毎日釣りのことばかり・・ -48ページ目

墓参り そして 温泉

2010年1月28日 午前


母を誘って父の墓参りに出掛けた。


父は1999年4月に大腸と肝臓の癌で亡くなっている。

父の場合、癌が見つかったときはすでに末期。

手術すら出来ず、入院後一ヶ月も経たずに死んでしまった。


あのころ、、

父の病室へ職場から何度も通ったものだ。

でも病室で何を話したのか、父が何を思っていたのか思い出せずにいる。

悔しかったのか、切なかったのか、、もう達観していたのか、、


今回の自分のことで、父は病室で何を考え、何を伝えたかったのかを考えた。

答えはもちろん見つからなかった。


墓前で。

「オレは治って帰ってきたよ」

と呼びかけた。

生き残れたのは父のおかげかもしれない。。




墓参りに出掛けたのは、こうして父のことを思い出したこともあるが、母とゆっくり話をする時間をとりたかったのもある。

おかげでゆっくり話をすることが出来た。久しぶりだった。

母へも心労を掛けた。「親不孝だな」と思った。申し訳ない。

いまのうちに、親孝行をしなければ・・。





墓参のあと。

近くにある日帰り温泉に立ち寄った。

「湯楽の里 所沢温泉」


もう入浴許可は出ている。

退院時に温泉も入って良いと聞いている。


入院期間中はシャワーしか浴びてなかったので・・

待望の温泉。。露天風呂。。


気持ちいい・・・・


身体の緊張が緩んでいくような感覚がした。

生きてるよ。。。






墓参りと温泉。

退院後のリハビリとしてはちょうど良かったよ。



回復度85%。






退院しました

2010年1月27日 


8時30分

最後の病院食を食べ終えて、パジャマから入院のとき着てきた服に着替えると、不思議と活力が沸いてきた。

もう病人じゃない。これからおうちに帰るんだ。


会計の時間までまだ2時間ほどあったけど、退院のための荷物整理を早めに終わらせた。


迎えに来る妻を待つまでの間。

私服に着替えると無性に外の空気が吸いたくなった。

病院の外にあるスターバックスまで出掛けラテを飲んだ。




空は澄み渡り、爽やかな朝だ。

病院を一歩外に出ただけで、開放された気分になる。

ラテは思いのほかおいしかった。





10時過ぎ。妻が迎えに来た。


ナースステーションで、この入院期間にお世話になった看護士の方々にお礼を言いたかったが、メインで担当してくれた人にはお会いすることが出来なかった。

残念に思えた。

彼女たちの献身的な看護には、本当に頭が下がったから。

「ありがとう」という言葉を、何度口にしたか・・。


あまり面識のないナースに、「では、帰ります」といった。

「お大事に」と返事があり、それで退院の挨拶が終わった。

すこしあっけなかったが、こんなものなのだろう。



会計を済ませ、タクシーで自宅に向かう。

9日間の入院生活が終わった。



11時半。帰宅。

この9日間を振り返って見る。

長かったような、短かったような。

これまでの人生の中で、初めて体験する不思議な期間だった。

もちろん、検査を受け、手術をし、回復に努めたわけだが・・・

病室では考える時間がかなりあった。


家族のこと、

仕事のこと、

自分自身のこと、

生きるということ、

生かされるということ、


自分がさまざまな人に助けられながら生きていることが実感できた。

それならば、自分も誰かのために生きていかなければならないと、も。


このようなことを思えたのは貴重な体験だったのかもしれない。


このブログで出会えた方々にも深く感謝している。

ネットでのこのつながりも、新鮮でありがたかった。

皆さん、ありがとうございました。




身体のほうは、

体力はかなり回復したが、咳き込むと胸の奥が痛む。

吸い込める空気の量が明らかに減ってしまって、わずかな不安を感じる。


でも、気分は悪くない。

経過は順調だ。



生かされた命。

これから生きなければならない自分の人生。

誰かのために、そして自分のために、おろそかには出来ない。



さあ、きちんと生きていこう。。

こう思わずにいられない。





入院8日目 人間の回復力はすごい

2010年1月26日 11時15分


一昨日に比べ、昨日。

昨日に比べ、今日。


人間の回復力はすごいです。


日に日に良くなっていく自分を確実に感じれます。

ああ、自分の身体もすてたもんじゃないなぁ、と妙な関心をしてしまいます。


回復度は70%と言うところでしょうか。

なにかベッドに横になっているのが不自然にすら思えてきます。


ただ、

一回に吸い込める空気の量が、

手術前=2700cc

現在=1000cc

とがた落ちしてしまいました。


肺の左半分(左肺上葉)を取ってしまったのだからしょうがないですね。

残った肺での日常生活には支障はなく、この残った肺を鍛えるのが重要だそうです。

頑張らなくては。


そうそう。


実は切除した肺をカミさんがデジカメで撮影したのですが、あまりにグロイ画像なのでUPはやめておきます。


その代わり、現在の傷の状態を掲載します。


毎日釣りのことばかり・・-1


自分では傷跡を見れないので、先ほど担当医師の若い方に撮影してもらったものです。

左胸の側面を撮影したもの。


青い矢印が、スコープを挿入した穴です。7mmくらいの傷だそうで、すでに塞がってます。


赤い矢印が、手術時操作左手用のマジックハンドを挿入した穴です。1.2cmくらいの傷口。

これもすでに塞がってます。


緑の矢印が、右手用のマジックハンドを挿入し、左上葉部を摘出した穴です。

肺はかなり大きな臓器ですが、3センチほどの傷口から引き出した模様です。

ドレンチューブもこの穴に挿入されていました。


この一番大きい傷も、ほとんど塞がりかけているようです。

退院後は入浴も出来るそうです。


医学の進歩ってすごいですね。



今回の手術で呼吸器外科の部長先生を筆頭に4人の医師にお世話になりましたが、手術執刀してくれたK医師(呼吸器外科部長)のことを改めて調べてきたら、なんと胸腔鏡下手術の第一人者でした。


彼のことを紹介しているHPが、

http://www.meiitv.net/cancer/dr_kouno.html

になります。


知らないうちに、大変高名な名医師に手術をしてもらってたんですね。


おかげで、こんな短期間に一つの区切りをつけることが出来そうです。




勤めている会社の社長が、今回のことを「強運だ」と表現していました。




まだ、心の整理がきちんと出来てはいませんが、

肺がんに冒されたことは不幸としても、この程度で済みそうな状況を体感すると、

「オレってついてたのかも・・・・」

との思いが沸いてきます。



明日は退院。


まだ、ゆっくり出来る時間がありますので、いろいろと考えをめぐらせてみようかな、と思います。

入院7日め 回復度は?

2007年1月25日 11時


先ほどレントゲンを撮りに一階まで行ってきた。

歩くのもずいぶんと楽になってきた。


まだ、左胸側面の手術跡が疼くように痛むが、その痛みもずいぶんと和らいでいる。


回復度は50%、と言ったところか・・。



傷口の処置も防水パッチに替えてもらったので、今日はシャワーを浴びれそう。

頭を洗えるのはありがたい。

さっぱりとしたいものだ。



今日は時間がたっぷりあるので、肺がんに関するブログ検索してみた。


重篤な末期がんの方、すでにお亡くなりになっている方、

綴られている文章は、胸に響いた。


自分のケースに比べたらなんと過酷な病との戦いか。


いまの自分の状況がなんと恵まれているものなのかを改めて感じた。



あの時、人間ドックを受けていなかったら・・

自覚症状が出るまで放置していたら・・


考えるだけで恐ろしい。。




27日にごろ、退院できそうです。

一昨日に比べて、昨日、

昨日に比べて、今日。


確実に回復に向かっています。




入院6日目 チューブが抜けた

2010年1月24日 11時


先ほど、左胸部に装着されていたドレンチューブを抜いてもらいました。

かなりスッキリしました。


同時に痛み止めチューブも抜いたので、もう身体にはなんの管も通っていません。


先ほどまで、痛みが取れなかった左胸、左背中も楽になりました。


術後の経過も順調のようで、この調子だと水曜日あたりで退院できそう、とのことでした。


もう点滴で栄養補給はできないので、自らの口で、たくさん食べたいと思います。



早くおうちに帰りたい。


入院5日目 手術のこと、手術後のこと

2010年1月23日 


はっきり言って、なめてた。手術を。


そんなものたいしたことじゃない、と。


でもイザ、手術を受けてみて、肺の左半分を取られてみると、

その肉体的なダメージと、精神的なダメージは予想を超えていた。



昨日、速報にて「手術無事終了」のご連絡をさせていただきましたが・・


tomorimoは大きなダメージを受け、HPは瀕死の状態です。



さて、

改めて昨日の詳報を。。。



12時、病室にて手術着に着替える。

下着はふんどし状の「T字帯」なるもの。

いよいよそのときが近づいている。


担当ナースから「さあ行きましょうか」の声。

病棟11階から手術室のある2階へエレベータを使い歩いて向かった。

私と妻と、担当ナース。


手術室前。

中から呼ばれるのをしばし待つ。

担当ナース「落ち着かれてますね!」

妻「なんか平気そうじゃない!」


そう、自分の心は落ち着いていた。


どうせ全身麻酔。苦痛は麻酔を掛けるときだけだ。と。


12時30分。手術室へ呼ばれる。

本人確認。

いざなわれるように手術台へ。


麻酔は2階行われる。

一つ目は、「硬膜外麻酔」

背骨の硬膜に麻酔を送るチューブを挿入するもの。


手術台で横になり、身体をエビのように丸め、背中の背骨中心に針が刺さる感触を得る。

痛みが走る。


その後、全身麻酔。

これは点滴チューブから麻酔薬が送り込まれるそうだが、覚えていない。

知らないうちに気を失っていた。









遠くから呼ぶ声が聞こえる。

「tomorimoさん、終わりましたよ」と。


一瞬、「ここはどこだ?」と感じたがすぐ手術は終わったんだな、と気がつく。


頭が痛い。まるでひどい二日酔いから醒めたときのようだ。


身体は左の肩から左胸まで激痛が走る。

どうも胸部左側面からメスを入れるため、左腕を上部に固定されていたようだ。

そのため、左胸筋肉が痛くてたまらない。


集中治療室へ。

ここで、妻と母に面会。

「いま何時?」と聞くと「4時半ごろ」と答えが帰ってきた。


そうか、大体4時間掛かったんだな。


「術後の説明は聞いた?」妻に尋ねた。

「聞いた、取った肺も見せてもらった。。やっぱり癌だったんだって」

「そうか・・・」



身体は身動きが出来ない。

左胸から左肩への痛みもそのせいだが、身体にはチューブがたくさんつながっている。


・尿管=尿道へパイプが挿入されていて、ここから尿を排出するもの。

・肺の内部の水を取るためのパイプ。左胸から。

・酸素吸入=鼻へ

・点滴=左腕へ

・痛み止め注入パイプ=左肩甲骨あたりへ

・酸素濃度測定=右手人差指へ


全部でこれだけの管が身体に繋がっている。


全体的に息苦しい、身体は弱りきっていた。


6時半ごろ母が帰宅した。

集中治療室で妻と二人になった。


「こんなことになってごめん・・」

献身的に看病してくれる彼女には謝る言葉しか出なかった。


何故か涙が出てきた。

いろんな人に、家族に、妻に迷惑を掛けている自分が情けなくて。





携帯を見ると、ブログコメントがたくさん転送されていた。


本当に皆さん、ありがとうございます。

ご心配をお掛けしています。


妻に頼んで、「手術無事終了」のブログエントリーをしてもらった。


9時。妻が帰宅した。


消灯された集中治療室の中で、まんじりとした夜を過ごした。

睡眠導入剤の効果はなかった。


夜中、いろいろ考えた・・

「自分はいろんな人に助けられながら生きている・・」

感謝の気持ちと申し訳なさでまた一人感傷的になった。




本日朝、

左胸の痛みは少し和らいでいた。

陰茎に刺さった尿道チューブに違和感がある。

身体が重い。


それでも朝食(おかゆ)はきちんと食べた。体力回復しなければならないから。



10時半。

担当ナースが身体を拭いてくれると。。。

ベッドから身を起こし、熱いタオルで全身をぬぐってもらった。

もうなされるがままの赤ん坊のような状態。


「尿管抜きますね」


ええ、いまかよ。

「ちょっと痛いですよ・・」


陰茎から尿管を抜く。

痛いというより、適した表現が出来ない不快感。

これは二度と経験したくない。。


そして管が4本取れた。あと2本。

肺のチューブは明日抜くそうだ。


歩けるようになった。





いま、土曜日の12時。

昼食が運ばれてきた。


食欲を感じる自分がいる。


何故か、「自分は生きてるんだなぁ」と実感できた。


そして今回感じた「感謝の気持ち」を忘れてはならないと、しみじみ思う。



みなさん、本当にありがとう。。














【速報】手術無事終了しました

2010年1月22日16時30分 


手術無事終了しました。

ご心配をお掛けしました。


お見舞いや励ましをいただいた方々

当ブログを愛読してくださっている方々


本当にありがとうございました。




取り急ぎご報告します。


(代筆 妻) 

入院4日目 いよいよ手術

2010年1月22日


いよいよ手術の日。

今日の段取りは大体頭に入れておいた。

朝食は取れない。

身体を安静にして時間を待つだけの午前中。


予定では12時過ぎに手術室へ歩いて入ります。


手術は全身麻酔下で行われるので、麻酔処置を受けたら次に気がつくときにはすべて終わってる。


終了予定時刻は16時~17時。

結構長く掛かるようだ。


こちらは寝ていうちに終わってしまうけど、付き添いの家族には負担をかけるなぁ・・と思う。

手術時間中、落ち着かなくまってるんだろうなぁ。

申し訳ない。

そして感謝。





ここまで来たら、心と身体を落ち着かせるのみ。

自分で出来ることはそのくらいなので、あとは開き直ろう。



手術後はしばらく身体を動かせないかもしれないので、次回エントリーは明日になるかも。

結果報告もさせてもらいますね。




では、手術、行って来ます。


入院3日目 終了

2010年1月21日 20時

今日は診察も検査もなく、

イベントとして執刀医から明日の手術の説明を受けた。


まず、これまでの検査、造影CTやPET-CTなどの結果から、やはり左肺上葉に腫瘍が認められる。


一番気になっていたのは他の部位への転移だが・・

画像を見る限り、転移はない、、らしい。    ホッとした。



手術の方法は、

「胸腔鏡下手術」

※参考URL

http://www.hosp.go.jp/~matsue/kyoukukyo.htm


胸部左側面に3箇所穴を開けて内視鏡を使って行う手術。


詳しく書くと長くなるのではしょるが、疼痛も少なく回復も早い手術だそうだ。


執刀医によると、過去3,000回くらい同様の手術をしているらしく、特別なものではないらしい。

頼もしい限りだ。



というわけで、

入院3日目の今日は、夕方にこの説明を受けただけであとはやることなし。


昨晩の寝不足もあったが昼寝も出来ず、また文庫本を一冊読了しました。

迷宮遡行 (新潮文庫)/貫井 徳郎
¥580
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貫井徳郎の「迷宮遡行」。

病院の面会コーナーにある小さなライブラリにあったもの。


貫井といえば「慟哭」が有名。この本はとても面白かった。

で、本日読んだ「迷宮」は・・・


正直言って、ダメ。「慟哭」の切れがありません。

東野を読んだ直後だから、文章の巧みさに見劣りがします。


ストーリー展開もかったるい。

プロット少々も無理がある設定。


で、気がついた。

この本、過去に読んだことある。

記憶にも残っていない、、、そんな作品でした。




さて、いよいよ明日が手術。


今日はきちんと寝るぞ!!


入院3日目 朝

2010年1月21日 7:10

皆さんおはようございます。


結局、イビキオヤジに悩まされたtomorimoは、ナースステーション横の処置室のベッドに避難しました。

そんだけすごいイビキだったてこと。


少しは寝たような気がするけど熟睡感はまったくなく、6時過ぎに自分のベッドに戻ってきました。


そしたら・・・


隣のオヤジ・・まだタカイビキじゃねーか!!


いい加減にしろ!!


そうは言っても、tomorimoもイビキはかくのです。

いつもカミさんに指摘されてました。


だから・・イビキ防止用のマウスピースまで準備して入院してるんです。

周りの人に迷惑を掛けたくないから・・


それなのに・・このオヤジといったら・・

消灯から朝7時まで、イビキかき通し。。

こっちはマトモにねてねーのに、熟睡かよ!!


これは温厚なtomorimoさんも、怒りました!!

「文句言ってやる!」


そこで、隣のオヤジがベッドから出たタイミングでこちらも出てみた。

鉢合わせ・・・


すると・・・


よぼよぼの爺さんだった( ̄□ ̄;)


文句言うにもジジイの姿を見て、、、、萎える。。。。


ナースによると、このジジイは今日退院だとか・・

ならこの一晩運が悪かったとあきらめることにしよう。



ああ、このままじゃ、手術前におかしくなっちゃうよ。。