製本アーティストの飛ぶ本こと山崎曜です。
多言語自然習得という切り口から、人間のあらゆる営みを探究してる(と私には思える)ヒッポファミリークラブ。
探究、といっても専門の研究者がいるのではなく、
人間なら誰しも「これはどういうことなんだろう?」という疑問を抱くし、
それを自分で体験したり、
調べたりすることは、
やっぱり、やっぱり誰もが探究をしていると言えると思います。
今ある、
21の国と地域の言語の音源素材は、
それとしては、それだけのものなのですが、
参加者全員がそれを共有することの凄さを近頃ますます感じます。
共有する、とは、
ここでは、声に出して言ってみることをひたすら繰り返して、まあ、体に染み込ませるようなこと。
こう書くとなんか苦しそうですが、
好きな歌を、いつも歌を口ずさんでいる、という感じです。
まえも書いたのですが、そのことが、
漢籍の素読というのに、少し似ているのではと想像しています。
意味を知らないまま、音として取り入れた内容が、後で意味がわかって、自在に使えるようになる、という教育法だと思っています。
これが、子供の教育に使われていた時代、その効果は、個人の中だけでなく、知ってる人たちみんなが、有機的に結びつくことで発揮されたんじゃ無いかな、と想像しました。
同じ本を読んで、なんやかや話す時に起きることが、
意味よりももっと深い身体的レベルで起きるのではないかと思うのです。何しろ、意味より前に「音」が入っていますから。
さて、最近はまっているYouTube一月万冊。
そこで話す人たちのYouTubeも見ます。
烏賀陽弘道さんと片岡祐介さんが一緒に音楽やって遊ぶのを見たのですが、その中で、機材無い時のバンドの練習を口だけでやると、結構いい練習になる、というのがありました。
いわゆる口三味線を担当楽器でやって合わせると。
また、口で歌えれば、楽器も弾けるようになってる、という言葉もあり、
おー、
これはヒッポ活動で言ってる、
「歌えれば、聞こえる」
あれ?「聞こえれば、歌える」だっけ?
というのとちょっと似てると思いました。
ヒッポには、独特のことば遣いがあって、
いろんなことばを真似して声に出すことを
「ことばを歌う」
と言います。
昨日のブログで書いた、草刈りに行く車の中で、
安冨歩さんが練習中という(これも一月万冊で知った)、バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ?(よくわかってないけれど、Apple Musicにあった、ギドン・クレーメルのBach: Sonatas and Partitas ) をともかくリズムだけでもと、口で一緒に歌ってみました。
独特にある「ため」で、すごい腹筋(内側の)を使うので、なんか楽しかった。
ヴァイオリンって触ったことすら無いですが、
頭で思い浮かべると、
手で(持った弓を)押すか引くかしか無い動きで
音が出ますね。
それをそのまま、
息を使う口での音で歌う
のは難しいけど
演奏の息遣いはリアルに感じれて面白いな
と
ガンガン歌いました。
隣で、ポケモンGOしている妻。
草刈りの、行き帰りの車では、これから始まって、
あとは普通に歌を歌いまくりました。
サカナクション、AKMU、クイーン、中島みゆき。
時々一緒に歌う妻。
おまけ。
車の中に遊びに来た、カメムシ。
アカアシカスミカメムシ、というそうです。
ほんとに美しい。