山崎豊子さんの、「大地の子」を読んだ。山崎さんのは以前に何冊か読んでるけど、戦争を扱った作品はページをめくると重く感じて、これまで読んでいなかった。

読んでみて、やっぱり重たい作品だけど、目を反らせてはいけない気がした。

いけ好かない人が出てくる…でも、読み進めるうちに、あぁ、この嫌いな人、僕自身だなとふと思った。

すると、肩のあたりから首にかけてに感じることの多かった、分厚いマフラーのような重たいエネルギーがフワッと軽くなった。


僕は、自分が表現下手だし、言葉足らずなとこがあるし、そんなだから、首回りに重たいエネルギーがあるのだろうと思っていたけど。

どうやら違ったのかな。

僕が嫌な人格を否定してたことで、それが首回りに重くまとわりついたようになってたようだ。

それに気づいてから、作品にでてくる嫌な登場人物を、これは俺だ、俺がこんな嫌なことをやっている、そんな風に言い聞かせるように読んでいた。

その度に首回りの重たいエネルギーがうごめき、それを感じていると解れていくのが分かった。

私は確かに、嫌な自分を否定していたのだね。

人間には、善悪の両方あって普通なのにね。

やがて、これも俺…を繰り返すうち、呼吸が楽になって、胸のあたりからVの字を形づくるように質感のある静寂が立ち昇った。



ちなみにこのところ、地(のエネルギー)に関する言葉を目にしている。

この間は、ふと公園で、「土のグラウンディングって、木が倒れても、倒れたままそこから芽がでてくるような、受容というか無為というか、それと再生が合わさったものだよな。」と思ったり。

今回読んだ「大地の子」も、タイトルからして地だし。

私はこれまで、「地」っていうのを意識してこなかったように思う。

これからまた、変わっていくのかな。