第95審/生命の値段④
壬生と離れてから伏見組付けになっている久我である。
家を出るときには、やるぞ!と口に出してやる気があるようだが、組でこなす雑務はモチベーションがどうとかいうものではない。いじめられながらトイレ掃除である。敬愛する壬生のことがあるから、がんばることができるというようなところみたいだ。
ときどきでてくる半グレみたいなヤクザふたち組だ。介護施設で働いてたから便所掃除得意なんだろうと、掃除が不徹底であると責める。介護施設で働いてなくても久我はなんとなくていねいに掃除をしそうだが、まあ、ただの言いがかりだ。
久我がちょっと黙ってにらんだだけで、反抗的な目をしたと暴行がはじまる。うーん・・・なんてしょぼい連中なんだ・・・。
そこに宇治がとめにあらわれ、久我に車を出すようにいいつけて去っていく。
同じ部屋にいた鍛冶屋が、どうも宇治は気に食わないとくちにしている。で、金髪のほうの若いヤクザに、久我は壬生と連絡とってるはずだということをいうのだった。とってるのかな。プライベートのスマホでLINEとかじゃ、だめだろうな。どうやってやるんだろう。
久我の運転でどこかに向かいながら、宇治は、久我を評価していることを告げる。一歩下がり、周りをよく観察している、役に立ちたいという心意気も感じると。謙遜する久我に、どこと覚えたかと宇治は訊ねる。もちろん、壬生との関係で身につけたものだ。回想のなかで久我は、雨のなか、コンテナに入れた死体を壬生といっしょに運んでいる。溺死体を漁師に処分してもらうんだそうだ。いきなりありえない状況なのが彼ららしいが、久我にはよい思い出のようだ。
「久我 “今”と“いざ”を分けるな。
人の一生は一瞬が積み重なったものだ。
今日死んでもいいように丁寧に生きろ。」
宇治はわかって聞いているのかもしれない。恩師みたいなひとに教わったと聞いて、久我は少し笑うのだった。
白栖医院長は、あんな写真が流出しているというのに、その点について恥ずかしいとかそういう気持ちはないみたいだ。ともかく、相手が未成年で炎上していたことについて、その紹介をした壬生に怒っている。そっか、プレイ写真がしっかり流出していたもんだから、それで炎上しているような気でいたが、相手が未成年だったわけね。まあ、未成年でなくても炎上してたとおもうけど。
白栖は、まず壬生が売ったのではないかというが、秘密を預けている以上、それをいってもはじまらない。誰がネットに売ったか調べてくれと、電話口の向こうの壬生にいう。その壬生は、久我の運転で到着した宇治もいるのだった。
つづく
宇治は壬生と会うために久我の運転で移動していたようだ。なんか、なんだろう、久我は伏見組にばれないように壬生と連絡とっているらしいし、宇治はその久我の壬生に対する敬愛の気持ちを確認した足で壬生に会いにいくし、どろどろの不倫ドラマみたいだな。宇治はなんで壬生に会いにいくのにわざわざ久我を運転手に呼び、しかも久我の壬生への愛を確認したんだよ・・・。
今回の描写で、ふたつのことが明らかになった。久我は壬生と宇治の関係を知らない、宇治は壬生が白栖を陥れたことを知らない、この2点だ。じぶんを慕うふたりのヤクザ両方に、かなり重要なことを秘密のままにして「さあね」とかいっちゃう壬生はやっぱり作中最凶かもしれない。
しかし、笑い事でもなく、ここには九条もからんでいる。九条は、壬生の居場所を知る宇治以外で唯一の人物である。このようにして、壬生には秘密ごとの層のようなものがあり、そこに届くか届かないかで、彼の交友関係は整理できるようである。久我は、宇治や九条ほどに秘密を共有してはいないことになるが、かといって彼が久我をないがしろにしているかというとそうではないのもポイントだ。また、宇治とは友人関係かもしれないが、九条とはどうだろうという疑問もある。友情とはなにか、というような問いに踏み込むつもりはないが、いま現在、壬生と九条がとても仲良しだったとしても、はじまりは仕事の関係だったわけで、それが難しいところだ。仕事の関係とは、つまりたがいにステークホルダーだったということである。現実には、仕事上のつきあいから友情や愛情が生まれてくることはある。壬生と九条の関係は果たしてそういうものだろうか。どうも、ちがうようにおもわれる。高い次元での信念の共有のようなもの、それが、彼らの関係をあのようにさせているのである。壬生は弁慶と義経の関係に九条とのものを見立てたが、弁慶と義経もいってみれば仕事上のステークホルダーだ。しかしこれが、ある段階を超えたとき、友情、もしくは友情に似たなにかになることがあるのだ。
弁慶と義経、壬生と九条のような関係を成立させるのに必要な条件とはなにか。それは、仕事とプライベートの差がないということだ。仕事と、たとえば家庭が、収入という点以外で文脈を断っているとき、これを連続させたものとしての友情は成立しない。一般に、仕事のつきあいのひとと友人になるというときは、プライベートでのつきあいもするようになるということを指すのだ。だが、壬生と九条がそうではないことは自明といっていいだろう。彼らは、プライベートふうに食事をともにしたりもするが、それはどこかおままごとのようである。自他に向けてそういうふりをしているという感じが否めないのだ。彼らには仕事とプライベートのあいだに差がない。だから、九条は職場に住む。壬生にかんしてそのような指標があったかどうか思いつかないが、ひょっとすると今回のような人間関係の階層化がそういうことなのかもしれない。たとえば、久我は壬生を、文字通り命をかけるほど(菅原、京極の件では死んでもおかしくなかった)慕っており、壬生も久我を買っている。こころから信頼している感じが伝わってくる。こういうものと友人関係になったとしても不思議はない。けれども、壬生では仕事とプライベートに差がない。仕事にかんするつきあいについて、冷静にその価値を計量するように、関係性に段階を設けることに、壬生は抵抗がないのだ(もちろんこれはひとつのわかりやすい例としてのことであって、壬生はおそらく久我を守るためにも秘密をつくるのである)。
九条は、職場の屋上で暮らし、事件の死者が残した犬を飼い、まったく異なる倫理観の師匠をふたりもつ。どうしてそういうことをするのか、またどうすればそんなことが可能なのか、それは、九条のスタンスが、つねに「本人」であることを要請するものだからである。彼は、依頼人を選ばない。はためには機械のように、やってくるもののはなしをとにかくよく聞くことで仕事を開始する。それは「手続きを守る」ためだ。弁護士の任務というものが、弱かろうが強かろうが、ともかくやってきたもののはなしを聞くことから開始すると、そういう信念があるから、それを貫徹するのである。そのために、ひとがひととして生きていく過程で必ず帯びてしまう認知バイアスを、可能な限り排除しなければならない。それが、彼に感情を捨てさせた。父や母の墓参りの際には、必ず雨がふる。感情は両親の墓においてきたのだ。依頼人を選ぶものは、それに応じたペルソナを装着することになる。貧乏人をすすんで救済する流木は、人権派弁護士としてのふるまいを自然選び取るだろうし、金持ちばかりを相手にする山城は成金ふうになる。そういう、後天的な、社会が規定する価値のようなものを、九条はまとわない。もしくは、そうならないよう努めている。それが彼に常に「本人」であることを求めるのだ。こうして、「本人」でありながら「感情」を欠くというあの独特の「自然体なのに空虚」な雰囲気をもたらす。
こうしたありようを、彼は物理的にプライベートを排除することで成り立たせる。究極は娘と離れていることだ。もちろん、丑嶋社長がうさぎを愛していたように、九条も娘をおもうことはあるだろう。しかしそれもわずかな時間である。娘が九条と離れていることは、原因でもあり、結果でもある。そんな生きかたをしているものに家庭など維持できるわけがないのである。
壬生と宇治も同じように友情以上のものを感じる仲だが、九条とは逆っぽいのがおもしろい。どうも、壬生にとっての宇治は、いまの「壬生」が成立する以前からの仲のようなのだ。つまり、いってみればプライベートの関係から仕事とプライベートの差がなくなった現在においての超・友人に昇格したわけである。宇治と壬生は9条破棄の信念において交わる。憲法9条と九条がじっさいに今後の作中において交差することがあるのか、その名前は偶然の一致か、わからないが、壬生の人間関係という点でみると、九条と宇治は逆方向から壬生と親しくしているのであり(ここまで書いておいてあれだが、たぶん九条はいうほど壬生に友情の感情をもってはいなそうだが)、9条破棄の信念は、信念ではなくあくまで利害関係の延長で親密な関係を築く九条を否定する感情の比喩となっていくかもしれない。いずれ登場する、壬生が九条に顧問弁護士になってもらいたいという人物も登場すれば、このあたりはわかってくるだろう。その際には、久我の役割も重要になってくるはずだ。ポイントは「仕事」と「プライベート」なのである。
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