僕がブログで使う「良い意味であきらめる」という言葉は
親が,子供の人生を信じて
子供をどうにかしようとするのをあきらめるということです.
決して,子育てを投げ出すとか
子供の人生に対して,あきらめの気持ちを持つということではありません.
これが,「信頼・応援」と「放置」の違いだと思います.
僕には確信していることがあります.
それは
子供は親を選んで生まれてきているということ
そして,子供がその親のもとに生まれてきた理由は
親に気付きを与えるため
親を助けるため
ということです.
助けるというのは
要らなくなった価値観や思い込みを捨てさせて
親が『本来の自分』に返り,自分の人生を生きる
そのお手伝いみたいなもの.
「鏡の法則」という言葉を,聞いたことある方もいらっしゃると思います.
『自分の人生に起きる現実は,すべてその人の心の中を映し出している』という法則です.
子は親の心の鏡と言われます.
つまり,今,あなたが子供の姿を見て感じていることは
子供が,あなたの心の中を映し出してくれているのです.
それも,わざわざ悪役になって.
もし,あなたが今,苦しさを感じているのであれば
その事象を『問題』『解決すべきこと』と感じる捉え方が,あなたの心の中にあるから.
でも,大切なのは,そういう捉え方が「あるだけ」であって
決して,誰かのせいということではないんですよ.
それに,心の中にソレがあってもいいんです.
僕だって,以前は,【不登校=悪】と思っていましたから.
僕は,これをしたことで,客観的な視点から【不登校=悪】という価値観を払拭できました.
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ただ,客観的というのは,頭では理解できたということなので
心が納得できるために,自分の内面と向き合う作業をしていきました.
これが,UMIです
今,僕が,日々の生活を穏やかに過ごせているのは
息子の不登校が解消したからではありません.
もちろん,解消されたのは嬉しいですが
不登校中も,穏やかに過ごせていましたから.
それに,不登校がどうであろうと,不快なことは起きるわけで(笑)
つまり,不登校は関係無いんですね.
日々の生活を穏やかに過ごせているのは
『自分の人生に起きる現実は,すべてその人の心の中を映し出している』
ということを,受け入れているからだと思います.
つまり,自分の意識が現実を作り上げているということを認めたから.
言い換えれば,大きな不快が起きたときや,同じような不快が続くときは
自分の内面にベクトルを向けて,自分の心の中を観察することで
自分の心を整えて,またフラットな状態に戻ってこられる
だから,穏やかに過ごせていると思っています.
自分か何を感じているかをすべて肯定して
しっかりと感情を解放して
客観的に事象を観察する
そうやって,自分の心の中を整理できるようになると
子供の人生と自分の人生を切り離せ
「この子の人生,この子に任せて大丈夫」と思えるようになれますよ.
それが,「良い意味であきらめる」につながります.
それだけでなく,今まで自分に課していた制限を緩めて
あなたがあなたらしく,もっと自由に生きられるようになります.
自分の人生に起きることを,どう捉えるか?
それは,すべてその人が決められます.
明日からお盆です.
ご先祖様への感謝の気持ちを思い起こすだけでなく
子供が生まれたときのことを思い返してみてはいかがでしょうか?
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