独り暮らしになった父は
今までの生活と一変

お世話になった
ケアマネさんやヘルパーさんとは
これでご縁が一旦終了します


今回母が入院したことで

認定を受けていない父の元には
誰も通わないことに


メニエール病があったり
胃がんで胃の全摘を勧められたことも、、
胃を全摘したら
母をとても看れないと拒否
(本人の意志でポリープ除去のみ)

やれるところまでやる

後のことは知らん

どんな状況でも答えはいつも同じでした


そして数ヶ月前には
一時的に気を失ったこともあり


87歳父の安全も確立しなくてはと
この一ヶ月出来る限り通い続けました 


もちろん自分を大事にしながら


そして父の性格をよく分かっている
「話したくなったらいつでも話に来なさい」
とおっしゃってくださった
K看護婦さんのところに相談を




あまり人にこころ緩さない父が
近所でも偏屈で頑固で有名な父が
心許していた数少ない
ケアマネさんと高齢のヘルパーさん

突然会えなくなってしまった
その寂しさをよく口にします


母が入院したことで
「楽になった」と言うのですが

「えらい(しんどい)」
「病院まで歩いていくのもきつい」とも


今まで強気の父が
弱音を吐くようになりました




長年の疲れも出て
環境が変わったことに対し
ついていけてない父を何度も感じる



車で高速使って1時間
今週から仕事も通常勤務に戻し
週2日実家に通ったとしても
私一人では抱えきれない不安を感じていますと




聴いてくださる方の存在は

本当に

本当にありがたい、、、




介護認定を拒む高齢者の方は多い
義父と母も数年かけて申請しました


父も自分のことはまだ自分で出来ると
お金を払って手伝ってもらうことはないと
父の当たり前のキモチ


離れて暮らす私の不安なキモチ


両方を受け止めてもらい
優しい響きで


地域包括支援センターへ連絡を
取りましょう
認定を取ることの前に
繋がること、お父さんの存在を
知ってもらうことから始めましょう




そう言って私の目の前で電話をかけ
その日のうちに
地域包括支援センターの社会福祉士の方に
繋げてくださり
話を聴いてもらってきました



そして訪問





申請してもサービスは利用しない
倒れたときに申請すればいいことだ


そんな言葉が何度も出る中で
今までのケアマネさんヘルパーさんが
突然来なくなってしまった寂しさを

会話の中で見え隠れするのを
訪問した社会福祉士の方も気づいて下さり

認定をとらなくても
使えるサービスがあることも教えてくれ
(週1の電話や
身につけられる緊急時通報装置など)


30分の対話の中で
父の頑なさが(昔に比べたら随分弱い頑なさ)
安心の顔に変わって行くのを 
感じずにはいられませんでした



もう10数年前のこと

初めて義父の介護申請の相談を
地域包括支援センターに出向いたとき

介護申請する際に税金が使われるため
申請だけして利用しないということは
よろしくないと言われた経験がありました

私としては当時
藁をも掴む気持ちで向かった先で言われた言葉

そして
「あなたが看てあげればいいじゃないですか?」

遠方の両家両親を抱え
娘の苦しさを受け止めながら
出向いた先での言葉は

ずっと無意識に
私の中に残っていたのでしょうか


受け止めてもらえなかった
誰も助けてなんかくれない



今回私の頭の中には

サービスを利用しないなら
申請は出来ない
繋がれない


過去の経験から悔しさから
無意識の中にあった気持ち


過去の自分の経験は


自分を創り上げた 

大切なことに違いないのだけれど



それは自分の一部であり
全てではないこと


ありのままのその瞬間の
過去にとらわれない
今の
ホントの気持ちに繋がること


深く刷り込まれてきた経験と思い込み
そんなことに気づかせてもらえる
体験だったのかなぁ



ワタシ



本当に良く頑張ってきた
















こころのつぶやき

最後まで読んで下さり
ありがとうございます