恐れと平穏
平和、穏やかさ。そんな気持ちを抱くことは悪いことではないと思う。だけど私には、自分を目立たないようにして、出る杭にならないように自分を隠すようにして、周りからの批判や反対、そんなものから逃れようとしているところがある。私には、周りへの恐れがある。私は周りを恐れている、とは言わないでおこう。私と恐れは別だから。私は恐れのエネルギーをまとっている、または、私は恐れのエネルギーを産み出している、とは言えるかな。そのせいで、無意識に自分を押し殺している。そんなクセがある。自分をだすと(自分を表現すると)、周りから一斉に、ワッと否定されるように考えてしまうクセだ。寄ってたかって、取り囲まれるように、自分が言ったこと否定される(受け入れられない)シーンが目に浮かぶ。これは、業(カルマ)とも言えるのかもしれない。どうしてこうなったのか、分からない。昔からこうだった気がする。だけど、ふと気づいたのだけど、否定されたから、それがどうだというのだろう。この世から自分が消え去るか?ふっふっふ…いっそそうなった方が楽かもね…だけど、そんな風にならないだろうな。苦しい否定の感情をぶつけてくる相手もいるかもしれない。それは嫌かな。痛苦しいのは。でも、これから先、私はこうやって自分を押し殺したままでいくのだろうか。それは、痛苦しくないのかな。喉から胸の辺りの前面に、私は昔から恐れのエネルギーが存在するのを感じている。喉や舌を縛りつけるような苦しい感覚。なかなか内観しても、消え去らないんだ。そのエネルギーを創り出す価値観を握りしめたままなのかもしれない。例えば…やっぱり自己否定かな、自分はダメだというやつ。自分なんて受け入れられないという気持ち、考えだ。