今日は私の好きな楽器を紹介するシリーズ第2弾をお届けする。第2弾で取り上げるのは、カリブで生まれた旋律打楽器のスティールパンだ。
スティールパンってどんな楽器?
スティールパンの歴史はまだ浅い。20世紀に入ってからカリブ海の島国トリニダードトバゴで発明された。このことから「20世紀最後の民俗楽器」とよばれるが、いまやカリブを象徴する楽器となっている。
スティールパンはもともとドラム缶を加工して作られていた。ドラム缶の底面を凹ませて音階を作り、それをマレットで叩いて演奏する。その音色はドラム缶から作ったとは思えないほど繊細でキラキラとしている。例えるなら、南国の太陽にきらめく水面といったところだろうか。一方でその音色の中に独特で豊かな倍音を湛えており、なんとも言えない深みもある。
またスティールパンには大小さまざまなサイズがあって、100人規模のドラムオーケストラを編成することも可能だ。トリニダードトバゴのカーニヴァルで行われるドラムオーケストラのコンテストは壮観の一言に尽きる(ドラムオーケストラの演奏を聴きたい方は以下のリンクからどうぞ!)。
(youtubeリンク: NHKのドキュメンタリー「世界の祭り」より トリニダード・トバゴのカーニヴァル)
様々なジャンルで使用されるスティールパン
スティールパンの存在が世界で知られるようになると、陽気さや南国をあらわす表現としてポップミュージックやBGMでも広く使われるようになってきた。
世界的に最も多くの人がスティールパンの音色を耳にしたのは、きっとディズニーのこの曲だろう。
(映画『リトル・マーメイド』(1989)より「アンダー・ザ・シー(Under the sea)」)
日本では、マリオのBGMとしてご記憶の方も多いかもしれない。
(スーパーファミコンソフト『スーパーマリオワールド』(1990)より)
ジャズの界隈では、フュージョン系の音楽で使われている例がある。
ジャコ・パストリアス「ザ・チキン(The Chicken)」
R&B、ジャズ、カリビアン・ミュージックをブレンドして独自の世界を作り出したジャコのバンドにはトリニダードトバゴ出身のオテロ・モリノー(Othello Molineaux)がスティールパンで参加していた。「ザ・チキン(The Chicken)」は、J.Bのバンドのサックス奏者ピー・ウィー・エリスの曲で、ジャコお得意のナンバーである。
ザ・ブレックファスト・バンド「ドルフィン・ライド」
英国のファンクバンド、ブレックファスト・バンドもスティールパンをフィーチャーしていた。これもほぼフュージョンと言っていいだろう。
陽気な音色の裏にあるもの
さて陽気な音色が特徴的なスティールパンであるが、その独特な倍音の中には陽気さだけではない、「哀しさ」のようなものも感じられないだろうか。ここからはスティールパンの音色が持つ「哀しさ」に通ずる、スティールパンの誕生の歴史的・社会的な背景を語っていこう。
スティールパンの生まれたトリニダードトバゴは15世紀末のコロンブスのアメリカ大陸「発見」以来、ずっと欧州諸国の植民地支配を受けてきた。19世紀からはイギリスの植民地となり、1962年に独立を果たすまでイギリスが彼の地を支配した。
植民地ではアフリカやインドから奴隷が連れてこられて、劣悪な労働環境の下でサトウキビなどのプランテーション農業が行われていた。そんな厳しい環境の中で、労働者たちが日ごろの憂さを晴らせるものが年に1度のカーニヴァルであり、そこで奏でられるアフリカ由来のパーカッションによる音楽だったのだ。
19世紀末、支配者側では、カーニヴァルの熱狂によって起こる反イギリス暴動を抑止する目的で金属のマレットを使った楽器を禁止にした。そこで現地の人々は金属のマレットの代わりに竹を使った「タンブー・バンブー」を生み出したのだが、これも禁止されてしまう。その後第2次大戦中の1930年代末から40年代にかけてスティールパンが発明され、大戦終結後はスティールドラムの人気上昇とともにトリニダードトバゴ人としてのアイデンティティを獲得した人々がイギリスからの独立に向けて歩んでいくこととなる。
スティールドラムは遥かアフリカからカリブ海へ奴隷として連れてこられた人々の、歴史・文化・生活の中から生み出された楽器である。だからこその「民俗楽器」なのだ。
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