考え方を変えたいと思っている。どのように変えるのか、理想とするものはない。ただ今の考え方が嫌なので手放したい。

入れ替えるものがないので、今の考え方を手放してしまうと、何も考えない人になる。直感だけで生活すると、他人にも迷惑をかけるだろうし、孤立してしまうだろう。

 物事全てを考えているわけではない、考えていないこともある。脳への負担が少ないからその割合は増えつつある。

直感で動いたことは、高い確率で自嘲することになっている。考え方を変えたい理由の一つは、自嘲するのがつらいからだ。

自嘲を減らすには、直感で対応する事を減らせばいいことになる。

 他人と関係する事に多い気がするから、他人とかかわる部分ほど、考えないといけない。

直感で動いている時は、アルコールを呑んでいることが多い。酔うことで考えられなくなっているのかもしれない。呑むことはやめたくない。アルコールを減らすこともやりたくない。 だから、アルコールを呑んで考える人にならなければならない。

とりあえず、本を読みながらアルコールを呑むことでトレーニングをしようと考えた。

対面で座っている猫が、呆れた表情をしているような気がする。

 

 

 


 

 

 朝に目を覚まし、ストレッチなど日々のタスクを終了させて、図書館に出かける。

調べものもひと段落がついて、興味が引かれるタイトルの本を数冊流し読む。雨が降って寒くなってきたので、アトリエに帰ろうと思う。

帰り道に日用品を買いにショッピングモールに寄る。レジの横にならんだ菓子パンをみて、食事をとっていないことを思い出す。食べながら帰ろうかと思い、菓子パンの棚をみたのだが、種類が多いことに気持ちが萎えてしまい、買うのをやめる。

アトリエに戻ってパスタを茹でて食べる。乾燥した食料はあるのだが、生鮮食品がない、なので塩ゆでパスタ。外国ではこれでも立派な料理名がついていることを思い出す。

暖をとるために、ベッドの中に入り読みかけの本を読んでから少し眠る。

今日は楽器の練習をしようと思っていたのだが、ベッドから出られない。アルコールを呑んでいるわけでないので、頭もはっきりしている。睡眠時間は充分足りているはずだから、体力がないわけではない。

やる気が起きないのは、何が原因なのだろうか?嫌いなことをするわけではないのに。怠け者の素質が充分あることを再認識する。

猫がこちらをじっと見つめている。呆れた表情で。

 

 週末の休暇は、体調不良のせいにして自堕落に過ごす。先日読んだネットのコラムでは、ベッドで腐る、と表現するらしい。腐るのは、回復の為と考えられるのだが、自分の場合は反省しか待っていなかった。誰に迷惑をかけたわけでもなく、予定もなかったのに、自分の中の一人が気に入らなかったらしい。

 過ぎ去ってしまった時間は戻らないので、今日から挽回すればよい。

在宅勤務でPCの前に座って一日過ごす。日中は会社の業務をしているけれど、勤務が終わってからもPCから離れられないのである。活動しないと怒る奴がいるのに、何をしているのだろうか?

こうやって、思考を吐き出しているのだ。猫が毛玉を吐き出すのとは、」少し違うかな。

 体調が悪いかもしれないと感じる。週末に歓送迎会があり、参加した翌日に発熱する。咳や体の痛みはないのだが、腸がぐるぐると鳴り、頻繁にトイレに通う。食欲もなくアルコールも呑んでみたが、続きを呑もうとは思わない。じわりとした汗が止まらないので、体温を測ってみると平熱以上である。

 これが食当たりなのかもしれない。歓送迎会は焼き肉屋で開催され、慣れない人達に進められるままに肉を食べた。自分の焼き加減や食べるペースではなく、他人の焼き加減と誰も食べないであろう、焼き過ぎた肉を沢山食べたからなのではないか。普段は、表面だけを焼いた、生に近いものを好んで食べている。つまり、この食当たりは焼き過ぎた肉によるものなのかもしれない。生を敬遠する親切心があだになる。誰に当たるわけでもなく、睡眠時間を増やして体力の回復を待つ。

病気の気配を感じたのか、猫がベッドから出ていく。

 時間があれば本を読むことが習慣になっている。本のジャンルは不安定だけど、エッセイを高い確率で読んでいる。最近になって芽生えた感情は、作者と自分を比べて、蔑んでしまうことである。自分と同じような能力や生活をしているエッセイを読みたいわけではないのだが、どんな作者だろうが羨ましいのだ。憧れとかそういったものではなくて、人間の黒い感情のような、好ましくないものである。生活に読書を取り入れたのは、少しでも教養を得ようと、自分ができることをやりはじめたのが最初だった。それが、この感情に支配され始めるとは、本末転倒ではないかと思う。

SNSも中毒性があるのだが、投稿者の裏側を想像しやすいから敬遠することができる。けれどエッセイは邪気を感じにくいから、複雑な心境で読み続けることになる。相変わらず自分で首を絞めている。

手の届かない距離をとって、猫がニヤニヤしているような気がした。

 今月は呑みに誘われる機会が多く、週末になるのが待ち遠しく思う。楽しい気分は一瞬で、次の日には空しくなってしまう。

気分が高揚した反動で心は落ち込む。沈んだ心の状態は辛いので、端的に言えばずっと呑んでいたいということかもしれない。アルコールに依存している人たちの中には、こんな心情もあるのかもしれない。外で呑むと酩酊状態で、次の日でもアルコールが身体から抜けきらない。酒気帯びで会社に行く考えはないから、毎晩呑み歩くことはできない。だからアトリエで一人呑む。

猫はアルコールの入ったグラスを匂って、嫌な顔をする。酩酊した人間を知っているからなのだろう。

 会社に出勤するときは、いつも決まった時間に出社して退社する。だから電車に乗る時間も乗客も同じ顔ぶれである。

その中で、月に一度か二度だけ見かける若者がいる。

接点はないので身辺は知らないのだが、背中にスケートボードを背負っているのが特徴的だ。

外国の不良に憧れたような容姿ではなくて、個人にスケートボードがなじんでいるような雰囲気なのだ。その駅を利用しているだけで、どこまで行くのか何者なのかわからない。

 その人を見て思うのは、背中のスケートボードは身体の一部で、後ろに倒れたり、誰かに突き倒されたりすると、スケートボードでそのまま滑り、間合いをとる姿。あるいは、仰向きのまま寝転んで移動している姿である。

奇妙で見てみたいのだが、高い確率で期待を裏切られるだろうからやめておく。

アトリエにいる猫にもスケートボードを買ってやろうかと考えている。

 レコード屋の売り出しコーナーに群がりながら思う。時間は流れているから古いものは減るだけで、今以上増えない。だから希少価値しか生まれない。今まで安く買えていたものは相場が上がっていくだろう。今のうちにできるだけ得を味わっておこうと思い、購入枚数も増え予算もベースアップである。

 アルコールも同じなのかもしれない。未来はわからないけれど富豪になる要素はない。加齢とともに収入は下がっていくのが世の常。だから現役の収入があるうちに高価なアルコールを呑んでおこうと思う。だから予算もあがる。

 猫の寿命は短いことを知っている。だから今のうちに猫が喜ぶ美味しいものを食べさせてやろうと思うのだが、レコードとアルコールに先をこされて逆に予算は削られる。もしも猫が喋れたら「なんでやねん」とつっこまれるだろう。


 

 会社のロビーで、何十年ぶりの先輩と出会う。お互い一目でわかるくらいだから、容姿は大きく変わっていないのだろう。相変わらず元気そうな口調で話しかけてくれたので、少しうれしい気分になる。他人は友好的で元気なほうがいい。だから仕事の話はしないでおく。

 多くの会社員が人事異動にやきもきする季節、自分も歓送迎会に招待される。招待されて悪い気はしないのだが、隣の席のグループが賑やかすぎて、こちらの会話が聞こえない。元気にも程があると思う。

酒場はそんな環境から逃れるためか、タブレット注文システムになっている。

猫の手はタブレットに反応するのだろうか、とふと思う。アトリエに帰ったら試してみようと思ったが、強制的にやると爪を立てられるだけだろうと思い、忘れることにする。

 

 最近は真夜中に目覚めてしまう。体力は自慢するほどもっていないので、暗闇のなかで目を閉じ、目覚ましが鳴るのを待つ。

しばらくすると夢を見るほどに眠るのだが、夢の物語がこれからというときに、アラームが鳴る。色々な夢のパターンがあるのだが、簡単に表現すると、豪華な食事が目の前に並べられて、いざ食べようとしたタイミングで現実に戻されてしまう。中身が違うだけで、いつもこのパターンである。

豪華な食事は夢の中でも縁がないと思い込んでしまう。流れを変えるために、洋風レストランを予約しようと思う。猫を連れていきたいが、マナーがなっていないから断られるだろう。

ペット可でマナー不問となると、いつもの酒場になってしまう。