ずっとずっとありがとう
亡き兄に送った最後のメールは2015年8月10日お誕生おめでとうございます♪これからの1年が飛躍の年になりますように数年前伊勢神宮内宮の第1鳥居から朝日が登る冬至前後に拝める景色を添付してお祝いのメッセージを送りましたそれから1ヶ月もしないうちに悲しいお別れもうすぐあれから2度目の誕生日を迎えます私自身6月に誕生日を迎えすでに兄の歳を超えました子供の頃、6畳2間の県営住宅に住み兄が中3、私が中1のお正月まで同じ部屋で過ごしていたあまり覚えていないのですがきっとたくさん喧嘩したんだろうなぁボードゲームが沢山あって野球盤や人生ゲームで繰り返し一緒に遊んだのを覚えていますその後今の実家の戸建てに引っ越してからは一人一部屋ずつで生活するようになると顔を合わせることも減っていき兄が高卒で就職私が高校生になるとほとんど会話もなくなっていきましたお互いに結婚をし子供が生まれましたが兄夫婦は最初の子供を2歳半で亡くしましたある年の12月31日のことでした当時、亡くなった兄の子供は私の息子の3歳下でしたので寝顔がそっくりだと、、、息子の顔を見るのが辛いと言われたのを覚えています母が倒れ長い年月をかけて兄とも連絡を取り合うようになり誕生日にはお祝いメールを送るようになって数年誕生日メールありがとう。52歳です。定年まであと8年。ローンあるから65まで働くのかな!まだまだ楽出来ません。健康に気を付けて頑張ります。これが最後のお誕生日のやりとり今ではメール欄の1番下にどっしり構えて私を支えてくれています昨年の兄の誕生日は記憶がありませんどんな気持ちで過ごしたのかも覚えていないんです私は兄が亡くなった事実は受け止められてもなぜ亡くなったのかをずっと受け止めきれずにいました昨年12月看取り士というお仕事があることを知り柴田久美子さんの講演会に行きました亡くなる方に呼吸を合わせやさしくやさしくやさしく寄り添いありがとうを交わす抱きしめて幸せに旅立つその瞬間に寄り添う参加者のお一人が質問をしましたその質問は私の経験と少しだけ重なる部分がありその体験を聴いていて涙が止まらなくなりました自分がしたことは母の希望に添えず苦しめたのではないかそうむせび泣く質問者の方に柴田さんはやさしくゆっくりとした口調でこう答えられていましたその行為に正解も不正解もありませんあるのは深い深い愛愛だけがあったのです凍りついていたこころの奥底にあった思いが溶けはじめた言葉この言葉を聴いたとき苦しさも悲しさもそこにあるすべてが愛だったことを教えてくれましたあの日あの時答えなき答えを言葉にした経験はすべてが愛からうまれていたことを気づかせてくれました今ようやくなぜ亡くなったのかを受け止められるようになってきています簡単には言葉に出来なくて霧の向こうにあるような自分の気持ちもうすぐ兄の誕生日ずっと欲しかった作品を購入しました以前にもご紹介した酒井敦美さんの作品小さな女の子がお空に向かって伝えていますあの時伝えられなかった想いありがとうずっとずっとありがとうそして昨日、ひと足お先に「のんちゃん、お誕生日おめでとう」(*´∀`)( ´∀`)母と一緒にお空に向かって笑顔で言葉を重ねてきました亡くなってから初めてかもしれない兄のことを話しているときに母が笑顔だったのは最後まで大切にお読み下さりありがとうございました☆