魂って、愛のエネルギー。
とても素晴らしいと私は思った。

だから私は魂にいつも繋がっていたい、感じていたいと思った。

それですべて解決すると思った。
自分の魂を感じることで満足して、他に何かを求めなければ、不満に思うことは何もなくなるはずだ。だからいつも幸せでいられるだろうと思った。

その思いは徐々に強くなり、やがて執着となり、どこかで、感じていない自分をダメだと思っていたようだ。

昨日のリンク先のムージさんも言ってたけど、「自分はダメだ、価値がない」という自己否定がそのままだったから、私は魂にしがみついてしまったのだと思う。

根底に自己否定があると、それを埋められそうな新しい何か(私の例では魂)を得ることでそれを埋めようとするけど、肝心の自己否定そのものを癒してないから、得た当初は有頂天でいいのだけど、やがてまた「自分はダメだ」と思うようになる。

でも魂は愛だから、魂でいいはずだ!
だからいつも魂の愛をもっと強く感じていればいいんだ!

そんな風に思い、ますます魂(愛)に執着するようになる。

ブレーキとアクセルの力が、それぞれにどんどん強くなるようなものだった。

いつか疲れ切って、脱力するだろう。
…それならそれでいいのかな。

根底の自己否定を癒さなきゃ変わらないなと思うけど、癒さなきゃダメってのもまた、私の場面は執着かな。

もっと力を抜いていいんだと思う。
向上心と自己否定は、紙一重のとこがありますね。

ここから先は、癒すというより、力の抜けた「無為」っていう方向に行くんだと思う。

癒しがなくなるわけではないと思うけど、それは積極的に深いところを感じて癒しにいくというより、自分に気づいていて癒すという、もっと力の抜けたものになるのだろう。

なんなんでしょうね?
今月のはじめまで随分と苦しかったですけど?
そういう時期がやってきたってことなんでしょうかね?

確かに、無為に行くには、その前提として、ある程度の信頼感の強さが必要だと思いますけど、そこは四月から今月初めくらいまでに鍛えられた?なと思う。

なんだか手の内で踊らされてるようで、シャクに触るとこがある(笑)。