裁判員制 | 瞳リン・台無し研究所~鯛兄堂ブログ~

裁判員制

きのう相棒を見た。

裁判員制を仮導入した裁判で事件が起こる話だったが、ちょっと調べてみたら、細かくは現実とは違うもののこのような方向に現実の裁判員制もなろうとしているようなので、ちょっと驚いた。


「あなたは、人を裁けますか?」

というキャッチコピーみたいなのをなぜか最近良く聞くが、実際は裁判と世論の間の格差を埋めるために導入するわけだから、何も素人に人を裁かせるのが目的ではないはずである。

すなわち、

裁判の様子をテレビを見るように鑑賞する。

そのあと、裁判で感じたことをある種井戸端会議のように話し合い、弁護士や検察の主張におかしなところがないかを良くチェックしつつ、どちらの主張をとるか(罪のあるなし)を判断する。

罪があると判断した場合、裁判官から、検察からの求刑を基にした刑の候補などの案が出される。

それが妥当かどうか話し合う。

決定した刑を被告に告げる。

という流れだと思っていた。


ところが、昨日の相棒では、被告に自主的にガンガン質問するは、検察の求刑以上の刑の案も自分たちだけで出してしまうわで、文字通り

「人を裁いちゃってる。」


直の質問を禁止するというほどのことはないが、どうしても直接聞きたいという場合に限るとして、制限するべきだと思うのだが。

何が問題なのかというと、2点ある。

ひとつは、裁判員をそもそも導入する意味であるところの世論感覚の導入が、素人でも裁こう裁こうとすると、どうしても自然な意見が出にくくなりせっかくの世論感覚がずれてしまうのではないか?

だからこそ、不謹慎かもしれんが、テレビを見るように鑑賞、井戸端会議感覚で話すが重要になってくると思うのだが。

さらに、2点目は、そもそも裁判というものは、素人の自主的な発言を禁止しているはずである。

いくら弁が立っても弁護士をたてなければ裁判を行うことが出来ないように、素人であるところの被告や証人はすべて、法律関係者からの質問に答える形になるのが裁判の原則のはずである。

ところが、裁判員(称号は立派だが、あくまでも素人である)が、ぽんぽん質問できるとしたら、その大原則がくずれてしまうのではないか?

素人というものは時にある1面についてはプロには出せない真実をつくことがあるが、全部の情報を理解、判断しきれていないことが往々にしてあり、裁判が素人主導になってしまうことは、やはりあってはならないと考える。

ということで、ドラマだけの話で、ないとは思うが、このような形の裁判員制度を導入しようとしているなら、はっきり言ってやめたほうがいいとしかいえない。


裁判員という名の素人裁判官を作って、人を裁かせる<テレビなどではそうとらえているようだが・・・

これには何の意味もないと思う。


あなたたちが人を裁くのではない、人を裁こうとしている法律関係者(プロたち)の意見が正しく妥当かどうかを見極めるためにあなたたち(裁判員)が裁判に参加するのだ(だから難しくないし、誰に恨まれるような存在でもない)。


でなければ、導入する意味はないと考える。