↑という、お知らせが来た。と言うのもここ2ヶ月ほど、私のお腹は混乱し続けているようで。
帰国してから病院で結構な検査をしてもらったけど、結果は全くのシロ。どんなインドのウィルスや菌が出るのかと思いきや、拍子抜けしてしまった。
予想できる症状としては、昨今よく聞く「過敏性超症候群」らしい。
あぁー、ストレスかー。。
思い当たるところもあるような、
でも気づかぬフリで逃げ切りたかったような。笑
2月のインドでの結婚式の最中でも通常営業だった胃腸さん。それがあれれ?となったのが一時帰国の直前の5月の始め頃(久々のブログがこんな話でスミマセン)。
環境の変化があり、帰国の安堵感もあり、でも連日の泊まりがけの仕事の緊張感なんていくらでもあり。
でもそういうものに「負けない」ように、神経何本か抜いて過ごしてたのが良くなかったのかもと反省するところ。
ここ10年くらいでやってきた自己流の精神衛生保健術?があって、それはあらゆる物事を、
「心配しない」、「憶測しない」
ことだった。
これは私が若かった頃、気が散りやすく心配しがちで、周囲のことやまだ起こってもいない物事への憶測(予期不安)などでパンクしてしまい、20代をかなりブルーに過ごした経験の後に決めた事だった。
心配し過ぎないことも、憶測し過ぎないことも、気持ちが空回りしやすい体質にとっては有効な方法だったのだけど、10年も習慣化して固定化してたのは良くなかったと思う。
だってそれって、実際にある不安、不満、摩擦、嫌悪感などのストレスに長年、
笑って平気で蓋をしてたってこと。。汗
脳が誤った信号を出すことにより胃腸の動きが混乱してしまうという、過敏性超症候群。
。。。。
私、相当無理してたかも。笑
しかも、
自分勝手に頑固な思い込みをしてた。汗

さて
周りを見回すと、何故か定期的に病気や入院をしている人とか、不思議と事故に巻き込まれている人とかがいたりする。それでたまぁに共通の友人たちと心配してその子の話になったりして。
でもしばらくすると本人は元気になるので、良かったねーとなるくらいで、特に何を言う訳でもないんだけど。
でも何年かすると、また、みたいな事ってあって。。。
それって傍目から見ると、やっぱり何かのパターンとして見えることも。それで誰に言わないまでも「そんなに頑張らなくてもいいのに」とか内心思っていたりして。でもその人自身の課題だから、やっぱり何を言う訳でもないんだけど。
と。他人の事はそんな風に見ちゃったりするのに、自分の事はサッパリ見当も付いてなかった事態に、今さら気がつく始末。笑
私、片目瞑って突っ走って来たのかな。
頑張りすぎたとか、そんなコトじゃなく。
私、自分の気持ちを封印してた。。?
怖いとか不安とかの声を無視してた。
本当はもっと安心していたかったのかも。
自分を守ってあげられなかった。。
だからいつも何かが不満だった。幸せな事もいっぱいあっただけど、根底では満たされてない気がしてた。自力で解決出来る範囲のずーっと外に来てしまっていた。自分で自分を満たせる限界を超えていた。
そういうことか?
最近、涙腺がゆるくて何かにつけて涙もろいのだけど、あれ更年期?と思ったけど、多分違っていて。
我慢し過ぎたと言うより、自己流のやり方で自然な気持ちを操作し過ぎたから、出すべき感情がたまりに溜まって決壊寸前なんだろう。
もっと素直に泣ければ、ね。笑
診断が付いてストレスですと言われた途端、何かの糸が切れたかの様に一瞬、頭の中で「インドで大変だったコト・ベスト10!」がパラパラとランキング展開されて行った。
こう言うのも何ですが、泣いてる暇なんてある訳ない壮絶体験が軒並みランク・イン!
身の毛もよだつ最上級の苦痛や恐怖もあった。。
でもそうなってしまったら、文句も言わずやり過ごすしかなかった。
(どんな無力な瞬間も、乗り越えて次に行くしかないのだし。)
でも私の身体には、まだ恐怖や無力感のエネルギーがチャージされたままな気がする。それに抵抗して、色々不具合が来てる気も。
トラウマがトラウマを呼ぶパターン。
もう卒業出来てると思っていたけど、まだっぽい。
多分読んでいる人は「あ、この人、またやってる」とか、気づいてくれてると思う。
でもまた更にマイペースに、ゆっくりやって行きたい次第です(アドバイスも勧誘も受けません)。
とまぁ、胃腸崩壊から、そんな事に気づきつつある昨今です。
ブログの滞った今月は、他にも色んな気づきが目白押しで、急に自分の発達障害スペクトラム具合(過去のね)に気づいて衝撃を受けてたり、私には胃腸よりも守るべき大事なものがあるっていう矛盾に幸せを感じたり。
でも以前は不慮の出来事に対して無力だった私も、
負のスパイラルをひっくり返したい気力だけは満々。
まずはコーヒーとスパイスを辞めてみようと思う。