共感という命づな | 北インド☆ゆるヨガライフ

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

一時的な絶不調におちいって、日中4時間ぐっすり眠って起きたところ。

 

行き詰まって、自分では何の策も打てなくて、もうダメってうつになっても、私は眠れることが救い。

 

頭の中が悩みでパンパンで、夕飯は焦がすは、朝食は食べれないは。悩みから意識をそらそうとしてもボーッとし過ぎて別の事に集中できず、そのうち息が苦しくてうまく呼吸が出来ず、胃が痛くて吐きそうにも。

 

何ら物理的な障害も今目の前にないのに、私がベッドでウヘーとなっている事について良く分からない夫は、「起きて!」と結構な力でユサユサ揺すって来る。全身が謎に痛い上、肩を掴まれて恐怖心と悲しみしか湧いて来ない。とっさに、とにかく脳に酸素を送ろうとフーフーしてみた。

 

そんな朝。

 

 

分かって欲しい、を

 

勝手に諦めて

勝手に絶望して

勝手に自分を追い込んでいる。

 

 

夫にも、世間さまにも、どうやってこの状況を説明して良いのか分からない。何が不満なの?僕はもっと大変だけど毎日仕事に行ってるよって言われると、さらに何をどう伝えたら良いのかも分からない。

 

今日は病院は必要ないと思うと言って、

満足にご飯も作れずお茶も淹れてあげられずに

出勤して行く夫の背中を見送るだけ。

 

 

眠ることで今は少し癒されるのを感じる。

夢も何も見ないまっさらな世界。

 

起きたら現実が始まって、あれもしてない、これもしなきゃ、全然出来ないってなるかと思いきや、以外と色々、そのままで良いいやと思えた。

 

ここ数ヶ月、夫が帰って来る時間に緊張している。台所が寒くて夕飯の支度が終えれないことや、インド料理を上手に作れないこと等、小さな事が私の中に積もっていた。

 

そうすると、今までそんな事は気にしたこともなかった夫が、それらを気にするようになって、私をたしなめる様になっていた。夫らしくない、別人の様な言動に思えた。

 

マサラを焦がすタイミングなんて些細な事に過ぎないのに、それをたしなめられる事が怖くて、私は益々料理から遠のいてしまう。夫に喜んで欲しくてカレーの練習を続けて来たはずが、がっかりされるのが怖くて仕方がない。私が好きだった夫は、そんな細かいことは気にもせずに笑っている人だった、と。。。

 

夫はただ、私の自信のなさを感じ取るのだろう。

ただそれを反映して言葉や態度で返してるだけ。

 

いくら私が形だけ頑張っても、

不安や、やる気のなさが滲んで見えるから

きっとすごくチグハグでフェイクに見えて

とっても嫌な気分になるよね。

 

今日は退勤後に友人の結婚式に行くと言っていた夫。夕方メッセージが来て、やっぱり行かないで帰宅するって。嬉しいけれど、嬉しくないような。少しだけ1人で整理して、この状態から回復したい。この気分だけ夫に伝染して、理由を理解されないままに誤解されてしまうのは嫌なんだ。

 


リージャーヴァリー公園の動くモニュメントと夕日。

 


ここで生活して行くって決めたのは、夫がいてくれたからだった。でも私には、それは危ういこと。恋愛の熱は現実の困難に冷静さを取り戻し、私は私の人生の核が見つけられずに、ずっと探したまま。

 

何か困ったり、夫と喧嘩した時にはいつも「日本にいたら」という言葉をグッと堪えて飲み込む日々。言わなかったとしてもバレバレ。明るい未来がまだ描けない。

 

赤ちゃんを授かった時は、私はこのために生きるんだと思った。でも、つわりに耐え、痛みに耐え、入院に耐えともがいている内に、気がついたら3度も流産していて、心に残ったのは埋めようのない空白、どうしても過去に縛られる感覚。

 

埋めよう、埋めようとしてしまう。

 

本当はもう、すっかり忘れて再スタートしたいのに。取り戻せないのなら、何か他のものでと、焦って漁るような強力な磁力から、自由になれないでいる。

 

 

仕事をすることも、その代替品のようになっていたのかもしれない。いつの間にか、必死になってしまった。頑張らなくちゃ、失敗できない、、、そして今、自分でかけた呪いのプレッシャーで見事に自爆している。

 

禁断の期待を、私は確かに隠し持っていた。

求めても得られないものに、取り憑かれていたんだ。

 

そしてどんどん、ここに在る幸せが見えなくなった。

隣で慈しんでくれる人の気持ちを踏みにじっていた。

まるで「あなたには分かりっこない」とでも言うように。

 

分からなく操作しているのは、自分なのに。

自分自身さえも騙くらかして、

頑張っているフリをしながら。

 

 

Do you love me? と聞かれても今は

正直、よく分からなくて答えられない。

 

I love you! と言われてやっと Me, too!となる。

 

。。。コダマですか?笑

 

 

共感する、歩み寄る、相槌をうつ等々、人間関係で必須とも言えるコミュニケーションの能力が欠如するまで、私は必死に自分の殻の中だけでもがいてしまった。

 

ダレも分かってくれない。

 

という、上から目線の穿った思いにハイジャックされていた。だから職場でも会話に入れてもらえない。英語で話してもらえない。お茶を淹れてもらえない。目の前でチュッチュ始められる、敬意を払ってもらえない。

 

○○人は、△△だ

 

という様なステレオティピカルな表現や断定はしたくないと、凄ーーく気を付けて来たつもりが、すっかりやってしまった。「気を付ける」って、そう思ってイケナイのではない。逆に抑圧してしまうと、実際目の前で起こるカルチャーショックな出来事に開けない。

 

抑圧して内に溜まって思い込むと、しっぺ返しを喰らうのは自分自身。誰にでも心を開く必要はないけれど、きちんとした敬意を持って積極的に相手に対応しなければ、誰だってこちらの「秘めたつもり」の態度に傷つくのだということ。

 

ウツになりたかった訳でも、上手く行かない事を卑下したかった訳でもなくて、私の心は↑を、体験を持って徹底して学びたいんだと思う。

 

 

私は、時間にルーズに見える仕事のやり方は苦手だった。仕事やイベントのスケジュールを知らされない事も不便で不安にかられてしまった。目の前で開けっぴろげに親密な愛情表現をされるのは、気持ちを無視して蹴散らされるようで怖かった。仕事以外の私語で大半の時間が過ぎて行く意味が、理解出来ずに反感を持ってしまった。

 

 

それはそれで事実として、相談できる時に、相談できる人に、表現できる言葉で自分の気持ちを伝えるべきだったのに、抑えて抑えて、自分が具合悪くなる程「大事」にしたのも私。

 

家に帰って関係のない立場の夫に話しても「スッキリ」する訳もない。逆に彼の不安をあおるだけ。家庭の秩序が崩れるだけだ。いつも話を聞いてくれる夫は、ポツリと「家には仕事の事は持って来なくていいよ。全部職場に置いておいで」と言った。そんな事言われてもーと思ってたけど、全くおっしゃる通り。

 

 

きっと分かってくれる。

 

 

急に反転させるのは現実には難しくても、焦らず、押し付けず、無理強いせずに、そう信じていよう。

 

きっと分かってもらえる。

 

きっと、大事な経験だから。

 

私も周りを大切にしたいから。

 

きっと私にも分かる日が来る。

 

 

よし、起きて夕飯の準備をしよう。笑