昨日から引き続き体調がすぐれない。嗅覚が一切ないことに絶望を感じている。

予定は入れていないから睡眠時間には余裕がある。家の中にいるだけでは食料が減っていくだけなので買い出しに出かける。連休のせいか平日でも交通量が多く、冷静なときは回避するような渋滞する道路を選んでしまう。酒屋で味をしらない日本酒を4種類仕入れたのだが、嗅覚が復活してからのお楽しみと試飲もせずに眠らせる。未来が楽しみだと思える種を植える。食材屋では、タンパク質が足りていないと思い鶏肉と豚肉を大量に買い込む。嗅覚がないのでカフェには寄らず。

 

 1980年代の外国アニメを友人と見たのだが、友人はつまらないと集中力が途切れる。私はそんなに悪い作品ではないと感じた。人によって受け取り方は様々であると感じる場面であった。人間の辿ってきた歴史を動物に置き換えて、時代は繰り返されることを表現した救いのない作品であった。内容はシンプルで装飾のない無垢なもの。現在の映画はもっと工夫をこなさないと、消費者に受けない難しさがあるのだと勝手に妄想する。悪役に豚を起用していて、すぐに映画に影響される私は豚に悪意を感じて豚肉をむさぼり食べる。何も解決されないが、明日になればそんな気持ちも

豚肉を食べた記憶も薄れてしまうのだろう。

 

 1970年代の外国の映画を深夜に観る。電話が線で繋がっていることに時代を感じる。以前から観ようとおもっていた作品で数年越しにやっと見ることができた。あらすじやキャストスタッフの情報は何もなくて、ジャケットだけで選択した作品なのだが、深夜の間接照明で観る映画には絶妙な作品であった。映画は観た環境が左右すると考えている。映画館なら話は別なのかもしれないが、自宅で好きな時に望む作品を観るときは時間と環境に評価は影響されると思う。作品の感想として私は満足したのだが、私の周りは真逆の評価をするのだろうと勝手に妄想する。私が特別なのではなくて、十人十色の価値観の結果だと思う。主人公はどの場面でもアルコールを呑みつづけて、歯科医の麻酔治療のあともアルコールを呑み続ける。クールに呑むのではなく、ぐでぐででカッコよさは一切ないのだが。

これも映画に影響される私は、体調不良も関係なくワインを呑み続ける。嗅覚はないのでワインを100%味わうことは出来なくても、酔いたいわけでもなく呑み続ける。

映画は一つの言い訳みたいなもので、何をしていても呑んでいるのだと思う。

 

 過去の作品は、その時代を描写していて小道具一つ見逃したくないくらい情報量は多いと思う。