久しぶりに機嫌がいい日が連続する。他人とかかわることのあるイベントが連続していたからだと思う。
他人と一緒にいれば一人の時間が恋しくなり、一人の時間が続けば寂しく思う。寂しい感情はできるだけ体感したくないと思っている。世の中から孤立しているわけではないから、人から誘われることもある。だけど自分から行動していかないと、圧倒的に寂しい時間割合が占めているのが現実である。また、自分から行動したからといって寂しさが必ず紛らわせられるわけではないことも現実である。他人に受け入れられることのほうが、少ないのである。
初めて来店する本屋のイベントに参加する。参加者について参加する前から勝手な年齢層や人となりを想像していたのだが、予想に反して自分より若い世代の人達がいて、興味深い話を聞くことができたと思う。イベントの企画者も若かったと思う。年齢を聞いたわけではないけれど、薄闇の中でそう思っている。くっきり見えない世界は自分にあっている。自分もぼやけて素敵に映ってくれていると思っている。有意義な時間を過ごせたと思えるひと時であった。
イベントに参加して寂しさを感じるのは、閉会後の引き際である。私の参加するイベントは終了と同時に蜘蛛の子を散らしたようにあっという間の解散がほとんどである。
自分のとる行動で次の場面は変わるのだろうが、初対面の異性などには声をかけずらいということもある。
言い訳じみているが、勘違いされてもこちらも腹立たしいのが本心である。結局イベントの続きがある場合はなく、一人でイベントと関連しない別の場面へ移動する。そこで素敵なお店に出会うからさらにテンションは上がるのだろう。
人それぞれ居心地のいいお店はある。それが初めて訪れたお店であっても。新発見でそんなバーに出会えると心が躍る。
何をもって居心地がいいのか?いろいろな基準があるから今の自分には文章化することはできない。
リピートがあるのかないのかは、基準の一つである。高くて美味しくない料理屋に何度も通う人は少ないだろう。料理以外に目的があれば別の基準があるのかもしれないが。飲食をするという無垢な心でおとづれて、自分を受け入れてくれたお店には何度も足を運ぶだろう。たとえ2回目が忙しくて1回目の応対より粗末であったとしても。それぐらい最初のインパクトは大きいと思う。
本屋のイベントに参加した日はすべてに満足であり、上機嫌のまま一日を終えられたと思う。帰りの電車の中でおもうのが、明日への糧にと、昔みたテレビCMが頭のなかでフレーズを繰り返している。
心の感情を逆なでするように体中の毛が逆立ちするような、理不尽なことがあった。
心躍る浮かれた自分を引き締めるかのような出来事。
いつも頭にあるのは、感情的になることなかれという言葉。できるだけ感情的にならないように心がけている。
この日もよく持ちこたえたと自分の成長を褒める。仕事や社会、他人と関わることはかならずあるし、価値観の違いで衝突することは絶対にある。なんとかしたいのは、いいことがあった後日はかならず嫌なことがあるという法則である。1000字を遥かに超えそうなので終わる。