マナーについて
久しぶりに台風が日本列島に上陸し、あちこちに大きな傷跡を残した。
直接的な被害はなかったもの、首都圏でも強風のせいで、JR各線や地下鉄のダイヤが大幅に乱れ、
通常運行に戻るまで半日以上を要した。
昨日朝9時頃、東京の某所でも風速10メートルを超える風が吹いていた。
私の前を、50歳前後の会社員と思しき男性が携帯電話で話しながら煙草を吸いながら歩いていた。
風にあおられて、男性の吸っていた煙草が火の粉になって、斜め後ろを歩いていた女性の髪に飛び散った。
女性は、熱心に携帯でメールをチェックしているため飛んできた煙草の灰に気づく様子はなかった。
私が前を歩く女性に追いつくと、火の点いた灰は女性の髪を少しだけではあるものの焦がしているように見えた。
煙草を吸う男性との距離が縮まったため、灰は私のスーツにも飛んできた。
意を決して、私は少し早歩きで男性の前に回り、
「こんなに風の強い日に歩きながら煙草を吸うなんて非常識だと思わないのか。」と、注意した。
男性は怪訝そうな顔で私を見上げ、
「何だお前は、うるさい!これは俺の煙草だ。俺が自分の煙草をどこで吸おうが俺の勝手だ。邪魔だ、どけ!」と、
憮然とした表情で私を押しのけて歩きだした。煙草に火は点いたままだ。
私は「あなたの煙草のせいで、火の粉が飛び散ったりしているんですよ。すぐに煙草を消しなさい!」と、
少し大きな声でたしなめると、男性は振り向きざま、
「お前はいったい何様だ!うるさい!」と怒鳴り、火の点いた煙草を私に投げつけ、足早に去って行った。
私は風に煽られながら路上を転がる火の点いた煙草を追いかけ、拾い上げて火を消した。
その後も、強風の中、歩きながら煙草を吸っている人を数人見かけた。
ある男性は、歩道の真ん中で立ち止まり両手で煙草を蔽って何度もライターで着火しようとしていたし、
自転車に乗った女性は、吸い終わった煙草を火を消さずに路肩に放り投げていた(火は私が足で踏み消した)。
数年前、あるJRの駅のホームで、20代の男性が煙草を吸っていた。
私はその若者に「ここは禁煙だから、煙草を消しなさい。」と注意した。
若者は血相変えて、「お前は誰なんだ。俺の先輩なのか?え?なんで俺に命令すんだ?」と怒り出した。
大声に呼応して、すぐ近くにいた若者のツレと思われる2人の若者がやってきた。
「このオヤジが俺に命令すんだよ。」「だれ、こいつ?」みたいな会話が交わされた。
「ここは禁煙だから、煙草は吸うなって言ったんだ。ルールは守りなさい。」と私が少し強めに言うと、
「うるせえ!」と怒鳴りながら私に体当たりをしてきた。
「(ホームの下に)落とせ!、落とせ!」と、一人の若者が叫んだ。
3人は私をホームの端のほうへと押してきた。
列車がホームに入ってくることを知らせるブザーが鳴っているにも関わらず、
「押せ!落とせ!」と私をホームの端へ端へと殴ったり蹴ったりしながら押し続けた。
私が振り回した鞄がたまたま一人の若者の顔にあたり、少しひるんだ隙に体を入れ替えることができた。
「人殺しになりたいのか、バカヤロー」私は大声でそう叫んだ。
電車を待っていたお客が駅員を呼んでくれたせいで、3人の若者はホームから階段を下りて逃げて行った。
気がつくと電車がホームに入ってきていた。
夢中だったのでわからないが、ホームに電車が入ってくるまで、それほど時間的な余裕はなかったのだと思う。
私はスーツがところどころ破れ、殴られたせいで鼻血を流していた。
私の左手には破れた若者のシャツの袖が残っていた。
大きな駅なので、ホームには100人以上、私と若者たちの小競り合いを見ていたと思われる人も
20人以上はいたはずだが、だれ一人止めに入る人はいなかった。
それから数ヵ月後、三軒茶屋駅で、若者に注意した人が殺されるという事件が起きた。
一歩間違っていたら私もホームに転落し、電車に轢かれていたかもしれない。
公共の場とプライベートの区別ができないマナーの知らない人間があまりに多くて哀しくなる。
しかもマナーを知らない人間に注意をすると「逆ギレ」する。
不思議だがたいてい、注意をすると「お前は何者だ?」と訊かれる。
「私が何者であるかとあなたがマナー違反としていることとは何の関係もない。」
何者だ?と問われた私はたいていそう答える。
電車の中でも、マナーを知らない人は多い。
年配の女性に多いのは、座席の横に自分の荷物を置いてしまう人だ。
膝の上に置けばいいのにと思う。横に置くから一人座ることができなくなる。
比較的混んでいる電車で座席に横になって寝ている人をときおり見かける。
私は遠慮なく「ごめんなさいね」と言って、床に引きずり下ろす。
そして吊革につかまって立っている人に「空きましたよ、どうぞ」と言い、私もそこに腰かける。
座っている人に与えられた権利は一人分の乗車賃分の権利だ。
寝転がって4人分占拠するなら4人分の乗車賃を払うべきだと思う。
しかし、マナー違反を注意するのも命懸けだ。
景気対策も必要だし、雇用対策も子育て支援もしなくてはならないとは思うが、
いつからこんなにマナーのない国になったのだろうかと情けなくなる。
もう旧聞に属することだけど、村上春樹の「ノルウェイの森」が1千万部突破。
赤い装丁の本と、緑の装丁の本が一冊ずつ手元にある。
赤い本には緑の文字で、緑の本には赤い文字で「ノルウェイの森」と書かれている。
クリスマスカラーのこの本が発刊されたのは、1987年の秋だった。
手元にあるのはその初版本。発売日に購入することができたのは、当時私が本屋で働いていたから。
書店に届いた段ボールを解いて、店頭に並べる前に自分の分を確保した。
事前に講談社の担当者に電話して、かなり多めに注文したつもりだったが、
1週間も経たないうちにすべて売れ切れてしまった。
記憶では、発売から1年ほどで上下巻合わせて400万部に達したはずだ。
それから20年ほどかかって、後から発刊された文庫本を加えてさらに600万部も売れたということ。
来年には、松山ケンイチと菊地凛子主演で映画化されるらしい。
どのような映画になるのだろう?
小説の中に流れる独特の空気感は表現されるのだろうか?
少し気になる。
「ノルウェイの森」は、知っている人は知っていると思うが、「蛍」という短編をベースにつくられた物語だ。
個人的には「蛍」の方が好み。
恋愛小説である点とストーリー仕立てがしっかりしているように感じられる点が、
他の村上作品との相違点かもしれない。
感覚的だけど、「風の歌を聴け」、「1973年のピンボール」、「羊をめぐる冒険」、「ダンスダンスダンス」など、
他の代表作に比べ、文体がややウェットな感じがする。
「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」に代表される村上作品のもうひとつの特徴である「不思議さ」は、
「ノルウェイの森」にはあまり感じられない。関係ないが「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」に出てくる、
「やみくろ」が語感的に「ユニクロ」とダブるので、個人的にはあまり「ユニクロ」が好きではない。
それから主人公に近い存在が精神を病み自殺してしまうというストーリーの流れは、
宮本輝の「青が散る」とかぶる。
1970年頃の恋愛を1987年に37歳を迎えた男性が振り返る、ストーリーはそんな感じ。
メールも携帯もインターネットもない時代に書かれた、今となっては歴史小説。
このところ、村上作品から離れている。
3年ほど前に読んだ「海辺のカフカ」が最後。
海辺のカフカを読み終えた3年前の私は次のような読後感を残している。
『デビュー作「風の歌を聴け」の頃と比較しても、基本的に淡々として少し乾いた文体は変化していないので、
安心して読み進むことができる。
初めて村上春樹の小説に出会ってから四半世紀ほどの時間が経過し、
全細胞は何十回と新しいものに置き換わっているはずなのに、
文字をトレースして意味のある言葉に変換していく作業を行なった結果得られる感覚は、
はるか昔の記憶とほとんど変わらない。
まるで小学校のグラウンドのように懐かく、そして心地よい。
それはでも村上春樹だからであって、同じ頃読んでた村上龍だとイメージが濃すぎて
こうはいかないようにも思う。
もう昔みたいに300gのデミグラスソースハンバーグと、激辛たんたん麺と、
広島風お好み焼きをはしごして食べるなんてできなくなってしまった。
脂っこいものを受けつけなくなることで自分の年齢と過ぎ去った時間を自覚させられる。
食べ物も、小説も、おそらくは音楽もそうだと思う。
「海辺のカフカ」の中に、ナカタさんと一緒に四国に渡る中日ファンのホシノ青年が
客引きのカーネル・サンダースに女を紹介してもらうシーンが出てくる。
大学で哲学を専攻している女はトラック運転手のホシノ青年に行為の最中、
アンリ・ベルグソンの「物質と記憶」の中にある一節を引いて聞かせる。
「純粋な現在とは、未来を喰っていく過去の捉えがたい進行である。
実を言えば、あらゆる知覚とはすでに記憶なのだ」と。
なるほど。』
景気がどうとか、株価がどうだとか、銀行の不良債権がどうなったとか、
そんな現実社会のことから少し離れてみると、世の中が少し違った形に見える。
いずれにしろ、何を知覚してもそれは記憶なんだ。
「1Q84」を読む前に、もう一度「ノルウェイの森」を読んでみよう。
金大中氏の死去
元韓国大統領金大中氏が18日、多臓器不全(MOF)ため亡くなられた。
日本との関わりが最も深い韓国の政治家であるにもかかわらず、日本メディアの扱いは小さい。
大統領就任後、北朝鮮を訪れ金正日書記と共同宣言を行い、親北宥和(太陽)政策を採り、
ノーベル平和賞を受賞したことを中心に、どのニュースも構成されている。
だが大統領に上り詰めるまでのストーリーに、金大中氏の政治家としてというよりも人間としての魅力がある。
政治家を志して以降、氏はいったい何度殺されかけたことだろう。
暗殺されかけたことは一度や二度ではないし、逮捕され死刑宣告まで受けたにもかかわらず、
不屈の精神で耐え、何度もよみがえった。
民主化を成し遂げた後は、長年のライバル金泳三との政争に敗れ、政界から一時引退するも、
70歳を過ぎて大統領選に挑み、初めて大統領候補に推されてから30年近い年月を経て、
夢を実現させた。
まさに信念の人だ。
1971年の大統領選挙(もちろん正当な選挙ではない)で、金大中氏は現職の朴大統領に97万票差まで迫った。
焦った朴大統領側が、交通事故を装って暗殺を行おうとするが、間一髪で逃れたものの、
股関節に後遺症が残るほどの怪我を負っている。
1973年の拉致事件は、九段下にあるホテルグランドパレスが舞台だった。
来日中の金大中氏が白昼から拉致され、ソウルでの数日間の軟禁を経て、
自宅近くのガソリンスタンドで解放された。
まだ民主化していなかった韓国のKCIAが主導した拉致事件として世界中の耳目を集めた。
独裁政権だった韓国朴正煕大統領と日本の田中角栄首相との間に政治的密約があり、
金銭の授受が行われたことも今では明るみになっている。
その後、金氏は民主化運動によって逮捕、釈放を何度も繰り返されるが、1980年5月の逮捕によって、
出身地の全羅南道光州市で学生デモ隊と軍・機動隊が衝突、多数の死傷者と逮捕者を出すことになった。
世に光州事件と呼ばれる事件である。
戦車がデモ隊を追い回し、武器を装備した軍に殴り倒され、踏みつけられる学生がテレビに映し出されていた。
金大中氏は、光州事件を煽動した罪により、逮捕から僅か3ヶ月の8月には死刑判決が下った。
政治家である以上、きれい事だけでは済まない部分もあったと思う。
私は、流暢な日本語を話す金大中氏を知るいちばん若い世代だ。
光州事件が起きた1980年は大学に入学した年で、同年代の学生たちが戒厳令軍によって、
なぶり殺しにあっている映像を見た世代でもある。
京都では、金大中氏の死刑判決に反対するデモや署名運動も行われた。
クラスメートの何人かはこうしたデモに参加していた。
当時の鈴木善幸首相は内政干渉と言われるのを承知で、
「日韓親善からみて、金大中の身柄に重大な関心と憂慮の意を抱かざるを得ない。」と発言し、
物議をかもした。
人間とは、あれほど絶望の淵に何度も追い落とされながら、
諦めずに何度も這い上がることができるものなのだろうか?
私なりにメディアから得た情報や、金大中氏に会ったことのある在日韓国人から聞いた話、
金大中氏を救うためにデモに参加したり、戒厳令が解かれたばかりの韓国に行ってきた友人の話、
それから2000年に発売されてすぐに読んだ氏の自伝「金大中 我が人生 我が道」を総合して、
こんなにも激しい人生を生きた人は他に例がないと思う。
今、韓国では日本の音楽が自由に聞くことができるし、ファッション誌も手に入るし、映画も見ることができる。
反対に日本でも韓国ドラマがブームになり、俳優がもてはやされ、歌手がデビューしたりしている。
隣の国なのだから、当たり前のことだと思うかもしれない。
金大中氏が大統領に就任するまで、韓国では日本の音楽を聴いたり映画を観たりすることができなかった。
日本の文化の流入に対し、異常なまでの規制が加えられていたのだ。
深い歴史の溝が両国の間にあったからだ。
諦めずに希望を捨てずに生きる。
氏の生き方から学んだこと。頭では理解できても実行するのは困難ではあるけれど。
ノーベル賞を受賞したからすばらしい人なのでは決してない。
隣国日本のメディアだからこそ、もっと本質部分をきちんと報道してほしいと思った。
心より、哀悼の意を表します。
人生は祭りの日の花火のようだった。
女優大竹しのぶの最初の夫、服部晴治氏の言葉だったと思う。
TBSのディレクターだった服部氏は上記の言葉を残し、47歳で世を去った。
こんな言葉もある。
「人生はシャンパンの泡のようだ」
確か、村上龍の小説かエッセイにあった一節。
どういう意味なのだろう?
アインシュタインは、
「人生は自転車に乗っているようなものだ。」と、言った。
なんとなく理解できるように思う。
私にとっては、「人生はもぐらたたきのようなもの。」だ。
次から次へと問題が起こる。
ひとつずつ対処していくしか、生きる術はないように思う。
それをたいへんだと思うか、楽しいと感じるかはその人次第。
ともかく、毎日毎日、もぐらは穴から出てくる。
6月19日 相場
| 日経平均株価 | 9786.26 | +82.54 | |
| 為替 (円ドル) | 97.03-97.06 | +1.21(円安) | |
| 為替 (円ユーロ) | 134.93-134.96 | +1.28(円安) | |
| 東京 金 | 2908 | +10 | |
| 東京 プラチナ | 3770 | - | |
| 東京 原油 | 43130 | +25 | |
| ダウ平均 | 8555.60 | +58.42 |
| NASDAQ | 1807.72 | -0.34 |
| S&P500 | 911.13 | +0.42 |
| NIMEX 金 | 934.5 | +0.5 |
| NIMEX プラチナ | 1212.7 | +5.1 |
| NIMEX 原油 | 71.94 | +0.57 |
6月8日
| 日経平均株価 | 9865.631 | +97.62 | |
| 為替 (円ドル) | 98.50-98.52 | +1.79(円安) | |
| 為替 (円ユーロ) | 136.51-136.56 | +0.70(円高) | |
| 東京 金 | 3002 | -18 | |
| 東京 プラチナ | 3923 | -50 | |
| 東京 原油 | 41400 | -100 | |
| ダウ平均 | 8763.13 | +12.89 |
| NASDAQ | 1849.42 | -0.60 |
| S&P500 | 942.46 | -2.37 |
| NIMEX 金 | 948.5 | -13.2 |
| NIMEX プラチナ | 1237.2 | -49.0 |
| NIMEX 原油 | 66.84 | -1.60 |
頼近美津子さん
頼近美津子さんが亡くなられたというニュースをテレビで見てたいへん驚いた。
何度かお話しさせていただいたことがあるからだ。
まったく気取りのない気さくな方で、2年前の秋、初めてお会いしたときに1時間近く話し込んでしまった。
イタリアンジュエリーがお好きで、特徴あるデザインや石の使い方などについてお話をした記憶がある。
こういう言い方は誤解を招く可能性もあるが、テレビで拝見するより、実際にお会いしてお話しするほうが、
ずっと魅力的で、とても笑顔が素敵な方だった。
食道ガンだったということを今日知ったが、もしかすると初めてお会いした頃には発病していたのかもしれない。
53歳。
まだお若いのに、とても残念に思う。
また秋になればお会いできると思っていたので、そういう意味でも残念だ。
頼近さんのご主人は、元フジサンケイグループ議長の故・鹿内春雄(しかないはるお)氏。
「生きていれば、マスコミ勢力図が書き換えられていたはずだ。」
今でもそう語り継がれている人物。
フジサンケイグループに在職中の私の友人は、ライブドアによるニッポン放送株買い占め事件が起きたとき、
「春雄さんが生きていれば、こんなことにならなかった。」と、天を仰いでいた。
春雄氏は、1988年に43歳の若さで亡くなっている。
ご夫婦ともにとても短い人生だったことになる。
たくさんやり残したことがあっただろう。
でもうらやましいくらいに充実した人生だったようにも思える。
訃報を流すテレビでは、「頼近美津子さん」と呼んでいたが、本名は「鹿内(キャサリン)美津子さん」だったことは
あまり知られていない。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
万事塞翁が馬
あなたは自分のことを運のよい人間だと思うだろうか?
思うような会社に就職できなかったり、結婚相手に恵まれなかったりしたら運の悪い人間だと思うかもしれない。
そんな大袈裟なことでなくても、天気予報の雨の確率が20%だったので傘を持たずに外出したら雨に降られてしまったとか、渋滞中の高速道路を走っていて左右どちらの車線を走ればより早く目的地に着くことができるかとか、選択式の試験で迷った二つのうちどちらを選べば正解だったのかなど、運が悪かった、あるいはよかったと考えることは日常的にもとても多い。
そもそも運が良いとか悪いというのはどのようなことをさすのだろうか?
人間は、まだ現実的に起こっていない先のことをそれまでの経験を元に、無意識のうちに結果を想定して生きている。期待した結果よりも良かった場合には運が良かったと感じ、逆に自らの能力ではどうしようもない外的な要因によって結果が期待値に届かなかった時には運が悪かったと感じる。
もちろん人の意思決定はいつも合理的ではない。
感情等によりバイアスがかかることがふつうに起こるので、過去に99回失敗していて1回だけ成功しているような場合でも、その成功体験が強烈な場合、結果に対して単純確率である1/100以上の期待をしてしまう。
そして99/100の確率の結果だったとしても、単に今日は運が悪かっただけと思う人もいる。
「自分は運がいい」
そう考える人は、ポジティブな考え方をする人だという。
逆に「自分は運が悪い」と考える人はネガティブシンキングなのだというが、本当だろうか?
結果に対する期待値を予め控えめにしておくなら、確率的に「運が良い」と感じる回数は多くなるし、
逆に期待値を高くしていたら「運が悪い」と感じることが多くなるはずである。
期待値を高めに設定してしまいがちな人は実はあまりネガティブとは言えない。
合理的に導き出される将来の結果に対して過度な期待をしてしまう癖があるからだ。
つまり結果を得られていない段階では非常にポジティブな考え方を持っているがために、いざ結果が出ると期待値との乖離からがっかりしてしまい、その時点でネガティブになってしまう。
そういう意味では将来を控え目に考えていれば、たいていの場合「自分は運が良い」と思えるかもしれない。
運の良し悪しは、相対的なものでしかない。
(思ったより)いいこともあれば、悪いこともある。
そういう起伏があるのが人生だと思えば、楽しく生きられるかもしれない。
いいことが続いても、いずれトレンドが下向きになると達観していれば、実際にそうなっても落胆せずにすむし、
悪いことが続いていてもいつまでもこういう状態はつづかないと信じていれば、
過度に先行きに不安を感じる必要はない。
要は、「万事塞翁が馬」ということ。
でも人間はそこまで達観できない。
期待と不安が入り混じった複雑な感情を胸に、不確実な現実を生きていかなくてはならない。
だれでも経験したことはあるだろうけど、私も例に漏れず、何度か命を失いかけたことがある。
小学校4年生の頃、上級生の野球の試合を見ていて、空振りをした選手の手からバットがすっぽ抜けて、
私の顔面を直撃した。バットは私の鼻の下の方に当たった。あと2~3cm上か下にずれていたら、
命を落としていたかもしれない、と医師から言われた。
中学から高校にかけて、自転車に乗っていて、車に数度はねられたことがある。いずれも手足の打撲や擦り傷だった。自転車が飴細工みたいにぐにゃぐにゃになっていたので、軽傷ですんだのはいずれも奇跡だった。
大学生の頃、ラリーの練習中に山道の崖からクルマごと落下した。クルマが連続して縦回転している中に乗っていたのはこのときだけの経験だ。何かにぶつかって崖の途中で止まった。横倒しになって止まったクルマの窓から慎重に抜け出して、40度ほどの角度のある崖を必死に這い上がった。次の日、大型クレーンを呼んでクルマを引き上げたのだが、クルマは崖の1本の太い木の幹にかろうじて引っ掛かっていた。その木の下は、崖が垂直に30mほど切り立っていたので、止まっていなければ確実に死んでいた。
命にかかわることなので、生きている今の自分からすれば全て運が良かったことになる。
こんな風に考えると、結果的に運のよい人生を送っているように思えてくるから不思議だ。