省してた。毎日自分のペースでインド式に生活してるのも、当たり前じゃないんだって事も、ようやく気が付いたみたい。知らないのは仕方ないので、言わなきゃならない。


いい顔ばかりしてたって、何も変わらない。困難があっても一緒に乗り越えるのが夫婦。知らないから見えないフリしてハッピーって、そんな話はない訳で。

私は細かい違和感にもすぐ気が付くし、色々と注文も多いし、年齢もかなり上だから経験上の教訓もいっぱいある。でも申し訳ないけど、この世界にも半分付き合って貰わなくちゃならない。

2人の人生
あなたの夢もそうだけど、
私の希望も叶えたいのよ笑。


無事に披露宴が開けたら、今度こそお互いに、ちゃんと約束したいと思う。


クリスマス会にて。ステージ前の緊張感

先日、事務局の女の子と、ちょっとした衝突をした。

 

その日から、なぜか落ち込みの連鎖が止まらない。笑

 

 

スラム出身で17才の頃から十数年、ヘルスプロモーター(スラムの家庭訪問をする民生員の様な役割)を続けて来たサンギタ。資格試験のために2週間お休みをしていて、帰って来たら元気がなさそうだった。みんなその様子に気付いていた様だけど、本人は何も言わず、ただ業務中の会話でもツンケンした態度が収まらなかった。

 

 

団体の主催する幼稚園では、毎年クリスマス会が開かれる。私は初めて参加するので今からワクワク。例年どんな様子なのか気になっていた。皆でランチを食べていたら、ろうあ者のアヴィナシュ君が手話で事務局長のアンジェリに「今年のクリスマス会は何日だっけ?」と聞いてきた。

 

会話が聞き取れない彼も、ヒンディー語が出来ない私も、行事の予定を把握するのがかなり遅れる。こちらから聞かないと知らされない事も多々あるのだ。

 

アン「24日よ。楽しみね!子供たちにセーターと帽子と手袋のプレゼント準備しなくちゃ。」

 

わぁー豪華なプレゼント!あとはどんな感じになるんだろう?と思い、

 

私「スタッフもサンタのコスチューム着るの?」と、何の気なしに聞いた途端。私の向えに座っていたサンギタが、

 

「着る訳ないでしょ!私はジョーカーじゃないし」

 

そう言って、私たちが何か言う前にプイっと立ち上がり、食べ終わった食器を持ってキッチンに去って行った。プリプリ怒って。笑

 

 

「ジョーカー」って、、、??多分「道化師」の様な意味合いで、「笑われ者」にはならない!(バカにしないで)って事だとは思ったけど、あまりに突拍子もない事だったので、私もつい気になって、キッチンに様子を見に行ったのが間違いだったかもしれない。

 

どうしたの〜?大丈夫?と話しかけても、「あなたとは話したくない」とプイっとオフィスに逃げて行く。これを、見逃せなかったのが私の弱さだったんだろうか。

(と言うか、小さな事を大事に広げたくないけど、言わなきゃならない事は言おうよという感じでいるから、それなりの事が起きるのはしょうがない。)

 

「ちょっと待って」と、言ってしまった。笑

 

「クリスマスにサンタのコスチュームを着るのか聞いたのであって、あなたがジョーカーだなんて言っても思ってもいないよ。。。どうしたの?」と。

(我ながら、嫌な奴ーー笑)

 

サンギタは再び「別に何でもないし、話したくもない。関係ないでしょ」と言って逃げようとした。ここでそっとしておいてあげられたら、、、と今は後悔している。でもこの時私はただ、次にかける言葉に迷って、そこに立ち尽くしてしまっていた。

 

「分かったわ。アイム・ソーリー!これでいい?」

 

そう言って、彼女はオフィスに立ち去った。

 

。。。。

 

 

この一件があってから、私はフリーズしたままだ。それどころか、彼女ともオフィスとも直接的には関係のない、自分の中で絡まり合った私的な感情が次々を湧き上がり、そのどれもが強烈な威力で私の平常心を奪って行く。

 

何やってるんだろうな。。。

 

 

強烈な無力感。何をどう頑張っても、良かれと思って最善を尽くしても、私は誤解されたまま、この異国では誰一人として私に心の内を明かしてくれる人もなく、誰かと心の通う温かな日常も、ずっとずっと味わえない。

 

 

こんな風に、負の連鎖の連想ゲームみたいに一直線にネガティブな結論に至ってしまうのは、やはり私が弱いから。彼女が悪いんじゃない。むしろ彼女は全然関係なかった。それも本当、失礼な話。

 

 

こういう場面、反抗期の小学生を教えていた時は日常茶飯事だった。反抗して突っ張って、何を言っても跳ね返してくる小さな身体の中には、いつも切ないSOSが見えた。家庭の事情も把握しているから、どうしてそうなっているのかも予想がつく。家庭では誰にも助けを求められなくなっている状態で、私たち外部の大人にも、再び裏切られるのを恐れながら、それでも少し心を開いて、信頼を試して来る子たち。

 

 

そこまで見えてても、今の私はポンコツ過ぎて、ただただ、無力さ加減に泣けるのと、人のケアどころじゃないよアナタ、って思うのと。

 

 

私はつい、サンギタが気になってしまう。とてもパワフルで、魅力的で、理知的な女性。アートの才能に優れていて、どんな場面でも磨けばすぐにリーダーシップを発揮出来そうな、羨ましいタイプでもある。

 

だから、どうしてたまにもの凄く後ろ向き発言をして、カリスマ性もあるだけに、チーム全員を一瞬地獄に道連れにしちゃうのか、もったいないって思ってしまう。

 

そしてどうして、いつもそれとなく、私に対する態度だけがサイアクなのかも。笑

 

 

たまたまその日は私がチャイを作って皆に出してみるも、彼女だけは断固として受け取らず。。。そんな気分なのか、、、と。相手は良い大人なので、私も「嫌な気分にさせたらごめんね」と謝って、それ以上は介入する気力も湧かず。史上最大に仕事の捗らない1日になった。

 

 

アヴィナシュ君が、笑顔、笑顔!とジェスチャーで励ましてくれる。アンジェリも、大丈夫、気にしないで、あなたのせいじゃないとハグしてくれた。ありがとうと返しながらも、頭がボーっとして来る。

 

 

私はやっぱり、ダメなんじゃないか。

 

 

ザ・暗黒思考が頭をもたげた。笑

 

 

インドで暮らすのなんて。

いっちょまいのインド人みたいに(←変になってる)

インドで仕事をするなんて。

 

インドのやり方で家事をして

インドのやり方で結婚して

インド式の披露宴なんてして

インドの事しか考えてない

インド人の夫と一緒に

一生暮らして行くなんて(←話が飛躍した)

 

 

もう絶対絶対

何もかも

全然無理なんじゃないのーーーー???

 

 

って、最上級のマイナス思考になって

この後そいつが夫に襲いかかるのでした。

 

 

つづく(といいな笑)


象さんも通勤中〜!北インドでは象を見かけるのは稀で、お祭りか結婚式に呼ばれたのかな?朝からラッキー💖✨
星の変わり目が出生の星と葛藤するのか、頑張っても調子の出ない日々。休みたくても気持ちが休まらない。
 
蠍座アセンダント太陽乙女座の皆さん(そうじゃない方も)、お疲れさま(笑)
 
 
先日。お昼を作ってたら、大家さんのお嫁さん(バビジ)が来て(キッチンが共用スペースに面してる。泣)、何かやたらと褒めて来る。
 
バビ「あなたのキッチン用品のセンスが好き。日本のナイフ?どうやって使うの?このハーブは何?何作ってるの?」
 
。。。料理しながら逐一答えてたけど、焦げるわーやめてくれ(笑)と思ってたら、
 
バビ「他の人には言わないでね。あなたはヨガの先生だから言うんだけど、最近眠れなくて。ストレスなんて何もないんだけど。。どうすればいい?」
 
。。。来たな。。?(ヨガの先生じゃないし)と思いつつ、ヨガの先生から習った方法を一通り説明。
 
バビ「私も色々やってみてるけど、全然効果がなくて。お姑さんからいつもヒドイ事言われてるし、この前病院に行ったら血管が弱ってるって。私太ってるからダメなのよね。どうしたらいいの?」
 
。。。やっぱ料理を褒めに来たんじゃなかったのネ(笑)
 
インドの主婦の悲哀は深い。親戚一同3世代で暮らすうちに、自分が本当は何が一番したいのか、自分の身体は何を訴えているのかも分からなくなって行く。
 
この2年バビジを見てると、明らかな運動不足。外出はたまーに徒歩3分の商店街と青空野菜市だけ。自分たちも商店を営んでいて出歩く必要もないから。
 
去年まではアパートの4階の屋上で近所の子たちのTutor(課題添削)してた時は生き生きと楽しそうだったけど、いつの間にかやめてしまった。お舅さん夫婦も高齢になって、本格的に店を任されるのだろう。
 
先生になるのが夢だったと話していたバビジ。私の所に来るなんてめったにないけど、周りに言ったら咎められてしまうから言えない本音を、自分でも分からなくなってしまっていて、もやもや辛いんだろうな。
 
彼女から見たら私、親のしがらみもなく好きな事やって生きてて、羨ましく見えるのかもしれない。
 
話してる間に、長女のディクシャが顔を出した。「ママーご飯は?」って、食べ盛りの12才。「もうママより背が大きいのねー!」と言って見ると、手元にはウチの洗濯バサミ(日本製)が数個。でも私は何も言えずに、これからランチだからと部屋に戻った。
 
。。。洗濯バサミ盗らないで。笑
 
 
このアパートに暮らしていると、このバビジの子供たちの仕業で、物がよく失くなり壊される。共用スペースに置くしかない洗濯バサミは何十個失くなったろう。スリッパもいつも片方失くなり、ディワリの玄関飾りも壊され、植木鉢の花も切られた。今朝は壁の落書きを発見。質問しても、笑って知らないで通す子供たち。
 
駐車スペースをもらえず外に停めるしかない夫のバイクも、シートをカッターで切られ、片方のテールランプを折られたり、先月は夜の間に不審なパンクをしてた。
 
 
本音では関わりたくない。
 
。。。というのが、私の正直な気持ち。この家族はそれぞれが混沌としてて、とても私は責任を負えそうにない。おばあちゃんが無意識でお嫁さんに浴びせる暴言は、お嫁さんを無感覚にさせ、結局子供たちの素行に現れる。
 
最初は温かく見守ろうとしたり、逐一注意をしてコミュニケーションを取ってたけど、もうここまで来ると「引っ越すべし」ってなってた。でも未だ良い物件に出会えず。笑
 
洗濯機を買って共用スペースに置きたいのに、留守の間に何をされるか分からないので、まだ寒い中バケツの水で手洗い。いまだ日常が「戦い」でしかない。
 
バビジには悪いけど、可愛そうだなんて思えない。それよりさっさと目を覚まして、自分を取り戻して、しっかり子供の教育しなさい。眠れないって?寝る暇もなく、めっちゃ楽しく充実するよ!
 
羨ましくっても、
ヨガ教えて欲しくても
モノ盗っちゃいたくても、
傷付けたくなっても、
 
まぁ、いい。
 
そう、私は自由だもん。
楽しく生きてる。
好きにやってるし
幸せで充実してる。
 
そして直感的に嫌なものとは、関わらない選択をする勇気もある。でもそれは、あなたたちが盗っちゃいたくなる様なモノでも何でもないよ。
 
与えられたもの、何不自由なさ、しきたりや守られた場所をぜーんぶ捨てて、捨てて捨てて、かなぐり捨てて、命だけ、ここにいるから自由なの。
 
色んな人たちの心配や憶測、計画も、色んな情も捨てて来た。守ってくれる親も家も兄弟もない。私はまるで裸の自由児。
 
そんなこと、分かってもらえなくて当然だから。
 
 
でも夫の母は、そんな私を分かっているかもしれない。言葉も通じないけど、そんな気がする。何もない山奥の鄙びた農村に嫁ぐ日本人の私を、受け入れてくれるというお義母さん。

 
大家さんとも分かり合えない事ばかりでもなく、ここに住まわせてくれていること、余計な口出しを控えるようになった事とか、本当に感謝している。この部屋だけが生命線だった。
 
 
自分らしくあることでしか、自分の人生は生きられない。
 
 
そう伝えたくて、でもここの人たちの状況も分からず偉そうには伝えられなくて、それでもやっぱり分かち合いたくて、私はどんどん意固地になるのだろう。笑
 
 
実家に帰ってる夫が送ってくれた村の風景。


先日のブログで「殻を破る」宣言をした割に、職場でも一進一退の感じ。私の調子が悪いと皆落ちるのか、逆か、同時か、とにかくシンクロ。全員が割と不協和音に敏感で繊細なんだと感じる。
 
カラ元気なんてバレるしね(笑)
 
 
年齢や経験の責任も感じるし、場を作って引っ張る役割から逃げてても居心地悪くなるばかり。若い子たちだけだと締まらない。余裕を持って自分のケア家庭のことが出来てないと、そこまで手が回らないって初めて分かった。
 
信念がないと、まぁ回せないこと(笑)
 
 
この間日本から、ずっと依頼を受けて来た方からの、新規のお仕事のお話があった。でも今回は納期が1日という際どいスケジュール。こちらの希望を伝えたところ、「Webの仕事はスピードが命。他にお任せ出来る方が見つかったので、今回はごめんなさい」との回答。
 
スピードが命。。。日本にいた頃なら当然と思ってたけど、こうも不便でスピード感も生活の労力も全く違う環境にいると、すでに遠い世界の話に聞こえる。まぁスピード命の割に金曜5時以降の週末は納品不可な方(珍しいよね)だったから、既に終わってたんだけど。笑
 
日本との絆が減るのは寂しいけど、私があちらの世界に戻ることはないので、去る者追わず、出来る範囲でやるしかない。楽しいと思えないお仕事は、完成度にも自信が持てないし。本当に、それこそすごいスピードで、過去からの人間関係もパタパタ整理されて行く感覚が怖いくらい。
 
 
結婚式の準備やお義母さんの体調不良(肝炎。水かな?汗)で夫が村に帰郷してたので、往復タクシー通勤。で、回数が増えれば色んなドライバーに当たる。
 
昨日は寒くて凍えそうな雨が降ってた。帰り道はもう真っ暗。こんな日にウーバーのおっちゃん、家の前までは行けないって言う。
 
ドラ「こんな狭くて危険な道、俺の車が傷ついちゃうよ」
 
こんな狭くて危険で足元も見えないぐちゃぐちゃな道を、暗い中200mも私は歩いて帰るためにタクシー呼んだんじゃないよと喰い下がってみたけど、おっちゃん益々言いたい放題言い出したので、もう面倒くさくて値切って町の入り口で降りた。
 
家でも外でも、闘いは終わらない。。
 
 
本当に泥んこの街灯もない近道を、スマホの灯りで照らして歩く。
 
無視してたのに、おっちゃんの言葉が胸に刺さってた。心無い、ロークラスの貧民だって。こういう言葉やエネルギーと、現実から乖離せずに対峙するには、何が必要なんだろう。きっとそう言われて来たから、言っちゃう人たち。
 
 
夜中の2時半に夫が夜行バスで帰宅した。村のお米やアタ、クルミやお菓子、お義母さん手作りのギーを両手いっぱいに抱えて。
 
元気出さなきゃと沢山作ったけんちん汁を2人で食べた。温かくてホッとした。行きのバスは満席で一睡も出来なかったという夫にも、いつもの笑顔が戻った。
 
どんな日だった?と聞かれたので、あなたが居なくてタイヘンだった、とだけ言ってみた。そう言われると嬉しいみたい。笑
 
 
カルマがグルグルやって来て、変わらなきゃいけないこと、学ばなきゃいけないことを、次から次へと繰り出すけれど、自分の弱さを笑いに変えて、あなたに頼って助けてもらって、おいしいご飯を食べてまた、いくらでも頑張れるよって、
 
言葉も通じないので、言わなかったけど。


帰省した夫が、新築中の家のトイレのタイルを選んだよ!と言って送ってくれた写真。。。笑笑
 
 
空いた時間に日々の出来事や、心の揺れを書いてみるも、色々あり過ぎて未消化なのか、最後まで書き切れず時間切れ。
 
またそんな1週間。現実は忙しなく、刻々と変化して掴みようのない様な、一方でとても大切で大きな変化の只中にある様な。
 
 
「今朝は良い天気みたいだから、車で近所のドラッグストアでも行こうか」
 
「いつも」の様に、そんな事を思って目覚めると、インドの三丁目で暮らしてる自分に気づきハッとする。
 
 
大雪山の麓に素敵なカフェ&ロッジが出来て、家族で訪れバルコニーから山々を望む眺めを楽しんでいる途中に、目覚めることも。リアルすぎる感覚から目覚めても、数分は現実に戻れない。
 
 
今はインドの暮らしを肯定しながらこの日々をこなしているけど、かつては日本での生活を愛おしんでいたこと、今更のようにフラッシュバックで蘇っている。
 
 
料理やお皿洗いをしていると、パカパカと脳裏に映像が浮かぶ。以前は何とも思っていなかった様な、地元の通勤途中の交差点、並木道。コンビニ、近所のスーパー、神社の前の分離帯。意識が飛んでいる訳でもないのに、何でもない画像が突然目の前に浮かんで、不思議に思いながらも、現実の不可抗力に従って日常は続く。
 
最近は忙しく目の前の事をこなすばかりで、先など見えなくて、自分の時間を楽しむ事まで手が回らなかった。「手を休めては、気を抜いていては」風邪やアレルギーにもかかりやすく、ボヤボヤしてるとタクシーや商店でぼったくられてしまう緊張感。
 
何となくいつも、
「負けてはいけない」と
気を張っているインド生活。
 
 
近頃、眠ることが楽しみになっている。スイッチをオフにして、心は自由に懐かしくも美しい故郷の大地を羽ばたいているのだろう。
 
私はつい日本とインドを比べて、「日本は〇〇だったから、インドに来て良かったんだ」と、自分の道を正当化してみたり、逆に「インドは〇〇で日本の良さが身に染みる」と苦労アピールしてみたり。
 
でも行ったり来たりと彷徨う私の無意識は、どちらにいても、何をしていてもただ、幸せを探して歩んでいること、その感覚だけを強烈に伝えて来る。
 
「目標」や「目的地」に達すれば、幸せが叶うのではないかと、息を切らして、今の自分を置き去りにして、不安の中走ってきた今までの私を振り返った。
 
 
毎日お疲れさま笑。
 
もう、不安にならなくていいよ。
 
よくやって来たんだよ。
 
 
あの頃、何にもない町だと思ってた故郷の風景が今、教えに来てくれていた。何かを成さなくちゃ誰かにならなくちゃと走り回りながら、人に言える夢もなくがむしゃらに生きてた筈なのに、どうしてそんな日々を愛おしく思い出すんだろう。
 
 
今も、つたない夢はある。
やるべき事も、いっぱいある。
 
破れかけてる夢もある。
諦めるのが怖いのだ。
 
 
でも。大病もなく、愛する人と暮らし、お腹いっぱい食べられて、仕事も忙しく、毎晩よく眠ってるっけ笑。
 
関東大震災と大戦を生き抜いた明治生まれの江戸っ子の祖母の口癖を思い出す。
 
「口は動かさないで手を動かせ〜」笑
 
それだけで、十分幸せなんだってこと。
 
 
さっき夫にも言ってみた。
 
「これって今、全部夢なんじゃない?て思うことあるんだよね」って。
 
「そうだね、夢かもね〜。でもハッピーだね!」と夫。
 
。。。
 
何かといつもハッピーな方です。笑
 
 
17才の時から慈善団体で働くサンギタと90才の創設者フレデリック氏。別れの朝でした。
 
 
ええ。精神論です。
キレイ事ですとも。。。
 
 
でも、、、
 
何もかもアベコベに違ってて、何事もスムースには運ばず、それ程報われず、時に謂われのない「理不尽」な出来事に見舞われ、慣れ親しんだ人たちも側にはおらず、お気に入りだった商品も手に入らない。そんな場所は、
 
 
「信じる力を鍛える」のに
 
絶好のチャンス。と思う。
 
 
いや、思いたいだけか(笑)。
 
 
これが自分で選んだ人生。たとえ期待外れ、的ハズレ、見当違い、こんなハズでは!?な事だらけでも、この旅を楽しむ以上の策はない。
 
 
私って人は大概が見切り発車で進んでるので、障害が訪れて当然かもとも思う。私たちは好きなこと、惹かれるものやワクワクを追いかける中で、見た事のない世界に足を踏み入れることがある。怖くて当然。ストレスが出ても自然なこと。
 
 
心身の健康を守るために思い切って距離を置いたり、それまでとは人が代わった様に強く主張を通したり、見た事のない「自分」と出会ってドギマギしてしまう。
 
 
信じることは、難しい。
 
 
諦めてしまって、まぁこんなものよと平気なフリしてだって何年かは持つし、周りのせいにすれば一時的にスッキリもするし。でも、それではどんどん、人生がつまらなくなってしまう。結局は、行き詰まってしまう。
 
 
環境を変えても、目標を変えても、どんなにキラキラの場所で、どんな素晴らしい仲間に恵まれても、結婚しても、昇進しても、自分を置いてきぼりにしたままでは、自分の人生のコマは進まない。それでも、時間だけは止まってはくれない笑。
 
 
年齢や経験を重ねることって、
色んな危うさも秘めてる。。。
 
 
これ、ここ数年の実感(笑)。老いや病を感じない健康な日々でも、自分が経験したことのある範囲内で、堅実に、確実に、常識的?にあろうとすればする程、自ら築いた小さな現実の中に、生きて出来ることの可能性を封印して行くようで。
 
そんな小さく封印した世界はもう、飽和状態な気がする。自分たちだけの正義や価値観、利害や、常識で固められた世界では、お互いを指差し合うしか、やり方を持たないのだから。
 
思えば日本では、溢れる情報やそれに習った生き方が、どんどん出来なくなってくことが怖かった。私は私で大丈夫!って、既存の価値観では証明出来ず、自分に問うしかないって感じた。
 
 
ヨガをしに、インドに行く。
毎日続けて、資格を取る!
 
 
とにかく、やりたい事を悔いなくやって生きることにした。本当に嫌な事は全部やめた!笑。不安はあったけど、仕事も好きなものだけ続けた。
 
 
今思えば、私の心は、海外移住したかったわけでも、国際結婚したかったわけでも、ヨガを教える意志があったわけでもなく、
 
私を置いてきぼりにして生きて行くことが、もう出来なくなってた。
 
 
 
自分を信じること。
私の人生を生きること。
 
 
それは、この地に移り住んだ今も簡単なことじゃない。異文化な価値観と、多数決の正義に押し潰されないように、ただただ耐え忍んでいる時もある。
 
嫌でも新たなやり方に譲歩しなくてはならない時もあるし、でも逆に、やってみたら合理的で慣じんで来てしまった習慣も笑。
 
 
インドでは一見、
 
不衛生、非効率、時代遅れ、怠けてる?余計なお世話、能天気、受動的、迷惑、
 
等々なことが溢れてる。
 
 
しかもインドに住むことの「良さ」は何故にか説明しにくい笑。分かりづらいの。それは、直接的と言うより「二次的」で、どちらかと言うと「精神的」なメリットだから(私的な見解です)。
 
 
私は、モノも便利も情報も飽和状態の自分をやめて、すっごく不便なインドに来て、結局は良かったと思う。
 
 
(中年クライシスなど問答無用で、未知のサバイバルに挑戦できるから、ではなく笑。)
 
 
毎日
色々な人たちが
色々な事をおっしゃっても
やっちゃっても
 
何がなくても
逆に、何かが失くなっても笑
 
 
この場所だから、この人たちだから、笑って許せる気がしてる。
 
 
逆に私も、笑って許されてるんだって。
 
 
 
怖い。
でも怖れながら生きていたくない。
 
嫌い。
でも知らないだけかもしれない。
 
出来ない。
だって、やった事がないだけ。
 
 
そうやって、日々を重ねてみたら、怖かったこの町が懐かしい風景になり、嫌だったインド料理を毎日作るようになって、出来っこなかったヒンディー語も、カタコトで間違いだらけの冗談にすることを覚えた。
 
 
あんなに避けてた人からの視線も、あのおじちゃん、あのお兄ちゃんみたいな顔つきを見る毎に、ああ、ただ珍しいだけで他意はないと、悪意のないものを見分けられるようになった(本当に嫌な時は許さんゾ)。
 
 
周りにオープンでいながら、変容し続けて価値観を変革しながら、3食カレー食べながら笑、それでも自分らしくあるって、出来るの?
 
そう思ってた。
 
 
自分を信じるって難しい。でも、不思議と結果裏切られることはない。それは自分の選んだ人生に責任を持つことだから。無理することもないし、何を辞めてもいいし、楽しく幸せに生きるだけ。
 
 
悩んだ分だけ、勇気を出して変われた分だけ、必ず生きる実感になって帰ってくる。
 
疑ったり、怖かったり、周りのせいにしたり、夫にあたったり、この世の中の誰も信じられなる日もいっぱい、いっぱいあるけど。
 
 
この先くじけそうになっても、心の声を信じること、生きたいように生きること(笑)だけは、譲らずにいたい。
 
昨日行われたスラムの幼稚園の運動会では、全員が金メダル!地域の大学の善意の寄贈に感謝💕
 
北海道では遅い初雪が降ったとか。夏は暑すぎて動きにくい北インドでは、秋から祭事、結婚式、行事が多く、忙しさは続くけど、ふとした瞬間に感じる風と日差しが心地良い。
 
明日は久々に丸1日お休みがもらえると言う夫。巻きすぎだったネジを緩める時間も必要。
 
 
 
 
私の職場ではてんてこ舞い状態が続いた。御歳90才になる、この非営利事業の創設者が、引退を前にアメリカから訪れ滞在中。勿論、引継ぎ事項が山とある。各尺として温厚なアイリッシュ系の医学博士のフレデリック氏。ショーン・コネリーとサンタクロースを足して2で割った感じ(分かる?)で素敵な人だけど、いかんせん、今ではパスワードとメルアドの区別も怪しい。奥様のロバータと、記憶と記録を掘り起こす作業が続く。
 
事務員の若い女性たちは、老夫婦が1か月もの間、事務所でもある住宅に滞在することを負担に感じている様子。15分置きに「エクスキューズミー」と、
 
定規はどこ?お湯は出ないの?ここに置いてあった本は?洗濯婦はいつ来る?ドアが閉まらない。スマホのチャージが出来ない。。。等と声がかかる度に付き合わなくてはいけない。
 
温厚なフレデリックが物忘れをする度に、イライラを募らせたロバータが「さっき言ったばかりなのに!もういいわ(ぷいっ)」「ハニー、そんなに怒らなくてもいいじゃない」と、オフィスのすぐ横で始まるのを、パソコンに向かいながら聞いてなくちゃならないし。
 
 
見ていると、インドの子たちは「よその人」とは不要に関わらない習慣がある。仕事のタテ割りも明確で、「言われた事をやる」のがほとんど。スペインにいる上司が、「うちの職員、リアクティブ型なんだよね」と言う意味が分かる。日本で言うような「気の利く」行動はあまり見ない。私はたまに(時間ある時にでも予め説明しとけば)と思うけど、「予め」がない。予定は全てトップダウン。
 
 
「よその人」が遠い分、「内の人」は気心知れて近いらしく、息抜きに皆でケンカ口調や冗談を言い合って、女子高生の様にじゃれ合ってる。いつの間にか3人寄り集まって1つの案件にかかってる事が多く、きっと集団主義ってインドでは、効率よりも価値があるんだろうと想像するばかり。
 
 
代表が留守の忙しいある日、皆で食べるランチ中、女子3人でヒンディー語の会話が盛り上がり、1人で抱える案件で頭がいっぱいだった私も会話に介入できず、結果一言も話せずに終わったことがあった。そんな時はろうあ者の職員アビナーシュ君と2人、ポツネーンとなる。
 
家に帰って夫に泣きついてみた。
 
どうしてインド人はもっと周りの皆と仲良くできないの?自分たちばかりで盛り上がって、機嫌悪いと挨拶もないよ。日本だったら絶対にない。最低限のマナーだよ。と。
 
夫「そんな事があったの。ソーリー。本当にソーリー。嫌な思いをするなら辞めていいんだよ。」
 
そうよ。その通りよ。
 
夫「僕の職場でも、みんな機嫌悪いと一言も話さない事あるよ。でも誰も悪気はないんだ。気にせずまた別の時には冗談言い合ってるよ。君もそんな事気にせしないで、来月洗濯機買うまで冗談でも言って、それから辞めよう。ね?」
 
。。。結局金か!笑
 
 
翌日。夫の言った通り、朝からいつもの英語ヒンディーちゃんぽんジョークで責めてくるインド女子たち。アビナーシュ君も彼女たちのセルフィ大会に駆り出されて嬉しそう笑。そうだ、ここはインドなんだ。
 
トップダウンの指令がビシビシ降りて余裕を失くしても、根拠のない自己肯定感を失うことは決してない、強い女性たちの国。
 
変に「気を利かせ」たつもりでいる私が、頼まれてもない仕事をしながらロバータと団体の今後についての話を聞いてると、女子たちは怪訝そうにこちらを伺って心配してくれる。そしてコッソリ耳打ちしてくれるのだ。
 
(もう4時半よ!帰らないの?)と。
 
 
言われたことをザックリこなして、颯爽と楽しげに帰って行く後ろ姿を見送りながら、まだまだ見えない仕事の話をしている(先進国)の自分たちを不思議に思った。
 
効率化とか、気を利かせること、仕事において経験を積むことや、自主性とか。
 
大切にしてきたものの先に、幸せはあるんだろうか。インドでは、そうでもないんだろうかって。
 
 
「インドの貧困はなくならないわよ。この先ずっと。だから事業にもなるの。」事務員の1人、クールなスワティは自信たっぷりに言う。
 
その通りだと思う。
 
でも、貧困を改善するための支援も、なくならないでと願わずにはいられない。
 
どうして私たち(外国人)は、インドのスラムを支援したいと思うんだろう?自分の母国でもないし、誰もがそれ程余裕があったり、余力に恵まれている訳でもないだろう。
 
私は、少しだけでも改善を見ることで、「大きな幸せ」の一部になれたような気がするからかもしれない。自分だけの幸せよりも、ちょっとだけ大きな幸せ。一人では決して出来ない経験をしたり、自分の視野を超えた見方を知ったり。インドに暮らしていても、社会との接点が少なかった私。地域に根ざすことで学べることや安心感が大きい。
 
そして、おおらかで強く、光も影も内包するインドの中に、人間の普遍的な幸せが垣間見える気がしてならない。外国から支援に訪れる人たちはきっと、一緒にそんな光を見たいのだろう。見たことのない幸せを、一緒に探したいのかもしれない。
 
 
今は言葉少なく、多くを語るより、紳士的なジョークで皆を和ませることの方が多いフレデリック氏。小さな事でも放っておかずに後世に引き次ごうと、毎日現場に出向いて指導して、事務所の建物の不備も自分で直したり、若いスタッフの手を止めさせないご老人だけど、年老いたその瞳の奥は、いつもキラキラ輝いている。
 
国境も年月も、文化の違いもどんな制限も
幸せの光を遮るものは、何もない
 
そのことを、自ら渡印して伝えに来てくれていること。忘れずに、胸に刻もうと思う。
 
 

ディワリまで1ヶ月もの間、インド家庭は幾つもの行事で忙しく出費も多く、ワクワク半分戦々恐々だったのが、昨日のティッカ(姉妹から兄弟へのお祭り)で、やーーーーーっと終わった(ぽい)!

 

日本人の私にはストレスも多く、免疫やられた所に今こちらで凄く流行っているウィウル性の皮膚疾患にもバッチリかかって辛いす。(←誰に聞いても病名がハッキリせず。「とびひ」?知ってる方教えて!)

 

来年は行き当たりバッタリで困らない様に、しっかり段取り組んで計画的にこなしたい。日本でも北海道生まれの私は、こんなに連続で祭事があることに慣れない。しかも常に「インド式」「インド人として」振舞うことを暗に周りに求められるインド人の妻。正直「知らないし聞いてない!」って事のオンパレード。もー全身痒くもなるよね笑。

 

 

夫は毎日10時間勤務で1ヶ月間休みゼロ。家庭崩壊しますよ。昨日ようやく1日だけお休みだったのに、1時間離れた郊外の義姉の家に「ティッカ」の儀式に手土産付きで出向かなくてはならず、バイクで大気汚染の建設ラッシュの中を往復するだけでも私はフラフラ。

 

その上義兄(夫の実姉の旦那)がまた、変な尋問をしたがるご病気を発動中だった。

 

義兄1:

結婚式が終わったらアシーシは日本に行くのか。

結婚したら君はアシーシのビザを取るのか?

労働ビザを取るために援助する責任がある。

 

私「・・・」(日本には行かん言ったやろボケ)

 

義兄1:

インドは競争が激しく良い職が得られない。

インドでアシーシは収入が少ないから、

君もインドで働く必要がある。

俺はアシーシの仕事は見つけられない。

 

私「・・・」(お前カンケーないやろが笑)

 

 

義兄1:

アシーシは長男だから村の実家の面倒も見るんだぞ。

母親の面倒も君たちが見ることになる。

村で暮らしてビジネスを起こすしかない。

 

私「・・・」(オッサン頭オカシイで死ね。)

 

 

私、対外的には真面目過ぎるくらいなので、この「・・・」の間は一生懸命普通のロジックで受け答えをしていたワケです。

 

「以前もお答えしましたが、アシーシも私の日本に移住する気持ちは最初からありません。アシーシはインドも故郷のお母さんも大好きで、今の仕事でも有能なので、インドでの将来は見込めます。あなたも同じ業界なのでよくご存知だと思います。何かチャンスがあれば紹介してあげて下さい。」

 

「日本で労働ビザを取っても、特殊技能も資格もない開発途上国の外国人が得られる職は限られていて、日本の物価を考えると預貯金ができるとは思えません。日本人と結婚していても、日本では特段に優遇措置はなく、本人の力量次第です。行きたくもない人が成功できる社会じゃないです。」

 

「村で暮らすと言っても、外国人の私は文化も習慣も全く違うので、今のチャンディガールの生活でさえままなりません。それが現状です。現状を踏まえながら、できる限りで改善して行く気持ちはあります。今は収入も少なくて援助できる状態ではないので、何よりアシーシの収入の改善に集中して取り組む時期です。」

 

。。。と。聞いちゃないけどね笑。

 

 

しかも夫が甥っ子と薬局に出かけた隙を見計らって、私が1人になったところを強制尋問。どんだけチキンじゃ。確かに夫がいたら、

 

「何言ってるの兄さん、考え過ぎでしょう。そんなに行きたいなら自分で日本に行ったら?」

 

って、揚げ足取られるのがオチ。しかもそれに逆上してケンカになりかねない。一応このヒト、家族の年長者ではあるけど、おムコさんだし、カンケーねぇし笑。実際に何の手助けもしようとしないのに、口だけは出したがるのは責任感じゃなくて偽善に見えて仕方ない。

 

まぁでも、夫がまだ村から出て来たてのヤンチャ盛りの頃に、家に居候させてくれて、最初の仕事を紹介してくれた人でもある。可愛がってもらったし、数々の心配もかけて、まだ自立できるなんて認められない気持ちも、分からなくもないんだけど。

 

でももう、立派な大人なんです。

過度な心配の魔の手からは離れる時期。

 

 

自分で決めて、自分で始末もつけられる。

 

そうして行かなきゃならないのが夫婦。

 

迷っていては望む場所には行けない。

 

私たちには、目的がある。

 

誰にも止めることは出来ないよ笑。

 

 

 

。。。。ってね。出来れば夫に言って欲しかったかな。まだまだ、冗談半分で誤魔化して終わりにしてしまって、次回同じ目に遭うパターンを繰り返しちゃうんだけど。

 

 

行動で見せて行くしかないんだろう。

 

 

日本人の私は、今までの人生も経験も知識も常識も、これからの人生の目的も行き方もきっと、すでに全然違っちゃってる。元々、彼らの想像の範疇になど居ないんだもの。不安にさせるのは申し訳ないけど、信じてもらって頑張るしかない。

 

 

この「行動」が、今までは祭事や行事には絶対に参加して「誠意を見せる」事だったり「礼を尽くす」ことだったり、多少なりともインドのやり方に習って「郷に従う」ことだったりしたのだけど。これからは、私たちだけの道を私たちなりに築いて証明して行くっていう、分かれ道に到達しつつある気がする。

 

 

どんなに手助けしたくても、出来ない時期って、親子にも訪れるものだと思う。避けては通れない成長の過程。ここを越えなくちゃ幸せになんてなれっこない気がする。誰のものでもない、自分たちの人生。

 

 

って大口たたいても、具体策はほとんど白紙。

 

 

 

やっぱり実家でインドカレー屋でも開こうか。笑