表題の件については十分可能だがそれは統計のカラクリに過ぎないということは述べた。このような例をいくつか挙げてみる。

(事例1)

A子さんは中学受験を目指す小学校低学年の生徒である。

算数の偏差値が4月は70。5月は65。6月は55だった。A子さんの成績は急速に落ちていると思った保護者が相談に来た。この塾では低学年は基本事項の完全習得が大切だという方針でテスト内容は基本的な計算問題が中心だ。

 

九々のような計算は遅かれ早かれ全員ができるものである。A子さんはもともと計算練習が好きで最初から満点であった。他の生徒も最初は苦労したが塾の熱心な指導の結果6月にはほぼ全員できるようになった。この場合偏差値が70から55まで下がったのは他の生徒が追いついただけのことでA子さんの成績が下がったわけではない。

 

このようなことは高校一年で式の変形や根号の計算など基本的な内容の試験を繰り返し行った場合にも起こりうることである。偏差値は学習の内容まで、踏み込むものではない


 

(事例2)

高2から高3にかけて全国模試の偏差値はたいてい下がる。高校2年では高2全国模試となるが高3全国模試というのはない。大学受験全国模試とタイトルも変わり、浪人が入ってくるので母集団が変わるからだ。中高一貫校は進度の関係で高1・2段階では模試は受けさせないこともある

 

朝日高校を受けたら隣の生徒が灘中学や開成中学の生徒だということは先ずない。だが東大を受ければ周りの受験生は中高一貫校の生徒だらけだ。

 

従って高校受験の偏差値と大学受験の偏差値は全く比較できないのである。


 

(事例3)

一般に低学年から塾に通い、模試を受ける生徒は、家庭の意識も高く成績も優秀と考えられる。また、わざわざ有料の模試を受ける生徒は無料の模試を受ける生徒に比べ成績が優秀と考えられる。この仮説が正しいとして、

 

外部の生徒に無料で模試を開放すると、学年が進むにつれて母集団が平準化する。結果はどうなるか?

 

 

実際には成績が下がっているにもかかわらず偏差値は常に上昇するということもありうる。

 

母集団が変われば偏差値の比較は不可能であるということを良くご理解いただきたい。

 

最後に、社会の人は偏差値で学校を判断しがちである。サンデー毎日とかで最新の偏差値を掲載すると全く受験に関係のない会社帰りのサラリーマンが立ち読みをしてたりもする。

 

 

某大学の偏差値はいくらいくらでなどと書かれているがあれは合格者の平均偏差値(合格者の累積正規分布の50%の値・予備校によって異なるので詳細は略)でいわば人気投票のようなもので、実際に進学した生徒の偏差値ではない。証拠:もし、そうなれば、数学上、偏差値が50以上の大学と50以下の大学は同数でなければならない。

 

予備校も私立大学とのつき合いがあるからデーターを外部に出さないが、進学先で算出した偏差値の資料に目を通すと興味深い。

 

 

旧帝大・一橋・東工大・国立医学部・・・全く不変

 

国立と併願の多い私立医学部・・・やや下がる

私立医学部どうしで併願の多い私立医学部・・・大幅に下がる

早稲田・慶應・・・やや下がる

早慶と併願率の高い私立大学・・・大幅に下がる

それよりやや下位の私立文系・・・目も当てられないぐらい大幅に下がる

東京理科大学・津田塾・中央法学部など専門家の間で評価の高い大学・・・意外と下がらない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



以前に四国の有名中学が合格最低点を実際より高く発表して問題になったことがある。真っ当な入試をやっている学校なのであろう。

 

極端な難問と易問を組み合わせなくても、配点をいじらなくても良いテクニックもある。それは採点基準を変えるのである

 

 

受験生によって採点基準を変えれば不正であろう。 しかし、設問ごとに採点基準を変えるのは全く不正ではない。100点満点中80点に相当する問題を異常に甘い採点でおこない、20点を異常に厳しい採点で行ってもなんのお咎めもないであろうし、採点基準まで公表している学校は聴いたことがないし、保護者もそこまで追及しない。

 

 

これをやれば受験者の分布を学校に都合よくコントロールしたうえで、見かけの合格最低点を高くすることもできる。

 

 

立場上、これ以上は述べないが、国語の入試で1番に漢字の書き取りが5問出ていて配点は10点と書いてあれば、保護者は1問あたり2点と思うだろうが、そうしなければいけないという法律はない。

 

5問正解→10点

4問正解→9点

3問正解→8点

2問正解→7点

1問正解→6点

0問正解→5点

 

としても文科省は異議を挟めないであろう。実際にセンター試験(共通一次時代の1989年)で教科間の得点調整のため0点の答案に50点近く点も与えた例があるのだから。しかも事後決定であった。

 

 



ここからは統計学の問題ではない。もともと正規分布をするはずがない集団にそれらしく偏差値をだす塾のテクニックである。

 

それは極端に難しい問題と極端に易しい問題をくみあわせた問題を模試で出題するのである

 

そうすれば、平均点付近に山を作り正規分布らしく見える。偏差値が大きく変動するのも防げる。

 

 

偏差値が一気に30ポイントも下がれば、統計学のカラクリを知らない保護者はびっくりして塾をやめてしまうからだ。大学受験での東大模試も同じである。もともと東大受験生だけを対象とした集団で偏差値を出すことが間違いである。この場合は、問題をいじるのでなく配点をいじればよい。

 

予備校の模試で数学の大問があり、設問が2題ある。易しい設問のほうが配点が高く、難問のほうが配点が低いのはこういった理由である。

 

模試なら良いのだが本番の試験でこれをする中学校がある、そうなれば易しい問題を如何にミスをしないかで合否が決まり、難問に挑んだ生徒が不合格の憂き目を味あうことになる。

 

 

これが中学受験で番狂わせの起こる一つの原因である。「頭が良すぎて中学受験に失敗する」タイプと呼んでいる。

 
 
 
 

 

 

偏差値について書かれたものは教育統計学の専門書がほとんどで中学受験の保護者向けのものは見かけない。偏差値は大変便利なものさしであってものさしに善悪はない。順位は出しても良いが偏差値はけしからんなどといった文部省の役人はよほど統計学の知識に乏しいのであろう。

 

 学校で一番であっても他を引き離してダントツの一番なのか団子状態のなかの僅差の一番なのかわからない。偏差値は全体のちらばり(分布)のなかでどの程度の位置を占めているのかを示すのにとりあえず簡便な指標である。この全体の分布としては正規分布が前提になる。

 

これは様々な分布を重ねていくと正規分布に収束することが数学的に証明されているからだ。しかし、これは作業仮説に過ぎなくて実際に正規分布に完全に従う分布を見つけるのは困難である。


 

中学受験の模試・偏差値は全小学生から無限の人数を集めて無作為抽出するものではないから正規分布するはずがない。


 

わかりやすく説明するためにおしなべた例をとってみる。岡山白陵中学は全部の小学生が受験するものではない。仮に岡山白陵中学を受験するものは公立小学校で上位10%にはいっているものとする。

 

四谷大塚でも日能研でも模試を受けるのは塾に通っていない小学生も含めた中での相当優秀な集団である。

 

小学生をランダムにあつめた模試で一万人中800番から300番まで半年で上がったとしよう。

 

 

500番のアップだ。これは全体の5%、順位があがったことになる。偏差値の変動は数ポイントである。

 

ところが、模試を受けた生徒の上位1000人だけをとりだしてもう一度、偏差値を出してみよう。

 

1000人中800番から300番まで上がったことになるから全体の50%上がったわけで偏差値のアップは相当なものである。つまり見かけの偏差値が拡大されることになる。つまりトップクラスを集めた偏差値35というのは50万人以上が受けるセンター試験の模試の偏差値35とは全く母集団が違います。


 

入塾に試験があるトップ難関塾で教えていたときに最も多かった相談は:

毎回の試験で偏差値の変動が大きい。うちの子はムラがあるのでしょうか?

 

というものだったが、上の理屈を説明すれば、たいていは納得してもらえた。

 

タイトルに戻って結論を述べれば十分可能である。しかし、これが大学入試には当てはまらないこともお分かり頂けると思う。受験生の母集団の規模が違うからである。

 

 

 

 


 

 

 

 

 


https://www.servustv.com/videos/1398690927617-552981173/



もう何が出てきても驚きません。なおすでに CDや DVD で販売されてるものはこのブログでは基本的にYouTube のご紹介はいたしません。

さらにクララハスキルとチャップリンの映像。

2014-08-10


http://www.nikkei.com/article/DGXNZO71658190T20C14A5CC0000/






近畿という言葉は英語の俗語のKINKY(変態とか性・的・倒・錯・者の意) に単に発音が似ているとの事で、近畿大学が、英語表記をKINKI のつかない名前に変えたそうだ。





これがグローバル化なのだろうか?





全くのはき違え。欧米迎合以外の何物でもない。











何故、英語だけなのか。世界の様々な言語から、他の言語を発音だけを見れば、おかしげなこともある、飲み屋での酔客の戯言ならともかく、大学が公式に、名前を変えるとは!





フランス語でベルクソンの創造的進化(L'evolution créatrice レボラシオン・クレアトリス)。





早口で言われると、後半は・・・にしか聞こえない。





他にも、世界には、キンタマーニ高原とか、スケ(ヘ)ベニンゲン エロマンガ島 という地名があるが、恥ずかしい言葉なのでしょうか?





金玉均という歴史的人物に,名前を変えろというのでしょうか?鬼頭さんに、名前を変えろというのでしょうか?下呂温泉に名前を変えろというのであろうか?沖縄に由緒ある漫湖という湖があるがこれも変えろのでしょうか?





ましてや、自分から名前を変えるとは、愚の骨頂。グローバル化をはき違えている。まず自国の文化について学ぶことがグローバル化!











グローバル化というのなら学生に次のように、指導してください。





「近畿という言葉は、世界でも例を見ない伝統のある日本の天皇のお住まいの近くの場所という由緒ある地名です。天皇陛下のお住いの近くであることが恥ずかしいのでしょうか?アメリカ合衆国の建国より古い言葉です。堂々と大学名を名乗ってください。








参考:畿内・・・帝都付近の地


   近畿・・・畿内とそれに近い場所のこと(広辞苑より)





近畿という固有名詞に対して、笑ったり、変な顔をすることは国際儀礼に反することです。





学生諸君に指導する方が先! 





自国の由緒ある文化である近畿という言葉に、もし、笑われたり、からかわれたら、その場で抗議し、謝罪を要求するのが国際人の基本です。日本人ですとか答えたら、乳首人(NIPPLEの俗語としてNIPで乳首という意味がある。転じて女性と…してという意味も辞書に載っています。さあ、国名を変えますか?)






昔、イングランドで東洋の野蛮人か?といわれたから、「自国で禁止されているアヘンを外国に売りつけて、ぼろもうけして、抗議されたら戦争を仕掛けるほど、日本人は野蛮ではありません」と言った。





日本人の誇り(*)があって、そのうえで国際人になれるのです。







(*)日本人の誇りとは、日本人が特別に優れていると考え、他の国を誹謗中傷することではない。他国の文化を尊重するためには、母国の文化を知らないで出来るはずがない。




たとえば、海外でよく聞かれる質問だが「日本人はクリスマス・パーティーの後に、なぜ、初詣に行くのですか?」とか「キリスト教徒でないのに何で教会で結婚式をするのですか?」と聞かれたならば、答えられますか?英語以前の問題です。




(*)ホテルや結婚式場にある教会風の建物は、キリスト教に偽装したものです。神父もインチキ神父です。




どんなにキリスト教を勉強しても答えられないのであって、日本が海外の文化をいかに受容してきたか?を歴史を踏まえて、日本について知ることが必須である。











*因みに、ヨーロッパで聞かれて一番答えに窮したのは「日本ほど平和な国はない。どうしてこれだけ平和を愛する民族が、ヒットラーのような人物と手を組んだのか?」である。








*2016年8月25日追加:




*こういわれたら、戦後処理で英米は共産主義国家であるソ連と手を組んだでしょうと言えばよいらしい。








*しいて言えば日本人はキリスト教を宗教としてではなくて、欧米の文化・哲学として取り入れたから





























































 

 

18歳でダイビングを始めた時のことです。

 

当時インストラクターの神様とも言われたと友竹進一先生にお聞きしたことがあります。archive.is/AQAw8 より写真
 

 

 

それはベテランのインストラクターはどうしてあんならないに空気がもつのでしょうかということでした。

 

答えは息をしなければいいという無茶苦茶なものでした。

 

それから40年してやっと意味がわかりましたベテランのインストラクターが息が長持ちするのはもちろん無駄な動きをしていないとか緊張していないという理由があります。

 

がもっとも大きな理由は次の通りなのです。

 

呼吸のコントロールです

 

水深30メートルならば4倍の酸素濃度を吸っているわけですです。

 

呼吸量を落としてもハイポオキシアにならないわけです。

 

初心者にダイビング中は息を止めないようにと教えることはそれは間違っていないのですが中には過呼吸になるほど息を吸ってる人がいるわけです。

 

なぜダイビング中に呼吸を止めてはいけないのかその理論が分かれば場合によっては呼吸量を抑えるということも必要なわけです。

 

本当にダイビングというのは理論がすべてだと思います

 



2015-01-11 生徒が修学旅行でロンドンに行くとのことを受けての記事です。

 

海外旅行にいくというと、遊びにいってくるように思われるので困る。海外旅行は事前の勉強が全て。ロンドンに行かれるのであれば歴史や政治体制から風習や宗教まで下調べをしていくことを薦める。

 

そうして得た知識や経験が修学旅行での最大のロンドン土産

 

 

予め勉強をしておいた人はここまで違うのかという例を挙げる。

 

 

明治新政府の海外視察団に随行した人がいる。

 

 

因みに咸臨丸は日本製ではありません。

 

東洋の未開の島国から野蛮人が来たということで、向こうの人はこれ見よがしに電気ランプや機関車やらをみせて、どうだ凄いだろうという勢いであったとの事。

 

始めて見たには違いないが、そんな物はとっくに本で読んで、作動の理屈から値段まで全部理解しているのでちっとも驚かない、逆に細かい仕組み・基礎理論を説明してやる、現地の人よりはるかに詳しいのでと向こうの人の方が驚く。

 

 

そうはいってもこれからは欧米の技術を学ぶべきだと考え、実学を薦めたが、ちゃんと、後の人間が「実用的な学」と間違えないように。サイヤンスとルビーを振った。

 

ところが、アメリカで通行人をつかまえて、初代大統領の子孫は今、どこで何をしているのか聞いたら誰も知らないので驚いた。

 

今の日本でも家柄がどうのこうのという人がいるくらいだから門閥制度の残る当時の日本では考えられない!家柄というのを親の敵(かたき)とまで嫌って、山田さん・川田さんが結婚したら新しい苗字は山川さんにせよとまで言った人だ。

 

議会を見学したら、会議で口角泡を飛ばす議論をしている人同士が、その後で仲良く食事をしている。

 

 

日本では考えられない。そこでcontroversyを論争と訳して日本語に導入した。日本でもこれからスピーチが大切だと考えた。

 

この人の偉かったところは理論だけではなく実際に演説の建物まで建てたところだ。西周にしても加藤弘之もここまでしない。なければ無理やりでも作る性格の人らしくウに濁点をつけてヴという文字まで作ったそうである。

 

あなたも、このくらい勉強してから海外旅行にいけば、将来、お札の肖像に選ばれるかもしれませんね。

 
 
 2020年8月追加
 

 これは福沢諭吉のことです。

その後初代大統領リンカーンの子孫がどうしてるのか調べました。子供がいなかったので直系の子孫はいません。

 

 

 

ある中一の英語の教科書から

 

英 文

1. “Good morning.”

2. “Good morning, Miss Brown.”

3. “This is a ball. What’s this?”

4. “I don’t know.”

5. “It’s an orange.”

6. “Oh, I see.”

7. “Good-by.”

8. “Good-by, Miss brown.”


 

 

私の危険な

 

1. 良い朝ですね。
2. 良い朝ですね、ブラウンさん。
3. これはボールです。これはなんですか?
4. 私には知識がありません。

5. それはオレンジです。

6. おお、私は見えました。

7. 神があなたと共にありますように。

8. 神があなたと共にありますように、ブラウンさん。


 

 

1.と2. 「おはようございます」というのは、農耕民族あるいは漁業に従事する民族で、朝が早いということが美徳であることを前提としていますが、世界に通用する文化ではありません。

 

朝が早いという挨拶ではないのは、早くても悪い朝があるのでしょう。

 

今でも「夜の仕事」というと、あまり良いイメージはありませんね。

 

非常に熱い国では、昼間は寝ていて夜に活動します。

 

エジプトでも、夜の11時や12時に商店街が家族連れの客でにぎわっていることがある。

 

アラビアン・ナイトに対してアラビアン・モーニングという言葉は聞いたことがありません。

 

「おはようございます」と「Good morning.」とは、意味は全く違います。


 

2.と8 Miss Brown は「ブラウン先生」と訳せと、一般に学校では言われますが、もともと「先生」という概念は、欧米にはありません。もちろん年長者に対する敬意はありますが、先に生まれた人間を先生と呼んで無条件に上にたてるというのは、主に儒教思想に由来するものです。また、ホテルのチェックインの時に、自分の名前の前に、Mrを囲むところがありますね。

 

海外に手紙を出すときに、差出人として、自分の姓名の前に Mr を付けることもあります。 Mr=・・・さん でもないのです。

 

brotherに兄・弟の区別がないのは、なぜでしょうか?

(参考:末子相続が、ある文化では何故有利なのか?)

 

なお「ブラウン」さんと、色が姓名になっていることは、おそらく、さまざまな肌の色の人が混在したことによる結果だと思われます。

 


 

6. Oh, I see. このsee は、学校では、わかるという意味だから、私は分かりましたと訳すと思いますが、そうではなく、英語では、「見ること」=「わかること」であります。

たとえば、

Show me the way to the station. の「show」とか、


illustrate


insight

 

 

look into ・・・・・・・・・・・などなど。

 

 

このように、「見る=わかる」、という概念があります。

 

また「目からうろこが落ちる」(=知らなかったことが劇的に理解できるようになった)というのは聖書(使徒行伝:Πράξεις τῶν Ἀποστόλων よりの言葉です。

 

ですからここでのseeは「分かる」と訳しなさいと、教えるのではなく、英語では、わかった時に「みえた」とか「見える」ととらえるのだ、というように教えるべきだと思います。

 

 

 

 

4、「そんなことは知らないわよぉ!」というのを英語に訳してください。

「そんなこと」 が主語?

日本語では、「知る」と「分かる」を微妙に使い分けている。さらに「悟る」と「覚悟する」の2段階がある、この2つは英訳が不可能である。

 

 


 

7と8 Good-by. は、辞書を引けば分かりますように、神があなたと共にありますようにという意味ですから、日本語のさようならとは、まったく違った意味です。

 

日本語のさようならというのは、「そのような(さ)状況(よう)であれば、おいとまさせていただきます」、という意味です。

なおこの God という単語は、日本語の「神」という概念ではとらえられないものです。

 

 

 

 

 

英語で会話をすればグローバルとは限りません。このように文化の違いや背景を理解したうえで、英語を学ぶべきです。

英語が話せれば国際人というのは100%間違っています。

英語で何を話すのか?ということが、遥かに重要なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




岡山にある宇野バスの求人広告。


助成金をもらうと、自分の金じゃないからと言って、無駄使いをする。


兵庫県の号泣政治家から、新国立競技場から私立大学から。


どうせ、自分の金ではないから使い放題


町内会の予算から、復興予算でゆるキャラを・・から、第三セクター。




さらには、一日に10万円以上、タクシー代。地球を1周するほどのガソリン代を使う国会議員。




(直接税金でなくても,政党助成金を受けてるから、税金で行ったと言われてもしょうがない。)


全国、いたるところで起きていることだ。




待てよ。似たような発言を聞いたことがある。ああー。20年以上前のことだ。


首都圏で破竹の勢いで伸びている早稲田塾というのがあると聞いて、経営者に話がしたいと言って、いきなり電話したら、どうぞお越しくださいと言ってくれた。


東京まで行ったとき相川さんが言ってたことと同じだ。




岡山県では、県立全日制高校は、生徒一人当たり、約100万円の税金が投与されている。そのことには異議がない。ただ、こっちは税金をはらっている。(私立高校は、大雑把に言って、生徒一人月2万円くらい)



生徒一人当たり年間100万円の補助がでるのなら、ubqも無料で、教えるのですけどね・・・・



教えること以外に能力がない人間だから、生活をかけて、税金を払って教えてるのですがね・・・。