曇りときどき晴れ
Amebaでブログを始めよう!
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

全国宝石学協会によるダイヤモンドのカラー鑑定のかさ上げ疑惑について

全国宝石学協会がダイヤモンドのカラー鑑定のかさ上げを行なっていたと、
毎日新聞が元社員の証言として報じたことが話題になっている。

全国宝石学協会(以下、全宝協)は、中央宝石研究所やAGTジェムラボラトリーと並び、
日本で最も権威のある(言い換えるなら信用度の高い)鑑定機関である。

そうした信用度の高い鑑定機関が本当に、鑑定のかさ上げを行なっていたのか?

まず、ダイヤモンドの鑑定はどのように行なわれるのかについて。
ダイヤモンドは、指輪やペンダントなど製品の状態ではなく、裸石の状態で鑑定が行なわれる。
ダイヤモンドの評価は、主にカラット(重さ)、カラー(色合いの等級)、クラリティ(透明度)、
カット(プロポーションと研磨の状態)の4項目が重要だと言われており、carat、color、clarity、
cut、それぞれの頭文字をとって「4C」と呼ばれている。
この4Cのうち、カラットは1/1000カラット(1カラットは0.2g)まではかることができる
特殊な秤を使用する。
またカットも、イスラエルのオギ社のメガスコープもしくは、サリンテクノロジー社の
ダイヤビジョンという機械を使用して自動計測を行なっている。
研磨の状態は、最終的に人間が判断することになるが、4Cのうち2つの「C」に関しては、
鑑定者の主観が入り込む余地は極めて小さいことは理解してもらえると思う。
問題は、カラーとクラリティで、これらについては自動計測を行なう機械がないため、
鑑定士の判断に委ねられる部分、つまり主観が入り込む余地があることを否定することはできない。

カラーを判定するために、GIAのマスターストーン(基準となるダイヤモンド)を使用する。
マスターストーンは、D、E、F、G、H、I、Jの7グレードで1セットになっている。
ほぼ毎日ダイヤモンドを眺めている立場から言うと、ダイヤモンドのプロ10人中10人全員が
「これはDカラーである」とか、これはEカラーである」と断定できるダイヤモンドばかりではない。
必ず判断に迷うグレーゾーンのダイヤモンドが存在する。
グレーゾーンにあると考えられるダイヤモンドを、時期をずらして同じ鑑定機関に鑑定を依頼すると、
違う鑑定結果になることが稀にある。
宝石鑑定の総本山であるGIAの鑑定でさえ、そういうことが起きている。
では鑑定結果はどちらが正しいのかと言えば、どちらも正しいと言わざるを得ない。

いずれカラーやクラリティも客観的に判断できる機械が発明され、人間が関わる分野は小さくなって
行くだろうが、その日が来るまでは野球やサッカーの審判のように鑑定士の判断に委ねるしかない。

さて、今回の毎日新聞の報道で、全宝協は鑑定を行なっていた元社員を含むダイヤモンドの
グレーダー(鑑定士)に対し、「グレーゾーンのダイヤはグレードがよくなる方に判断しなさい。」
と、指示を出したと言っているのに対し、元社員は、「グレーゾーンという説明はなく、
一律ワングレードよくなるように指示された。」と食い違う証言をしている。
もちろん全宝協が「一律ワングレード上げろ。」とを指示していたことが本当なら問題だ。

仮に、一律ワングレードかさ上げさせたとして、それほど全宝協にメリットがあるとは思えない。
甘すぎる鑑定は、かえって敬遠される。
もう消費者を欺き続けることで儲けられるほど、あまい業界ではない。
メリットが小さく逆に致命的なデメリットになるかもしれないような指示を出すほど、
全宝協の経営陣がアホとは私には思えない。

ひとつ、その元社員に聞いてみたいのは、これまでにもグレードの判断の仕方について、
指示を受けたことがあるか?ということだ。
複数在籍しているグレーダーの主観の格差を是正するため、特定のグレーダーに対し、
「半グレード厳しめにしろ。」とか、逆に「半グレード甘めに判断しろ。」と指示を出す可能性は
ないとは言い切れないからだ。

さて、今回の全宝協事件は、元社員のリークに端を発している。
退社した(あるいはさせられた)社員が、腹いせに多少誇張して証言している可能性も否定できない。
経営陣と現場の社員との温度差からくる泥仕合とすれば、経営陣のガバナンスの失敗が
今回の原因とも言える。
全宝協やAGL(宝石鑑別団体協議会)がどのような説明を行なうか、一業界人として注目している。

O氏と奥さんのこと

先日、O氏の奥さん(=義母)が急逝した。
その日の昼過ぎ、入所している施設の看護師から「なるべく早く来てください。」と電話があった。
私は仕事を途中で切り上げ、ヨメと一緒に施設にクルマを走らせた。
施設に到着したのは午後5時で、ヨメが義母に話しかけると、義母はスーっと涙を流し、
大きくため息をついて静かに眠りについた。
少なくとも私とヨメ、それに同席していた私の母の3人にはそう思えた。
しばらくして担当の医師がやってきて脈と呼吸と瞳孔を調べ、「お亡くなりになりました。」
と、静かに告げた。
私は、ドイツにいるヨメの妹に電話をかけて知らせた。
ふだんあまり感情を表に現さない義妹は、電話の向こうで大声で泣き叫んだ。

義母は、線条体黒質変成症という10万人に2~3人と言われる不治の難病だった。
生きていることの方がつらい病気だ。
発病したのは14年ほど前のこと。
最初は、症状が似ているパーキンソン病ではないかと神経内科の医師も思ったようだ。
線条体黒質変成症はパーキンソン病に比べ、からだが動かなくなっていくまでの期間が圧倒的に短い。
義母も4~5年で、身体を動かすことはもちろん、話したり食事を摂ったりすることができなくなった。
病院へ連れて行ったりするだけではなく、身の回りの世話一切を行なったのは、夫であるO氏だった。
そのO氏も9年前に前立腺癌、7年前に緑内障、5年前に右腕の粉砕骨折、3年前には喉頭癌と、
病気と怪我が続き、昨年11月千葉県がんセンターの緩和病棟で亡くなった。
O氏は最後まで、難病の奥さんのことを思っていた。

そして平成22年5月5日、義母であるO氏の奥さんが亡くなった。
その日は、O氏と奥さんの50回目の結婚記念日だった。
偶然とは思えない符号だが、金婚式を迎えた日、義母は夫のもとに旅立った。

義母の晩年は彼女にしか理解しえないつらい毎日だった。
つらい「生」から解放されて、よかったとも思う。

生きるとはどういうことなのか、身近な人の死に接すると、生の意味を考えるようになる。
若い頃は自分が死に向かって確実に歩を進めているという実感がなかったから、
あまり深くは考えなかった。
7年前に実の父親が亡くなり、昨年11月に義父、12月には友人、そして今回は義母を亡くして、
私のような鈍感な者でさえ若いころよりは考えるようになった。

生はいつか終わる。
多少先延ばしすることはできても、不可避であることに違いはない。

最近、主観的な意味での「生」とは、濃度なのだと思うようになった。
言い換えるなら、どれだけ自分で納得できるだけのことができるか、ということ。

アップルのスティーブ・ジョブスは、2004年にすい臓癌が見つかり余命半年との宣告を受けた。
癌の摘出手術が成功した翌2005年、スタンフォード大学の卒業式に招かれたジョブスは、
次のようなスピーチを残している。
「今日が人生最後の日だとして、今日これからやることは本当にやりたいことなのか?
 もし『No』という答えであるなら、何かを変えなければならない。」
そしてこう締めくくったという。
「ハングリーであれ、そしてバカであれ!」

人生は自分である程度デザインできる。
自分の努力だけではどうにもならない部分ももちろんあるけど、まあデッサンくらいはできると思う。
そのデッサンにどこまで色付けできるかわからないが、やれるだけのことをやる。

異業種交流会

先日、4年ぶりに経営者限定の異業種交流会に行ってきた。
クラウドコンピューティングについてのレクチャーがあるとのことで、聞いてみたいと思ったのが、
きっかけ。
クラウドについては、私の会社でも一部利用を始めている。
事業所が御徒町、池袋、新宿、渋谷、銀座と5ヶ所に分散しているので、情報の共有化や、
今どの店で何が起きているかをタイムリーに知るのには欠かせない。
もちろん、すべてをクラウドに頼っているわけではない。セキュリティの脆弱性が気になるので、
万が一外部から見られてもよいような情報だけをクラウド化している。

残念ながらレクチャーでは、ほとんど有用な情報を聞くことはできなかった。
講師の問題なのだが、聞いている方は創業間もない零細企業経営者が多いので、
それらの方に合わせた利用事例を話すべきだったと思うし、私自身そういうのを期待していたので、
「皆さんあまりなじみのない言葉かもしれませんが、クラウドとは雲の中で動いているような、
ソフトのことなのです。」と言われるとがっかりしてしまった。

4年前、異業種交流会に出た理由は、宝石業界以外の人と話す機会が欲しいと思ったからだった。
双極性障害の症状が少し良くなってきた頃のことだ。
交流会で、今の私の顧問弁護士や在庫管理システムをつくってくれたエンジニアに出会った。
だから有意義な出会いもあった。
でも、あまりに営業が多くて閉口してしまい、足が遠のいた。
かわりに選択したのが、グロービスだった。
グロービスはお金はかかるけど、若くてがっついたビジネスマンが多く、とても刺激を受けた。
自分だけはもったいないと思い、会社で授業料を負担し、社員にも受講してもらった。
グロービスでの濃厚な時間と比較すると、単なる交流会だと得られるものが薄い。

自分でも交流会を主催したいとは思ってる。
ターゲットは起業を目指している人かなあ。
自分のことさえできない人間に人の世話が焼けるか、と、問われると、確かに自信はないけどね。

宝石の価値について Part4

だいぶ間が空いてしまった。

前回からの続き。
最近、60~70歳代の母親と40歳前後の娘さんが連れだって来店される例が増えているように感じる。

来店の理由は、お母様所有のジュエリーを私どもの店で査定させていただき、
結果次第で娘さんが引き継ぐか、換金してしまうか、あるいはリフォームして使うか
を決めるつもりだとおっしゃる。

「ジュエリーの事業仕訳みたいなもの。」

あるお客さんは笑いながらそうおっしゃったのが印象的。
この事業仕訳はたいていの場合、私どもの提示した査定金額とはあまり関係なく、
娘さんが現時点で使用できるものを残し、そうでないものは換金する、という結果に落ち着く。
お母さんの事業仕訳が終わると、最後に娘さんも自身が10~30歳代に使用していたものを、
「もう使わないから。」と、換金されるパターンが多い。

もしも20歳代から50歳代まで、ライフステージごとのイベントやTPOに応じて使用する
宝飾品を買い続けたとしたら、いったいいくらくらいの出費になるのだろう?
もちろんプレゼントされる分も含まれるけど、少なく見積もっても数百万円にはなると思う。
特にジュエリーが好きという方や、ブランドジュエリーしか買わないという方、
定期的に購入する店が決まっている方などは、当然その金額は何倍にも大きくなる。

ネットオークションを上手に利用すると、1/2から1/3以下に圧縮することができるかもしれないけど、
ライフステージごとに使用するジュエリーをすべてオークションで落札したとしても、
それらをずっと所有し続けるには、最低でも100~200万円くらいは必要。

それでオススメなのが、お手持ちのジュエリーの事業仕訳。
ライフステージの変遷によって、好み(ブランドや色、デザイン、素材等)は、変化しているはず。

所有しているジュエリーはたくさんあっても、使用しないジュエリーが多くなってしまうわけは、
お客様ご自身の「かわいい」とか「欲しい」、「身に着けたい」と思う感覚が変化するたから。

今欲しいと思うものを手に入れるために、ローテーションからはずれてしまったものを手放す、
結果的に最低限の支出で、場合によってはキャッシュレスでお気に入りのジュエリーがゲットできる、

それが、とても面映ゆいけど、うちが2009年6月に開始したJX(ジュエリー・エクスチェンジ)。
買い取らせていただいた商品をできる限り、次にまた大切にお使いいただける方に、
その価値をつなぐための最大限の努力をすること、それがセルビーの仕事です。

最後にお願いですが、査定をご依頼いただく際は、指輪などから石をはずしたりせずに、
そのままの形でお持ち込みして下さい。
宝石も高く評価できる場合もあるし、なによりジュエリーを解体してしまっては、
その価値をつないでいくことができなくなってしまう。
お持ちになっているジュエリーを手放さなくてはならなくなった時、
あるいは事業仕訳をしなければと思い立った時、どうぞセルビーのことを思い出して下さい。

宝石の価値についてPart.3

私の会社セルビーがヤフーオークションに初めて出品したのは2001年9月のこと。

その年の2月に会社を設立し、3月に東京・御徒町に店を開き、4月には楽天市場に
「彩飾絢美(さいしょくけんび)」という名前でオンラインショップを出店していた。
ヤフーオークションに出品を始めると、画像と説明分と商品スペックをどのように配置し、
それらにどのような情報を掲載すれば、スムーズに入札してもらえるのかっていう、
最も効率的な経路を見つけることができた。
「AIDCA または AIDMAの法則」と呼ばれている、古典的なマーケティング手法を使い、
「注意」⇒「関心」⇒「欲求」⇒「確信(記憶)」⇒「行動」というお客の心理パターン合わせて、
必要な情報を必要な場所に配置することだったが、客導線が複雑な楽天では実現できなかった。
それですぐ楽天からの退店を決定した。
導線管理だけではなく、返品保証制度やサイズ変更無料サービスなども功を奏したのかもしれないが、
ヤフオク出店開始から1年が過ぎる頃には、ジュエリーのオクファンからは一定の評価を受けるまでに、
なっていた。
某巨大掲示板の宝石のスレッドでは、私たちことや出品した商品が何度も話題になったし、
スレによく名前が挙がる店として「競る美」と当て字で紹介されてもいる。
続けていればいいこともあるわけで、去年の6月には評価数が10,000を超え、
2008年、2009年と連続でヤフーからベストストアとして表彰された。


さて、Aさんがヤフオクで私たちの商品をご落札いただくのは、その時が2度目だった。
1度目は2005年のことで、ダイヤモンドのペンダントネックレスを落札していただいた。
学校を卒業して社会人になり、初めてのボーナスで自分へのご褒美として落札したとのことだった。
そのペンダントネックレスをとても気に入っていただけたとのことで、3年の間、
レギュラージュエリーとして使用していただいたとのこと。
そして2度目は、当時より大人びたゴージャスなジュエリーをご落札いただいた。

ご落札いただいた商品をお渡しする時に、
「3年前に落札したペンダントネックレスを、買い取りしていただくことはできますか?」と、
たずねられた。
弊社の担当者は「もちろんです。」と答え、査定価格を提示させていただいた。
3年前にご落札いただいた時の金額と、今回の査定金額との差額は6,000円だったらしい。

2005年に落札していただいた金額より、査定金額の方が6,000円安くなってしまったのだけど、
ご納得いただいて買い取らせていただいた。
お客様は、
「3年間のしっかり使った対価が6,000円だと考えると、すごくお得な感じがしますね。
またオークション、拝見させていただきます。」
とおっしゃって、お帰りになったとのこと。

レンタルサービスではないので、どの商品も3年間使用して差額が6,000円というわけではなく、
もっと大きな差額が生じる場合もあるし、逆に相場の変動によっては、
落札していただいた金額よりも弊社の買い取り価格の方が高くなる場合さえある。
真珠やサンゴなどの有機物を除いて、必ずしも価値が右肩下がりに劣化していくわけではないという、
宝石・貴金属だけが持つ「価値特性」も実感できるはず。

いずれにしてもこうして、ネットオークションや買取店を上手にご利用いただくことで、
ジュエリーの「使用価値」はさらに向上すると思う。
デフレだとか不況だとか言うけれど、おしゃれが必要なくなるわけではないはず。
ユニクロやH&Mがブームになっているように、
賢くコストパフォーマンスの高いおしゃれを楽しむ時代になってきているのはまちがいない。
バブルを知るオヤジとしては、ユニクロだけじゃ寂しいのは確かだけどね。

「ジュエリーは好きだけど、ユーズド品には抵抗がある。」とか、
「ネットオークションでジュエリーを買うのは抵抗がある。」なんて意見を持ってる人もいるけど、
セルビーのオークション出品商品は、すべて新品仕上げ済み。
内側にイニシャルなどの刻印が彫られているリングも、完全に消し去ってから出品するため、
ユーズド品であることなんてほとんど意識しないで済むと思う。
それに、業者さんから買い入れる場合もある。それらは全部新品。

しかも納得いくだけ使ったら、また買い取り依頼すればいいだけなので、
オークションでの落札価格 - 買取価格 = 「使用価値」というセオリーを、
せいいっぱい利用してもらえる。
もちろん使用中についたリングの小キズなどによって、価値が下がるなんてこともない。

思いきり宣伝にしてしまった。
機会があれば、ネットオークションでジュエリーを賢くゲットする方法を書いてみます。

宝石の価値について Part.2

前回の続き。

「所有価値と使用価値の関係性について」

実は、宝石(ジュエリー)の持つ価値の属性は、
①Commodity Value (原材料としての価値)
②Product Value (製品としての機能的価値)
③Shared Information Value (共有化された情報的価値)
④Personal Information Value (限定的な、あるいは個人的な情報的価値)
の4つだけ、というわけではない。

やはり1990年頃、私が㈱三貴の商品企画部いた頃、
ジュエリーマキで買い物をしていただいた20~30代の女性に、ジュエリーの所有について、
アンケートをお願いしたことがある。
所有個数は、想定したよりもずっと多く、一人当たり平均約12個だったと記憶している。
さらに驚かされたのは、所有している12個のジュエリーのうち年一回以上使用しているジュエリーは
わずか4個で、全体の2/3を占める8個のジュエリーは使われずにタンスの奥に保管されたまま
になっているという事実だった。

なぜよく使うジュエリーと全く使わないジュエリーにはっきりと分かれてしまうのか、と言えば、
好みが変化してしまった、指のサイズが変わってしまった、豪華すぎて使うシーンがあまりないなど、
答えはさまざまだったと思う。
ただはっきりとわかったのは、ジュエリーには、「使用」と「所有」という2つの価値があり、
他の商品に比べて「所有」価値が際立って高いということだった。

「使用価値」と「所有価値」の関係は、下記のようなポートフォリオに整理することができる。
①「使用しないので、手放す。」
②「使用しないけど、手放したくない。」
③「使用するので、手放さない。」
④「使用するけど、手放してもよい。」

①~③は理解できても、④はあまりないケースかもしれない。
④は「もうさんざん使ったから、新しいのに換えようかな。」という、クルマの乗り換え動機で
説明することができる。
特徴的なのは、②だ。宝石以外の商品だと②の心理状態になる理由が見つからない。

使用しないけど手放したくないテレビとか冷蔵庫なんてあまり考えられない。
「使用しない、手放したくない。」という、アンビバレント(矛盾した)な関係が
同時に満たされる状態は、宝石に特に強く顕われ、他の商品にはあまり強くない。

でもそれは20年も前の話で、最近は少し変化してきている。

Part.3に続く

自転車ブーム

都内では自転車通勤がブームになっている。
自転車通勤するサラリーマンを「ツーキニスト」と呼ぶらしい。
都心部では自転車を預かるサービスも登場し、場所によってはキャンセル待ちの状態だという。

環境にやさしく、健康にもいいというのがブームの原因だそうだけど、自転車で通勤できるくらいの
地域に数多くのマンションが建設されたことも関係しているかもしれない。
この10年ほどの間で、特に湾岸地域にマンションが大量に供給された。
辰巳、東雲、豊洲、有明、晴海、勝どき、芝浦、港南、品川と、ほぼ東京湾を取り巻くように
超高層マンションが林立している。
海と高層ビルの間を自転車で走るなんて気持ちよさそうだ。

それからファッション。
空力性能にすぐれたヘルメットにサングラス、カラフルでタイトなウェアとパンツに、
バックパックを背負い、ノーサス&極細のタイヤのロードバイクでオフィス街を駆け抜けていく。
毎日が「ツールド・大手町」。
そう、自転車ではなくバイクなんだそうな。

私も実は昨年10月にクロスバイクを購入した。
ラレーっていうイギリスのメーカーの街乗りバイク
サスペンション付きで快適だし、クラシカルな外観はスーツにも合う。
パソコンを入れた鞄を入れるため、オプションででかいカゴを付けた。
購入した銀座の東洋物産輪業さんはとても親切でした。
ホントはあんなでかいカゴは付けたくなかったのかもしれないけど、そうとう苦労しながら、
ステーを工夫してしっかり付けていただきました。

それにしても都内の道路は自転車が走りやすいようにはできていない。
車道を走るとクルマからいじめられ、行き場がなくて歩道を走ると歩行者から邪魔者扱いされる。
車道ではタクシーの予想外の動きが怖い。
客を見つけるとウィンカーも出さずに、強引に急ハンドルを切ってむりやり左車線に進路変更する。
客を乗せると、まるで後方確認しないかのように、右にハンドルを切って急発進する。
それに路肩に停車しているトラックの横をすり抜けるのも怖い。
突然、運転席のドアが開いてぶつかりそうになったことがある。

でも昨日は、気持ちよかった。
午前、皇居の東を通る内堀通りが車両通行止めになっていて、クルマや信号を気にすることなく、
広い車道の真ん中で思いきりペダルを漕ぐことができた。

交通ルールを守って、安全に気を付けて走れば、自転車はホントにいい乗り物だと思う。

「ゲイリー・マレンを日本に呼ぼう」プロジェクト 

初めてお小遣いで買ったレコードは、エルトン・ジョンの「Goodbye yellow Brick Road」だった。
1973年、私が中学校に入学した年のことだ。
ときおり若い人から誤解されるが、私はビートルズ世代ではない。
自分の意思で音楽を聴きだしたときには、もうビートルズは解散していた。
クラスには、ビートルズを聴いている友人もいたけど、私の耳はなぜか反応しなかった。
今もあまりビートルズの曲を知らない。

なぜ、エルトン・ジョンの「Goodbye yellow brick road」を買ったのか?
そもそも私の家はそれほど裕福ではなかったので、ステレオがなかった。
ステレオを持っている友人の家で聴いていたのだ。
いつも友人の持っているレコードだけ聴かせてもらうのは悪いと思っていたし、
友人と趣味が合わないので自分の聴きたいレコードをかけてみたい気持ちもあった。
いつか自分のレコードが手に入れることがささやかな目標になっていった。

一生懸命貯めたお小遣いで、クラスで誰も持っていなかったエルトン・ジョンの最新作を選んだ。
しかも2枚組だったから、高額だったけど自尊心も満足できた。
アルバムの1曲目が「Funeral For A Friend(Love Lies Bleeding)」という曲。
エルトンジョンが発表したすべての曲の中で最も私が好きな曲だ。
私が初めて自分の意思で選んで購入したレコードの記念すべき一曲目でもある。
聴いてもらえばわかるが、曲の構成はプログレそのものだ。
この曲を聴いたことで、私はプログレやハードロックにはまっていく。

キング・クリムゾン、ピンク・フロイド、エマーソン・レイク&パーマー、イエス、キャメルなど。
さらにディープ・パープル、レッドツェッぺリンなどのハードロックに傾倒していくことになる。
かと言って、軽いポップミュージックを全く聴いていなかったわけではない。
ルべッツの「シュガー・ベイビー・ラブ」、ジグソーの「スカイ・ハイ」、ファーストクラスの
ビーチ・ベイビー」、アバの「ウォータールー」なんかも好きだった。

でもレコードはあまりに高額なので、清水の舞台から飛び降りる気持ちにならなければ買えなかった。
だから、私が2枚目のレコードを手に入れたのは、
「Goodbye yellow brick road」を手に入れてから1年以上過ぎてからだった。

それが「Queen Ⅱ」。
代表曲「ボヘミアン・ラプソディ」はクイーンの4枚目「オペラ座の夜」に収録されているので、
まだクイーンがメジャーになる前のアルバムだ。
「Queen Ⅱ」は特にフレディ・マーキュリーが担当したブラックサイドを聴いて驚いた。
特に、「The Fairy-Feller's Master-Stroke & Nevermore ~ 「The March Of The Black Queen
にかけての複雑な曲の構成や、多重録音によるハモリの美しさ、もちろんメロディラインの豊かさ、
ブライアン・メイのギターオーケストレーションに代表される独自性の高いサウンド、
ロジャー・テイラーの裏拍を多用したドラミングなど、驚嘆することばかりだった。
これまでいろんな音楽を聴いてきたけど、「Queen Ⅱ」以上に衝撃を受けたレコードやCDはない。
ただ1974年当時、クイーンのファンを公言することは、ホモをカミングアウトすること同じくらい、
勇気を必要とする難事業だった。
クイーンは私のクラスだけではなく、世界中からアイドルバンドとみなされていたからだ。

だから、私は「ボヘミアン・ラプソディ」がヒットするまで隠れキリシタンのように、
レコードを買ったことさえごく親しい友人以外には言わず、ひっそりとしていなければならなかった。

「Queen Ⅱ」に出会って以来、今でもずっとクイーンを聴いているが、1991年11月24日、
フレディ・マーキュリーが亡くなってからは、熱が急速に冷めてしまったことは否定できない。
フレディのいないクイーンは、クイーンとは思えなかった。
フレディは単なるクイーンというロックバンドのボーカリストではなかった。
単なるボーカリストということなら、ポール・ロジャースでもジョージ・マイケルでもいいと思う。
とは言え、誰が代わりを務めても違和感は拭えない。

それで、ゲイリー・マレンの話になる。
結論から言えば、ゲイリー・マレンはフレディ・マーキュリーのモノマネをしている人だ。
芸人なのか歌手なのか、そもそも芸能の世界にいる人なのかどうかもわからない。
ただ、いろんなフレディのイミテーションを見てきたが、笑ってしまうくらい桁違いに上手い。
上手いというより、声質や歌い方、マイクパフォーマンスに関して言えば、
フレディ・マーキュリーそのものにしか聞こえないし、見えない。
歌もものすごくうまい。
声の調子がいい時のフレディと同じかそれよりもう少しうまい。
「フレディが乗りうつっている」というレベル。
つまり、ルパン三世を演じている山田康雄の真似をしている栗田貫一に匹敵するということ。
バックのミュージシャンも、ぜんぜんアマチュアレベルではない。
とにかく時間があったら、聴いてみて。
Somebody To Love
ボヘミアン・ラプソディ
DON'T STOP ME NOW
Keep Yourself Alive
Radio Ga Ga

まだ、日本ではあまり知られてないみたいなんだけど、ゲイリー・マレンを観に行きたいなあ。
そう思ってくれる人が大勢集まれば、呼べるかもしれない、と思う。



スノボ 国母選手問題 ファッション問題でパッションを奪うファッショ

国母選手。
服装の乱れについて報道された当初は、ただのファッションセンスの問題だと思っていたのに、
「反省してま~す。」会見から、国賊扱いになってしまった。
今日になって国母選手の通う東海大学は、応援会を中止すると発表した。
日本中が、バッシングしているようにさえ感じる。
教師の一人くらい、身体を張って擁護してやればいいのに、と思う。
大げさに言えば、原理主義的。
マスコミがそうした空気をつくりだしている。

私がおかしいなと思い始めたのは、やくみつる氏の下記の発言が報道されてからだ。
「本来、制服を着崩すことがよくないのに、学校では恒常化しており先生がとがめることもない。
この風潮に待ったを掛けるためにも、国母選手は本国に召還すべきだ。
競技に出場させるのは温情を多分に感じる。」
なんで高校や中学の制服問題と、国母選手のファッションが同じ次元で語られるのかわからない。

やく氏は、髪を金色に染め、薄汚い髭面、帽子をかぶり、アロハシャツを着て、テレビで正論を言う。
正論を言うのはいい。かつて亀田父との対決では溜飲を下げた。
だが、国母選手のファッションについて評論できるほど、
やく氏のファッションは公共の電波に相応しいとは言い難い。
いい年こいて、着崩しているというレベルではない。見苦しいし、汚い。
まず、きちんとスーツを着て、髪を黒く染めて「七・三」に分け、髭をすっぱり剃った上で言うべき。

まあヒップホップムーブメント。
ラップミュージック、だぼだぼの(だらしなく見せる)ファッション、タトゥなどは、ダンスや
スノボだけではなく、バスケットボール、格闘技などのスポーツにも影響を及ぼしている。
やや悪ぶってみせることがカッコイイという暗黙のルールがあるらしい。
ストリート系のムーブメントだからなのか、ブルジョア系のゴルフやテニスには信奉者が少ない。
これが私のヒップホップに関する知識のほぼすべてだ。

好きではないが、過去の若者が主導したムーブメントとなんら変わらないと思う。
目くじら立てて、国母選手を国賊扱いする60歳前後の団塊世代は、かつてヒッピームーブメントや、
サイケデリックにどっぷり染まり、本気で革命を信じ、肩まで髪を伸ばし、トンボメガネをかけ、
ベルボトムジーンズをはいて、デモに明け暮れていた。
イデオロギーを奉じていたのはほんの僅かで、ほとんどの学生にとってファッションだったはずだ。
こうした文化に少しだけ影響を受けたグループサウンズ(GS)に対し、髪が長いという理由だけで、
NHKは紅白歌合戦への参加を拒絶した経緯がある。
この時団塊世代は、NHKに対して「憲法で保障されている表現の自由が脅かされる行為」だと非難した。
高校野球でも、坊主頭より少し長いという理由で高野連が個別の学校や選手に注意したことがある。
女子高生のスカートの長さに対する議論も、まだ終わっていないのかもしれない。

たかがファッションじゃないか、と思う。
日本代表というより、国母選手はヒップホップムーブメントにかぶれた
スノーボード界の代表選手という意識なんだと思う。
ドレッドヘアや鼻ピアスを含め、腰パン的な着崩しは、ヒップホップアーティストとして、
軽くイケてるファッションであり、彼なりの自己アピールだったのだと私は理解している。
記者会見の「反省してま~す。」もアーティストしてのノリだし、
まず着崩しファッションの何がいけなかったのか彼は理解していなかったように思う。
理解していないのに、いきなり記者会見会場に引っ張って来られて、
「いいから謝れ!」とでも言われたら、私でもああいう態度とるかもしれない。
20歳前後の若者がすべて石川遼クンのように前向きで謙虚というわけではないのだ。

デビューしたての頃のイチローも、よく場違いな短パンをはいていたけど、誰も諌めなかったし、
昨年のWBC2009の優勝インタビューでの「ほとんどイキそうになった」発言も、誰も咎めなかった。
昔、尾崎将司は、煙草をふかしながらゴルフの大会に出ていたけど、誰も文句言ってなかった。
結局、少し目立つ弱い者をイジメて喜んでいるだけだ。

国母選手をスケープゴートにして何がうれしいのかわからないし、
彼を擁護する意見をあまり取り上げようとしない、マスコミに怒りと怖さを感じてしまう。
それに注意するにしても、競技が終わってからでもよかった。
どんなにできた人間でも、あれだけ叩かれれば競技に対する集中力が落ちる。

国母選手事件を総括するなら、
「単なるファッション問題でパッション(情熱)を奪うファッショ(原理的統制主義)。」

ともあれ今回の国母選手事件で、やくみつる氏に対する評価(もともと高くないけど)は、
確実に地に落ちた。

PS.朝日comからの引用。
『川端文部科学大臣が、こういうことは二度とあってはいけない」と厳しく批判した。
自民党の下村博文氏の質問への答弁。
 川端氏は「ファッションという意味ではそういう服装もあるのかもしれない」と述べたうえで、
「国民注視のもとでオリンピックが開かれ、日本選手団が日の丸を胸に参加した時に、
代表として適切でない服装をしたことは極めて遺憾だ。
コーチも指導していただきたかった」と述べた。』

こんなのホントにファッショじゃん。

ハマーH3の5.3l V8がエコカー対象車になった!?

最近、「エコ」の意味がよくわからん。
「エコノミー」なのか「エコロジー」なのか、あるいはその両方なのか?

ついにハマーH3のV8までもがエコ対象になってしまった。
最初ジョークかと思ったが、事実だったのでびっくりした。

確かにH3はハマーのラインナップの中ではいちばんエコである。
一回りでかいH2は、エンジンが6.2lで、車重も3トンある。

エコ補助金は車齢13年以上のクルマから買い換える場合に出る補助金で、
対象となるケースは少ない。
しかし、13年乗ったコンパクトカーからハマーやアウディS6に乗り換えるケースがないとは言えない。
こういう場合も補助金は支給されるのだろうか?
支給されるとしたら、この場合の「エコ」とは、エコノミーなのかエコロジーなのか?

結婚して13年を過ぎたヒトが、イケナイところへ行った場合に補助金出すのと変わらない気がする。
ま、この場合は「エコ」ではなく「エロ」だけど。

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>