不登校のお子さんをもつ親御さんは,罪悪感を抱えている方が多いと感じます.
罪悪感とは
罪を犯してしまった,非難されるべきことを犯してしまったという気持ち
僕も,罪悪感をもっていました.
あんなに厳しく育てなかったら
もっと息子を信頼してあげていたら
あの時,引きずり回さずに抱きしめてあげていたら
だから,息子が不登校になったのは自分のせい
罪悪感をもつのは,このままだと相手が責めてくると思っているからです.
相手から責められる自分を見たくない,感じたくない
だから,先に自らに罰を与えることで相手の許しを請う
そうやって,心のバランスをとって自分を守ろうとするのです.
僕は,息子の要望に(やりたくなくても)できる限り応え,自分の本音を言わないようにしました.
そういう罰を自分に与えることで,息子から
「学校に行けなくなったのはパパのせい」と言われないように
「サッカーできなくなったのはパパのせい」と言われないように
息子から嫌われないように
自分のことを守っていました.
でも,本当に責めてくるのでしょうか?
仮に責めてきても,それって子供の本心でしょうか?
僕が罪悪感を克服できたきっかけは息子の一言でした.
「初めからそう言えばいいじゃん」→★
子供は親を選んで生まれてくると言います.
親(特に,母親)を助けるために
そして,自分の魂の成長のために
親の持つ不要な観念(ブロック)に気付かせようと
親を自分の人生に向かわせようと
親の魂の成長のために
日々,子供は親にたくさんの気付きを与えてくれます.
そして,この親の元で,自分自身の課題を克服することを自分で選択して生まれてきます.
そんな我が子に声をかけるとしたら
今の僕には,「ありがとう」しか思い浮かびません.
子供達が生まれたとき,「自分たちのところに生まれてきてくれてありがとう」と言ったように.
子供は親に罰を与えるために生まれてきたのではありません.
親が罪悪感を持って子供と接していたら,子供も罪悪感を持って親と接します.
すなわち,「ごめんなんさい」のやりとりになります.
伝わるのは言動ではなく,意識ですから.
ただ,子供は自分の魂の成長のために,罪悪感を感じることを選択して生まれてきているのです.
親が感謝の気持ちを持って子供と接していたら,子供も感謝の気持ちを返してくれます.
「ありがとう」のやりとりになります.
循環させるなら「ありがとう」の方が良くありませんか?
私を親に選んでくれて,ありがとう.
たくさん気付きを与えてくれて,ありがとう.
私は私で,あなたからの気付きを課題として克服するから,
あなたはあなたで,自分の課題を克服してね.
見守っているよ.
自分に罰を与える必要もないし,子供もそれを望んでいないのですから.
子供に対して感謝して,信頼の意識で応援する.
子供に対して,「罪悪感」というマイナスの意識を送るのではなく,
「感謝」「信頼」「応援」といったプラスの意識を送る.
それが,子供の力の源になります.
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