近代の性犯罪について研究結果をまとめられた本を読む。外国の話なのだがなかなか感情を波立てされられる。

何時の時代も弱者が辛いめにあっていることに憤怒する。私は自分の意見を言うことができるし行動も自由であることに負い目を感じてしまう。別の書籍でも描かれていたが、誰かの助けが本当に必要な被害者は見えないところに居るのだ。

 

 週末によくカレーを作る。スパイスカレーというルーを使わないものである。酒の肴としては少し微妙な位置であり、ビールくらいしか合わせるものが思いつかない。それでもなぜ作るのか、材料の組み合わせやスパイスの種類の多さが男性心を刺激させるのかも知れない。大まかな工程は毎回同じなのだが味に再現性はない。配合や材料の記録は残さない、誰かに食べてもらうために作っているわけではないので評価は都度得らない、アルコールで脳が麻痺した自分の味覚と記憶だけなので評価はない。作る量が少ないのか作り置きストックにもならない。カレー作りに向上心はなく誰かに食べさたい想いもない。ただ作りたいから作るだけだが暇つぶしではない。世の中に暇な人はいないと思っている。玉ねぎを炒めてどろどろのペーストになった時に喜びを感じていることに気づく。カレーを作った日は次の日まで胸が焼け続ける。作る量が大衆的に少なくても自分にとっては量が多いのだろう。胸やけの原因は食べ過ぎだときずいているが改善は行わない。カレールーを使った他人のカレーを食べたときにも胸は焼ける。これは食べ過ぎではなくて小麦粉のせいだと思っている。小麦粉を避けているわけではないが、天ぷらも串揚げも胸が焼ける原因は小麦粉だと思い込んでいる。他人には油が原因だと言われるかもしれないが油をかばいたいのだと思う。何か悪者をつくらなければならない、その結果が小麦粉なのだと思う。そんな小麦粉も別のジャンルに行けばヒーロになっている。人間の作っている社会も同じようになぞられる、または人間が思うから同じようにイメージしているのかもしれない。

それぞれに適した場所はあるのだろう、私にもあるのかもしれないと夢を見るのは自由である。

 クラゲに関する本を読んだ、ただ浮いているだけではなくて流れの中で活動しているのだそうだ。水の流れがないと死んでしまうらしい。意識があるのかは解らないけれど、同じ動きをしている個体はいないそうだ。昆虫好きな人が言っていたけど、どんなに小さくても全く同じ個体はいないから面白いのだと、桜の木はクローンなのでどんなに華やかでも面白くないのだと。すごく関心してしまった。他人の意見に納得できるようになったのは少し大人になったのだと思っている。