飛ぶ本こと、手製本廻りのことをやっている、製本アーティストの山崎曜です。
 
今日の生き物。

紫のサルビアに集まっている、アメリカピンクノメイガ(あるいはマエベニノメイガかもしれませんけれど)。

ノ、は何々の、っていう、の、かと思って、相撲取りみたいだな、と思っていたら、ノメイガ、というグループがあるのでした。

ツトガ科、というのに属している。
 
前なら、知らないまま放っておいたのが、検索ですぐわかるものだから、つい調べる。だからどうした、という感じ。

それにしても、この色の組み合わせ。
そして、蜜吸への没頭ぶり、夢のようです。
 

 

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さて、メルカリ、やってみようと思います。

数年にわたって預かってる、手製本の注文の品ができあがらずでした。それが、やっと、なんとか終着点につきそうです。

大変お恥ずかしいのですが、以前から、しばしばこういう展開になることがある、私です。とてもまともに仕事をしているとは言えません。

でも、こうとしかできなかったし、仕方ない。

 

で、著名建築家の著書の改装なのですが、その雰囲気を知りたくて、東京で見れる、その建築家の神社建築を見に行ったり、六本木近くにあるビルに入ってみたり、しました。

 

また、参考として本も買いました。
どうしてこの本に辿り着いたのかわからないのですが、日本の古本屋のサイトで買いました。

 

それが、作業が終わる、今はもう不要になりました。

 

でも、いつも使っているバリューブックスでは、きっとこの本の評価はないだろうなと思いました。ISBNはあるけれどもバーコードはないです。

一旦、この本自体で試作をしようともして、表紙を外してます。これから直します。手製本が本職ですから、見た目も機能も遜色ないように直ります。

 

前小口には、北海道小樽工業高校、天地の小口には、建築科のスタンプが押してあります。検索すると2018年3月に閉校になってるので、それで流出したものを買えたんでしょう。

色々書いて、メルカリに出したら、どうなるんだろうか、と思ったのです。

 

まあ、ずっとそのまま動かないものかもしれないですけれど。

 

メルカリ始めるには、いいきっかけかな、と思いました。

 

どっちにしても、ちゃんとメルカリをやるまめさを持ち合わせていないような気がするし、毎回始めては放置、となる公算も大きいですが、それを理由にやれてなかったので。なんでもやってみないと自分がどう感じるかはわかんないですからね。

やって放置、は仕方がない。。。

 

製本アーティストの飛ぶ本こと山崎曜です。

一昨日、朝の歩道橋上から撮った植物。

 

 

エンジュの実です。

夏の初めに咲かせた花が、もう豆になってます。
花ほどじゃないけど、これも、好きです。
 

 

さて、

自分を一週間観察する、と宣言してから、そのくらい経ったと思います。

記録をとる、ということで、今、何をやっていたのか、というのに自覚的になったので、明らかに、その点は、いいです。

 

 

なかなか終わらなかった注文仕事も終わらせ、もっと前からの注文仕事にも手をつけて、それも間もなく終わります。
 

色々なことが動き出してる感じはあります。

 

が、振り返り、がまだできてないです。何に何時間使ってるのか、という検討ですね。

とりあえず、今日は、これから集計をして、

明日、土曜の朝に、一週間の振り返り時間を作る、というのがいいと思う。

この振り返りがちゃんとないので、あれをやらなきゃ、これをやっとかなきゃ、という焦りを感じてます。そうすると、あれもこれもとパニック的な気持ちになり、空回り的になります。

これは明らかに、よくないこととわかります。

時間を確保して「振り返り」をやる習慣が全然なかったというのが唖然ですね。これをやれば大きく改善されると思います。

 

 

それと、体を動かせる床がある部屋の状態を早く作りたいです。

 

ゴロゴロ、いろんな風に転がりたいのだけれど、今色々ものが置かれすぎていてできないから。


今朝は布団でできる範囲でゴロゴロしました。私は木の床に布団を敷いてるので、股関節に乗ったり、前頭部に体重をかけたりすると、かなり痛い、のがいい感じです。2年くらい前にミラクル結実子さんに教えていただいた動き。

 

体は、動きたいです。


ジョギングは、とても決まった動きなので、体は固まってるんですよね。ジョギングの途中に、地面に転がったりできると、ほんとは嬉しいのですけれど、なかなかそれはできないので。芝生だったらできるか。

安冨さんの、牧場の動画で、馬が砂のところで背中を地面につけて転がっていたな。2頭で。馬も転がるんだなーと思いました。

ころ返りが必要。

 

 

 

 

 

こんにちは、飛ぶ本こと、山崎曜です。手製本周辺のことをやっている製本アーティストです。
 
 
昨日見つけたのは、この花。全体の雰囲気からネジバナかと思ったのですが、今咲くっけ?と近寄ってみると
 


最近知った、キジカクシ科、かな、という感じ。

 

 

検索すると、多分、ツルボという花でした。初めて知ったので嬉しいです。

 

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少し前に、図書館で借りて、読んだ本で、メモもしないままなので、ちゃんと感想を書くことはできないのですが、印象に残ったことがあったので、それを書きたいと思います。

 

 

 

2012年に出た本です。
原発災害によって、避難している人、いない人、色々な立場の人と、親しくなって話を聞いて、それを書いています。「親しくなって」というのは少し違うかもしれません。

例えば、取材を進める中で、ひどい放射能のためにごく短時間、家族などの関係者しかできない一時帰宅に同行させてもらっています。

 

どんな相手かにかわらず、

あなたの偽らない声を聞きたい、

という姿勢で話を聞いている、と感じます。
それが伝わっての、同行、です。


そんな中で私が、一番印象に残ったのは、
「放射能の身体への影響を、科学的には証明できない」

ということ。

 

それは「科学」が持ってる根本的性質なのかな、と思います。

科学は、証明をする学問である、と思います。
そして、現実に起きてるほとんどのことを、科学は証明する能力を持たない。なぜなら、前提条件が複雑すぎて扱えないから。

 

「そうとは証明されていない」という言い方が
「だからそんな事実はない」とわざと誤読する方向に操作されて、あったことがなかったことにされる、という使い方


国家という組織は「証明」などの明文化されたものによって、機械的に動いているらしいです。(これは同著者の別の本『敷金・職質・保証人』から理解したことです。この本では、機械的に動いているシステムの落とし穴に、生身の人間が落ちてしまう例をあげて、そうならないように丁寧に教えてくれています。「学校」も国家の機関なので、この本に書いてあるようなことは教えてくれない、という仕掛けになっていたんだな、とつくづく思います。)


あんまり自覚なく生きてきてしまって、恐ろしいです。

それだからなんでしょうが、こういう内容を、理路を通して書くのが、まだ、むずかしいです。