週末が晴れたときはなぜか嬉しい。出かける予定がないときは家に籠っているのだが、自主的に出かけようという気分になる。結果として出不精な気持ちが勝ってしまい、出かけないのだが。ポジティブな精神が生まれることに、未来に少し希望が持てる。歴史を振り返ってみても、暗黒時代の中にはいつも白い光がある。同じ時代が永遠に続くことはなく、白い光がひっくり返すことになっている。何年かかるか解らないが、出不精な気持ちをひっくり返す時がくるのだと希望に思う。100年もかかったら、私はもういないけれど。

 

 最近うまくいった料理は白身魚の酒蒸しである。簡単な調理で料亭の気分がそれなりに味わえる。アルコールは日本酒がいい。単品で呑むのも好きなのだが、料理に併せて呑むのも気分が向上する。しかし、私が住んでる周辺エリアには魚屋がなく、買いに行くには出不精な精神と戦わなければならない。仮に戦いに勝って鮮魚を仕入れにいったとして、週末の交通渋滞と市場の人だかりに体力を消耗して、やる気がなくなってしまうだろう。だから、、、このように考えさせられるのが出不精の弁論なのだと分析している。誰か釣れたての魚を土産に、遊びに来てくれないかなどと非現実な期待をいだいている。

文章に出力すれば、買い物に出かけられるかと期待したが、経過時間と比例して気持ちは萎えてゆく。今日は美容院の予約を入れているから、行かねばならない。魚屋も予約をいれておけば出かけられるのだが、料理したいものはその時の気分で移り変わりやすいもので、予約を入れて縛られるのは嫌だ。

 

 書斎のデスクの上には、ルービックキューブが置いてある。借りてきた新しいCDを聴きながら、手持ち無沙汰に久しぶりに触ってみるのだが、まず1面をそろえるのがすごく時間がかかる。次に2面めを挑戦しようとするのだが、やる気はなくなってしまっている。集中力と脳をつかったからだ、この程度で疲れてしまう脳に現状と将来に不安を感じてしまう。過去に”脳トレ”というブームがあったのだが、一過性の流行だったと思い返す。脳も筋肉と同じで使わなければ劣化してゆくだけである。みんなそのことにはきづいているのだが、トレーニングは続かない。楽を選択して転がらないストイックな人は存在している。トレーニングが続く期間も人それぞれなので、比べるものではないことも知っている。やはり自分の敵は自分なのだと思う。