お立ち寄りくださり
有難うございます。
Chieshiです。
心のことオタク
自分探求マニアな私が
学んだこと、セラピスト経験
日常のことを通じて
感じたことや気が付いたことを
綴っていきます。
読んでくださるあなたが
ちょっとでも楽に生きられる
お手伝いが出来たら嬉しいです。
BTSが好き過ぎて別ブログ書いてます
気が付けば10月ももうすぐ終わりで
ハロウィンで賑わう時期となりました。
今月はちょっとバタバタしまして
感じたことが大渋滞で
そこから、気が付いたことが
あちこち枝葉のようにあったので
ここに残しておこうと思います。
ほぼ自分のための記録なので
冗長で長いです。すみません💦
お時間ある時にでも読んで頂けたら
嬉しいです。
そしてもし、あなたにとって
何かの参考になったら幸いです
去る10/17、朝6:30に私の携帯が鳴り
母が入居している施設の職員さんから
「お母さんの酸素数値が35から
上がらないです。救急を呼びますので
こちらに来てください」と言われました。
私の家から施設までは車で5分。
母の部屋に通されると寝ぼけてる
ように見える母がおり
私が「お母さん!お母さん!」と
呼んでも、意識が朦朧としていて
「眠い・・」というだけ。
酸素数値が下がっているため
(通常は95〜100)頭に酸素が
いっておらず、意識が薄れている状態
とのことでした。
その後、救急隊の方達が来て(4,5人いました)
そのまま市民病院へ。
酸素マスクをしたら、次第に酸素数値が
上がり、意識が戻りました。
その後、CTを撮って
とりあえず内臓疾患等はないけど
原因が明確でないため、検査と
様子見のため入院が決まりました。
(最終的に原因は分かり、今は
在宅での療法で落ち着いています
)
救急車に乗りながら私の中で
起こったことは・・・
「わあ〜どうしよう。
このままお母さん死んじゃうの?
わあ、私一人になっちゃう
お母さん死んじゃやだ〜
」
という感情やパニックと
これまで母にかけられた
心労や大変なことを思い返し
「お母さんがいなくなったら
楽になるのかな・・・」
という頭の声も聞こえてきて。
(でも、これは”本当の自分”ではない
となぜか瞬時に分かりました)
そして「今、感情や頭の声があるな」と
俯瞰している第3の自分もいました。
もちろん第3の自分も内心は
ドキドキなのですが
「ここで感情に飲み込まれて
パニックになっても仕方ない」
と、しっかり自分に留まろうと
踏ん張っていました。
そして、面白い?と思ったのは
「これまでの私は、こういう時
最悪なことをすぐ妄想して
一人感情に耽っていたな」
という過去の自分の癖が
すご〜くよく分かって
(それまでは全然分からなかった)
「あ、私って
おセンチさんだったんだ
」
と、ちょっと自分を笑ってしまいました。
自分を悲劇のヒロインにして
自分を憐れむ・・
思い返せば幼稚園位からそんなこと
していたかもしれません。
それを大人になっても
ずっとやっていたんだと
無意識過ぎて気が付かなくて
今回、初めて気が付きました。
そうして母の入院が決まったのですが
母は自分の状況がよく呑み込めて
いなかったようで、病棟に入るなり
「入院の必要はない、帰りたい!」
と言い出しました。
そして
「なんで断らなかったんだ。
医者の口車にのせられて、あんたも
バカだね。こんなの病院の金儲けなのに」
と私に言い始めました。
どんなに必要なことだと言っても理解しません。
(今思えば、認知能力も落ちていたのでしょう・・)
また、病室を個室にしたことも
(過去の経緯や、トイレの距離を
考えると個室の選択が最善と判断した)
「勿体ない、一人は寂しい」と
文句を言われました。
お金のことは心配ない、と言っても
なんだかんだ疑うばかり。
どんなに、母のために頑張っても
気に入らないことがあると
否定される。
怒りの捌け口にされてしまう・・・
今は精神的に不安定で
まだ自分の症状のことを理解できず
病院の不自由さにイライラしていて
辛い状態ではある・・
これを言っているのは
本来の母ではなく母のエゴなんだ・・
というのは、頭では分かるものの
それでも
過去の幼い時の自分の心の痛みが
ぶり返した感じがしました。
そして、そんな目に遭っても
母をほっとけない自分の優しさが
本当に疎ましく感じました。
優しい自分が嫌になる、いっそ
サイコパスな性格になりたい!
って、本気で思ってました
でも、そこから深堀りしていくと
私が1番悲しいな、と思ったのは
「分かりあえない」という痛みでした。
そして痛みの下にある
「本当はどうしたいのか?」
を見ていくと
「本当は母と愛や信頼、命の大切さを
分かち合いたい」
という思いがみつかりました。
ああ、そうか。
私は、自分が大事にしている世界
・・愛や信頼、命・・・
それを分かり合えないのが辛いんだ。
それを思うと涙が止まらなくなる時も
ありました。
そして、私は自分が思っている以上に
愛や命を大切に思っていたんだ、と
それが魂の部分の自分なんだなあと
驚きとともに改めて思いました。
それが分かると
「でもお母さんも必要な愛情を
貰えなかったのだから、愛の意味を
分からなくて当然なのかもしれない。
私達のように、心を学ぶ場所もなかったから
自身の思い込みの中で
生きるしかなかったんだ・・」
という気持ちが沸いてきました。
そんな中、仕事中に母から携帯に
電話がありました。
席を外して、人があまりいない廊下で
話をしました。内容は雑用だったのですが
会話する中で母が
「もう死にたい」と言い始めました。
何度か宥めたのですが、
一向に愚痴がやまなくて
思わず
「じゃあ、もう死んだら?
もう、とめないから。
明日からご飯食べなければ
そのうち死ぬんじゃないの?」
と言ってしまいました。
なんだかんだと言い訳するので
「一体何人の人がお母さんの命を
救おうと真剣に動き回ったと思ってるの?
少なくても20人以上はいたんだよ!」
と、ずっと言いたくて溜めていた
言葉を言いました。
そうしたら、母は何も言わなく
なりました。
その2日後、
施設の方と電話で話したら
「今日、昼間にお見舞いに行ったんだけど
お母さん『娘に怒られちゃった』って
言ってましたよ」と言われました。
ちょっとびっくり。
私の説教?が母に利いたなんて
初めての経験でしたから。
私が怒ったことで、母のエゴが
鎮まって、我に返ったって感じ?
そうしたら、その日の夜
「私は本当にあんたに感謝してる。
何度、有難うといっても足りないくらい」
と言い出して💦
私は
「そう思ってくれるなら嬉しいよ」
とだけ答えました。
私の本音としては
嬉しい!報われた!
という気持ちはあまりなく
ホッとした・・というのが1番近い感じです。
その日から、母の目に力が入って
表情が「正気」に戻ったように見えました。
そして、長い間
「私の大切な思いはお母さんには
分からない」と思っていたけれど
ちゃんと届くんだな、ということが
分かり、なんだか不思議な気がしました。

退院の日の目途もつき始め
その辺りから私も少しずつ
気持ちが軽くなりました。
と同時に、これまで気を張っていた分
身体がどっと疲れてしまいました
そして、入院から9日目に
退院となりました。
実は、内臓に疾患はないものの
呼吸に関してはやはり問題があり。
在宅(施設ですが)で、必要な
ケアが増えてしまいました。
実はそれに関して、今度は私が
ダメージを受けてしまった。
「お母さん、可哀想だな」と
思ってしまうんですよね。
どんどん身体の自由が奪われていく
親を見るのが辛いのかもしれません。
この時、気が付いたのは
私の中にある
「助けたい」という思いでした。
この思いは以前、父が癌で亡くなる前にも
感じたものでした。
父がレベル4と診断され
ホスピスに入った時
なぜだか無性に「お父さんを助けなきゃ」
という思いに駆られ
丸山ワクチンをもらいに
弟と一緒に日本医科大へ行った時の
ことを思い出しました。
(多分過去生から)
自分の中には「助けたい」けど
「助けられない」という
強烈な記憶(トラウマ?)が
あるんだろうなあ・・と思います。
でも、やっぱりそれだからといって
その気持ちに引っ張られては
いけないんですよね。
母の問題は母の問題で
私は手助けはできても
最終的には解決できないからです。
天は自ら助く者を助く
の通り、本当は誰もが
他人を助けることはできなくて。
できるのは、そのためのサポートだけ。
そもそも
「私があなたを助ける」というのは
ある意味傲慢なのかもしれないし
相手を「弱い人」という前提で見て
いるということかもしれない。
だから、どんなに相手が物理的に
弱い存在であっても、その人が
「自分で自分を助ける」権利を
奪ってはいけないんだな・・
・・・と今書いてて気が付きました。
書きながら母が可哀想という気持ちが
整理されてしまった
こんな感じで、10日位の間に
色んな感情や、そこから見えた気付き
自分について発見したことが
いっぱいありました。
とりとめなく時系列で
綴ってしまいましたが。
当たり前ですが
こういうことがなく、平穏無事に
過ごしたいとは思いますが
でも、こういう状況だからこそ
・自分をしっかり持とう
・感情に飲み込まれないように
気を付けよう
・今、ここにいよう
・0ポイントに自分を戻そう
ということをより意識するし
学んだことを読み返したりとか
何かと必死になったりするので
かえって自分軸を強くする機会に
なったと思います。
また、心身疲れていて
癒しを求めていたら
歩いて5分位のところにある
ヒーリングサロンとご縁ができ
身体のケアをするきっかけができた、
という嬉しいおまけもありました。
昔は、いいことのあとに悪いことが
起こると
「やっぱり私は幸せになれない」
としばしば思ったものでしたが
心の学びと年齢を積み重ねていくと
「こういうローテーションなんだなあ」
というのが、なんとなく分かり
それは神様の意地悪とかではなく
新たな段階へ行くためのテストみたいな
初級から中級へ進むために
必要な課題みたいなものだなあと
捉えられるようになりました。
(それでも真っ最中の時は
しんどいけれど)
起きることは全て必要なことで
それを通じて、自分を知る、
出来事が鏡になって教えてくれる。
それを体験した日々でした。
ここまでお読みくださり
有難うございます
今日も小さな幸せを感じる日でありますように
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