北海道では遅い初雪が降ったとか。夏は暑すぎて動きにくい北インドでは、秋から祭事、結婚式、行事が多く、忙しさは続くけど、ふとした瞬間に感じる風と日差しが心地良い。
明日は久々に丸1日お休みがもらえると言う夫。巻きすぎだったネジを緩める時間も必要。
私の職場ではてんてこ舞い状態が続いた。御歳90才になる、この非営利事業の創設者が、引退を前にアメリカから訪れ滞在中。勿論、引継ぎ事項が山とある。各尺として温厚なアイリッシュ系の医学博士のフレデリック氏。ショーン・コネリーとサンタクロースを足して2で割った感じ(分かる?)で素敵な人だけど、いかんせん、今ではパスワードとメルアドの区別も怪しい。奥様のロバータと、記憶と記録を掘り起こす作業が続く。
事務員の若い女性たちは、老夫婦が1か月もの間、事務所でもある住宅に滞在することを負担に感じている様子。15分置きに「エクスキューズミー」と、
定規はどこ?お湯は出ないの?ここに置いてあった本は?洗濯婦はいつ来る?ドアが閉まらない。スマホのチャージが出来ない。。。等と声がかかる度に付き合わなくてはいけない。
温厚なフレデリックが物忘れをする度に、イライラを募らせたロバータが「さっき言ったばかりなのに!もういいわ(ぷいっ)」「ハニー、そんなに怒らなくてもいいじゃない」と、オフィスのすぐ横で始まるのを、パソコンに向かいながら聞いてなくちゃならないし。
見ていると、インドの子たちは「よその人」とは不要に関わらない習慣がある。仕事のタテ割りも明確で、「言われた事をやる」のがほとんど。スペインにいる上司が、「うちの職員、リアクティブ型なんだよね」と言う意味が分かる。日本で言うような「気の利く」行動はあまり見ない。私はたまに(時間ある時にでも予め説明しとけば)と思うけど、「予め」がない。予定は全てトップダウン。
「よその人」が遠い分、「内の人」は気心知れて近いらしく、息抜きに皆でケンカ口調や冗談を言い合って、女子高生の様にじゃれ合ってる。いつの間にか3人寄り集まって1つの案件にかかってる事が多く、きっと集団主義ってインドでは、効率よりも価値があるんだろうと想像するばかり。
代表が留守の忙しいある日、皆で食べるランチ中、女子3人でヒンディー語の会話が盛り上がり、1人で抱える案件で頭がいっぱいだった私も会話に介入できず、結果一言も話せずに終わったことがあった。そんな時はろうあ者の職員アビナーシュ君と2人、ポツネーンとなる。
家に帰って夫に泣きついてみた。
どうしてインド人はもっと周りの皆と仲良くできないの?自分たちばかりで盛り上がって、機嫌悪いと挨拶もないよ。日本だったら絶対にない。最低限のマナーだよ。と。
夫「そんな事があったの。ソーリー。本当にソーリー。嫌な思いをするなら辞めていいんだよ。」
そうよ。その通りよ。
夫「僕の職場でも、みんな機嫌悪いと一言も話さない事あるよ。でも誰も悪気はないんだ。気にせずまた別の時には冗談言い合ってるよ。君もそんな事気にせしないで、来月洗濯機買うまで冗談でも言って、それから辞めよう。ね?」
。。。結局金か!笑
翌日。夫の言った通り、朝からいつもの英語ヒンディーちゃんぽんジョークで責めてくるインド女子たち。アビナーシュ君も彼女たちのセルフィ大会に駆り出されて嬉しそう笑。そうだ、ここはインドなんだ。
トップダウンの指令がビシビシ降りて余裕を失くしても、根拠のない自己肯定感を失うことは決してない、強い女性たちの国。
変に「気を利かせ」たつもりでいる私が、頼まれてもない仕事をしながらロバータと団体の今後についての話を聞いてると、女子たちは怪訝そうにこちらを伺って心配してくれる。そしてコッソリ耳打ちしてくれるのだ。
(もう4時半よ!帰らないの?)と。
言われたことをザックリこなして、颯爽と楽しげに帰って行く後ろ姿を見送りながら、まだまだ見えない仕事の話をしている(先進国)の自分たちを不思議に思った。
効率化とか、気を利かせること、仕事において経験を積むことや、自主性とか。
大切にしてきたものの先に、幸せはあるんだろうか。インドでは、そうでもないんだろうかって。
「インドの貧困はなくならないわよ。この先ずっと。だから事業にもなるの。」事務員の1人、クールなスワティは自信たっぷりに言う。
その通りだと思う。
でも、貧困を改善するための支援も、なくならないでと願わずにはいられない。
どうして私たち(外国人)は、インドのスラムを支援したいと思うんだろう?自分の母国でもないし、誰もがそれ程余裕があったり、余力に恵まれている訳でもないだろう。
私は、少しだけでも改善を見ることで、「大きな幸せ」の一部になれたような気がするからかもしれない。自分だけの幸せよりも、ちょっとだけ大きな幸せ。一人では決して出来ない経験をしたり、自分の視野を超えた見方を知ったり。インドに暮らしていても、社会との接点が少なかった私。地域に根ざすことで学べることや安心感が大きい。
そして、おおらかで強く、光も影も内包するインドの中に、人間の普遍的な幸せが垣間見える気がしてならない。外国から支援に訪れる人たちはきっと、一緒にそんな光を見たいのだろう。見たことのない幸せを、一緒に探したいのかもしれない。
今は言葉少なく、多くを語るより、紳士的なジョークで皆を和ませることの方が多いフレデリック氏。小さな事でも放っておかずに後世に引き次ごうと、毎日現場に出向いて指導して、事務所の建物の不備も自分で直したり、若いスタッフの手を止めさせないご老人だけど、年老いたその瞳の奥は、いつもキラキラ輝いている。
国境も年月も、文化の違いもどんな制限も
幸せの光を遮るものは、何もない
そのことを、自ら渡印して伝えに来てくれていること。忘れずに、胸に刻もうと思う。