万事塞翁が馬 | 曇りときどき晴れ

万事塞翁が馬

あなたは自分のことを運のよい人間だと思うだろうか?

思うような会社に就職できなかったり、結婚相手に恵まれなかったりしたら運の悪い人間だと思うかもしれない。

そんな大袈裟なことでなくても、天気予報の雨の確率が20%だったので傘を持たずに外出したら雨に降られてしまったとか、渋滞中の高速道路を走っていて左右どちらの車線を走ればより早く目的地に着くことができるかとか、選択式の試験で迷った二つのうちどちらを選べば正解だったのかなど、運が悪かった、あるいはよかったと考えることは日常的にもとても多い。


そもそも運が良いとか悪いというのはどのようなことをさすのだろうか?

人間は、まだ現実的に起こっていない先のことをそれまでの経験を元に、無意識のうちに結果を想定して生きている。期待した結果よりも良かった場合には運が良かったと感じ、逆に自らの能力ではどうしようもない外的な要因によって結果が期待値に届かなかった時には運が悪かったと感じる。

もちろん人の意思決定はいつも合理的ではない。

感情等によりバイアスがかかることがふつうに起こるので、過去に99回失敗していて1回だけ成功しているような場合でも、その成功体験が強烈な場合、結果に対して単純確率である1/100以上の期待をしてしまう。

そして99/100の確率の結果だったとしても、単に今日は運が悪かっただけと思う人もいる。

「自分は運がいい」

そう考える人は、ポジティブな考え方をする人だという。

逆に「自分は運が悪い」と考える人はネガティブシンキングなのだというが、本当だろうか?

結果に対する期待値を予め控えめにしておくなら、確率的に「運が良い」と感じる回数は多くなるし、

逆に期待値を高くしていたら「運が悪い」と感じることが多くなるはずである。

期待値を高めに設定してしまいがちな人は実はあまりネガティブとは言えない。

合理的に導き出される将来の結果に対して過度な期待をしてしまう癖があるからだ。

つまり結果を得られていない段階では非常にポジティブな考え方を持っているがために、いざ結果が出ると期待値との乖離からがっかりしてしまい、その時点でネガティブになってしまう。

そういう意味では将来を控え目に考えていれば、たいていの場合「自分は運が良い」と思えるかもしれない。

運の良し悪しは、相対的なものでしかない。


(思ったより)いいこともあれば、悪いこともある。

そういう起伏があるのが人生だと思えば、楽しく生きられるかもしれない。

いいことが続いても、いずれトレンドが下向きになると達観していれば、実際にそうなっても落胆せずにすむし、

悪いことが続いていてもいつまでもこういう状態はつづかないと信じていれば、

過度に先行きに不安を感じる必要はない。

要は、「万事塞翁が馬」ということ。

でも人間はそこまで達観できない。

期待と不安が入り混じった複雑な感情を胸に、不確実な現実を生きていかなくてはならない。


だれでも経験したことはあるだろうけど、私も例に漏れず、何度か命を失いかけたことがある。

小学校4年生の頃、上級生の野球の試合を見ていて、空振りをした選手の手からバットがすっぽ抜けて、

私の顔面を直撃した。バットは私の鼻の下の方に当たった。あと2~3cm上か下にずれていたら、

命を落としていたかもしれない、と医師から言われた。

中学から高校にかけて、自転車に乗っていて、車に数度はねられたことがある。いずれも手足の打撲や擦り傷だった。自転車が飴細工みたいにぐにゃぐにゃになっていたので、軽傷ですんだのはいずれも奇跡だった。

大学生の頃、ラリーの練習中に山道の崖からクルマごと落下した。クルマが連続して縦回転している中に乗っていたのはこのときだけの経験だ。何かにぶつかって崖の途中で止まった。横倒しになって止まったクルマの窓から慎重に抜け出して、40度ほどの角度のある崖を必死に這い上がった。次の日、大型クレーンを呼んでクルマを引き上げたのだが、クルマは崖の1本の太い木の幹にかろうじて引っ掛かっていた。その木の下は、崖が垂直に30mほど切り立っていたので、止まっていなければ確実に死んでいた。


命にかかわることなので、生きている今の自分からすれば全て運が良かったことになる。

こんな風に考えると、結果的に運のよい人生を送っているように思えてくるから不思議だ。