なぜわかった。
タイトルは、津川雅彦さんのモノマネ風に読んでね。
ということで(何がということでなんだ?)マンおじ氏がブログで最近私のことをパパと呼ぶようになっているが、恥ずかしながら実は本当にパパと呼ばれている(家族から)。
息子は既に19で、おやじとかお父さんと呼ぶのが普通かもしれんが、昔からその手のことにはこう答えることにしている。
「うちにはお父さんなどおらん、パパである。パパ以外の呼び方には返事せん」と子供の頃から宣言しているのである。
なぜか?
そんなことは決まっておるだろう。
いい年になった子(例えば子が50、親が74とかで)が、パパとか呼んでたらカワイイ(キモかわ?)からに決まっている。
今既に19だからけっこうカワイイが、こういうのは年が上がるごとにかわいさ上昇だからのぉ。
というような計画の下、断固としてパパであることをつらぬいているのである。
・・・・。
ちなみに、自分も小さい頃は、今は絶縁状態のクソおやじ(どうクソかはHPのプロフィール参照<見なくていいです)をパパと呼んでいたが、クソのほうからの申し出で小学校高学年になった時お父さんに変更させられた。バカじゃのう大きい子がパパと呼ぶかわいさもしらんと。
以上です(ここ「異常です」のほうがよかったかな?)。
裁判員制
きのう相棒を見た。
裁判員制を仮導入した裁判で事件が起こる話だったが、ちょっと調べてみたら、細かくは現実とは違うもののこのような方向に現実の裁判員制もなろうとしているようなので、ちょっと驚いた。
「あなたは、人を裁けますか?」
というキャッチコピーみたいなのをなぜか最近良く聞くが、実際は裁判と世論の間の格差を埋めるために導入するわけだから、何も素人に人を裁かせるのが目的ではないはずである。
すなわち、
裁判の様子をテレビを見るように鑑賞する。
そのあと、裁判で感じたことをある種井戸端会議のように話し合い、弁護士や検察の主張におかしなところがないかを良くチェックしつつ、どちらの主張をとるか(罪のあるなし)を判断する。
罪があると判断した場合、裁判官から、検察からの求刑を基にした刑の候補などの案が出される。
それが妥当かどうか話し合う。
決定した刑を被告に告げる。
という流れだと思っていた。
ところが、昨日の相棒では、被告に自主的にガンガン質問するは、検察の求刑以上の刑の案も自分たちだけで出してしまうわで、文字通り
「人を裁いちゃってる。」
直の質問を禁止するというほどのことはないが、どうしても直接聞きたいという場合に限るとして、制限するべきだと思うのだが。
何が問題なのかというと、2点ある。
ひとつは、裁判員をそもそも導入する意味であるところの世論感覚の導入が、素人でも裁こう裁こうとすると、どうしても自然な意見が出にくくなりせっかくの世論感覚がずれてしまうのではないか?
だからこそ、不謹慎かもしれんが、テレビを見るように鑑賞、井戸端会議感覚で話すが重要になってくると思うのだが。
さらに、2点目は、そもそも裁判というものは、素人の自主的な発言を禁止しているはずである。
いくら弁が立っても弁護士をたてなければ裁判を行うことが出来ないように、素人であるところの被告や証人はすべて、法律関係者からの質問に答える形になるのが裁判の原則のはずである。
ところが、裁判員(称号は立派だが、あくまでも素人である)が、ぽんぽん質問できるとしたら、その大原則がくずれてしまうのではないか?
素人というものは時にある1面についてはプロには出せない真実をつくことがあるが、全部の情報を理解、判断しきれていないことが往々にしてあり、裁判が素人主導になってしまうことは、やはりあってはならないと考える。
ということで、ドラマだけの話で、ないとは思うが、このような形の裁判員制度を導入しようとしているなら、はっきり言ってやめたほうがいいとしかいえない。
裁判員という名の素人裁判官を作って、人を裁かせる<テレビなどではそうとらえているようだが・・・
これには何の意味もないと思う。
あなたたちが人を裁くのではない、人を裁こうとしている法律関係者(プロたち)の意見が正しく妥当かどうかを見極めるためにあなたたち(裁判員)が裁判に参加するのだ(だから難しくないし、誰に恨まれるような存在でもない)。
でなければ、導入する意味はないと考える。
縮毛の話2
以前、自分の髪の毛がクセ毛であることを書いたが、息子の髪の毛が今日見たらものすごくカールしていることに気づく。
おまえパーマかけたんか?と聞くと、全然、だそうで、こいつもクセ毛がパーマみたく見えるのである(天パーというほどではないし、生まれたときは直毛)。
しかも、どう見てもスマップとかジャニーズ系の髪型に近い。
まあ、あの髪型だって、まったくこの世に存在しないものをパーマで作っているのではなく、ああいうタイプの毛ばせの人が世のどこかに存在していて、それを模し強調したもの(そうでなければ逆に違和感バリバリ)であろうと思う。
で、オリジナルはどこに存在しているかというと、よりによって?うちだったのである。ちゃんとかけたパーマや天パーほどではないが、金もかけんと似た髪形になってるんだからお得である。
ということで、良いクセ毛だね、と、一部の友達からうらやましがられていると言ってた。
変な自慢ですまん。
根性で強く
ならん・・・少ししか。
最近スポーツで根性強化のためのしごきが問題になっているが、これらと根が同じと思われる根性重視感覚がマンガアニメ界にもあると思うわけだ。
それは、ロボアニメや格闘アニメなどで、主人公が「うおおおおおおおぉおおおっ」ていうと、相手のガードを突き破って格上の相手を簡単?に撃破してしまうあの演出のことである。
あの根底にあるのが、「根性でなんでもできちゃう感」信仰ではないでしょうか。
できないって。
というか、そんなことが簡単にできたら、ずるいでしょそんなの。
強いものが勝つのが現実としては正しい(勝ったほうが正義という意味ではない)。
何もかもやりつくし、あとは根性くらいしか鍛えるところがなくなったらそこにすがってみればいいと思うわけで。
ところが一般的には、まず根性修行的なことをやらせることがあまりに多い。
ようするに根性もないのに、技術だけ覚えても物にならないという考えである。
でも、自分は逆に考える。最初からそれだけの真剣さを持ってる人間でなければ、所詮それまでの人なんだから、ダメで仕方ないじゃん、と思うわけです。
よっぽどせっかくの弟子を失いたくないのか、根性から教育するなんて、自分からするとずいぶん親切なんだなあ(そのわりには技はちゃんと教えず、盗めとか・・親切なんだか不親切なんだかわからん(笑))、と思ってしまうわけで。
で、根性がつくと強くなるかというと、そうかな?
ボビーで有名になった米軍隊式の場合、まずとにかく鍛える>できないとバカにする>できると、この訓練についてこれたおまえはエリートだと持ち上げる>もっと難しいことをやらせる>エリートのくせにそんなこともできないのかと落とす>自分はエリートだからこんなことは楽勝だと思うようになり、次々難しいことをクリアするようになる。
ようするに鍛えると同時にプライドをくすぐっているのである。
厳しいことを強制されるというより、高くなったプライドで厳しいことに進んで挑戦していく意識を持つようにさせる仕掛けになっている(頭のいい人が難しいクイズに挑戦したがるような感じ)。
軍隊式は、これが非常にシステム化されているということにある(エリート意識も上がり過ぎ、現地の人をバカにするようになってしまうのが難点だが)。
ただただ厳しくすればするほどいいというような単純なものではなく、内容も吟味されたものでなければ意味がないのである。
根性(厳しさに耐えたことで培われたプライド)をうまく利用して、さらに難しい内容をクリアさせるわけで、あくまでメインは内容のほうであることを忘れてはいけない。
以上は現実での話ですが、マンガなどのほうでも、やっぱ、技も強くなったというところをアピールする流れやストーリーをちゃんと見せるべき(V3とかレオとか、流星キックの帰マンの修行をしてるところとか、明日のジョーのトリプルクロスとかの技の駆け引きとかを細かく描写する演出とか)だと思うし、その上で、説得力のある「うおおお」なら、それは演出の一つとして良い効果だと思う。
注:ちなみに気合勝ちの究極?のグレンラガンは大好きです。そこまで描き来きっちゃってるなら、それはそれで感動的だと思います。うおおお全てを否定しているのではなく、安易な感じがしちゃてるのがどうかと思うだけで・・とはいえ安易かどうかの線引きは難しいですが。
ということで、今でもまだスポーツ界などで根性論者が問題起こすのは、そういう「うおおお」幻想にとりつかれた結果なのかなと思うことが暫しあるので。
最高である
今期は力の入った実写物とか、新しいガンダムとか面白いものが多いが、自分的にダントツで面白いのは、なんと、ちょっと前からやってる深夜のTBS1分半劇場「24のひとみ」である。
オシリーナ(秋山莉奈さん)のひとみ先生といい、嘘つきまくる内容といいシュールさ爆発で、最高すぎる。
過去の1分半劇場(根津サンセットカフェ、ドリアンガール)もあなどれぬ面白さだったが、今作が自分的にはダントツで、こういう流行語は使いたかないが壷に入りまくりというやつである。
少チャンの原作はもうしわけないが読んだことがない(すみません)。
これ、1話は1分半で短いけど全80回予定だそうで、録画はあまりに困難すぎるので録ってないし、見逃してる回も既に多い。マジDVD出たら買うかもしれん。
別に病気ではないが
なんか疲れ気味でやる気が出なくて困っている。
と書いたものの考えてみれば困ってもいないが。
書くのが遅れたが、買い物はもちろん予定通り行っているので内容を書く。
初日:カナダ産焼肉用豚肉3パック(300円×3)、お寿司(半額で340円)
2日目:生シャケ3切れ入り2パック(半額で300円×2)
3日目:牛テール肉くず(250円×2)、ジャガイモ、ニンジン、タマネギ
副食:カブ、なめこ、シメジ×2、生タイプカップ蕎麦×2、バターロール
合計 3200円
豚肉はショウガ焼きで。お寿司は1パック10入りで3人でおやつ的に分けて食べた。<食い済み
生シャケは、シメジを乗せてホイル包み焼き。<食い済み
今回の目玉のテール肉は、尻尾の先のほうのあまり肉がついてないくずのところなので安い。ポトフ的なスープにするつもり。野菜が多いのでヘルシーである。
今回は、半額買いが少ないのでスーパーは大喜びだ(それほどのことはないか)。
そんだけ。まったく面白くないけど(テンション低)。
クラムがハマグリだと
くりぃむナントカを見てたら、クラムチャウダーのクラムがハマグリのことだとの説明が。
クラムはアサリだろXXXXXXXXXXXXソが・・・(書くに耐えないので伏字。自分はテレビに下品かつ本気で突っ込む人です)、と、思わず大声でつっこんでしまい、寝たばかりの奥さんが驚いて飛び出してきた迷惑者です。
で、調べたらハマグリで合ってる。というかハマグリのほうが正解。アサリはショートネックドクラム(首の短いクラム)で、まあ、ハマグリのちっこいのということだと思う。
クラムチャウダーは、アメリカ発祥のスープで本来はアサリでもハマグリでもなく、現地のホンビノスガイ貝使用らしい。
なんと。
クラムチャウダーが日本じゃ主にアサリのスープなので、当然クラムはアサリだと思い込んでいたのだが。
ひとつ利口になった。
それと、深夜でけぇ声で恥なつっこみをするのは大顰蹙(<すげえ難しい字。だいひんしゅくです)なので、注意が必要であることもわかった。
模型関係のブログなのに
なぜか、健康法について熱くるしく語ってしまい、読者をまったく想定しないブログの様相を呈してきました。
基本的に書きたいこと、もしくは書いたほうがいいなとその時思ったことを書きまくってます。
すなわち、誰彼かまわず、です。迷惑ですか(笑)?
困ったな。
下のフォローと独自健康法
喉が渇くほどメシを食ってしまうのが悪い、という腹八分目推奨で考えると、たしかに水を飲まなくても大丈夫、胃に負担をかけないから、というのは全て正しいと言えます。
しかし、自分は腹八分目推奨にも疑問を感じているのです、実は。
まず、年を取ると一般的に食事量が減ります、減らしたほうが良いとも言います。
では食事量が減るとはどういうことかというと、筋肉量が減ったということです(代謝が減ったことも比例)。
筋肉量(代謝量)が減るとそれまでと同量食べていると食事のエネルギーが当然余り、それが肥満や血を汚す結果になり、病気の原因になるから食事を減らしていったほうが良いということになります。
と、これでは全て正しいということになります・・・が、
自分は独自の仮説を持っています。
老化の原因について、細胞の再生回数の上限とか当然動かせない寿命があるのは知っています。
しかし、それだけでは年を取るにつれ姿が変わる(老いていく)ことの説明はできません。
これについて、自分は細胞の栄養失調が原因では?と考えています。
人は主に睡眠中、痛んだ細胞を再生修復していると思いますが、食事が減ることにより、再生に必要な栄養を確保することができず、徐々に老いていくのでは、ということです。
したがって、できる限り食事量は減らさないほうがいい、となります。
そのためには筋肉量が減ってはいけません。
量を食べられる筋肉と良い状態の胃腸をキープする必要があります。
ちなみに女性が一番?気になるスキンケアに関しては、栄養を充分取っていればお手入れはほぼ不要です。若い時はともかく、年取ってやせてると余計ふけて見えるというのがありますが、肌のくすみの原因=栄養失調が一番大きいのでは・・。
ただ、女性の場合、筋肉が少ないので、肌に栄養を回そうとするほど食べてしまうと間違いなく太り始めるので、そのバランスを取るのが難しい。結局スキンケア薬品などのお世話にならざる得ないのが実情です。
短絡的な人は筋肉量を減らさないというと、すぐ運動に飛びつくと思いますが、これも大間違いだと考えています。
生き物は運動すると寿命が縮まります。
哺乳類は通常、体の大きい(心臓の大きい=脈が遅い)ものほど長生きな傾向がありますが、ネコと犬を比べるとネコのほうが全然長生きです。これは、体の大きさと比例していません。
なぜネコが長生きかというと、良く寝ていて、体を長時間動かすような運動をほとんどしないからです(脈をあまり速めない)。
ネコの体の動かし方は、非常に短期決戦的で、短い時間ぱっと動いて後は休むを繰り返します(眠っているように見えますが、実際は目を閉じ休んでるだけの時間のほうが長いです。獲物が近づいたり、危険が迫ったときすぐに動けるように熟睡はなかなかせず、半睡眠で常に体を休めているので、長く寝ているように見えるのです)。
以上から、人が健康のためにやるべき運動もおのずから見えてきます。
マラソンのように長時間体に負担をかけ続ける運動はダメです。短時間筋肉を動かし(私見ですがダンベル運動などが向いているのでは?)、あとは休む。これです。
実は、これもある決まりがあって、既に間に合わない人もいるので、その場合は申し訳ないですがあきらめてください。
筋肉は一度おもいきって大きくしないと、その後の適度な運動ではいくらやっても筋肉量は減るだけでキープされません(肩こりは、腕の重さを肩の筋肉が支えきれていないため起こります。とても長い時間肩の筋肉は腕を持ち上げている(運動してる)のにこるだけで、筋肉がつかないのは、そのような運動では一生かかっても筋肉がつかないからです。もし肩の筋力が腕の重さを上回れば肩こりは全くしなくなります)。
筋肉を大きくする運動で一番簡単なのは運動後筋肉が痛くなるほどの限界の重さのものを持ち上げることです。全身で持ち上げるような運動は腰を痛めるだけなので無意味です。各筋肉ごとに限界の負荷がかかることが重要です(やはり効率がいいのはダンベル運動や電気刺激機による運動か?)。
最初はこれで筋肉をつけ、充分体が育ったら、あとはキープのための短時間運動で保持するのがよろしいかと存じます(筋肉付けは、ハードな運動のため既に無理な年齢のかたは残念ながらできません)。
しっかりした運動を長期間続けるのは、気持ちの上では爽やかですが、逆にそれに栄養をとられてしまう、紫外線をあびすぎるなどの悪影響があり、見た目の消耗と寿命の短縮を招きます(スポーツマンは試合中輝いてますが、アップで見ると意外に若々しく見えないのはそのせいです)。
ということで、私の考えた健康法をまとめますと
まず、食事はなるべく減らさない(すでに減ってしまってるかたは、絶対無理に増やさないでください。胃腸をダメにしてしまいます)。注:適度な飯を食っても太る場合は、ある程度筋肉をつける運動を一度おこない、代謝を上げることで太らない状態までバランスを取る。
一度体が出来てしまえば、日常これといった運動はしないほうがいいが、筋肉を意識した短時間運動、もしくは、時々筋肉に力をこめたりピクピクさせたりして動かし、張りを常に意識する。
変な習慣をつけず、喉が渇く(水分の不足)とか、なんかイライラする(血が汚れてきてる)とかの体のサインを素直に感じ取れるようにし、そのサインに素直に従う(血の汚れは、その時点で連食していた食品をやめ、逆の性質の食品をとれば治る)。
偏った食事を避けることはもちろんですが、就寝中は胃腸も寝てしまい、その時点で未消化の食物が入っていると胃腸の健康を損ないます。食って2時間は眠ってしまわないこと(時々なら大丈夫ですが日常化するのは絶対避けてください。目を閉じて休んでいるのはOK)。
以上、すべて仮説なので、もし実践する場合は自己責任でお願いします。
やっぱアレはやってはいけないな
食事時、胃液が薄まるから水を飲まないほうがいいというやつは、完全に間違っていると思った。
今日は頭痛くなってきたし。
理由は大体想像がつく。
飯を食うと当然血糖値が上がる。塩分も取るからさらにである。
当然それで、体は血を薄めようと水分が欲しくなる。
ところが水分が足りない。
そうなると細胞から水分が出て血を薄めようとするわけで、脱水症状である。
急激な脱水症状で頭痛がするわけだ。
ということで、こんなのを提唱してる医者はまずバカやろうとしか言いようがない。
こんなん繰り返すと年寄りなら脳の血管切れちまうよ。
胃腸の負担を減らすためとか言って、そういう一面だけで物を考えては絶対だめなんだ(ガブ飲みは良くないが、喉の渇きがしたらそっち優先)。
ほんと最近ばかな健康情報が氾濫してて、危険すぎる。
女性(だけじゃないけど)は比較的頭で考えたことで体をコントロールしてしまいやすく、いいと思うと体の情報を感じなくなっちゃって、平気でこういうのをやっちゃいやすいわけで・・・・。
クソ情報で簡単に騙されてしまう人も多いんだから、こういうのはマジ困る。
ということで、今日はちょっとキレて、奥さんに説教したついでに大事なことなのでここにも書くのである。