ディワリまで1ヶ月もの間、インド家庭は幾つもの行事で忙しく出費も多く、ワクワク半分戦々恐々だったのが、昨日のティッカ(姉妹から兄弟へのお祭り)で、やーーーーーっと終わった(ぽい)!
日本人の私にはストレスも多く、免疫やられた所に今こちらで凄く流行っているウィウル性の皮膚疾患にもバッチリかかって辛いす。(←誰に聞いても病名がハッキリせず。「とびひ」?知ってる方教えて!)
来年は行き当たりバッタリで困らない様に、しっかり段取り組んで計画的にこなしたい。日本でも北海道生まれの私は、こんなに連続で祭事があることに慣れない。しかも常に「インド式」「インド人として」振舞うことを暗に周りに求められるインド人の妻。正直「知らないし聞いてない!」って事のオンパレード。もー全身痒くもなるよね笑。
夫は毎日10時間勤務で1ヶ月間休みゼロ。家庭崩壊しますよ。昨日ようやく1日だけお休みだったのに、1時間離れた郊外の義姉の家に「ティッカ」の儀式に手土産付きで出向かなくてはならず、バイクで大気汚染の建設ラッシュの中を往復するだけでも私はフラフラ。
その上義兄(夫の実姉の旦那)がまた、変な尋問をしたがるご病気を発動中だった。
義兄1:
結婚式が終わったらアシーシは日本に行くのか。
結婚したら君はアシーシのビザを取るのか?
労働ビザを取るために援助する責任がある。
私「・・・」(日本には行かん言ったやろボケ)
義兄1:
インドは競争が激しく良い職が得られない。
インドでアシーシは収入が少ないから、
君もインドで働く必要がある。
俺はアシーシの仕事は見つけられない。
私「・・・」(お前カンケーないやろが笑)
義兄1:
アシーシは長男だから村の実家の面倒も見るんだぞ。
母親の面倒も君たちが見ることになる。
村で暮らしてビジネスを起こすしかない。
私「・・・」(オッサン頭オカシイで死ね。)
私、対外的には真面目過ぎるくらいなので、この「・・・」の間は一生懸命普通のロジックで受け答えをしていたワケです。
「以前もお答えしましたが、アシーシも私の日本に移住する気持ちは最初からありません。アシーシはインドも故郷のお母さんも大好きで、今の仕事でも有能なので、インドでの将来は見込めます。あなたも同じ業界なのでよくご存知だと思います。何かチャンスがあれば紹介してあげて下さい。」
「日本で労働ビザを取っても、特殊技能も資格もない開発途上国の外国人が得られる職は限られていて、日本の物価を考えると預貯金ができるとは思えません。日本人と結婚していても、日本では特段に優遇措置はなく、本人の力量次第です。行きたくもない人が成功できる社会じゃないです。」
「村で暮らすと言っても、外国人の私は文化も習慣も全く違うので、今のチャンディガールの生活でさえままなりません。それが現状です。現状を踏まえながら、できる限りで改善して行く気持ちはあります。今は収入も少なくて援助できる状態ではないので、何よりアシーシの収入の改善に集中して取り組む時期です。」
。。。と。聞いちゃないけどね笑。
しかも夫が甥っ子と薬局に出かけた隙を見計らって、私が1人になったところを強制尋問。どんだけチキンじゃ。確かに夫がいたら、
「何言ってるの兄さん、考え過ぎでしょう。そんなに行きたいなら自分で日本に行ったら?」
って、揚げ足取られるのがオチ。しかもそれに逆上してケンカになりかねない。一応このヒト、家族の年長者ではあるけど、おムコさんだし、カンケーねぇし笑。実際に何の手助けもしようとしないのに、口だけは出したがるのは責任感じゃなくて偽善に見えて仕方ない。
まぁでも、夫がまだ村から出て来たてのヤンチャ盛りの頃に、家に居候させてくれて、最初の仕事を紹介してくれた人でもある。可愛がってもらったし、数々の心配もかけて、まだ自立できるなんて認められない気持ちも、分からなくもないんだけど。
でももう、立派な大人なんです。
過度な心配の魔の手からは離れる時期。
自分で決めて、自分で始末もつけられる。
そうして行かなきゃならないのが夫婦。
迷っていては望む場所には行けない。
私たちには、目的がある。
誰にも止めることは出来ないよ笑。
。。。。ってね。出来れば夫に言って欲しかったかな。まだまだ、冗談半分で誤魔化して終わりにしてしまって、次回同じ目に遭うパターンを繰り返しちゃうんだけど。
行動で見せて行くしかないんだろう。
日本人の私は、今までの人生も経験も知識も常識も、これからの人生の目的も行き方もきっと、すでに全然違っちゃってる。元々、彼らの想像の範疇になど居ないんだもの。不安にさせるのは申し訳ないけど、信じてもらって頑張るしかない。
この「行動」が、今までは祭事や行事には絶対に参加して「誠意を見せる」事だったり「礼を尽くす」ことだったり、多少なりともインドのやり方に習って「郷に従う」ことだったりしたのだけど。これからは、私たちだけの道を私たちなりに築いて証明して行くっていう、分かれ道に到達しつつある気がする。
どんなに手助けしたくても、出来ない時期って、親子にも訪れるものだと思う。避けては通れない成長の過程。ここを越えなくちゃ幸せになんてなれっこない気がする。誰のものでもない、自分たちの人生。
って大口たたいても、具体策はほとんど白紙。
やっぱり実家でインドカレー屋でも開こうか。笑