慈悲ってどうやって?の答えとして、改めて、これは、ほんとです。
…もう四年も前の記事になるんですね。分かった気になっていたけれど、そんなことなかったな。

支配的な人と向き合う 4

〉もし、心から彼の抱いている恐れを感じ取り、そして同時に心から彼が自立できると信じることが出来た時に、おそらく胸から慈悲が溢れてくる経験をすることでしょう。



支配的な人、あるいは犠牲的な人と一緒にいるとき、こっちに恐れがあると、それに巻き込まれてこっちも犠牲になりがちですから、こんな風に慈悲の愛を呼び込んで愛でいるって、ひとつのやり方だと思います。


ちなみに、たまたま心を落ち着けているときに感じたのですが、否定的な言葉で身体の中に呼び起こすエネルギーって、身体が焼けつくように苦しいものでした。

でも「あぁ、そんな状態もあるよねぇ。」と受容的な言葉、肯定的な言葉から呼び起こされるエネルギーは、それを中和する性質のものでした。

言葉・考えって、やっぱり大切。
なかなか普段気がつかないですけど、どんな考えでいるか、どんな言葉を発するかって、自分の身体の健康に直結するのを痛感しました。

ネガティヴな考えにあふれている地球って、やっぱりハードなとこなんだなと思います。

そんなハードな環境で愛でいるって、自分の身体のためでもありますけど、慈悲って、そのための選択肢のひとつだと思います。

ただ、発する愛のタイプの人には、実は不要なものかもしれませんが。