初めての飲食店に入ると思考や気分が更新されて楽しい。情報が多い店であればあるほど。

自分が住んでいる街のブックカフェに初めて入る。

民家を改築して営業されており、年配の方がオーナなのだが喋ってみてやはり活力が溢れている。

私が住んでいる場所は古い住宅街で、代々から住んでいる人達ばかりである。私自身のコミニケーションが少ないせいもあり、住民たちのことをしらず、活動的ではないと勝手に思っている。

おそらく新興住宅地に住んでいても同じことなのではないかと思う、住居であり活動する場ではないのが大半だろう。

今回お邪魔したお店のオーナは引っ越してこられた方だそうで、なるほどと思う。

個人店は自分の世界を観てもらえることに幸福を感じられると思う。

一方私は何者でもないので、自分の世界を他人に公開することは基本的にない。

友人を呼んで公開することは可能だが、お部屋自慢だけで終わってしまうので、そんな目的で招待することはない。

個人店を経営している方に嫉妬を感じてしまう部分である。本の内容や美的センスで張り合う意味などないのだが、自分の世界を他人に観てほしいのだと思う。

 

 知らない人達と喋るときに、何をされている方ですか?とよく聞かれるが、只の会社員である。会社員には見えませんねと言われることが多いが、中身は何もない。以前はそれでも何かをひねり出そうと喋っていたことがあるが、振り返ったときに自嘲の種になるので、無駄口は出さないように心がけている。少しは大人になったと思っている。

名刺を求められることがあるが、勤めている会社の名刺しか持っていない。どのように考えても、私がプライベートで出歩いている世界にニーズはない。社会人になって初めて名刺を支給してもらったとき、会社の名刺を持ち歩いていたことがあるが、得られたものは勧誘の電話だけである。だからこの日記のQRコードをカードにして持ち歩いているが、出すタイミングを何時も逃している。

 

 出来るだけ自分を客観視できるように冷静な感情を入れるように努めているつもりである。

おかげで日々、振り返りに自嘲して苦しい思いをしている。最近は誰もが写真や動画を簡単に撮影されてしまうので、視覚情報が残されることがある。注意して観るように心がけねば、自分の思考からの苦しみに油を注ぐことになってしまう。

そこから何かを得て這い上がれる人が、私の対岸側に行けるのだと思っていて私も河を渡りたいと思っている。ほとんどの場合、落ち込むだけで何も得ないし改善もできていない。最近はこうやって文章にして吐き出すことで、前に進んでいると思っている。

呑み仲間達の席でこのような話をしたとき、ヒントを得たと言った隣人はどのように自分を改善をしたのか、それ以来出会っていないので何かが変化したのだと思う。良い方向に行けたと思い込みたい。他人の役にたったと思えば純粋に嬉しい。純粋なものを沢山あつめたいと思う。