飛ぶ本こと、製本アーティストの山崎曜です。
カメムシやセミを見ると、
「吸ってないか」をチェックしてしまいます。
どうやって、硬そうな木に、口を刺すのか。
このキマダラカメムシは多分吸ってますね。薄い黄色のトイ状のところが、支えているように見えます。なんかすごいシステム。また、よく見てみようと思います。
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昨日もヒッポのことをちらりと書きましたが、21の国と地域の言葉のストーリー音源以外に、色々な「歌」の音源があります。全部で100曲くらい?
今朝は、Ein Männlein steht im Walde というドイツの曲をかけて歌いました。
調べてみるとドイツの民謡に ホフマン フォン ファラースレーベン が歌詞をつけて1843年に発表したと、下のサイトに発見しました。(とても聞き憶えがあるのは、ヤマハ音楽教室のCMソングにもなってるから)
蛍の光とか、仰げば尊しとか、文部省唱歌と呼ばれる曲の中には、西洋の曲に日本語の歌詞をつけたものがたくさんあります。
この曲がその類かどうかは確認できて無いですが、池の雨というタイトルで日本語が勝承夫さんという方の作詞でつけられています。
明治期に西洋音楽が入ってきた時に、
それまでの日本の音楽に親しんでいた人にはそれが全然わからなかった、
という話をどこかで読んだか聞いたかした記憶があります。
そこから推し量ると、
西洋音楽、ほぼ一辺倒で、小学生の時から育てられてきた私は、
日本の伝統音楽の方を、感じ取りにくいのかなと、思います。
「慣れ」の問題だと思います。
色々思い出します。
小学生〜中学生にまたがる時期、
ラジオで深夜放送を聞いたり、本屋で音楽雑誌をみたりするようになりました。
ロックの長髪のルックスがかっこいいと思ってました。
(このこともなんでかな?と思います)
好きな曲「愛がすべて」のスタイリスティックスが、黒人グループだと知ってがっかりしたり、
ルックスで選んで聞いたエアロスミスが、全然いいと思えなかったり、
という僅かな時期が、確かにあったな、と思い出しました。
ロックにすぐに慣れて、エアロスミス、好きになりました。スタイリスティックスも好きです。
その時期の私、白人系が憧れで、黒人系はそうじゃなかったっていうのが如実にわかります。(視覚的に?耳は逆? ちなみに日本の歌だと、グレープの「精霊流し」とか、陽水の「夢の中へ」とか好きだったです。)
「愛がすべて」みたいな、メロディが非常にはっきりしたものを好むってどういうことだったのだろうか、と思います。
そもそも「メロディがはっきりした」って捉えてること自体がどういうことなのかあんまりわからない。
学校、という仕組みそのものが、そもそも、明治期に西欧列強に対して日本も国民国家を作り対抗する必要があり、そのための人材を育成する必要のために作られた、
と、ぼんやり理解しています。
そこで歌わせる歌が文部省唱歌で、それは、西欧の曲あるいはそれ風に作曲した曲で、それがみんなに共有されていことで、教育的効果をあげた、と思うと、あまり気持ちのいいものではありませんね。
小泉文夫さんの『日本の音』(平凡社)を、チラチラ見て、とりあえず、今、あまり親しんでいない、浄瑠璃などを聞いて歌ってみています。